101話「おはよう」
セジェス建国の祖は四人居る。
民衆を引き連れ、エルフの王を玉座から引き摺り下ろした稀代の軍略家、キャブジョット・ナパルク。
諸侯諸侯貴族を懐柔、没落させ、万人に平等な法を敷いた思想家、カーリ・フランドラ。
数多の魔法を駆使し、一騎当千の戦士として謳われた大魔法使い、ジャルネ・デック。
そして最後に、セジェス全土に文化と芸術を伝え、厳格な法と戒律を敷いた裁判官、ルクロード・モデュード。
ジャルネとルクロードはハイエルフとして今も尚生きており、ジャルネは魔法学院の学長を、ルクロードは評議会の議長を務めていた。
そして今、ルクロードが暮らすモデュード邸には、エレネアが訪れていた。
邸宅は装飾の少ない落ち着いた内装で、飾りの代わりとして、壁一面に詰められた本と絵画が散りばめられており、ナパルク邸とはまた違う豪華さがあった。
客間では、エレネアとルクロードが向かい合う形で椅子に腰掛けていた。
「意外な来客だ。この老体に一体何用かな?」
胸まで届く長い白髭に、体型を覆い隠す程のローブ、木々の年輪のように深く刻まれた皺を持つ老人は、気さくな語気で尋ねた。
「言伝を預かって来ました。そのままお伝えしても?」
「勿論だとも」
ルクロードは微笑み、まるで孫娘の相手をするかのように答えた。
エレネアは咳払いをし、恥ずかしげに頬を赤らめた。
「ルクロード。殺されてなかったようで何よりだ。やっと気に入った奴を見つけた。俺様の愛しい孫娘のやろうとしてる事に付き合え、きっと楽しくなるぞ……とのことです」
エレネアは記憶を辿るように、キャブジョットの口調を真似てみせた。
ルクロードはそれに目を見開くと、背もたれに身体を預け、身体を震わせた。
その光景にエレネアは失敗したと眉を顰め、この方法を勧めた喋る旗槍を恨めしく思った。
「そうきたか……あの大馬鹿者め」
ルクロードは片手で顔を覆いながら、絞り出すように呟いた。
程なくして、彼は声を上げて笑い出し、席を立った。
「まさか、君がキャブジョットの後継ぎになるとは」
ルクロードは年相応に落ち着いた口調で呟くと、後ろにあった筆記机の引き出しを開き、一本の剃刀を取り出した。
「ええ、あのお方が仰るには」
エレネアが返答した瞬間、ルクロードは長く蓄えた髭を一気に剃り落とした。
多量の毛髪が床に落ちる。
彼は剃刀を机に突き刺し、厚手のローブを脱ぎ捨てた。
下には黒一色の身軽そうなデザインのコートを着ており、服の上からでも、彼の肉体が鋼のように鍛え上げられている事が窺えた。
「楽しくなるぞ……か。裁判官の私にそれを言うのが実に奴らしいな」
ルクロードは、年不相応に深い笑みを浮かべ、続けて机から書類を引き出した。
「君に勉学や芸術を伝えた事もあったかな。あの時は平凡な少女だと思っていたが……君はこの国をどうしたい?」
エレネアはキャブジョットに伝えられた事を思い出す。
相手が裁判官だとしても、遠慮する必要はないと。
「評議員の96%を粛清します。強欲な軍閥政治家も、無能な平和主義者も不要です」
「将軍たちをどうする気かな。甘い汁を啜れているのは、なにも評議員だけではない」
「次の評議会にて、アウレアの侵攻が決定するでしょう。軍の過半数がアウレアに伸びた時、反戦派の将軍と反乱軍を使って評議会と城塞都市の半分を落とします」
ルクロードは指を組み、片眉を上げた。
「残存した将官を、セジェスの半分と戦うと?」
対するエレネアは口元を押さえて微笑んだ。
「楽しくなると仰ったでしょう?」
常人なら眉を顰めるであろうその発言を前に、ルクロードは満足げに頷いた。
「ああ……間違いない。君はキャブジョットの後継ぎだ」
彼はもう一度引き出しを開くと、一振りの無骨な剣を取り出した。
「さて、善は急げと言うだろう。ジャルネに会いに行こうか。ははっ、カーリは今頃地獄で悔しがっているだろうな」
ルクロードが座るエレネアに手を差し出した時、彼の目線が外に向いた。
次の瞬間、彼は手に持った剣を引き抜き、窓側に向かって振り抜いた。
甲高い金属音が響き、彼の目先には黒いドレスを着た女性が、巨大な鎌を持って鍔迫り合っていた。
「あら……どうしましょうか」
彼女はその場から飛び退くと、わざとらしく困った様子を見せた。
「ああ、君はエレネアの母だったかな。よく覚えているよ……君は随分とこの国の風紀を乱してくれたからね」
ルクロードは、持った剣を握り締めて踏み出そうとした時、メアリーはエレネアの表情を見て目を瞬かせる。
彼女は生き別れた母を見て、喜び怒る訳でもなく、ただ満面の笑みを浮かべていた。
「お待ちしていました、お母様」
彼女がそう呟いた瞬間、メアリーの背後に一つの人影が現れた。
「……渡津海の__」
メアリーは背後に現れた白髪の鬼へ振り向き、鎌を振り払うも手遅れだった。
「超域魔法切開……異景」
クレイグは、地獄の悪鬼の如き笑みを浮かべ、右手に出現させた血液の球をメアリーの腹部に押し当てた。
〈__悪血鳴門海峡〉
次の瞬間、空間が歪む程の重力が生じ、中心に居た彼女は抵抗する間もなく球体に吸い込まれ、小石程度の球体の中へ圧縮されてしまった。
◆
肉塊で出来た大樹内部をウシュムガルの背に乗って走る最中、アキムの背後で金色の光が弾けた。
彼がその光の正体を理解するまでに僅かな時間も掛からなかった。
「父さんっ……!」
彼は思わずウシュムガルの背から飛び降りそうになる。
しかし、それを彼の翼が遮った。
「振り向くな!!届きかけた自由を手放す気か!!」
ウシュムガルは柄にもなく叫び、彼を制止した。それは、実験動物として長きを生きた彼の慟哭だった。
「……っ、分かってる!!」
アキムがそう返答した時、通路の果てが見え、眩い光が二人を包んだ。
そこはチペワの中枢。
チペワ達の街が一つ収まるほどの空間に、天井から巨大な肉の果実が吊り下げられていた。
数多のチペワがひしめいている筈だった。
しかし、空間全体が金色の炎に包まれており、チペワで作られたチペワの為の街が激しく燃え盛っていた。
「……ありがとう」
中枢だけを避け、轟々と燃え盛る炎を見て、アキムは父の顛末を察した。
ウシュムガルは広大な空間を飛翔し、中枢へと迫る。
「アキム、お前はチペワじゃない」
果実の形をした中枢部に口が出現し、大気を震わせる程の大声で話し始めた。
しかし、今のアキムにとってそれは肯定だった。
「良かったではないか」
ウシュムガルは笑った。
「ああ、最高の褒め言葉だよ」
アキムもまた苦笑し、自身の肉を使って一本の槍を構成した。
「わからない、チペワが一番なのに。アキムはおかしい、許せない」
チペワは怒りの情緒を持ちながら喋ると、巨大な果実が粘土のように蠢き、変形し始めた。
「アキム、殺すよ」
チペワはシカの頭骨を持った巨大な人型へと変形した。
それは最初にアキムの故郷を襲った時の姿であり、規格外の体躯を手に入れて再び彼の前に現れた。
燃え盛る街を踏み潰しながら着地し、100mの巨躯とは思えない程の身軽さで飛び上がると、飛翔するウシュムガルに追い付いてみせた。
「やってみろよ!!!」
アキムは怒声混じりの叫び声を上げると、チペワに向けて槍を投擲した。
彼の保有するエネルギーを圧縮して作られたそれは、後部から多量の血を噴射しながらロケットのように加速し、チペワの頭骨に向かって発射された。
圧倒的な初速は空気の壁を破り、流星のような軌跡を描き、チペワの頭部に直撃した。
強烈な質量弾を受け、彼の頭が勢いよく弾み、頭骨が砕け散った。
「耐熱の殻に篭れ!打ち込んでやる!!」
ウシュムガルが叫び、アキムはすぐさに彼の意図を理解する。
彼の頭を踏み付けて飛び出し、アキムは全身から骨を伸ばし、卵状の殻で全身を包んだ。
そして、ウシュムガルがそれを頬張ると、彼の喉が赤熱し始めた。
「許さない……アキム、アキム」
チペワは頭骨を再生させながら、二人に手を伸ばす。
腕から無数の触腕を放ち、ウシュムガルを絡め取ろうと試みる。
しかし彼は敢えて触腕へと飛び込み、舞い踊るかのようにそれらを躱し、腕の真横を通り抜けた。
そして彼が口を開くと、喉奥に溜め込んでいた熱線が解き放たれる。
熱線と共に殻に篭ったアキムが弾き出され、傷が塞がりかけていたチペワの頭骨に再度命中し、頭を粉砕した。
体勢を崩したチペワは悲鳴を上げ、地上へと落下した。
「呪縛を解いてみせろ。アキム」
ウシュムガルはそう呟くと、翼を大きく広げ、魔法を発動した。
〈__排電〉
彼の翼から電流が生じ、それらが雷となってチペワに降り注いだ。
強烈な光がチペワの皮膚を焼き、体表に枝状の亀裂を生じさせた。
しかし、並外れた体躯を持ったチペワにとって、その程度の被害は針が刺さったようなものであり、それらを意に介すことなく立ち上がった。
「お前も、許さない」
チペワはウシュムガルを見上げ、指差した。
「我もそう思っていた所だ。捕らえてくれた礼をしてやろう」
ウシュムガルは口部から熱線を放ち、チペワはそれを受け止めながら再び飛び上がった。
一方で、アキムはチペワの頭脳に位置する場所へと辿り着いていた。
即興で作った殻を蹴破って壊し、熱線によって焼け焦げた肉の上に立つ。
血液で満たされ、微かな赤い光が差し込むそこは、地底湖のような様相を見せていた。
その中心部には、赤い球体が浮かんでおり、ゆっくりと脈打っていた。
「アレが……チペワか」
アキムは水面の上に立ち、ゆっくりと球体に向かって歩く。
「アキム、やめてちょうだい」
「……っ」
そんな時、アキムにとって聴き慣れた声が彼を呼び止めた。
彼女は、アキムにとって一番来て欲しくない人物だった。
「母さん……」
アキムは振り向き、立ち止まる。
「前に進んだって、辛いのは分かり切ってるじゃない。アキムや、私だって……チペワになれたから幸せになれたんでしょう?もう……やめましょう」
アキムの母は彼の手を引き、情に訴える。
「ごめん」
しかし、彼の心は既に決まっていた。
骨の剣を手首から突き出し、母の首を刎ねた。
彼女の髪が削げ落ち、頭が宙を舞う。
その最中、母は優しく微笑んだ。
「……行ってらっしゃい」
多くの言葉を詰め込んだであろう言葉を聞き、アキムの目頭が熱くなる。
「行って来ます……!」
母の首が地面に落ちる前に、アキムは踵を返し、チペワの中核に向かって走り出した。
首が地面に落ちた瞬間、壁面から無数のチペワが飛び出し、アキムに向かって一斉に走り始めた。
「アキム!!やめて!!!!」
「チペワが!!チペワが消えちゃう!!!」
しかし、先行したアキムに追い付くには、距離が離れ過ぎていた。
「アキムだってチペワなのに!!」
「ひどいよ!」
「消えたくない!!」
「「「死にたくない!!」」」
チペワ達の悲鳴を聞き、アキムは乾いた笑いをこぼした。
「今度はお前達が消える番だ」
アキムが球状の中核を掴むと、チペワ達が一斉に倒れた。
「おはよう……アキム」
彼はそう呟き、チペワの中核を握り潰した。
次の瞬間、アキムの視界は暗闇に包まれる。
赤い光が何度も弾け、洋館のベッドで目覚めた。
「ウシュムガル……父さん、母さん、居る?」
アキムは弱々しく呟く。
『我以外は居らぬ。我は所詮は異物だったのでな、チペワは一人残らず消えた』
ウシュムガルが彼の頭の中で答えた。
「……そっか」
アキムは自分が涙していた事に気が付く。
目元を拭い、ベッドから立ち上がると、彼は一人のウェンディゴとして最後の仕上げを行った。
「クリフ、今行くよ」
洋館の床を肉塊が突き破り、天井を粉々に砕いた。
『チペワ達ウェンディゴはまだ子供に過ぎない』
ウシュムガルが呟くと、濁流のように進出したチペワの肉が洋館全体を覆い、取り込む。上空には無数の転移門が出現し、空に赤い水玉模様を描いた。
『数多の吸収と進化を経て、奴らは意識をひとつに集約し、完璧な群から完璧な個へと、最後の進化を遂げる』
転移門から集中豪雨のようにチペワが降り注ぎ、洋館を覆う肉と融合し始めた。
粘土のように屈曲し蠕動運動を繰り返しながら、肉塊は巨大な繭へと形を変えて行く。
洋館は繭に飲み込まれ、周辺の木々さえ巻き込んで山の背丈さえも抜き、更にその巨体を広げた。
『チペワが消え、あの小僧が主導権を握った今、成体となる条件は整った』
アキムの元に、自我を失った世界中のチペワが集結していた。
太陽のように膨張を続けた球体は、雲に触れた途端、一瞬で全体が変色した。
『さあ目覚めろ』
繭が勢い良く裂け、自重に耐え切れずに土塊のように崩落し始める。
山を越える質量を持った物体が周囲に流れ出し、森全体を押しつぶす。
無数の土煙が舞い、轟音が響く中、指を鳴らす音が森全体に響いた。
「おはよう」
中心でアキムが呟くと、まるで時間を飛ばしたかのように土煙は晴れ、土砂崩れが勢いを止め、静止した。
円錐台に残った残骸の頂点で、長髪となったアキムが、一糸纏わぬ姿で立っていた。
毛先は生きているかのように赤く染まり、胎動していた。
そして今の彼には、性別を示す部位が存在しておらず、中性的な身体つきをしていた。
「……気分が良い。まるで……いや、生まれ変わったんだ」
アキムが両腕を広げると、全身が光に包まれ、赤と黒の旅装が彼の身体を覆った。
大きく息を吐き、空を見上げた。
「……アルバ。これ以上はお前の好きにはさせない」
アキムは指を弾き、単独で転移門を出現させると、潜り抜けてその場から消えた。
語る予定のない設定。
・クレイグの血界大海原の派生技は血を液体、気体、固体へと変換する事で構成されています。
血界大海原は液体。悪血鳴門海峡は固体。血生睡蓮は気体です。
氷結する事なく凝固して武具を形成したり、液体は物体を溶かす性質がある事からも、彼の魔法によって扱われる血の性質は、溶鉄が最も近しいです。




