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八話 大して役にも立たなかったお勉強


七話はこの話から四日後の風景を描いています。

もろもろの都合上、時系列が前後しましたのでご了承ください。


 ベッドは想像以上にふかふかだった。

 最初にそれを認識した瞬間、裕一は欲望の赴くままに白い平原へと身を投げ、リーラ毛なる王家御用達の素材からなる枕へと顔をうずめる。一セット五千円の煎餅布団の感触とは比べることすら侮辱と思えるほど、ここの寝具は素晴らしかった。

 王都高級地区にある立派そうな宿の最上階、立ち寄った両替商に教えてもらった都最高の設備を持つと目されているホテルで、裕一は暮れなずむ街並みに目をやった。対魔処理がなされた高純度のガラスの向こう側には、大きく佇む白亜の城が威容を湛えている。

 枕を抱えて、ベッドに座り込んだ。高い天井に吊るされたシャンデリアは、一つ一つ職人が丁寧に封入したと思しき発光魔術が鮮やかな色合いを放っている。広々とした部屋は全て毛先の長い絨毯が敷き詰められ、テーブルや壺などの調度品も王宮のそれと比べてもなんら遜色しないだろう。水差しなど、氷系の魔道具を利用して作られた一級品である。さすがに一泊金貨五十枚は格が違う。裕一は素直に感動した。

 嗚呼、お金持ちって素晴らしい。少し力を込めると、枕は心地良い反発と共に形を変形させた。もう一度ころんと横になる。ビバ、セレブ!

「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」木を叩く音と共に、くぐもった女性の声が室内に響いた。ここは階下に食べに行かずとも、わざわざ女給までつけて持ってきてくれるのだ。無論、料理は全てシェフご自慢の品々である。あの女将さんの所のような庶民料理もいいが、やはり豪華ディナーというものも味わってみたい。旅行の楽しみは大部分食である。

 入出を許可すると、二十歳ほどの女給――否、メイドさんが銀色の台車を持って現れた。こちらを見ると無駄のない動きで一礼する。


「本日は、当ホテルにお泊り頂き、真にありがとうございます。ささやかではございますが、本日のお夕食をお持ちいたしました」


 くすんだ茶髪が可愛らしいメイドさんは、きびきびと机に種々の食器を並べていく。裕一は枕を直し、食卓に着席した。


「本日のスープは、コーク乳のポタージュ・リエでございます」


 銀製のスプーンを手に取って一口すくう。つっと流すように口内へ注いだ瞬間、濃厚な牛乳の味と、甘い野菜の粒が舌の上で乱舞した。もしメイドさんがいなかったら「うまいぞおおおおお!」と口から黄金のビームを発射していたところである。てかすげぇ。

 ゆっくりとスープを味わっていると、今度は別のメイドさんが同じく銀の台車を押して現れた。それを茶髪のメイドさんに預け、一礼して退出する。一滴も残さず、余すところなくポタージュを楽しむと、メイドさんは素早く食器を下げ、新しく用意された台車から料理を食卓へと運び出す。


「オードブルは海老のブリエのランパーニュ添えでございます」


 海老だけ元の世界のものと同じだが、残りの野菜には見覚えがなかった。というか、オードブルってスープの前に出るのが普通のような気もしたが、異世界にそんな常識は通用しないと思いなおす。桜色の海老と赤い野菜に、薄橙色のソースがかかっている。ナイフで切り分けて、一口。作務衣であるが、思わず「これを作ったのは誰だああああ!」と厨房に殴りこみたくなった。無論いい意味で、である。

 半分ほど食べ終えたところで、三度銀の台車入場。これを後二度度ほど続け、仕舞いの食前酒が注がれた。冷ややかグラスに、澄んだ桃色の液体が震えている。さくらんぼに似た果実が一つ入れられているのを見ると、飲むのがもったいないような気がしてしまった。というか、僕未成年。


「だがそんなの関係ない」


 右手でグラスを掲げ、すっと傾ける。甘い果物のすっきりとした味わいはまるでジュースであった。ころりと入った果実を歯で潰すと、酸味が広がって思わずうめいてしまった。


「うわ、ものすごく美味しかった」

「お気に召していただけて、何よりでございます」


 にこやかな笑顔でそう言って、メイドさんは食器を片付け始めた。


「あ、メイ――給仕さん」

「はい、どうかなされましたか?」


 裕一は虚数空間から金貨を十一枚取り出し、皿を台車に置き終えた彼女の手のひらに握らせた。


「一枚は貴方に。残りはこれを作ってくれたシェフと、ここの従業員の皆さんたちに、ね?」


 一瞬だけ、彼女が職を放棄した。顔に驚きと歓喜を湛え、失態に気づいたかのように再び侍従としての笑顔に戻る。ただ、その温かみは先ほどと比べて大分温度が上がっているようであった。

 両替商からそれとなく聞き及んだのだが、この国での一般的お父さんたちの平均収入は、月銀貨四枚から五枚。金貨一枚は銀貨十枚にあたり、銀貨一枚は銅貨百枚にあたる。女将さんが驚くのも無理はないと思ってしまった。ありがとう、国王様。貴方のへそくりは大変素晴らしいものでありました。


「ありがとうございます。従業員一同、お客様が心安らかに御逗留できるよう、粉骨砕身して任に当たりたいと思います」

「はい、お願いね」


 失礼しました、とメイドさんが一礼を残して去ると、部屋に静寂が舞い戻った。ややあって、呟く。


「お金持ちの僕格好良い!」

『むしろ小市民根性丸出しだったと思うけど?』


 我が愛しの天使様が皮肉気な笑みを浮かべあそばされた。いやいや、そりゃあね、親父様のお給料ではあんなことできないし、魔法使いの給料はもろもろの事情で強制貯金されてるし。こんな機会でもなければあんなことできないではないか。一度くらい夢を見たところで、罰は当たらないと思う。……え、当てるの?


『しないわよ。面倒くさい』


 ほっとする。彼女に罰を当てられた日には、どんな厄災が降り注ぐか分からない。冷え冷えの水差しを口に含み、裕一は再びふかふかベッドにダイブした。枕を胸のところで挟むと、虚数空間から今日購入した数冊の本を取り出す。別に難しい本ではなかった。魔術書はご禁制らしく売っていなかったので、概念だけをサラリと書いた教科書と、幾つかの子供向けの本であるものの、今の裕一にとってはこれで十分である。


「まずは…これは聖書かな?」


 その気になれば術式で本の中身を丸ごと記憶野に格納できるのだが、今回は暇つぶしもかねているので普通にページを繰っていく。

 昔々、人間と神様は共に手をたずさえて暮らしていました。しかし長き時の果てに神々の間で争いが起きるようになり、やがていくつもの大地を巻き込んで神様は殺し合いを始めてしまいました。どかーん、ばこーん。戦争自体はほどほどの長さで終結しましたが、人びとの中の神様株価は大暴落、神様は世界を追放され、人間による時代が始まったのです。以上超要約。

「意外とえぐいな聖書。ていうかこれ宗教観崩壊してない?」最も、でも人間も悪かったし神様を再び迎え入れるべきじゃね? という意見で占められているため、一概に崩壊といえるのかどうかは微妙である。

 続いて歴史書にいってみる。神々なき後、人間は平穏に暮らしていたのだが、あるとき東の魔大陸に魔王と呼ばれる魔物の主が現れ、世界を恐怖のどん底に陥れた。人間の軍隊はあっさり返り討ち、すわ滅亡かというところで、古の大賢者が異界の戦士を召喚、後に初代勇者と呼ばれる男は圧倒的な力でもって魔王を倒し、世界を救ったそうな。めでたしめでたし。

「…これが一回だけなら本当にめでたしなんだろうけどな」以後千年にわたり、十一回ほどこのプロセスが繰り返された。わが愚弟は現十三代勇者に当たるようである。なんといういたちごっこ。


「…二代勇者佐竹宗右衛門直虎、魔王討伐後王女セルフィナと結婚、幸せに暮らす。三代勇者トルチェド=セトチャフスキー以下同文。四代勇者エリカ=エドモンド、魔王討伐後王太子イルセドと結婚以下同文」


 五代、六代、七代。全十二代の勇者たちの生涯を流し読み、裕一は大きな溜息をついた。目じりを軽くもみ、水差しを含む。

 これは少し、不味いかもしれない。歴史の教科書を閉じ、数秒だけ瞑目する。過分に美化されているものの、裕一は彼らのたどった大まかな道筋を把握した。彼らの身にどんなことが起こったのかも、大体推測は可能である。




 ――僕がいなければ、思い通りになったんだろうけど。残念だったね国王陛下。




 心内で呟いて、唇の端を吊り上げた。自然と、もはや闇に包まれた王城に視線が行く。何なら、この国の国家予算も頂いておけばよかったかもしれない。

 笑みが濃くなった。どうやら、自分の中にいいようのない怒りがくすぶっているらしい。

 気分を切り替えるように、最後の一冊に手を出した。あくまで基礎知識を与えるだけの魔術書であった。

 街で世間話をしているうちに気づいたのだが、どうやらこの世界、魔力を扱える人間が極端に少ないようなのだ。そのためライター程度の火しか出せなくても、魔術師として特権階級の仲間入り。しかも能力は遺伝的なものであるらしく、家々ごとで秘術だの一子相伝だので自らの技術を隠す傾向が強いのである。

『魔術は選ばれしもののみが使う奇跡の御技であり、偉大なる神の恩寵である』第一節の第一文で、裕一は早くも挫折しそうになった。こめかみを押さえ、メイドさんがサービスで置いていってくれた果物を一つかじる。赤くこぶし大ほどの大きさの木の実であるが、味はどう考えてもぶどうだった。

 以降三十ページにわたって魔術師という人種がどれほど偉大なのかを誇らしげに説く文が続くので、第一章は割愛する。


「ま、理由は分かるんだけどねぇ。…元の世界もこれだけやれば事情は変わってたのかな……いや無理か」


 この世界を見ているだけでは分からないかもしれないが、基本的に魔術は個人という範囲に限定するならば最も大規模な現象を引き起こせる技術である。しかも、それは才能に左右され、安定した出力を得られず、必然的に使えるものと使えないものに分かれてしまうものだった。さて問題です。魔術師と一般人。数が多いのはどちらでしょう?


『聞くまでもないわね』天使様が苦笑をにじませて呟いた。

「でしょ? こちらの統計は知らないけど、元の世界の魔術師人口は約二千百人。翻って普通の人は約六十億人。もう馬鹿馬鹿しくてやってらんないね」


 しかし、数は少なくとも個々人の能力は一般人をはるか上回っていた。たとえプロボクサー世界チャンピオンでも、下位魔術師のへっぽこ魔術でさえ即死する。まあ、世の中には一般人でありながら大魔法使い級と真正面から喧嘩できるという化け物みたいなのもいるにはいるが、それはごくごく限られた例外中の例外だった。普通は勝てん。

 そうなると、一般人たちの進むべき道はおのずと二つに絞られる。すなわち、支配するか、されるかであった。


「僕らの世界は前者を、この世界は後者を選んだ。それだけのことだよ」


 だから裕一の世界において、魔術という技法は表舞台から放逐された。近代化の波にどんぶらこっこ。もはや覆しようもない事実であった。


「魔術師の特権化、神格化か。涙ぐましい努力じゃないか」


 ぱらぱらとページが繰られる。理論分野を読み進めるうちに、眉間のしわが一本、二本。ページの勢いが増していき、目が上へ下へ右へ左へ縦横無尽に駆け巡る。ぱたんと本を閉じた。魔術の教科書を虚数空間に放り込むと、裕一はどさっとベッドに倒れ、仰向けのまま腕を組んだ。すっと右手を目の前まで持ってくる。


「火、水、風、土」


 人差し指、中指、薬指、小指にそれぞれ術式を起動する。火が、水が、風が、土がそれぞれの指先に力を持って宿った。さらに左手の人差し指に闇を、中指に光を発生させ、じっと目を凝らして観察する。


「……発動、するじゃん」


 怪訝そうに首を傾げた。両の手のひらをふり、力を散らす。一人につき魔術属性は一つ。教科書に書いてあったことに当てはまらず、裕一はしきりに疑問符を振りまいていた。情報が足りない。そのことが裕一の脳裏によぎるたびに、言い知れぬ苛立ちが蓄積される。知りたいのに分からない。データが足りない。どんな属性でも良い。実物の魔術が見たかった。

 知りたかった。封鎖世界、他の平行世界と交流を持たぬ地の魔術。興味がないわけがなかった。発動式は? 消費魔力は? 術式の種類と必須条項は? 頬が引きつる。知りたい、知りたい、知りたい知りたい知りたい知りたい。


「あー、もう! やめやめ!」


 とめどなく溢れる知的好奇心――いや、もっとどろどろした妄執を振り払うように、裕一は自分の両頬を思い切り叩いた。痛い。じんじんする。その痛みに無理やり神経を集中させ、もそもそとベッドに入る。もう寝よう。明日になれば、また考えも浮かぶ。スイッチを切り、シャンデリアの魔力光を消滅させる。目を瞑り、頭を空っぽにして息を吐く。

 …とりあえずトイレに行こう。裕一は寝台から這い出した。



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