111話「アキム」
父が目の前で魔物に食べられた。
私を庇い、膝から下を残して呆気なく死んでしまった。
逃げろと叫んだ彼の遺言を胸に、必死に走って逃げた。
彼の想いを無駄にしない為にも、無理を押して走り続けた。
しかしそんな想いを嘲笑うかのように、空から巨人が降って来た。
山よりも遥かに巨大な身体を持つそれが地面に着地した瞬間、爆発的な風に吹き飛ばされ、身体が宙を舞った。
巨人によって生じた亀裂に身体が飛び込む。
深い亀裂の底には、溶岩が滾っていた。
「ジュピテールさん……っ」
私は友人の名ではなく、工房で働くな彼の名を、縋るように呼んでいた。
きっと彼なら、この状況をどうにかしてくれるはずだと。
「違うっ!!」
浮遊感に包まれながら、亀裂に落ちる直前、恐怖で意識が明瞭になった。
しがみつく為、壁面に手をついた。
荒く切り立った岩に指の皮が裂け、肉が擦り下ろされるも、歯を食いしばって掴み続けた。
途中でどうにか踏み止まり、溶岩から人ひとり分の高さで踏み止まった。
「っ……死にたく。死ねないっ……!」
潰れた指に力を込め、崖を登ろうとしたその時、空から突然雨が降り注いだ。
黒く濁った雨雲が空を覆ったのも束の間、それは金色に燃え盛り、轟音を立てて瞬いた。
__雷が飛んで来る。
そんな、奇妙な確信があった。
「嫌っ……!!」
恐怖で目を瞑った瞬間、誰かに手を引かれた。それと同時に、爆裂音が鼓膜を叩いた。
「えっ……?」
目を開くと、赤い血肉に覆われた大男が、私の手を掴んでいた。
両脚が壁面と融合してぶら下がっており、右腕は巨大な肉の傘を展開していた。
鹿の頭骨を頭に被ったその生物は、父を食らった魔物よりも遥かに恐ろしげな風貌をしていた。
私はひきつった悲鳴を上げ、彼の手を解こうと暴れるも無意味だった。
「怖がらないで」
魔物は青年の声で呟くと、右腕を切り離した。傘の形をしたそれは、黄金の炎に焼かれており、ふわりと舞いながら真下の溶岩へと沈んで行った。
「今助けるから」
彼は即座に右腕を生やすと、両手で私を抱え、崖を水平に走り始めた。
瞬く間に崖を登り切ると、凄まじい速度で街の外に向けて走った。
金色の雷が雨のように降り注ぐ中、完全に崩壊した路面を軽々と飛び越えながら、悪路を走破していた。
「……どうして」
誰に向けたものでもない質問を呟いた。
周囲を見渡すと、全く同じ姿をした大男が、数百もの群れとなって、街の人々を救助していた。
「クリフを人殺しになんかさせない」
彼は、頭骨を震わせてそう答えた。
◆
数千を超える超域魔法は、すべての物理法則を破壊した。
重力は空に向かって作用し、酸素はエネルギーとして作用しなくなってしまった。
大気温は5000℃を超えながら、市街にある全ての物体を凍らせた。
アルテスの起こした雷雨は宇宙に向かって落下し、それに入れ替わる形で地面から雨が降り注ぎ始めた。
紫に輝く水滴はアルテスの肉体を容赦なくすり抜け、穿通した。
「ははは!!面白いな!羽虫ィ!!」
アルテスは満足げに笑う。
風が吹くと彼の肉が剥がれ落ちる。
残された骨は牛乳のように液状化し、マーブル模様を描きながら霧散した。
アルテスの居た地点で黄金の炎が燃え盛る。
酸素という燃料を喪失しているにも関わらず、それは煌々と燃えていた。
太陽のように凝縮されたそれが勢い良く爆ぜると、彼は爆心地から肉体を再形成した。
長く伸びた胴が炎を突き破り、うねる。
肉々しい皮膚は鱗に覆われ、長く伸びた鬚を蓄えた龍の頭部が出現する。
蛇とも、鯉にも見えるその生き物は、短い脚で空気を掴み、空を舞い始めた。
「その目に刻めよ!俺のぉ、いいや神の御姿をな!!」
アルテスは頭部から最も近い前足を巨大化、変形させ、武器を握る腕を形作った。
彼の肉体に呼応するかのようにオムニアントは数十倍の大きさに膨張し、手の内に収まった。
そんな彼の姿にアキムは顔を悲痛に歪めた。
「俺がチペワになった時、クリフはこんな気持ちだったんだな……」
異形と化した彼の姿は、クリフそのものを塗り潰しているように見えた。
彼は二度と戻らない。
そんな気持ちにさえさせられた。
「人になったつもりか!?」
アルテスは巨剣を彼に振り下ろした。
刀身の輪郭は崩れ、数十もの斬撃が同時に生じた。
アキムの体が紙くずのようにくしゃくしゃに縮み、その場から消失してしまった。
「お前だって人じゃないか!!」
アキムは彼の背後に出現すると、右腕を振り上げた。
アルテスの体が真っ二つに折り畳まれ、肉体が押し潰された。
アキムは内心焦っていた。
今まで周囲を正しく認識していなかった筈の彼が、言葉の受け答えを始めていたからだ。
とどのつまりそれは、彼の消失が始まっている事を意味していた。
「俺とお前を同列に扱う気か!!」
アルテスは折り潰された身体を勢い良く戻し、彼に向かって咆哮した。
鱗の隙間から、勢いよく砂鉄が放出され始める。
「忘れちゃダメだ!!お前には家族が居るよ!」
アキムは地表で繁殖させていた肉塊を操り、巨大な腕を形成してアルテスを掴んだ。
彼の鱗がゼリーのように崩れ、血肉が石膏のように固まり、砕けた。
「雑草との思い出を重んじるとでも!?」
アルテスの身体が燃え盛り、巨腕を焼き尽くした。
凝固した砂鉄が無数のナイフへと形を変え、アキムに向かって飛来した。
彼は再びその場から消失しようと試みるも、魔法が起きた時には既に、身体にナイフが突き刺さっていた。
「それがお前だった!!」
ナイフから電流と炎が溢れ出す。
傷口を切除するようにアキムの体がくり抜かれ、ナイフを消滅させた。
続けてアキムが起こした超域魔法が、アルテスの操る砂鉄が急激に錆び付き、周囲の景色から色が消え失せた。
「精々喚いていろ!ウェンディゴ!!」
アルテスは顎を開き、口部から光を発する。
モノクロとなった景色を、金色の光が切り裂いた。
因果が逆転し、金色の光がアキムの胸を貫いた。
「あの日俺を救ってくれたお前はどこに行ったんだよ!洞窟の中で、温かいハチミツ湯をくれたお前はっ、そんなんじゃないだろ!!」
彼は損傷した胸を、薄皮を剥くように切り離し、傷口を再生させた。
「目覚めたんだよ!俺はなぁっ!!」
アルテスの身体から電流が溢れ出し、それら全てに必中効果が乗せられた。
電撃がアキムの身体を切り裂く。
そして彼は続けて、巨剣に四つの魔法を含めた。
〈__天命裁断〉
〈__薔薇散〉
〈__昇旭〉
〈__霹靂〉
振り下ろしの動作さえも捨て去った一撃が、アキムに直撃した。
寸断された彼の身体は光球に包まれると、太陽のような輝きを発した。
そして光球が弾けたその時、黄金の炎が空に燃え広がった。
「殺せていないか」
絶死の一撃を前に、アルテスは憂鬱に呟いた。
程なくして、空間を歪ませながらアキムが飛び出した。
「幻覚かぁ!?面倒だなお前はァっ!!」
彼はその場から飛翔し、天高く昇った。
「させないっ!!」
アキムは更に超域魔法を練る。
数万を超えて組み合わされたそれは、物体の質量さえも変容させた。
空に向かって落ちる小石が、無尽蔵の質量を持ち始めた。
周囲の瓦礫を巻き込みながら圧壊するそれは、アルテスの元に飛来し、彼の巨躯すらも容赦無く巻き込んだ。ブラックホールのような引力を持った小石は、肉体的な強度を完全に無視し、強固なアルテスの肉体を押し潰した。
「これでっ……目を覚ませよ!!」
無数の超域魔法を束ね、考えうるすべての破壊現象を全て一つの魔法に纏めてみせた。
虹色の光がアキムの手の内で収束し、淡い光を放った。
彼がそれを手放すと、光の粒がアルテスの元に飛来した。
奔流となって放たれたそれは、彼の巨躯を包み込んだ。
「帰ってきてくれよ……お願いだ……」
アキムは光の柱の前で縋るように呟いた。
篝火のような光を放つそれは、絶えずアルテスの体を焼き続けた。
「残念だったな!!」
光柱から人型に戻ったアルテスが飛び出し、アキムの首を掴んだ。
彼は「潜光」によって、アキム渾身の技を潜っていた。
「今度は幻覚じゃねぇ!!てめえの魂を、命を掴んでる!!」
彼は高らかに笑うと、指先から黄金の火を灯し、アキムの肉体を焼き焦がし始めた。
「終わりだアキム!!!死ね__」
アルテスの言葉を空から降り注いだ光柱が遮った。
今度こそ命中した光柱は、彼の半身を蒸発させ、大勢を崩した。
「一個貸しッスよ……」
雲の上では、アドリシュタがその体を凍りつかせながら超域魔法を起こし、虹の光柱を反射させていた。
「ツケといてくれよ!!!!」
アキムはアルテスの腕を掴み、肉塊たちに命じた。
自分ごと確実にやれと。
「役目を果たせ……」
幾つもの光が瞬き、数多の魔法が二人の元に降り注いだ。




