115話「はじめまして」
クリフは、主の居なくなったマレーナの家で、一人佇んでいた。
リビングに置かれた椅子に座り、片手に持っていた度数の高い蒸留酒を瓶ごと飲み干した。
「……クソ」
空になった瓶を投げ捨て、テーブルに積まれた酒瓶に手を伸ばす。
その時に、向かい側の席に誰も座っていない事実に、顔を歪めた。
マレーナは居なくなり、シルヴィアは今事後処理に駆け回っていた。
「クリフ、心に良くないよ」
空の席に姉が出現した。おそらく、彼女は俺にしか見えないのだろう。
「誰のせいだと思ってる……」
恨み節をこぼすと、姉は目線を落とした。
「辛いから行かないんじゃないの?街を壊して感謝なんてされたくないでしょ?」
彼女は諭すように話し、苦笑した。
「それとも、絶望の淵にいる皆に真実を伝える?街をほとんど破壊したのは、テュポンじゃないって」
俺は歯軋りをし、蒸留酒の瓶を開けて一気に飲み干した。
「……出来ない。それはきっと……俺の自己満足だ」
俺には、街を破壊したことへの謝罪すらもさせて貰えなかった。
主神の弟が街を壊した。
もしそれが公になれば、民衆の理性を辛うじて繋いでくれている信仰さえも崩れ去り、奪われたもの同士が起こす、生きる為の殺し合いが起こってしまう。
俺が罵声を浴びたいが為に、そんなことは出来なかった。
「なぁ……姉さん。エルの力が目覚めたのは、偶然だったんだよな。想定外の事故だったんだよな……?」
声を震わせ、彼女に尋ねる。
「全く、想定通りだよ。上手く使えたじゃない」
姉は明るい声音で答えた。
「……え?」
返す言葉がなかった。
「実際、楽しかったよね?神って素敵だと思わない?」
彼女は手を合わせ、嬉しげに答えた。
その時だった。姉とルナブラムが乖離したのは。
やっと現実を受け止められた。
この怪物は姉ではない。彼女はあの日に、俺を庇って死んだ。
「ルナブラム。俺はお前みたいにはならない」
腹の中の怨嗟を語気に乗せて吐き出すと、彼女は満足げに笑った。
「そう来なくっちゃ。あなたには竜の主神になって貰うんだから」
オムニアントを拳銃に変化させ、一切の予備動作を挟まずに超域魔法を起こした。
〈__薔薇散〉
拳銃を弾き、魂さえも捉え損傷させる弾丸を放つ。
しかし弾丸は頭部に命中するも、彼女の身体をすり抜け、漆喰の壁に着弾し、浅い亀裂を入れた。
やはり、実体はないようだ。
「じゃあ何だ、この旅はさしずめ神の試練って事か?」
絶対の殺意を以て彼女を撃った。
仮に彼女がシェリーでないとしても、その事実が俺の心を抉った。
俺は、彼女を殺せる。殺そうと思えてしまう。
「ケルスが言ったでしょ?経験を積んで欲しいって……その通りの事だよ。あたしがその気になれば、クリフをすぐに神に出来るけど……赤子を馬に乗せる人なんて居ないでしょ?」
「お前がケテウスを殺していればとっくに解決してるだろ。失せろよ、お前の為にアキムが死んだなんて考えたくもない」
持っていた瓶を投げ捨て、次の酒瓶を手に取る。
「そっか、またねクリフ」
彼女は霧となって霧散した。
怒りをぶつける相手が消え、静けさだけが残った。
オムニアントを剣に戻し、テーブルに立て掛けると、酒瓶の頭を千切って開栓し、そのままあおった。
焼けるような度数の酒を水のように飲む。
だが、竜人の身体はアルコールを瞬く間に分解し、酔いの余韻すらも残してくれなかった。
「……シルヴィア……アキム」
心に隙間が空き、そこに嫌な記憶が流れ込む。
机にうつ伏せると、アルテスとして暴れた時の罪悪感が、刃物のように心を突き刺した。
「ずっとそうしているつもり?」
透き通った声に呼ばれた。
顔を上げると、向かいの椅子にエルウェクトが座っていた。
彼女とは、ガウェスの記憶を見て以来会っていなかった。
相変わらず、俺の前世とは思えない程神秘的で、慈愛に満ちた面持ちをしていた。
「何だよ、笑いに来たのか?抜け殻」
彼女に心ない言葉を投げつける。
「そうかもね、操り人形」
彼女は気にも留めない様子で、俺に毒を吐いた。
想定外の言葉に、俺の情緒はかき乱され、制御できなくなった。
「うっせぇな!てめぇも見ただろ!楽しくなって無差別に殺して、俺はアキムまで殺した。」
テーブルを叩いて立ち上がる。
まだ中身の入った酒瓶を勢い良く投げ捨て、彼女の胸ぐらを掴もうとして空振った。
「ああっ、クソ!!てめぇはなんで俺なんか作ったんだよ!!?」
エルウェクトは口を噤み、冷ややかな眼差しでこちらを見上げていた。
彼女は、飽くまで俺の話を聞こうとしていた。
「俺は……力なんて持って産まれたくなかった!!ただ……平穏に暮らしたかった……」
心の奥底に詰まった思いを吐き出す。
言葉を聞き終えたエルウェクトは、うんざりした様子で溜め息を吐いた。
「……私の魂が無ければ、アードラクトにも拾われなかったし、ルナも居ないからオーガに殺されてたよ」
彼女は席を立ち、テーブルに手を付いて俺に顔を近付けた。
同じ姿勢で、睨み合う形となった。
「都合よく力だけ否定したかった?なら戦地で無様に死ぬか、チペワやソフィヤに殺されて、ソルクスに従うしか無かったけれど」
以前会った彼女と違っていた。
聞き分けの無い子供をしつけるように、言い返しようのない事実を、次々と突き刺して来た。
「甘ったれないでよ。散々私の力を享受しておいて、手に負えなくなった途端に私やルナに転嫁して投げ出すなんてさ。まだ子供で居たいの?」
「……っ、俺は。子供なんかじゃない」
心が揺らされ、咄嗟に否定の言葉を吐く。
「自分に嘘をつけると思ってるの?」
鋭く返された。
彼女は完全に、俺の心根を見透かしていた。
気持ちが悪いくらいに。
彼女の言う通りだ。俺の心はまだ、あの崩れ落ちた家の下で下敷きになっている。
言葉や態度で強がっていても、小さな少年が心の奥底で泣いていた。
「力に抗っても良いよ。贖罪に費やしても良い、逃げたって私は否定しないよ。でもね、歩みそのものを止めたなら、私は造物主として、あなたの母として、軽蔑するよ」
厳しく、淡々と話す彼女を前に、ようやくその意図を察した。
彼女はきっと気付いていた。
俺が欲しがっていたのは、励ましや同意ではない事に。
「……分かった」
テーブルから手を離し、彼女の瞳を見つめた。
青空のような色の瞳は、曇りなく澄み渡っていた。
「大丈夫、まだ歩けるよ。まだ希望は潰れていないから」
彼女は語気を和らげ、優しく微笑んだ。
その笑顔は眩しく、心に沁みた。
彼女は勇気の神である前に、女神だったのだと感じさせられた。
「……ああ、頑張ってみるよ」
エルウェクトは霧散し、部屋に一人残された。
しかし、少しだけ肩が軽かった。
テーブルの酒瓶達を抱え、一つ一つ棚に戻した。
そして、割った瓶を片付ける為に箒を探した時、突然家のドアがノックされた。
「あ……?」
シルヴィアではない。そもそも彼女はノックをしない。
不気味な事に、足音が全くしなかった。
「……敵か?」
テーブルに立て掛けたオムニアントを腰に差し、左手を掛けながらドアノブを開けた。
緊張感を持ったまま、接敵と同時に抜刀斬りをお見舞いするつもりでいた。
しかし、目の前に居たのは敵意のない子供だった。
「はじめまして、ヴィオラです」
そう名乗る少女の髪は黒く、概ねドワーフの特徴を持っていた。赤と黒の旅装に加え、鮮血のように赤く輝く毛先が特徴的だった。
つまり、普通の少女ではなかった。
「孤児……じゃないな。アルバの手先か?」
警戒心を解かず、ヴィオラと名乗る少女に尋ねるも、彼女は分からないようで、首を傾げた。
「お父さんに言われました。来ました」
奇妙な喋り方をする少女に眉を顰める。
「お父さん……?誰のことを言ってる」
彼女の襟から一匹のトカゲが飛び出し、威厳のある声で呟いた。
「アキムだ」
その瞬間、ヴィオラの姿に、アキムの面影が重なった。彼が生きているかのような錯覚を覚え、目からとめどなく涙が溢れ出した。
気が付けば片膝を着き、彼女を力強く抱き締めてしまった。
「どうして……?」
ヴィオラは困惑しているようだった。
「私は、お父さんじゃないです」
「それでも……良いんだ。あいつの、生きた証がお前だから」
声を震わせながら答え、彼女から伝わる体温と鼓動を感じ取り、言葉に出来ない安堵を感じていた。
「分からないです……」




