105話「龍」
目の前で大切な人が弾け飛んだ。
透き通った青い髪。宝石のように綺麗な瞳。
筋肉質な身体とは裏腹に、しなやかで綺麗な指先。
俺よりも少しだけ小柄で、つい抱きしめたくなるような彼女。
それらが、全部真っ赤な液体になってしまった。
両膝を着き、声にならない嗚咽を漏らした。
彼女の身体に収められていたものを必死にかき集め、肉片で濡れた髪を指先で絡め取っていた。
「マレーナ……」
シルヴィアが生きている以上、俺に現実逃避は許されなかった。
彼女がひと山いくらの肉塊になったという事実を、ただ受け止めるしかなかった。
「……え」
そんな時、耳で何かを聞き取ってしまった。
飛び散った臓腑の隙間から、リス程度の大きさをした生物が見えた。
それは声とも言えない鳴き声を上げていた。
「……」
それは、胎児だった。
まだ手足すらも形成されていないそれは、胎外に出た時点で、死んで然るべきだった。
「そっか……俺の子だもんな……死ねないんだな……」
大粒の涙を流し、臓腑をかき分けて胎児を拾い上げた。
魔物にさえ思える小さなそれが、つぶらな瞳で見つめて来た。その眼差しは、自分を責めているように思えて仕方がなかった。
「ごめん……ごめんな……」
一人の父として、我が子に謝罪の言葉をこぼす。
胎児が動かなくなったのを見届けた後、地面にそっと下ろした。
顔を上げると、赤子を抱いたマレーナの幻影が目の前に現れた。彼女は俺に微笑むと、その場から霧散した。
「……何にも、なれなかったな」
ゆっくりと立ち上がり、後ろに振り返る。
金髪の悪魔は僅かに動揺し、身構えていた。
彼女に対し、黒く濁ったものが心から湧き立った。
家族が焼かれた時には、怒りが湧いた。
シルヴィアが首を斬られた時には、悲しみが湧いた。
なら今心の奥で煮え滾るこれはきっと、憎悪だ。
「どうしたいの?」
黒い霧と共に、視界の端から姉が出現し、俺に問いかけた。
「……殺してやる」
淀みきった殺気を垂れ流しながら、全身から魔力を放出した。
絹糸のように拡散したその光は、不自然に屈曲し、眼前を覆い尽くした。
絹糸は幾重にも折り重なり、さながら繭のように固着し、体に巻き付いた。
◆
金色の繭が出現した時、セジェス市内の魔物達は一斉に動きを変えた。
操られていない個体は、蜘蛛の子を散らすように市外からの脱出を試みた。
直前まで胃に収めようとしていたエルフすらも吐き出し、少しでも繭から距離を取ろうとしていた。
一方で、操られていた魔物は、金色の繭へと走り出し、繭の破壊を試みていた。
大小様々な魔物が集結し、繭に向かって一斉に飛び掛かる。
繭の眼前に居たウァサゴは、覚悟を決めた様子でその場に立っていた。
「愛する人がいたのね……私は……彼に自分と同じ思いをさせてしまった」
ウァサゴは、どこか残酷な運命を感じていた。
彼の父に夫を奪われ、今度は彼の想い人を奪ってしまった。
因果応報。などと彼を笑う事は出来なかった。
「……起きなさい。仇はここで待ってるわ」
ウァサゴは、繭となってしまったクリフをただ見つめていた。
魔物達が繭に取り付こうとしたその時、繭の表面が勢い良く弾け飛び、鞭のようにしなった絹糸が、魔物達の身体を切り裂いた。
開いた繭の中心では、竜人となったクリフがその場に立っていた。
枯れ枝のように屈折した角を生やし、魚鱗にも似た鱗に覆われた手足。
そして、鬣の付いた尾を備えていた。
彼は両腕を広げると、満面の笑みを浮かべた。
「え……」
ウァサゴは困惑する。
つい先程まで、身を引き裂くような憎悪を募らせ、深い悲しみに暮れていた筈の男が、別人のように歓喜していたからだ。
「ああ……こんなにも、透き通ってたんだな」
彼は感嘆し、黄金の魔力の混じった吐息を吐いた。
「気分が良い。空はこんなにも綺麗で、俺の身体はかつてないくらい悦んでる!!」
クリフは口角を吊り上げ、ウァサゴを指差した。
そして、嗜虐的な笑みのまま呟いた。
「ただ……お前らみたいな羽虫がウジャウジャ居るのは気分が悪いな」
彼の指先が瞬き、極大サイズにまで膨れ上がった魔力の塊が弾き出された。
魔法ですら無いそれは、元来殺傷力を持つ事は無かった。
しかし、その濃度が尋常ではなかった。
ウァサゴは咄嗟に飛び退こうとするも、圧倒的な弾速を以て放たれたそれは、彼女の左半身を通過し、背後に続く建物すらも容易く溶かしてみせた。
「お前に見せてやるよ、神の権能をな……!」
クリフは高らかに笑いながら、空に手を伸ばした。
〈__繋星〉
空から七度、鐘の音が響いた。
曇り空から黄金色の光が差し込み、彼を照らした。
「円卓の騎士よ。お前達の力を、そして軌跡を、俺の権能として繋ごう」
クリフの背後に光輪が生じ、それらが10つの色に分かれ、虹のように輝いていた。
「超域魔法開廷一番、四番、六番、七番、九番、十番!」
クリフの心臓、瞳、額、両脚、拳、剣が多種多様な色で輝き始めた。
〈__仮想性弾核〉
〈__栲幡氷室〉
〈__冠凌砲隊〉
〈__流風極地〉
〈__皇金白々明〉
〈__火祭火吼〉
クリフの後頭部に瞳の付いた球体が出現し、金色に燃え盛る羽衣を纏い、刀身は白く輝き始めた。
彼は六つにもなる超域魔法を、同時に発動していた。
ウァサゴが身構えたその時、既にクリフは眼前に出現していた。
「どうするかなぁ?燃やすか、それとも吹き飛ばすか?なあ……どれが良いと思う?」
ウァサゴが青い炎を両手に纏わせ、彼を殴る。
しかし、彼女の拳に手応えはなかった。
確かに殴り、拳は彼の腹部を打ち付けているにも関わらず、空を切っているかのようだった。
「そうだ圧殺だ」
彼が上機嫌に呟くと、ウァサゴは勢い良く地面に叩き付けられた。
彼女は不可視の力によって絶えず真下へと発射され続けており、セジェス近郊で地震が生じ、街の中心部が徐々に陥没し始めていた。
「頑張って耐えろよ。お前の頑丈さによっては、この星の地軸を変えられるかもしれない」
クリフは地面に向かって発射され続ける彼女に対し、頭を踏み付けて呟いた。
ウァサゴを起点に、圧力は更に激しさを増し、彼女は一瞬でシャーベット状に潰れた。
「はは、汚れたじゃねぇか!!」
クリフの掌が瞬き、周囲一帯が光に包まれた。
卵のように膨れ上がった爆炎が二人を包み込み、都市のひと区画を飲み込んだ。
遅れて生じた衝撃波がガラスを割り、爆心地から吹き飛んだ瓦礫が津波のように押し寄せ、尚も被害を広げた。
マレーナの超域魔法と同種のものでありながら、神の魂から繰り出されるその威力は、次元が違うものだった。
「悪くない!!ああ、ここに居るんだよなマレーナ。俺の権能の中に……留まってくれたんだよな!?」
燃え盛る爆心地の中、クリフは燻る手に向かって、縋るように呟いた。
彼の足元では、焦げた血の塊が蠢いていた。
「なんだ、まだ生きてるのか」
クリフは右腕に黄金の炎を纏わせた。
指先から炎を凝縮し、液状となったそれが滴り落ちようとしたその時、空から花火のような音が響いた。
「あァ?」
クリフは気怠げに空を見上げると、空に浮かんでいた月が__砕けていた。
多量の破片を付き従えながら、一つの人影が月から迫っていた。
蛇が寄り集まったような下半身に、岩肌を削り出したようなヒトの上半身を持つ巨人だった。
名をテュポン。魔神ミルリュスの傑作にして、アルバが今回の作戦の基軸にする程の存在だった。
並いる山脈よりも巨大なそれが、大気圏を突き破りながら、クリフに目掛けて降下していた。
「お前なら木人形くらいにはなるか!?」
クリフは右腕に黄金の炎を滞留させ、指先を月から来た巨人へと向けていた。
〈__落星〉
弓さえ用いずに放たれたそれは、二つの超域魔法を帯びた。
金色の炎が異常なまでの速度で発射され、光線のような軌跡を描いた後、突然消失した。
次の瞬間、空からやって来た巨人の頭部で炎が炸裂し、空中でその巨体がのけ反った。
「エルウェクトが集めた八つの英雄。それにオヤジとマレーナのも足して、十の魔法を自由自在にブレンド出来るって訳だ」
クリフは大袈裟に拍手をし、落下する巨人を見上げていた。
「その力、まさしく貴様のようだな!!」
テュポンは、一瞬で頭部を再生し、都市全体に響く程の声量で叫んだ。
次の瞬間には彼の胸部が瞬き、規格外の太さを持った熱線が放たれた。
赤の閃光は街に巨大な焼け跡を刻み、雪崩のように彼へと迫った。
「うっせえな、耳に響くんだよ!!」
クリフは両拳を突き合わせ、更に超域魔法を発動した。
〈__潜光〉
城砦すらも容易く包み込み、蒸発させる程の熱線に向かって飛び込んだ。
彼はその場から消失し、テュポンは僅かに困惑しながらも、熱線の火力を強めた。
極高温に加熱された地面が隆起し、爆裂する。
次の瞬間、クリフがテュポンの胸部、熱線の発射口から飛び出した。
「目障りだなぁ!ああ、デカいだけに不愉快だ!!」
クリフはオムニアントを刀に変え、鞘に収めた。
テュポンとクリフの体格差は圧倒的で、彼にとってクリフの体躯は豆粒にも劣る程だった。
その威容を前にしても、クリフは笑みを崩すことはなく、鞘に収めた刀から、暴力的なまでの魔力を放出した。
〈__天命裁断〉
彼が刀を抜いた瞬間、周囲の景色がズレた。
テュポンの上半身が真横に滑り、彼と共に降下していた隕石すらも、真っ二つに裁断されていた。
「ほらたっぷり食えよ!」
クリフの右掌から爆炎が生じ、裁断された上体を吹き飛ばす。
しかし、テュポンは一瞬の内に巨体を再生し、爆炎を突き破った。
「緩いわ!!!」
高速で振り抜かれたテュポンの拳が、クリフへと直撃した。
高速で山が飛来し、人間に激突する。
そう形容する他ない程の体格差だった。
クリフはその場から勢い良く吹き飛び、オレンジ色の残光を描きながら、地平線の彼方に消えた。
そして、続けざまにテュポンの胸部が瞬いた。
「超域魔法開園……」
彼の背から巨大な枝木が出現した。
彼の巨躯と同等の巨大さを誇るそれは、セジェスの街を影で覆い、葉の代わりに赤色の魔力を放出し始めた。
そして、集積した魔力が果実のように実り、勢いよく破れた。
「__!」
破れた果実から、翼の生えた蛇、牛の頭を持った巨人。
無数の眼球を持つ巨人に、巨大な猪、獅子の頭を持った山羊、両腕が翼となった女性。
多種多様な魔物が誕生し、それらが数万の群れとなって彼の周囲を駆けた。
〈__万魔殿〉
テュポンの巨躯が地上へと着陸し、大気圏から得た熱も加わり、セジェス全体に熱波と衝撃が伝播する。
大地震が生じ、次々と建物が倒壊する中、追い打ちと言わんばかりに、空から隕石が遅れて降り注いだ。
大地は裂け、そこから溶岩が噴き出す。
熱波に焼かれた人々や魔物が、次々と転落して行った。
遅れて空からやって来たテュポンの魔物が、無差別に生存者を襲い始めた。
混乱を極めていたセジェス市内は、彼の到来によって、地獄へと姿を変えてしまった。
そんな渦中、地平線の向こうから流星のような軌跡を描きながらクリフは飛来し、テュポンの頭部に両脚を叩き付けた。
「羽虫がよぉ……偉そうにしてんじゃねえ!!」
彼の頭部が弾み、巨体がぐらつく。
巨岩のような皮膚が剥離し、遥か下の地上へと降り注ぐ。
「借りるぞクソ爺!!」
キャブジョットの超域魔法が作動し、テュポンの頭と剥離した皮膚に魔力が巻き付いた。
クリフは右手を鋭く持ち上げ、不敵に笑いながら振り下ろした。
「ぶっ放せ!!」
テュポンの頭がクリフに向けて射出され、岩塊のような皮膚が、それよりも素早い速度で頭に向けて発射された。
テュポンの頭が勢い良く砕け散る。
しかし、その破片の隙間を抜けて、無数の魔物達が飛び出し、クリフに迫った。
「はははは!!超域魔法開廷!八番っっ!!」
一瞬で空が雲に覆われ、降り注いだ雷がクリフの胸を貫いた。
〈__晴天神立〉
空から集中豪雨のような規模で雷が降り注ぎ、魔物達を次々と焼き払う。
テュポンの魔物すらも蒸発させた光線の如き落雷が、地表へと着弾し、死の雨となって街へと降り注いだ。
正気を失ったクリフもまた、周囲への配慮などある筈が無かった。
「あぁ……ニール?」
権能で引き出した魂に対し、クリフは不思議そうに呟くと、オムニアントが再び形を変える。
彼の手に握られたのは金槌だった。
「おいおい!どうしてお前が俺の魂に居るんだ!!?」
金槌を振り上げると、そこへ雷が落ち、帯電した槌をテュポンに向けて投擲した。
「じゃあアイツは何なんだ!!」
金槌は軸線上にあった全てを打ち砕き、テュポンの胸部へと着弾した。
次の瞬間、金槌を起点に雷が落ち、槌に接触した全ての存在が、ガラスの割れる音と共に砕け散った。




