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慌ただしくその日はやってきた。クラリスは自身の金の髪が見事に結えられる様を見つつも、どこか他人事のように落ち着いた気持ちでいた。
デビュタントしか着れないという真っ白なドレスに袖を通し、鏡の前で座る令嬢。茶色い目を持ち、母によく似た自身の顔が好まれることをクラリスは自覚していた。
「顔は悪くないのよ。問題は中身よね。」
ボソリと呟いた声が聞こえたのか、髪を整えている侍女が言葉を返す。
「中身も全然、"悪くない"ですわ。お嬢様の器量のよさを理解する殿方はいらっしゃいますよ。」
クラリスは本ばかり読む頭でっかちな令嬢と言われたことがある。それに貴族らしい生活というよりは庶民的な暮らしをし、町の人との交流の方が多い。貴族の世界に入ることを尻込みしているのだ。
そうだといいんだけど。はあ、とクラリスはため息をついた。
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そのころ王宮は、シェリル王女の支度でてんやわんやであった。侍女たちが部屋を入っては出て、出てはまた入ってと慌ただしく動く中、当の本人は涼しい顔をして鏡台の前に座っていた。
「シェリル、今日もとびきりかわいいね。準備は順調かい?」
そう言って声をかけるのはシェリルの兄オーランドだ。
「お兄様が来るまでは順調でしたわ。いらっしゃるなら先に言っといてくださらない?そもそもレディの着替えを覗くなんて、マナー違反よ。」
シェリルはそう言って自身の兄を睨む。
「かわいい妹が心配なのだ。兄の気持ちも分かるだろう。」
言いながらも侍女に促されて端の椅子に腰を下ろす。本当にただ様子を見に来ただけのようだ。
「ご心配なく。それよりもお兄様、レイリーにダンスの件は伝えてくれたのかしら?」
シェリルはオーランドにちらりと目をやる。オーランドの笑顔を見て、嫌な予感がした。
「もちろんだよ。レイリーには絶対にデビュタントの場でシェリルとは踊らないように言ったさ。シェリルは僕が相手じゃ不満なのかい?」
どんなご令嬢も僕と踊るとなると目の輝きが変わるというのに。兄は悲しいよ。と泣くふりをしながら言う兄に、シェリルは嫌な予感が当たったことを知った。
「まさか!なんてこと!レイリーにわたくしと踊ってくれるよう頼んでおいてと言ったはずよ。」
「僕がエスコートするんだから必要ないだろう。デビュタントの場ではダメだ。次の夜会では許可してあげるから。」
ね?と言い聞かせるオーランドは、その顔で何人の令嬢を骨抜きにしたのだろう。さらりとした白銀の髪と、その輝きに負けず劣らぬ美しい顔に水色の瞳をもつ兄は、たいそう女性にモテる容姿なのだ。その甘い顔でシェリルに諭すように言う。
「デビュタントの場でレイリーと踊ってごらん。明日には君達はめでたく婚約者同士になってしまうよ。」
シェリルの婚約者がレイリーだと、社交界に宣言するようなものだ。それはよくない、とオーランドが言う。それこそシェリルが狙っていたものだというのに。
「お兄様、釘を刺しにいらっしゃったのね。」
「そうだよ。今日は僕がシェリルのお目付け役だ。」
シェリルは持って生まれた美しい容姿だけでなく、国で1番の魔力を持って生まれた。そのために魔法について必死に学び、現在は魔法師団にも籍を置きながら公務に勉強にという日々を過ごしている。
そして今はどこの国とも戦争などしていない平和なドラン王国であるが、そんなシェリルを他国に出すのを魔法師団長のボニーとドラン王国の王であるロードは反対しており、国内の有望な貴族に嫁がせようと考えているのだ。
しかしシェリルは、この国を飛び出してもっと魔法について学びたい、と強い好奇心と共に考えていた。そこで自分が断れない相手と婚約が結ばれる前に、幼馴染で気心の知れたレイリーと思い合っているように振る舞って、婚姻話を遠ざけようと考えているのだ。
彼が相手なら、実際に婚約してもいい。後ほど外国からの婚姻話が来た時に破談にしやすいし、なんなら結婚してしまってからでもある程度自由にさせてくれるかもしれない。
そんな打算を秘めていた胸の内が、おそらくオーランドにはお見通しだったのだろう。
「シェリルの気持ちもわかる。レイリーはいい男だし、君が憧れるのも当然だ。だが決めてしまうには早すぎると思うんだよ。もう少しいろんな男性と言葉を交わしてからでも遅くないよ。」
そういってにこっと微笑みながら諭すようにオーランドは言う。シェリルは先ほどの考えを撤回した。彼は私の考えがお見通しだったのではなく、私が本当にレイリーに恋焦がれていると思っているようね、と。
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モニエ子爵令嬢、クラリス!
自身の名が呼ばれ、デビュタント会場であるホールに参上する。参加者が並ぶ前を通り、まずは王と王妃の両陛下にお目通りする。しっかりと練習したカーテシーを披露すると、自身もすぐに列に加わった。
今年のデビュタントは70人近くいるだろうか。紹介を聞くと貴族以外にも商会の子息や外国の貴族令嬢も数人参加しているようだ。
こうして貴族たちの間を進み、陛下にお目通りすることで、無事大人になったと認められて社交界へと仲間入りする。
社交シーズン最初のこのデビュタントは、かなり特別なある意味成人の儀のような場である。
クラリスは従兄弟であり、ファース男爵嫡子であるヒースにエスコートされて参加した。続々と増え、列をなすデビュタント達の最後に姿を現したのが、白銀の妖精と見間違うほど美しく愛らしい王女シェリルと、そのエスコートを務めるオーランド王子であった。
誰よりも輝きを放ち、美しい振る舞いでシェリルが両陛下に挨拶をすると、ようやくといった雰囲気で空気が動く。シェリルが列に加わると、ついにダンスが始まった。
「やはりシェリル王女はなんという美しさだ。」
踊りながら小声でヒースが呟くのが聞こえ、クラリスは大いに同意した。
「ほんと。どうしたらあんなに美しくいられるのかしら。」
「いや、クラリスも十分美しいと思うよ。」
クラリスの言葉にあわててヒースが付け足す。自身がエスコートする女性の前で言ってしまったことを気まずそうにしているが、気を使う必要はないのに、とクラリスは思った。
「いいのよ。シェリル様がきれいなのは事実だし、張り合おうとも思ってないから。」
そうして音楽がやむ。無事にデビュタントのダンスを終えたようだ。これで今日の大仕事はおしまい。
「さてシェリル。あとはゆっくり過ごしなさい。帰る時は声をかけてくれ。僕は少し顔見知りに挨拶してくるよ。」
ヒースはそういうとするりと離れる。クラリスは華やかな会場や美しい令嬢たちに目を奪われながらも人の最も多いホールから外の空気が入る空間に移動した。
「クラリスさん」
少し潜められた声に振り向くと、そこにいたのはレイリー様だ。普段とは違い正装に身を包んでいる。
「レイリー様。いらっしゃっていたのですね。」
クラリスは普段と違う彼の姿に緊張をしつつも、言葉を返した。
「驚きました。モニエ子爵令嬢でしたか。」
「家名を名乗らず、失礼をいたしました。クラリス・モニエと申します。」
「レイリー・オンドレールです。」
レイリー様はそういうと右手をわずかに動かした。クラリスはそれを見て右手を差し出す。レイリー様はその手をすっととり、手に口付けた。
「クラリス嬢、よければ私にお相手をさせていただけませんか?」
戸惑いつつ、承諾をした私に対して、レイリー様は手を差し出した。私が彼の腕を軽く掴むと、そのまま歩き出す。てっきりメインのフロアに戻るのかと思っていた予想は裏切られ、そのまま人気のない階段を降りた。
「心配しないで。人気のないところで襲いかかったりしませんよ。穴場があるんです。」
そう言ってレイリー様が向かった先は確かに人は誰もおらず、しかしホールで奏でられている音楽は届いていた。
「ここ、事務官たちの使う部屋に続く廊下なので、夜会の時は基本的に誰も通りません。メインフロアだと人が多いので、こちらで。」
そういってレイリー様は改めて私に向かい合い、私の体を引き寄せた。
「心配などしていません。レイリー様のことは信頼しておりますもの。ただ、まだ慣れなくて緊張しているので、お心遣い嬉しいです。ありがとうございます。」
そういうとレイリー様は優しい笑みを浮かべる。
「それなら、僕も緊張してるから、気にしないで。」
イタズラっぽくそう言うと、レイリー様は動き出した。
遠くから聞こえる音楽に身を委ねながらも、私の心臓はレイリー様に聞こえるのではというほどドキドキと大きく鳴り響いていた。