エイプリルフール短編「特別じゃなくても」
現実は残酷だった。
幼い頃に村と家族を焼かれ、ひとり生き残った俺は憎しみを胸に抱いたまま兵役を迎え、これといった成果もなく終え、再移住した村へと帰っていた。
「……ただいま」
重い足どりで藁と木で出来たボロ屋に入る。長く手入れを怠っていた部屋は、僅かに異臭を放っており、木が腐っているようだった。
倦怠感に身を任せたまま、横倒しになっていた椅子を持ち上げ、腰掛ける。
「結局……何も出来なかったな」
戦線で華麗に戦うハイヒューマン達が羨ましく、妬ましかった。
彼らの生来持つ力は凄まじく、無才なりに覚えた剣技や簡易的な魔法が霞んで見えた。
戦場では、俺は無価値な駒の一つに過ぎなかった。
「……ん?」
塞ぎ込んでいた気分で居たその時、よく見ると我が家が荒らされていた事に気が付いた。
鬱屈とした戦況に反して、アウレアの治安はかなり良い。これは、かなり珍しいことだった。
「クソ……荒らされてるじゃねえか……一体誰が__」
金属類の入っていた戸棚を開けた時、俺は絶句した。
1mにも満たない狭い収納の中に、泥で汚れたチュニックを着た、白い竜人がそこに居た。
「……殺さないで」
ひきつった声で命乞いした彼女の首を素早く掴み、そのまま戸棚から引き摺り出して、床に押し倒した。
「何だよてめぇ、人ん家に押し入ってよぉ……殺されてえみたいだなぁ!!」
声を荒げながら、か細い彼女の首を絞める。
この小さな少女が、家族の仇に思えた。
卑しくて、下劣な悪魔にしか思えず、少しでも油断すれば俺の首を掻き切って来ると。
力を強め、その悪魔のような少女にトドメを刺そうと試みる。
「……助けて」
大粒の涙を流し、懇願した彼女を見て、何故か昔の自分が重なった。
その瞬間、違和感に気付いた。
これは俺の気持ちじゃない。
俺は、なんの罪もない子供をいきなり殺せる程、狂ってなんかいない。
咄嗟に彼女の首から手を離すと、酷い頭痛に見舞われた。
両膝を震わせながら立ち上がると、頭の中で声が聞こえた。
殺せ、痛めつけろ、殺せ……
絶え間なく聞こえるそれに悶え、思わず声を上げて叫ぶ。
家の梁に何度も頭を打ちつけると、鈍い痛みと引き換えに声が落ち着いた。
「……俺は、大丈夫。そう、俺はクリフだ……ああ、クソ。何だったんだ」
そう呟きながら、気持ちを落ち着かせ、その場で萎縮した少女に目をやった。
「悪い……どうかしてたみたいだ……怪我は無いか?」
そう言って少女に手を差し伸べた。
「……うん」
少女は僅かに手を振るわせながら、俺の手を取った。華奢な手だった。
俺は、こんな子をさっきまで殺そうとしていた。
「とりあえず……行くあてはあるのか?」
「無い……」
少女は手を取りながら、立ち上がった。
◆
「案外、どうにかなるもんだな」
俺はそう呟きながら、遠く離れた国境線を眺めていた。
「うん……ここからは、私も役に立てるかな?」
少女は不安げに答えた。
シルヴィアと名付けた彼女は、何かの呪いに掛かっているようだった。
「そこが問題だな……試しに、行商と会って、マトモに話せるか試してみよう」
二人で肩を並べながら、街道を徒歩でゆっくりと進む。既に半日は歩いたにも関わらず、村や行商と会う事は無かった。
そんな状況に不安があったものの、俺達に引き返す道はなかった。
おそらく、アウレアよりもつらい道のりになる事は間違いなかった。
そんな時だった。街道の奥から、たったひとつ、ランタンの明かりが灯っていた。
このまま進めばすれ違う。
そう確信した俺は、シルヴィアの口元を押さえながら、街道の外れを指差した。
そうしてシルヴィアを連れて道から外れると、近くの岩陰に隠れた。
「姉さんも無茶言うよな。戦線の端にあるトカゲの骨が欲しいって……」
街道を歩いて一人で呟く人物は、女性だった。
青い髪が目を引く彼女は、一見すると話し易い人物に見えた。
しかし、こんな場所に一人で歩く女性など、胡散臭いにも程があった。
シルヴィアは彼女を指差し、行くべきかと手振りで尋ねるが、俺は首を振った。
恐らく彼女は、あっち側の人間だ。
常識の範疇を超えた、俺では太刀打ち出来ない相手だ。
「あーあ……面倒ごとばっかだな」
彼女はわざとらしく呟き、俺達の隠れる岩の側で立ち止まった。
そして彼女は、背中に提げていた大剣を引き抜いた。
切先が地面に着き、軽い土煙を上げて重々しい音を立てた。
「隠れてるんだろ、出て来いよ」
彼女は殺気立った声音でつぶやいた。
シルヴィアと目が合うと、彼女は外套を脱いで、角を露出させた。
そして、深呼吸をして二人で岩陰から出た。
「……あなたは、敵ですか?」
シルヴィアが尋ねるも、彼女は目を見開いて唖然としていた。
緊張感は未だ解けず、俺の心拍数は際限なしに高まっていた。
「……お前は」
青いエルフの女性は呟く。
瞳の焦点が合い、シルヴィアに向けられたその時、目つきが鋭くなったのを見て、体が動いた。
「逃げろ!!!!」
思い切り声を張りながら、青い髪の女性に斬りかかった。
「敵だよなぁ!!」
彼女はそう呟くと、思い切り足を振り上げた。
魔力を帯びた蹴りは俺の剣をへし折り、つま先が腹に直撃した。
次の瞬間、体験した事のない衝撃が身体を貫いた。
痛みを忘れる程の浮遊感と共に、視界が回転し、身体が風を切った。
近くにあった木に身体が激突し、肺の空気が全て吐き出された。
意識が飛びそうだった。
しかしシルヴィアの後ろ姿が、俺の意識を踏み留まらせてくれた。
獣のような雄叫びを上げ、折れた両脚で地面を踏み締めた。
想像を絶する痛みが、かえって意識を鮮明にしてくれた。
「俺を見ろ!!!!」
シルヴィアに向かおうとしていた彼女を、言葉と気迫だけで呼び止めた。
命に変えても、彼女を護る。
夢も、家族も、復讐すらも失った俺にとって、シルヴィアは光だった。
生きる意思そのものだった。
だから護る。例え俺が死んでも。
夥しい量の血を撒き散らしながら走り、彼女に接近する。
「お前っ……ホントに人間かよ!?」
彼女は少し動揺した様子で、大剣を俺に突き出した。
今の俺に、それを防ぐ手立ては無かった。
だが、捨てる覚悟はあった。
身体を乱暴に捻って、大剣を躱わす。
回避の遅れた左腕が、肉厚の刃によって千切れ飛ぶ。だが、俺はまだ死んでいなかった。
「目を覚ませ!!てめぇは何を殺そうとしてるのか分かってんのか!!!!」
力の限り叫び、彼女の懐に飛び込む。
そして、折れた剣を彼女の喉元に突き出した。
しかし彼女は、それを歯で受け止めてみせた。
「子供をっ!子供を殺そうとしてんだぞ!!」
力の限り叫び、剣を引き抜く。
しかし彼女は飛び退きながら大剣を振り回した。
次の瞬間、両膝を刃が通り抜けた。
崩れ落ちる。
そう確信した俺は、太腿を力の限り動かし、寸断された膝下を踏み台に跳躍した。
「てめぇは……人間だろうが!!」
俺は折れた剣を持ったまま彼女に特攻した。
しかし、無駄な抵抗だった。
棒切れのように振り回された大剣が、剣を俺の指ごと切り落とした。
そして身体に刃が通過し、ヘソから下が千切れ飛んだ。
「何が……お前を駆り立てるんだ」
宙を舞う中、彼女が頭を抑えているのを見た。
もし、彼女が俺のように目覚めてくれたのなら、シルヴィアも安心だ。
俺は、安心して死ねる。
「お願いだ、あの子を……護って」
視界が宙を舞い、街路に頭を打った。
血と中身が臍の下から溢れ出し、血の気が引いて行った。
多分、あと数秒もない命だと確信した。
「クリフっっ!!駄目ダメダメっ!!死なないで!!!!」
シルヴィアが大粒の涙を流しながら、俺の元に駆け寄って来た。
その背後には武器を納め、顔を青くした彼女の姿もあった。
指の無くなった右手を持ち上げ、頬に触れた。
「……いきて」
そう呟いた時、俺の意識は深く沈んだ。
深い、深い底へと。
◆
「……おいクリフ、趣味が悪いぞ」
マレーナの家で、本を手にした彼女は眉を顰めて呟いた。
「そうか?……まあお前に殺させたのは無かったかもな。でも多分、シルヴィアを任せれるのはお前だけだよ」
そう言って微笑むも、彼女の表情は更に険しくなりため息を吐いて空を見上げた。
「お前なら本当にやりそうなのが嫌なんだ!例えでもやめてくれ!寒気がして来た……」
彼女は本を勢いよく閉じると、俺の元に返した。
「そうか?初作としては良い出来だと思ったんだけどな……」
「グロいし暗いんだよ、馬鹿!!」
彼女はそう怒鳴ると、家を出てしまった。
「この後お前が無事にシルヴィアを守って、ソルクスと姉さんにだな……」
先の展開を喋って彼女を呼び止めようとするも、無駄だった。
俺は肩をすくめながら、あり得たかも知れない未来に思いを馳せた。
「……俺の性分は変わらないのかもな」
俺は、記した本の革表紙を眺めた。
少し古びたそれは、露店商から買い取ったものだった。それを手に取った瞬間、無性にこの物語を描きたくなった。
もしかしたら、この話は本当にあったのかもしれない。姉や、義両親とも会えなかった世界が。
「あいつに見られたら怒られるな」
シルヴィアと話しても尚、俺はきっと自分の死を選んででも彼女を助けるだろう。
この狂った性根は、死んでも治りそうになかった。
「愛してるよ、シルヴィア」
そう言って微笑み、本をテーブルに投げ捨てた。
余談ですが、作中作は本編開始タイミングより4年早い時間設定になるので、あのシルヴィアはシルヴィアの80番くらい前の姉だったりします。
本編時空だと村人に殴り殺されました。
が、今はヴァストゥリルの領域で元気にケーキを焼いています。




