112話「 」
アルテスは咄嗟にアキムを突き飛ばし、「潜光」を駆使して、降り注いできた炎そのものに潜った。
しかし、続けて投下された冷気が炎を凍らせ、潜航中のアルテスの身体が凍り付いた。
アルテスは身体を再生させながら、今度は空気の中に潜り込む。
しかし次は空気そのものが消失し、隠れる場所を失った彼を雷撃が貫いた。
「アキムぅっ!!貴様ぁ!!!」
アルテスは砂鉄と炎を操り、障壁を作って抵抗するも、それすらも凌駕する物量で厄災が降り注いだ。
炎が、水が、石が、鉄が、水が、磁力が、音が、重力が、光が……
この世全ての事象が彼に牙を剥き、不死の肉体を破壊し続けた。
肉が石化し、臓腑は紙のように押し潰され、骨が風船のように膨らむ。
血は気体となって散逸し、彼の生存に必要な要素を、幻想が否定し続けた。
「俺をっ!神を殺せると思ってるのかぁっ!!!」
百を超える肉体の崩壊を起こして尚、アルテスは肉体を再構築し続けた。
そして彼は骨だけの体で跳躍し、爆心地で共に焼かれるアキムに剣を振り上げた。
「違うっ!!助けに来たんだ……」
彼が手を差し伸べると、黒色の波動がアキムの背後から突き抜け、その場全ての魔法を打ち消した。
石ころ一つすらない平地が広がり、二人だけが取り残される。
そんな最中、アルテスはアキムの背後に居る存在に目を見開き、狼狽えた。
「シルヴィアっ……」
「クリフぅっ!!!」
銀色の光を纏った彼女がアキムの頭上を飛び越え、右拳を振りかぶった。
光は彼女の右手に収束し、瞬いた光が彼の目を潰した。
〈__銀弾〉
彼女の拳がアルテスの顔面に直撃し、そこを起点に光が爆裂した
ソルクスの魂から供給される魔力にものを言わせ、濁流のように魔力を流し込む。
「届けえぇぇぇっ!!!」
シルヴィアの右手が魔力の負荷によって溶解する。
このまま続けば彼女は消える。しかし、既に限界に差し掛かっていたアルテスは耐えられなかった。
彼の身体が光の奔流に押し潰され、塵となって爆散する。
光が大地を破砕し、銀の爆炎を巻き起こした。
爆心地の中、渾身の一撃を放った彼女はその場で膝を着き、灰のように拡散した彼の一部を見つめた。
瞑目し、大きく息を吸った。
「早く……帰って来てよ!!」
彼女が力一杯叫ぶと、風が吹いた。
風は塵を運び、彼の残骸を一つに寄せ集めた。
そして人型を形作ると、塵が泡立ちながら元の形を取り戻し始めた。
蠢く彼の肉体が頭部を再生し終えた時、周囲を忙しなく見渡し、その場で固まった。
「……え」
全身を再生したアルテスは、酷く沈んだ声で呟いた。
彼は体を震わせながら、平地に立ち尽くすアキムを見つめた。
彼の身体は灰のように白く朽ちており、身体が徐々に剥離し、今にも崩れ落ちそうだった。
アルテスは__クリフは息を呑み、その場から走り出した。
「違う……違う違う違うっっ!!!」
絞り出すように呟き、狂乱しながら叫んだ。
彼には、アルテスとして暴れた全ての記憶が残っていた。
大切な人を沢山傷付けた。酷い言葉を何度も何度も投げ付けた。
沢山殺した。
「……おはよう、クリフ」
そんな彼に、アキムは優しく微笑んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ」
クリフは膝から崩れ落ち、大粒の涙を流して子供のように謝罪した。
アキムは、崩れつつある右手を差し出した。
「良いよ。俺たち、仲間だからさ……また一緒に旅をしよう」
クリフが彼の手を取ろうとした瞬間、右腕が崩れ落ちた。
地面に砕け散った灰を見て、クリフは息を呑む。
「あっ……あぁ……アキム、動いちゃダメだ。一緒に行くんだろ……し、死んだら……」
憔悴しきったクリフは、崩れつつあるアキムに近付けないでいた。
「……ごめん。ここまでかも」
アキムは一歩踏み出し、左手でクリフを抱き締めた。
「諦めるなよ……お前が死んだら……耐えられないよ……」
クリフは嗚咽混じりに答え、アキムは優しく彼の背中を撫でた。
「俺だって暴走したんだ。これで……あいこだろ?」
彼の両足が崩れ、クリフにもたれかかった。
「ダメだ……駄目だよ……行かないで」
クリフの奥底に眠っていた、無邪気で臆病な少年が顔を覗かせる。
もう枯れ木のような重さしかない彼は、生きている事が奇跡だった。
「クリフ……」
アキムは残った力でクリフを力強く抱き締め、満面の笑みで笑った。
「……ありがとう」
最期の言葉を伝えると風が吹き、彼の身体が塵となってクリフの手の内から離れて行った。
それに合わせる形で、周囲に佇んでいたチペワの肉塊が崩れ落ちた。
クリフはその場に倒れ込むと、声にならない嗚咽を漏らし、地面に額を擦り付けた。
彼の後ろに続く形でシルヴィアも大粒の涙を流し、声を上げて泣いていた。
「……バイバイ、みんな」
塵となったアキムは、小さく呟いた。
その言葉は彼に届いておらず、身体は空に向かって浮かんでいた。
瞬きをすると、アキムは星空の下で横になっていた。
誰かに膝枕をされていた。
彼女は寝そべったアキムの顔を覗き込むと、優しく微笑んだ。
「お疲れ様」
彼女の顔を見て、アキムは苦笑した。
「あんたがそうだったのか」
白い髪に白い瞳。そして白い肌をした彼女は、アキムが公園で出会ったグランマと名乗る女性だった。
「そう……私が、″お母様″だよ」
神の創造者にして、星の数よりも多い無限の世界を統べる存在。
「あんたは公園で俺に話しかけてくれた……どうしてなんだ?」
「本能に抗えたウェンディゴは、君が初めてだったよ」
彼女は愛おしげに彼の頬を撫でる。
「褒め言葉として受け取って良いよな」
「勿論。私が子供達に望むのは完成度ではなく、独創性だよ。善悪や貴賤なんて、私にとって些細な事なんだ」
アキムは苦笑する。
「随分、えこひいきなんだな」
「我が子の数が無限を越せば分かるさ……それでも、皆を覚え、確かに愛しているよ」
彼女は誇らしげに答える。その口ぶりには、どこか哀愁を漂わせていた。
「俺は……これからどうなるんだ」
アキムにとってそれが一番重要なことだった。願わくば、二人の元に帰りたかった。
「魂から記憶が剥がれて、遠い世界の誰かに宿る」
「じゃあ、アキムは消えるんだな」
「……うん。私はこうして、旅立つ貴方を見送りに来ただけなんだ」
彼女は眉を落とし、悲しげにアキムを見つめた。
「……そっか」
アキムの目元から涙が溢れ始める。
「消えたくないよ……また、みんなと一緒に……生きたいよ」
渇望にも似たアキムの言葉に、お母様も涙をこぼした。
「……ごめんなさい」
彼女はアキムの瞼に触れ、目を瞑らせた。
「……お願いがあるんだ」
彼は短く呟く。
しかし返事は無かった。
「もし……クリフが挫けそうな時に、一度だけ背中を押して欲しいんだ……」
アキムのつま先が光の粒へと変わり、夜空へと吸い込まれ、星となって行く。
「お願いだよ……」
アキムは縋るように呟くと、彼女が頬を撫でた。
「承ったよ」
彼女は短く答えると、アキムの表情が和らいだ。彼は、光の粒となって空に消えた。
「決して貴方も忘れないよ。だからどうか良い夢を」
誰もいなくなった草原で、お母様はひとり呟いた。
「おやすみ、アキム」
◆
チペワの残骸に埋もれ、アルバの洋館は跡形もなく潰れていた。
入り口だけが残った玄関扉が突然開き、一人の少女が顔を出した。
彼女は差し込んだ日差しを手で遮りながら、空を見上げた。
彼女の肩には小さなトカゲが乗っており、口を開いた。
「おはよう、ヴィオラ」
ヴィオラと呼ばれた少女は、階段を降りる。
「うん、おはよう……」
彼女は短く答えると、森の中へと消えた。




