114話「退廃の女王」
エリノアは追跡を撒く為に、瓦礫に覆われた市街地を全力で駆け抜けていた。
「っったく、どうして私は!!負け戦ばっかりするのよ!!」
彼女は裂け目を飛び越え、周囲の遮蔽物を見渡す。
次の瞬間、彼女の周囲に光線が降り注ぎ、石畳を貫いた。
「上等っ……狙撃してるんでしょ!!」
彼女は素早く振り向き、剣を振り払う。
瞬間、刀身に緋色の光線が接触し、それが屈折した。
強烈な炸裂音が響き、衝撃と共に彼女の剣が弾き飛ばされる。
「……っ、くそ」
次いで二射目が飛来すると確信した彼女は、右掌を正面に突き出した。
〈__烈塊〉
石畳が粘土のように蠢き、螺旋を描きながら彼女の手元に這い上がって来た。
指先から広がる石塊は、再び硬質な質感を取り戻し、巨大な円盾として再構築された。
「今度こそ、今度こそは!!」
緋色の光線が盾に激突し、轟音と共に砕け散り、周囲に飛散した。
光線の熱を感じ取りながら、エリノアは砕け散った石塊を再び凝固させる。
「私の使命を果たす!!」
彼女は右腕の石塊を触手のように操り、弾き飛ばされた剣を絡め取った。
素早い所作で剣を取り戻し、剣で自身の首を切り裂いた。
大きく裂けた首が傾き、彼女は膝から崩れ落ちた。
「超域魔法、解放」
首の裂け目から青色の光が溢れ出し、傾いた首が結合する。
〈__列烈裂洌塊〉
光が晴れると、彼女の手足が岩で覆われていた。
肥大化した拳を握り締め、地面を勢いよく殴った。
「出て来い、ここはもう私のものだ」
彼女の周囲が液体のように波打ち始め、一つの生き物のように蠢き始めた。
地面から無数の触手が飛び出し、市街地の一角を覆い尽くした。
それと同時に、複数の人影が上空に飛び上がった。
「そこか……」
石畳が波打ち、滴る雫のように石球が飛び出した。
彼女はそれを拳で弾き、高く打ち上げる。
続けて地面が蠢き、射線上にライフリングを刻んだ石筒が飛び出し、石球の弾道を整えながら吐き出した。
高速で吐き出された石球は唸りを上げ、人影を撃ち抜いた。
乾いた衝撃音を立て、標的が爆散した
それを目の当たりにした人影は、蜘蛛の子を散らすように空を駆け回り、後退を始めた。
「撤退……いや狙撃かな」
地面が流砂のように崩れ始め、彼女の身体が地面に沈み始めた。
硬い岩盤の底に沈みながら、地面を潜行する。
超域魔法によって強化された身体能力に身を任せ、高速で地中を泳ぐ。
裂け目を通過する度に息を吸い込み、出口の見えない暗闇を進み続けた。
常人ならば超域魔法のイメージを崩しかねない環境下で、彼女は__勇者は幻想を描き続けた。
かつて仕えた人の、最期の願いを届ける為に。
息継ぎを止めた時間が3分を超えた頃、彼女の背後に違和感を感じた。
背中に熱を感じた彼女は、少ない酸素の中で瞬時に判断を決めた。
周辺にあった岩盤を周囲に寄せ集め、卵の殻のように全身を覆った。
次の瞬間、熱波が彼女に襲い掛かり、物理エネルギーも含んだそれは、地中のものを瞬く間に分解し、吹き飛ばした。
彼女が纏っていた石塊もまた、容赦なく打ち砕かれた。
「爆弾でも……」
彼女は崩れた外殻を押し退け、空を見上げる。
周囲は溶解し、火口のように溶岩が滴っていた。岩盤層まで深く抉れたクレーターの中心には、金属で出来た巨人が彼女を見下ろしていた。
「嘘でしょ」
『周辺操作を行う能力と断定。周辺の物質を再度、排除します』
巨人は女性の声で無機質に呟くと、全身から金属棒を突き出した。
その光景に、エリノアは危機感を覚えた。
先程と同じ攻撃が来ると。
「不味っ……」
彼女は再び岩盤を操って身を守ろうと試みるが、量が足りなかった。
蒸し焼きにされた自分の姿が思い浮かんだその時、巨人の胴体が真っ二つに割れた。
『渡津海狩狗、貴方は味方に登録されています。直ちに攻撃を』
巨人が続けて言葉を発した瞬間、金属製の巨躯に、無数の軌跡が通過した。
「悪いなバベル、優先順位があんだよ。面白い奴を見つけた、今度紹介してやるから勘弁しろよ」
クレーターの上から見下ろす形で、和装に身を包んだ鬼が刀を収めながら顔を出した。
彼は下駄を鳴らしながらエリノアを見つけると、不敵に笑った。
「おぉ久しいな。九代目、相変わらず成長してなくて何よりだ……あの時ブッ殺しておけば良かったよ」
彼はわざとらしく話すと、刀を完全に収めきった。
鯉口が小気味の良い音を立てた時、巨人の全身が分離し、瓦礫となってクレーターに崩れ落ちた。
「お前の期待に応えられなくて嬉しいわ」
エリノアは地面を隆起させ、クレーターを抜けて一気に地上に上がった。
クレイグは、箱型の通信端末を取り出し、液晶画面をなぞった。
『構わないよ。当初の目的は果たした訳だし、君の顔に免じて撤退させよう』
知的な男の声が端末から響くと、クレイグは苦笑し、エリノアは目の色を変えた。
「良く言う、手駒を削られたく__」
風切り音が彼の言葉を遮る。
「アンセルムはっ……死んだのか!!?」
彼女は切先をクレイグに向け、今にも死にそうな顔で尋ねた。
『もちろん、魂が連れていかれた事も確認済みだ。100%、死亡したよ』
知的な男が上機嫌に返事をすると、クレイグは顔を顰めて通話を切った。
彼にとって激昂したエリノアを殺し、雇用主の手駒を削る事は不本意だった。
「まあ、そんな訳でお前の主人は変わる訳だが……どうする?」
クレイグは少し熱が冷めた様子で、やや事務的に尋ねた。
しかし、程よく脱力した指先からは、死の香りを漂わせていた。
「勿論……お嬢様に付くわ……」
エリノアは深呼吸をしながら答えた。
分かってはいた事だった。
しかし、恩人の死をこうも明言されれば、平静を装う事など出来るはずがなかった。
「相分かった……カーミラ」
彼が短く呟くと、上空から赤い煙が降下し、着地と同時に一人の女性が姿を現した。
「ええっ、請け負ったわ!」
彼女は指先で大きな円を描くと、エリノアの前に巨大な転移門を形成した。
「お前の主人の元に直行出来るぜ。ほら行くぞ」
クレイグは彼女の背中を叩くと、転移門を潜り抜けた。
「まさかお前に助けられるなんて」
エリノアは歯軋りをしながら、転移門を潜った。
赤い液体が網膜を潜り抜け、温かな水に沈んだ感触がやって来る。
光が差し込むと、彼女はモデュード邸の執務室に飛び出した。軽く躓きながら、僅かに狂った平衡感覚を慣らす。
「お母様。私はね、この国が欲しいの」
エリノアの眼前に映ったのは、今までで一度も見た事が無い程の笑みを浮かべ、感情を剥き出しにしたエレネアの姿だった。
「……っ」
彼女の見下ろす先には、両手を赤い手枷で縛られたメアリーの姿があった。
彼女は、一筋の涙を流していた。
「目の眩むような財宝が欲しいの、至高の芸術品を手に収めたいわ」
エレネアは幼子のように、無邪気で邪悪な夢を話す。
「誰も味わった事のない美酒が欲しいの。世界のあらゆる美男美女を知り尽くしたいわ」
彼女はメアリーの目の前でしゃがみ込み、薄く微笑んだ。
「愛は要らないの。だから全てを頂戴……ねぇ
……?」
メアリーは体を震わせると、血で作られた手枷を引きちぎった。
そして彼女は、エレネアに掴み掛かった。
ルクロードとエリノアは目の色を変えて踏み出す中、クレイグは笑っていた。
「エレネアっ!!」
メアリーはエレネアを抱き抱えた。
両手を伸ばして持ち上げるさまは、赤子をあやしているようだった。
「ずっとあなたのことを誤解していたの……でもやっと気付けた。あなたは……私の娘よ」
彼女はエレネアを強く抱きしめた。
その行動を前にしても、彼女は驚く素振りを見せなかった。
「ああ……あなたの夢に私も連れて行ってくれないかしら。望むものなら、何でも……用意してみせるわ」
エレネアの瞳が揺れる。その奥底には、微かな憎悪が宿っていた。
しかし彼女は微笑み、母の額に口づけをした。
「……ありがとうお母様。絶対に、期待に応えてみせますね」
メアリーが見せた反応は、欺瞞や狂言というよりは、心の奥底から飛び出したものだった。
それを見たエレネアは、ダメ元の賭けに勝ったと確信していた。母が望む感情を引き出せたと。
だが彼女は、家族からの愛を知らなかった。
アンセルムには愛されていたのかもしれない。しかし、厳格で不器用な彼から、率直な愛を貰うことは無かった。
そして今、混じり気のない愛情表現を前に、エレネアは防御反応を取ってしまった。
決めていた台本から、逸れた言葉を選んでいた。
愛を知らない少女にとって、使い古した口調で取り繕い、母の愛をあしらうのが精一杯だった。
「クレイグ様、エリノアを守っていただき感謝します。かの戦いに赴きたかったのでは?」
メアリーから少し離れ、遠くで燃え盛る市街地を、窓越しに見つめた。
彼女は、クレイグがアルテスと戦わない理由を知りたかった。
「あと半年後だ。ルナブラムの奴にそう告げられた。それまでは精々焦がれているさ」
彼は口角を釣り上げて呟いた。
そんな中、エリノアは我慢ならない様子で一歩踏み出した。
「お嬢様……彼とはどのような関係で?」
落ち着いた口調だった。
しかし言葉の節々は強く、彼女はクレイグへの不満を露わにしていた。
「雇用関係だ」
クレイグは淡白に答えた。
「ええ、その通りです。クレイグ様が望むのは貨幣ではなく……この国の繁栄ですから」
エリノアはより一層混乱した。
何をどう違えたとしても、彼が利他的な行動をするなどあり得なかったからだ。
「……あなたが?」
クレイグはエリノアの背中を叩き、深い笑みを浮かべた。
「猶予は半年だ九代目。俺を満足させれなくてもいい。だが、俺の家臣達を満たせる程度には牙を研いでおけ」
悪鬼のように嗤う彼を見て、エリノアは察する。冷静沈着な筈のエレネアとルクロードの額にも、冷や汗が滲む程だった。
「死に体の国家を轢き潰した所で、余興にもならねぇ……お前達にはせいぜい、この国を強くしろ」
「まさか……」
クレイグは両手を広げ、窓の前に立つ。
焦土と化した市街を見下ろし、嬉しげに呟いた。
「俺は故郷に帰る。渡津海の元にな」
それは、彼からの宣戦布告だった。




