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竜娘と行く世界旅行記  作者: 塩分
3章.魔道の国
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106話「龍」

ナパルク邸の執務室。

アンセルムはペンを片手に、羊皮紙に(つづ)られた文書を読んでいた。


それは、次の評議会で提議すべき事柄を記したものだった。

内容としては非常に長く、こういったものを一々覚える評議員は居なかった。

専門家に文章を書かせ、カンペに沿った内容を読む。それが当然のことと言えた。


しかし、アンセルムはそれら一つ一つを精査し、自身の頭の中に一字一句違えず記憶していた。

更には、投げ掛けられるであろう質疑に対し、考えうる限りの完璧な質問を備えていた。


「この綴りは向かないね。やや詩的に過ぎる」


彼はそう呟いてペンを滑らせ、文章に射線を入れた。

議会に立つ彼の姿はどこか英雄的で、かつてのセザールのように情景し、師事を願う者は絶えなかった。


そんな折、扉を叩く音が彼の手を止めた。


「アンセルム様、よろしいですか?」


透き通った女性の声がドア越しに聞こえ、アンセルムは目つきを和らげた。


「ああ、構わないよ」


エレネアの世話係をしている、金髪の召使が扉を開けて部屋に入った。


「失礼します」


片手にはティーセットの乗ったトレーを持っていた。

彼女の名をエリノア。かつてはアウレアに所属していたハイヒューマンであり、アンセルムが将軍として最後に捕らえた捕虜であり、この家に最初に仕えた人間の召使だった。


「そろそろお休みになられては?」


彼女はため息を吐き、苦笑した。

アンセルムはこの数年間で、休息の時間を一度も設けた事がなかった。

完全に手が空いたこのひと時でさえ、今後行う事の詰めを行う程であり、他者から見たその姿勢は、常軌を逸していた。

当然ながら、隣に立つ者ほどそれを痛感していた。


「そうは行かないよ。理想の為に一度たりとも止まれないんだ」


にこやかに答えたアンセルムに対し、エリノアは顔を引き攣らせた。


「進んだ先に、もう何も無いと分かっているのでしょう?」


鋭利な彼女の言葉を前に、彼はペンを止めた。


「それは、友人としての忠告かな?」


アンセルムの目つきが鋭くなる。

それに合わせてエリノアも目つきを変え、二人から笑みが消えた。


「……あなたの行動に、明確なビジョンがあるなら協力は惜しまないわ」


エリノアは袖口に手を掛け、一気に召使いの衣装を脱ぎ捨てた。その下には動きやすい薄手の服が現れ、彼女の鋭い眼差しが改めてアンセルムを射抜いた。

それは彼女にとって、上下関係を置いた合図だった。


「今のやり方に不満があるようだね」


彼女の意図に応えてか、アンセルムも普段の鉄面皮を剥がし、不機嫌そうに答えた。


「猶予は後二年よ。その(かん)に延命にもならない施策と、善性に訴える演説をした所で、解決には至らない事は理解しているでしょう?」


「極論ではないかな?君の言う延命の施策を組み、その間に貧困差を消してみせる」


その回答に、エリノアは顔を引き攣らせた。

幼稚な理想論に嫌悪感を抱いた訳ではない。確かな能力を持った人間が、自己を犠牲にしてまで無理難題を成そうとしていたからだ。


「……殉教者は尊敬を集めるわ」


彼女はテーブルに手を付いた。


「けど、憧れる者は居ない。セザールや、エレネアですらあなたのやり方を諦めたのだから」


「……だからこそ、やる価値があると思わないかな?」


やや疲れたように答える彼に対し、彼女は瞼を震わせ、瞳を潤ませた。


「猶予があるのなら。けど実際は違うわ。土は汚染され、根は腐り、枝は病に(かか)っている。あなたが肥料や薬を撒いた所で、セジェスという樹はもう助からないわ」


剪定(せんてい)されない側に立った者の意見かな?」


アンセルムは鋭く尋ねた。


「ええ。貴方と一緒に死ぬのを待つなんて真っ平よ。私はこの国の人間として、もう一度故郷の土を踏みたいの」


彼女は指先で目元を拭った。


「……なら、あの子と共に行動すると良い。泥舟なのは分かっているつもりさ」


アンセルムは寂しげに答えた。

しかし、エリノアは首を横に振った。


「お嬢様に自分の助けなんて要らないわ。私は、頑固な貴方が折れるまでしつこく付きまとうつもりよ」


彼女は真っ直ぐな眼差しを向け、机に手を乗せて不敵に笑った。


「……参ったね」


対するアンセルムは、困った様子で天井を見上げた。


「引退するなら今じゃないかしら?このまま長引けば、お嬢様の手に負えなくなるし、犠牲者だって増えるわ」


アンセルムはエリノアの用意した紅茶をひと息に飲み干した。


「皆に否定されるのには慣れているが、君にまで否定されると、堪えるよ」


彼は溜め込んでいた感情を吐き出すかのように、ぶっきらぼうに答えた。


「確かに私は貴方の理想に賛同し、この屋敷で仕える事を誓ったけれど……」


彼女はカップに紅茶を注ぎ直した。


「あなたと私の命を引き換えにしてまで……貫くつもりはないわ」


アンセルムは、諦めたように苦笑した。


「そうだね……ああ。久しぶりに昼寝でもしよう、久しぶりにぐっすりと寝て、それから考えるとするよ」


彼が席から立ち上がったその時だった。

エリノアの瞳孔が開き、彼に向かって飛び掛かった。

彼を押し倒す形で、その場に勢い良く伏せ、体に当たった椅子が、その場で跳ねた。


耳をつんざく轟音が響き、同時にやって来た熱線が椅子を蒸発させ、二人の頭上を通過した。


瓦礫と熱を頭上に受ける中、エリノアは一瞬だけ空を見上げると、アンセルムを引き摺る形で、素早く移動した。


__爆弾じゃない。魔法?


エリノアは一瞬だけやって来た爆炎を見て、思慮を巡らせ、マレーナの姿を思い浮かべた。

アンセルムと共に、側の壁にもたれかかり、熱線で破壊された壁を見つめていた。


__いいや、魔法らしさはない……何?


「古代人が噛んでいたか……道理でセザールが外される訳だ」


アンセルムは呟き、乾いた笑いをこぼした。


「じゃあアレは魔法じゃなさそうね」


エリノアは思考を纏め直した。

壁を破った熱線は斜めに屋敷を貫いており、底の見えない大穴を作り出していた。


「じきに古代人の部隊が飛び込んで来るだろう。幸い、位置は割れても、誰が私なのかを理解していないように見える」


アンセルムはその場から立ち上がり、空いた壁を横切って執務机の引き出しを開いた。


「何やって……!!」


位置が割れた。

エリノアは怒声を上げようとするも、彼への信頼がそれを留まらせた。

彼は為政者である前に、将軍だったのだから。

無駄な動きをする筈が無い。


「恐らくナトは来れない。それに相手が相手だ。私や、使用人の皆は助からないだろう」


アンセルムは引き出しから二つの書簡を取り出した。


「ナパルク家当主として、君に頼もう」


彼は書簡をエリノアに投げ渡し、彼女はそれを受け取った。


「一つはセザールへ。そしてもう一つは、この家を背負うべき者へ渡して欲しい」


彼の目つきは鋭く、鬼気迫るものがあった。


「私が囮となる。私の……最期の使命を果たして貰えるか?」


彼女はロングスカートの下から一本の剣を抜き、胸元に掲げた。


「ええ……この剣に誓って」


アンセルムは満足げに頷くと、破壊された壁から外へと飛び出し、エリノアは屋敷内を走り始めた。


アンセルムは庭に着地すると、空を見上げた。

しかし空は澄み渡っており、鳥一匹すら見当たらなかった。


「航空機ではなかったかな?」


アンセルムは指先から糸を放ち、それを背後の窓に飛ばした。

次の瞬間、空が瞬き熱線が降り注いだ。


「おっと、見えないだけだね」


彼は放った糸を手繰り寄せ、背後の窓に向かって飛んだ。

先程まで居た位置に熱線が降り注ぎ、地面に深い孔を開けた。

彼は窓ガラスを破ると、室内で受け身を取った。遠方から銃声が響き、使用人達の悲鳴が聞こえた。


「……すまない」


短く呟く。

仮に使用人の一人を救えたとしても、アンセルムに彼らを守り切る能力はなく、運命をわずか数分先延ばすだけだった。

今彼がすべき事は、一秒一瞬と長く生き残り、エリノアが脱出する時間を稼ぐことだった。


「碌な最期は無いと思っていたけれどね。ああ、決意が揺らぎそうだよ」


アンセルムは指先から糸を生じさせ、それを手繰っては屋敷を高速で移動し続けた。


既に古代人の手先は屋敷に侵入しており、遭遇は時間の問題だった。


「アンセルム様っ!!」


使用人の一人が進路上に居た為、彼は糸を壁に張ってブレーキを掛け、やや離れた位置で静止した。


「良かった、ご無事でっ__」


天井が突然溶融し、緋色に溶けた金属が彼女に降り注いだ。


「っ__!」


アンセルムは糸を彼女に飛ばし、腕に巻きつけて引き寄せるも、その身体に溶湯(ようとう)が注ぐ方が早かった。


降り注いだ金属は、一瞬で一人の人間を融解させ、飲み込んだ。

彼の手元に引き寄せられたのは、無残に切断された腕だけだった。

その腕に残った温もりが、彼の心をさらに抉った。


「……恨んでおくれ」


彼は使用人の腕を手放し、糸を束ねて一本の鞭を作り上げた。

その瞬間、溶けた金属から一人の青年が飛び出した。


「こちらハウンド1、目標を見つけた。各隊員は生存者の追跡を行え」


青年は溶けた金属を右手に引き寄せ、黄金に輝く戦斧を形成してみせた。


「参ったね……」


アンセルムは金髪の青年……メイシュガルに対し、ため息を吐いた。


「初めまして。一度話でもどうかな?」


「出来るか……!」


メイシュガルは戦斧を振り下ろし、アンセルムは鞭を振って弾いた。


彼は素早く距離を取り、メイシュガルの動向を伺った。


「母さんの命が掛かってるんだ。死んでくれ」


彼はそう呟くと、右腕から溶けた金属を滴らせた。


〈__黄金境(ダハブ)


溶けた金属は意思を持つかのようにうねり、勢い良く跳ねては、壁面を切り裂いた。


「適切な手段とは言い難いよ」


アンセルムは顔を顰めた。


「適切な生き物じゃないんだ、俺は」


彼は真正面から戦斧を投擲し、それに合わせて走り出した。

右手から放出された溶湯が合わせて蠢き、アンセルムへと迫る。


__そもそもどうして平和主義者になったのだったか。


命のやり取りの最中、アンセルムは自分自身を振り返っていた。

その片手間に、鞭で戦斧を弾き、その場から飛び退いた。

しかし追ってやって来た溶湯の触手が戦斧を受け止め、再度投擲した。


__ナトとイネスの話を聞いたから?それも一つだろう。


アンセルムは指先から糸を放ち、網状に組み替えたそれを戦斧に放った。

ゴールネットにボールが飛び込むように、戦斧はその軌道を止めた。


__ナト。私は君のような悲劇を止めたかった。


しかし、戦斧は再び溶解し、溶湯となってアンセルムの体を掠め、左腕を溶解させた。

彼は声にならない呻きを溢しながらも、魔法の出力を切らす事なく、動き続けた。


__ただ、エリノアや君の親友と、同じ傘の下で、気兼ねなく茶を楽しめたら、どれだけ素敵だったろうか。


庭園の下、彼女達と笑い合って茶菓子を取る光景が思い浮かんだ。

その想いは走馬灯にも似て、彼の脳裏をよぎった。

もう決して届かない光景だった。


現実は容赦なく動き続け、メイシュガルが腰から拳銃を引き抜き、発砲した。


__けれど、それだけだろうか?


乾いた銃声が連続で響く。

アンセルムは、右の小指だけで糸を手繰り、糸と鞭を駆使して弾丸を弾いた。

糸が切り裂いた弾丸が彼の頬を掠め、鮮血が散った。


__私は、セザールやエリノアが思うような高尚な人間、まして聖人などではない筈だ。


アンセルムはその場で踏み止まり、敢えてメイシュガルへと立ち向かった。

その際に彼は鞭を手放し、五本の指から糸を放った。

その際に手から離れた重みで、ようやく気が付いた。


__そうだ、この武器だ。


彼の操る糸は、人の身体に接触すると、鋭利な刃物のように血肉を裂くことが出来た。

にも関わらず、武器として殺傷効率の悪い鞭をわざわざ編んだ理由を思い出してしまった。


アンセルムは、五つの糸を壁に打ち込み、巧みに操る事で、メイシュガルの操る溶湯の触手を立体的な動きで避けた。


__結局は臆病なだけだった。血を、痛みを自分の世界から遠ざけたかった。


そして糸を彼の首に巻き付け、僅かに指に力を入れたその時、メイシュガルの首が飛んで行く光景が思い浮かんだ。


__私は、もう誰も殺したくなかったんだ。


アンセルムは乾いた笑いをこぼし、魔法を解いた。

次の瞬間、メイシュガルの操る溶湯が彼の下半身に直撃し、蒸発させた。


メイシュガルは魔法を解き、下半身を失ったアンセルムは、床に叩き付けられた。

彼は咳き込み、右肘を床に突いて仰向けになった


「……しまった、助からないね」


苦笑しながら呟く。


「なんで笑ってるんだ」


メイシュガルは困惑した様子で、アンセルムを見下ろした。


「君の目的は達した……私はじき死ぬ、先立つ老人の顔を立てて、話をしてくれないかな」


アンセルムは、清々しい表情で呟いた。

少なくとも彼にとって死は、解放でもあった。


「……正気か?」


「正気で平和論を唱えなどしないさ」


未来を行く若人に、何か言葉を残し、願わくば看取って欲しさすらあった。


「君は、母の為なら何でもするし、しているのだろう」


瞑目し、ナトの姿を思い浮かべる。

ハイエルフの人生は永く、妻はとうに先立ってしまった。


「仲間は、友人は居ないのかな?君の責務は、一人で背負うにはあまりに重い」


「何が言いたい」


「……君の願いは、叶わないだろう」


「お前……!!」


メイシュガルは額に青筋を浮かべ、黄金の戦斧を再び形成した。


「だから一つ助言だ」


それを人差し指を差して制止した。

胴体の断面からとめどなく血が溢れ、意識が遠のき始めた。


「君の主人は、本当に信ずるに値する人物かな?」


その一言を発した直後、頭を殴られたような感覚が訪れ、意識が遠のき始めた。


「……ああ、迎えが来たようだ」


アンセルムは目を瞑り、その感覚に身を任せた。

身体が浮き上がるような感覚を憶え、黒い光に包まれた。

そして、その先で純白の女性が彼を待っていた。


「お帰りなさい」


彼女は、人生を終えた彼に優しくささやいた。

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