116話「はじめまして」
アルテスが暴れて半日、ウァサゴは瓦礫の下で横になっていた。
「私……何してるのかしら」
弱々しく呟く。
最早、指先ひとつ動かす力すら残されていなかった。
全身をペースト状に潰された状態から、人型を復元出来た事が奇跡に等しかった。
今の彼女に瓦礫を押し除ける力がある筈もなく、生命活動を維持するのが精一杯だった。
「……あら?」
突然目の前の瓦礫が押し除けられた。
もし、彼が再びやって来たのなら、隠す気も、抵抗する気も起きなかった。
「見つけた……!」
しかし、現れたのはウェールだった。
頭にきつく包帯を巻き、折れた右腕を揺らしながら、腰に提げた短刀に手を伸ばしていた。
「はぁ、最悪……」
彼に殺されるなら不満は無かった。
しかし、この女は別だ。
彼女はウァサゴの死を辱め、悪趣味な人形に作り変えた張本人だ。
「お前が……マリィを……!!」
彼女は顔を歪め、大粒の涙をこぼしながら短剣を引き抜いた。
「あなたみたいな下衆に殺されるなんてね……残念だわ」
「それはお前だろうがっ!!」
ウェールはナイフに体重を乗せ、勢いよく振り下ろした。
刃が迫る中、どうにか抵抗出来ないかと思案するも、無駄だった。急所を外して、死ぬまでのステップをひとつ増やすのが限度だろう。
それなら死んだほうがマシだ。
「ほんと、残念だわ……」
遺言にもならない言葉を呟き、目を瞑る。
脳裏で、走馬灯のようにアガレスとの日々が流れた。
特別な出来事のない日常が崩れ、アウレアの英雄に彼が狩られた場面に差し掛かる。
彼の首に剣が差し込まれた瞬間、ありえない筈の金属音が響き、走馬灯が途切れた。
「なんでっ……」
目を開くと、グレゴワールが目の前に滑り込んでいた。
彼はナイフの刃を掴むと、そのまま握り潰し、ウェールの手から引き剥がした。
「……オレはコイツを殺したくないんダ」
ウェールは顔を青くし、大きく息を吸った。
「作った私が断言する!おまえの魂はおまえだけのものだ!!お前は、アガレスじゃない!!」
彼女は怒鳴り、懇願するように言った。
「ソウだよ……オレはこいつの大切な奴じゃないのはいちばん分かっテル……」
グレゴは俯いた。
「ならっ__」
「デモな、こいつを守れって、オレの中に残った温もりが叫んでるんダヨ」
彼の言葉を前に、気が付くと涙が溢れていた。
こんな状況にも関わらず、嬉しくて仕方がなかった。
彼はアガレスではないというのに、言葉に出来ない感情がこみ上げた。
「グレゴ……!」
ウェールは頭を抱え、怒りに震えていた。
そんな彼女から庇う形でグレゴワールは立った。
「オレは不良品ダ……ダカラ、こいつを殺したいなら……オレも壊してクレ」
その言葉を最後に、ウェールは膝から崩れ落ちた。
「そいつはっ!そいつはマレーナを殺したんだぞっ!!なんでだよ……なんで……マレーナだけ……マリィだけ死ななきゃならないんだよぉっ……!!」
彼女はその場に倒れ込み、叫ぶように泣いた。
◆
「お役人様……どうか……どうかお許しを」
寂れた農村で、ひどく痩せた男が麻袋を背に、恰幅の良い男たちに懇願していた。
「ダメだ、規定量に達していないな」
先頭の男が冷淡に吐き捨てると、真横で待機していたネクロドールが動き始めた。
金属の外殻に覆われた人型のそれは、手首から長い剣を展開した。
「あぁ……そんな、どうか……」
痩せた男は腰を抜かし、後退る。
「やれ」
男があごで示すと、ネクロドールは勢い良く走り出し、瞬く間に痩せた男の首に剣を滑らせた。
頭がボールのように飛んだその時、ネクロドールが続けて剣を振ると、矢を切り落とした。
「出て来なければ財布が潤ったんだがな」
先頭の男は、村に広がる家屋を見つめた。
その先には、農民たちがボルトガンで武装し、銃口を役人達に向けていた。
「よくも父さんを!!」
農民たちが汚く罵り、次々と発砲した。
飛来するそれを、ネクロドールは易々と切り払った。
「駆除しますか?」
役人の一人が落ち着いた口調で尋ねる。
「ああ、仕方がない。ここをブドウ農園にでも建て替えよう。金を持て余した商人なら買い取ってくれるだろう」
先頭の男が答えると、残る四機のネクロドールが一斉に起動し、家屋に向かって走り始めた。
弾を切り落とし、時には身体で弾きながら、鋭敏で、無駄のない動きで村の人々を解体して行った。
悲鳴と肉を絶つ音が絶え間なく続き、それが止んだ時には、一人の子供が残されていた。
「……お母さん、お母さん」
子供は、動かなくなった母親をゆすっていた。
そんな彼の前に、一体のネクロドールが立ち、剣を振り上げた。
「やめろおぉっ!!」
ウェールは堪らず叫び、持っていた本を勢い良く閉じた。
彼女は、ナトの図書館に居た。
ウァサゴのせいで居心地が悪くなり、ナトを探しに来ていた際にこの薄い本を見つけた。
魔法で厳重に封印されていたその本を、好奇心に負けて開封したのが間違いだった。
開いたと同時に、今の光景が頭に流れ込んで来た。
「嘘だ……こんなの……」
本はあと、30ページ程残っていた。
ウェールは、1ページ目の光景を思い返す。
あの鋼鉄のネクロドールは、私が最初期に卸したものだった。
「ナトはずっと……隠してくれてたんだ」
かつて、ナトは言った。
ネクロドールが悲劇を起こすかもしれないと。だが真実は違った。
彼女は、真実を隠した上でネクロドールの製造を差し押さえてくれていた。
私を傷付けない為に。
「……なのに、私は、わたしは……あ……あぁっ……」
目眩がし、本を投げ捨てて書庫の出口に駆け出した。
備え付けられた転移門を潜り、古びた本屋から飛び出した。
転移の不快感すらも忘れ、呼吸を忘れたまま廃墟となった街を駆け回る。
「違うっ、だって私は、私はっ……みんなの為にっ……!!」
頭を抱えながら街を駆け回り、自宅に向かって走る。
孤児や物乞いを横切り、血溜まりを踏み越え、自分が最も安心出来る場所を目指す。
曲がり角を抜けた時、自宅の前に辿り着く。
安堵のため息を漏らそうとしたのも束の間、玄関扉が勢い良く弾け飛び、共に飛び出した憲兵が反対側の家屋に叩き付けられた。
「えっ……」
呆気に取られ、吹き飛ばされた憲兵に目が行くも、今はそれどころではなかった。
工房の奥に篭り、現実から目を背けたかっただが屋内は更に悲惨だった。
廊下の家具のほとんどが砕かれ、無数の憲兵達が伸びていた。
「あら、お帰りなさい」
廊下の突き当たりで、ウァサゴが右手に魔力を纏わせていた。
その光景に、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「お前っ……」
「私から暴れてた訳じゃないわよ」
彼女は遮るように答え、手を振って魔力を払った。
「差し押さえよ」
ウァサゴは倒れた憲兵の懐から一枚の紙を手に取ると、目の前に広げた。
「国の認可していない危険物の取り扱い、あと反政府組織への兵器供与……ですって」
頭の中が真っ白になった。
どうすれば良いのか、全く分からなかった。
「概ね、ナトが連れ去られてアンセルムが死んだからでしょうね。後ろ盾のないあなたは、良いカモよ」
ウァサゴの言葉に引っかかった。
「連れ去られたって……」
「私は陽動。本命はあの子だったのよ。今頃、弟に誘拐されてるんじゃないかしら」
__助けないと。
自分の心の状態に関わらず、そう思えた。
悲哀と後悔を、目的を使って逃避する事で、理性を無理矢理取り戻す。
憲兵が持っていた剣を拾い上げ、腰まで伸びた髪をうなじまで切り落とした。
「……どうせもう、ここには居られないんだ。早いとこ出ないと」
「雰囲気が変わったわね」
ウァサゴは関心したように答えた。
「黙ってくれ……お前は、これからどうしたいんだ」
正直に言えば、ウァサゴは殺したかった。
ここに来てナトの誘拐の幇助という余罪が増えたからだ。
だが、私では彼女に勝てないし、彼女抜きでナトの捜索を完遂できる気もしなかった。
「それは勿論、グレゴが行く先に__」
「失礼するよ」
ウァサゴの言葉を遮る形で、茶髪の好青年が、ドア枠をノックして微笑んでいた。
「初めまして、僕はバベル。古代人の生き残りにして、ジレーザを取り仕切らせているものだ」
背後でウァサゴが魔力を発し、警戒心を露わにしているのが分かった。
しかし彼は、そんな彼女を意に介していないようで、その不遜な態度が彼の言葉の信憑性を増していた。
「何の用……なんだ?」
普段の口調が思わずこぼれ出た。
憎悪があるならまだしも、初対面の相手は変わらず怖かった。
「君をジレーザに招聘したい。君の知らない知識と、この国の官僚より快適な暮らしを約束しよう」
唐突な提案を前に、自分の中での優先順位が混乱する。
言葉に詰まり、何と返せば良いのか分からなかった。言葉の失敗が、怖くて堪らない。
「代償は何かしら?アルバとは手を組んでいた筈だけれど」
ウァサゴが鋭く尋ねる。
まるで私を庇っているかのようだった。
「ああ、そうだね。ウェール君。2176年、レッドライン要塞に用いられ大破したネクロドール、「コンフィルマシオン」の材料費を覚えているかな?」
しかしバベルはそれを無視して私に尋ねた。
懐かしい名前だった。
あの子は持ち主を護り、主人を抱えて逃げてくれた子だ。
しかし、何故彼はこんなにも簡単な質問を投げたのだろうか?
「22410640ベンスだ。修理費は18062470ベンスだったな」
鮮明な記憶を引き出し、一切言い淀むことなく答えた。
バベルはそれに微笑み、ウァサゴは困惑していた。
「君は技術者、科学者の両方において、天賦の才を持っている。この国で腐らせるにはあまりに惜しい。そう思っただけさ」
ウァサゴは一歩前に踏み出し、私とバベルの間に入った。
「アルバはどうするつもりかしら?この子は、彼と仲良くする気なんて無いわよ」
「問題ないよ。彼は協力関係を一方的に切ってね。君たちが望むなら、彼の捜索を手伝っても良い」
願ってもない申し出だった。
ナトを救う、セジェスから逃げる、新しい知識を、力を手に入れる。
彼はそれを全て同時にさせてくれると言っていた。
「ああ……私を、ジレーザに連れて行ってくれないか?」
バベルは満足げに微笑み、ポケットからひとつの球体を取り出した。
「これを君に」
彼から投げ渡されたそれをキャッチし、眺める。
「ちょっとしたパズルだ。迎えが来るまでの暇潰しにして欲しい。尤も、僕でも解くのに二日は掛かった代物だ。詰まるようならまた今度解説するよ」
バベルは踵を返し、転移門を呼び寄せた。
「……うん」
そんな彼をよそに、私は空返事をし、この不思議な球体を撫でていた。
36年間全ての記憶と経験を引き出しながら、思うままに球体を触る。
金属に見えるそれは柔らかく、しかし硬さもある。
少し触ると、ある法則で硬さと柔らかさが変化する事に気付いた。
更に続けると、特定のリズムと指の動かし方で柔らかさが増した。
しかし、何かの法則を間違えると、一瞬で鉄のように硬くなった。
「あっ、これ……楽器みたいだ」
バベルが突然足を止めた。
「何だって?」
彼に声を掛けられた気がした。
が、そんなものに意識を向けたくは無かった。
私は今、この未知の物体との知恵比べに、全力を尽くしていた。
「分かった」
法則を理解し、私の知らない音楽のリズムを刻みながら、指先で球体の表面に幾何学模様を描いた。
柔らかさは増し、正確に指を動かすのが難しくなる。
「はは……楽しいなこれ」
しかし、それらの誤差を加味した上で、10本の指を球体の表面に滑らせる。
球体の柔らかさがピークに達した時、球体が指の形に沈み込んだ。
球体は突然砂状となって崩れ落ち、指の間をすり抜けた。中央にはスイッチの付いた球体が残されていた。
「あっ……壊した?」
思わずバベルの方を見上げる。しかし彼は、顔が大きく歪むほど笑っていた。
「僕の弟子になってくれないかい?」
彼は上機嫌に話し、手を差し伸べた。
私は、彼の手を取った。
明日の12:00にエイプリルフール短編を出します。




