100話「死なない奴らは」
アルバの指示を受け、市街地に訪れていた悪魔のウァサゴは、セジェスの市民達を魔法によって気絶させ、無力化に成功していた。
「やっぱり、気は進まないわね」
ウァサゴは近くのベンチに腰掛け、ため息を吐く。
アキムに味方すると言った時もそうだったが、彼女はメメントモリの方針にあまり乗り気ではなかった。
しかし、かつてのオーヴェロンや彼女の夫がそうであったように、例え人に害を為さなくとも、この世界のヒトでないだけで迫害され、命を狙われてしまう。
好き嫌いに関わらず、何処にも所属しない訳にもいかなかった。
「私もオーヴェロンくらい割り切れたら良かったのだけれどね……」
近くで昏倒する市民を見やって、気怠げに呟く。
オーヴェロンもまた、アードラクトに翅を焼かれる前は、心優しき妖精の王だった。
夫を彼に殺されたウァサゴにとっても、その機会はあったものの、彼女に全ての人間を憎むことなど出来なかった。
「アドリとオーヴェロンが戦ってるみたいだし……私の出る幕は無さそうね」
クリフという人物に、夫の遺体の行き先を尋ねてみたかったものの、アドリの戦闘の邪魔は出来なかった。
彼女は昼間に浮かぶ白い月を見上げ、この後の予定を思い出す。
「そうよ。この後テュポンが来るんだったわ。この子達を逃さないと」
ウァサゴは周囲に魔力を放散し、市民を転移門で一気に移動させようと考えたのも束の間、散布した魔力に異物が引っ掛かった。
「え……?」
彼女はその反応に目を白黒させ、その場から走り出した。
人外の身体能力を活かし、民家の漆喰をタックルで倒壊させながら、目標地点に一直線で向かう。
そして、三つ先の通りに出ると、ウェールがグレゴワールの背に隠れながら、道の端を歩いていた。
「……しまった」
ウェールは困り果てた顔で呟く。
しかし、それに対してウァサゴの面持ちは明るかった。
「……アガレス?」
ウァサゴは戸惑いながらグレゴワールに近付くと、彼の顔に触れた。
「ワルイけどよ……オレはグレゴワールって名前ダ。コンナ顔してないダロ?」
そう言ってグレゴワールは自身の顔をつついた。
その光景にウァサゴの瞳孔が開き、その奥では直視し難い程の憎悪が宿っていた。
「……ネクロドールにしたのか」
ウァサゴの右腕が毛皮に覆われ、骨格と筋肉量が変化し、獣に似た形状へと変化した。
彼女は倍近い体躯をものともせず、グレゴワールの首を掴んで膝を着かせた。
「……何するんだ!?」
ウェールが慌てて駆け寄ると、ウァサゴはウェールの腹部に膝を入れた。
「……う」
「ナニしやがる!!」
彼女は膝から崩れ落ち、それを見ていたグレゴワールがウァサゴの頭に拳を叩き付けた。
しかし、彼女は全く怯む様子はなく、首を絞める力を強めた。
「このネクロドールは貰って行くわね」
冷え切った眼差しでウェールを見下ろし、一方的に呟いた。
しかし、ウェールは彼女の脚を掴み、震えながらもウァサゴを睨んだ。
「グレゴは……私の家族なんだ……連れて、行かないでくれ」
ウァサゴはため息を吐き、もう一方の脚でウェールの右腕を踏み潰した。
嫌な音が響き、ウェールは悶えるように呻いた。
「貴方の家族を剥製にしたら、私の気持ちが分かるかしら?このネクロドールにはね、私の夫が使われているの」
「えっ……あなたが?」
ウェールは口を半開きにし、痛みすら忘れて唖然としていた。
「……ウソダロ?」
誰よりも驚いていたのは、グレゴワールだった。
「アウレアの大英雄に狩られて、夫を弔うことすら出来なかった。でもっ、それでも、人間全てが悪じゃないと信じて、私は今日まで生きて来たのに……」
ウァサゴは歯軋りをし、失意の感情を吐露する。
「……止めるなら、あなた達を殺すわ。遺体さえあれば、それで良いもの」
彼女は声を振るわせ、慣れない殺意をウェールに叩き付けた。
生物としての格差によって肥大化したそれは、大型の魔物すら恐怖で気絶させかねないものだった。
しかし、ウェールはよろけながら立ち上がり、獣化した彼女の腕に掴み掛かった。
「グレゴは、ひとりぼっちの私について来てくれた……大切な家族なんだ……」
大粒の涙を流し、潰れて歪んだ右手まで使いながら、ウァサゴの腕を離そうと力を込める。
「連れて行かないでくれよ……私っ、グレゴが居ないと……寂しくて生きられないんだ……」
懇願する彼女に対して、ウァサゴの眼差しは冷え切っていた。
「ああそう」
グレゴワールを手放すと、獣化した腕でウェールの頭を殴った。
彼女は錐揉み状に吹き飛び、ボールのように市街地を転がって、家屋の壁に激突した。
多量の血を流して、彼女は動かなくなってしまった。
「ウェールっっっ!!」
グレゴワールは酷く取り乱し、ウァサゴの存在すら忘れて、彼女に駆け出した。
ウァサゴの目には、アガレスがもう帰ってこないという事実を改めて見せつけられたように見えていた。
「せめて、共に逝きなさい」
ウァサゴの鰐型の尻尾が振れると、グレゴワールの両脚に命中し、容易く切り飛ばした。
しかし、地面に倒れる直前、彼は背中から蝙蝠の翼を生やすと、構わずにウェールの元へと向かった。
主人、あるいは家族の元に必死に向かおうとするその様は美しかった。
しかしその光景が、ウァサゴの逆鱗に触れた。
「私の元には帰ってこなかった癖にっ!!」
〈__蒼炎〉
彼女の指先から青い炎が出現し、一つの火球となってグレゴワールの背に向けて放たれた。
「ゴメンナ」
火が迫る中、グレゴワールはウァサゴに振り向き、そう呟いた。
「え……」
ウァサゴの思考が掻き乱され、魔法が制御を失う。
しかし、魔法が霧散する訳ではなく、より一層光を強め、無差別な大爆発を引き起こした。
炎がグレゴワールを焼き尽くそうとしたその時、彼の前にマレーナが割って入った。
「悪い、待たせたな」
彼女は右腕を突き出し、魔法を放った。
掌から生じた爆炎が、炎と激突して打ち消し合った。
「助かったゼ!」
グレゴワールに短く礼を言うと、ウェールの元へと飛翔し、彼女の介抱を始めた。
「超域魔法発動」
そして続けざまに彼女は拳を激突させ、両腕を爆散させた。
〈__火祭火吼〉
六つの拳が彼女の周囲を舞い、遅れてやって来たポチの背中から、流れるように武器を取った。
「人の家族に手を出したんだ。覚悟は良いよな?」
五つの切先をウァサゴに向け、彼女は怒りの形相を浮かべた。
「……今、ちょっと殺したいくらい機嫌が悪いの。覚悟は良いわよね?」
しかし、それは彼女も同じだった。
◆
事が起こる数分前、ナトの書庫にアルバが訪れていた。
「やあ、久しぶりだね姉さん……!!」
彼は大袈裟に両手を広げ、いやに上機嫌で話し、興奮してか言葉の端々が高くなっていた。
「……あなたが来るなんて」
ナトは少し困惑した様子で、アルバを見つめていた。
「姉さんの為なら何処にだって来るよ。だって家族じゃないか」
彼は異性を口説くように話し、満面の笑みを浮かべて姉の前に立った。
「……どうして、アンセルムを襲ったの?」
ナトはそんな彼の態度を無視し、少し緊張した様子で尋ねた。
「あー……強いて言うなら、人間同士で潰し合って欲しかったからかな。ほら、彼が死ねばこの国は歯止めが効かなくなるじゃないか」
ナトは目を見開き、両手でアルバの胸ぐらを掴んだ。
「そんな事で……!!」
「そんな事?冗談だろう」
激昂するナトを、アルバは冷ややかに見つめた。
「そもそも、100年間もダラダラ戦争が続いたのは、姉さんのせいじゃないか」
「……っ、それは」
ナトは思わずアルバの手を離した。
「イネスをひと時の癇癪で殺さなければ、アウレアが勝利し、世界はもっと平和になった事だろう」
「でも、それじゃ亜人を被差別階級のままになる」
イネスは苦し紛れに反論するも、アルバに手を引かれ、ダンスを踊るように抱き寄せられた。
「辺境で飢えに苦しむ農奴よりはマシじゃないかな?それに、エルウェクトが死んだ後も亜人差別を徹底し続けられる国力はアウレアにはもう無かった。丁度今頃には、亜人と人が融和した地域だって生まれていた筈だ」
ナトは下唇を噛んだ。
そんな彼女の唇に、アルバは口づけをした。
「__っ!?何……してるの」
ナトは咄嗟にアルバを突き飛ばし、数歩下がった後に、両手で口元を押さえた。
その時に彼女は理解した。
弟は、自分に情愛の念を抱いているのだと。
「悔しがる姉さんも素敵だと思ってさ」
彼は目を細め、薄く微笑んだ。
ナトは、そんな彼に恐怖を抱き始めていた。
「あなたは……誰?」
ナトは思わず口走った。
それほどまでに、以前会った弟と人格が乖離し過ぎていた。
「姉さん、人間はクソだよ」
彼は質問を無視し、全く違う話題を話し始めた。
「え……」
「かといって神だってクソな事に変わり無いし、魔神の被造物達を見てもイマイチ食指が動かない」
彼はかるいあし軽い足取りでナトに近付く。
「だから気付いたんだよ」
アルバは表情を歓喜に歪め、彼女の手を取る。
「姉さんが一番、良いんだ……」
ナトは引きつった悲鳴を漏らし、彼女は手を払った。
「……近寄らないで」
彼女は変わり果てた弟に対して、明確な恐怖を抱き、嫌悪感を露わにした。
「姉さん……僕と結婚してくれないかな」
そんなナトの態度を無視して、アルバは求婚までしてしまった。
「……っ、いい加減にして!そんな事の為に、私の所に来たの!?」
「……?そうだよ」
アルバは首を傾げゆっくりと歩み寄る。
「一緒に父さんを復活させよう。人間を全員踏み潰して、領域に帰った後に皆で幸せに暮らそうよ」
ここに来て、ナトはようやくアルバの意図に気付いた。彼は、身体に刻まれたバルツァーブの封印を解こうとしていると。
「……封印を解く為にふざけてるなら、容赦しないよ」
ナトは僅かに殺気立ち、深緑の魔力を滲ませ始めた。
しかしアルバに戦う意思はなく、魔力の放出はおろか、身構えることすらしなかった。
「僕はいたって本気だよ。一人の女性として、姉さんが好きで堪らないんだ」
「私の事が好きなら譲歩してよ」
ナトは、嫌悪感に顔を歪めながら答えた。
「それ以上に人間が嫌いなんだ。絶対に、譲歩なんて出来やしない。姉さんが一番よく分かってるだろう?」
「絶対にあなたの思い通りになんてさせない」
ナトは枯れ木で造られた一本の杖を転移門から取り出した。
飾り気の無く、原始的な棍棒のような姿をしたそれは、魔神バルツァーブが残した神器の一つだった。
紛れもない臨戦態勢を前に、アルバは苦笑した。
ナトはそれに眉を顰めながらも、杖に魔力を纏わせたその時、彼女を静止するように言った。
「僕に構ってて良いのかな?」
彼は短くそう呟くと、指を弾いた。
次の瞬間、書庫の天井から濃い緑色の魔力が、粉雪のように降り始めた。
「……っ!?」
ナトは頭を抱えて動揺し、脂汗を流し始めた。
一瞬の内に、彼女の脳裏に外の情報が押し寄せて来た。
「姉さんって、この書庫から外を見てるんだよね。だから、ちょっと綺麗な被せ物をして、何も起こってないように見せてたんだ」
「なら、今までの発言も全部ブラフだったんだ」
ナトは怒気のこもった声で、睨みながら彼を見上げた。
「いいや、姉さんと結婚したいのは本心だよ?ほらっ、あの時みたいに、怯える僕を抱き締め、優しく子守唄を歌っておくれよ……」
彼は両手を広げ、にこやかにそう言った。
ナトは杖をアルバの顎に下から叩き付け、顎の骨を砕いた。
「もう、喋るな……!!」
彼女は焦った様子で背後に転移門を召喚し、そこへ飛び込んだ。
その行き先は、ナパルク邸だった。




