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七話? 勇者様、頑張る


 わずかに光を帯びた剣閃が獣毛に覆われた巨体に吸い込まれた。天に轟き地を震わせるような絶叫が鼓膜を震わせ、少年は思わず顔をしかめる。きんと耳鳴りする頭を奮い立たせ、鍛え上げられた足の筋力を最大限利用して一気に戦域を離脱した。主観時間にして約五秒後、自分が立っていた場所に丸太のような腕が叩きつけられた。宙に舞う木の葉を避けながら、今度は右に大きく飛びのく。

 一時的に目標を失った獣の思考がわずかに乱れた。その隙を突いて、少年とは別の影が獣の後からにび色の線を二度描く。再び腹に響く音がその獰猛なあぎとから噴火した。


「お二人とも、お下がりください!」


 そんな雑音をものともしない、鈴の音に似た声が少年の耳に届けられた。自分ももう一人の影も、「下が」という文字が台詞に現れた瞬間に獣の巨躯から距離をとった。


「水よ水よ水よ、我が息吹、我が声、我が意を持って疾くあらわれよ」


 単なる音の羅列、しかしそれは聞くものの心胆にいい知れぬ威圧感を伴って、空気を振るわせた。我知らずつばを飲む。心臓が高鳴り、呼吸が荒くなった。

 虚空に青々とした水の円柱が五つ、現れた。水といっても、川に在るようなふわふわとしたものではない。鋭く、岩をも砕く硬度を感じさせるほど高密度に圧縮された水の塊。すごい。少年は見ほれるように感嘆の息を上げた。


「貫け!」


 水は命令に従い、血に濡れた巨体へと我先に殺到した。




 ☆☆☆




「お疲れ様でした。コウジ様、ユズキ様。これで依頼達成ですね」


 肩でそろえた金髪を煌かせて、法衣姿の美しい少女がにっこりと笑った。十六、七ほどの、透き通るような碧眼の持ち主である。おっとりとした目じり、真っ白な肌。桜色の唇は瑞々しく、女神という言葉は彼女のために存在しているといっても過言ではない。神崎幸二はいまいちしっくりと来ない魔力剣を腰の鞘に収め、彼女に軽く手を掲げた。


「モニカもお疲れ。しっかしやっぱ何度見てもすごいな、魔術って」


 ちらりと、もはや命の輝きを失った巨躯に目をやった。あれほどの生命力を持った獣を一撃で倒すなど、幸二の常識からはかけ離れた光景である。まあ、そもそもこれほどまでに大きな獣が存在することの方が非常識なのであるが、それをいってしまうときりが無い。思考を切り替えるために、二、三度頭を振った。

 Cランクモンスター、ベアグルードの討伐。冒険者ギルドで初めて受けた依頼だったが、どうにか上手くいったらしい。


「これで、ようやく塩スープ生活からおさらばできるわけだ」

「…うう、すみません。私たちがふがいないばかりに」


 いや、責めてるわけじゃないよ。幸二は慌てて首をすくめているモニカに手を振った。王族として今回の件に重い責任を感じているのは分かっている。だが、幸二には彼女を責める気などさらさらなかった。

 王宮に保管されていた、勇者用の資金が全て盗まれた。その信じられないような報告が来てからというもの、文字通り身を切るような極貧生活を送ってきたわけだが、それは彼女とて同じことだ。むしろ、王族なのに文句の一つもいわないことに、幸二はすっかり感心していたのだ。

 生い茂る森の木々から舞い降りた葉っぱが、巨大な獣の上に舞い散り始めていた。これでこの森も、近くに通る街道も少しは安全になるだろう。ほっと安堵の息をつき、幸二はもう一人の仲間に微笑んだ。


「柚木姉も、随分と様になってきたじゃないか」

「それは重畳。頑張った甲斐があったというものだね?」


 双剣を腰に仕舞った黒い長髪の少女がくすりと微笑んだ。黒い艶やかなる長髪に卵形の顔、すっと通った鼻筋に薄い唇は、見るものを幻想的な気分にするほど美しかった。召喚の際には妖精と間違えられそうになったことは、今でも笑い話として会話に登る。ただ小柄な体躯には不似合いなほどに満ち溢れた、熟成した漢気は周りにいた魔術師たちを困惑させていたようだったが。


「しかし、やはり私にはこー君ほどの威力は望めないね。先の攻撃で身に染みたよ」

「俺は柚木姉みたいに素早く動けないよ。ていうか何だよあの動き? 前世は韋駄天かなんかなのか?」

「あの、私には二週間足らずの訓練だけであそこまで動けるお二方が信じられないのですが…」


 互いに賞賛し合う幸二と柚木に、金髪の少女、モニカが苦笑した。それに関しては幸二も同感だった。単なるサッカー少年でしかなかった自分が、こんな風に戦えるなど思っても見なかったからだ。


「私もこー君も、基礎体力はあったからね。まあ、戦いに関しては師が良かったとしかいいようがあるまい?」


 幸二たちに剣を含めた戦いの技術を教え込んだのは、神聖ゼルドバール王国の聖騎士団長だった。四十を越えているとは思えぬ体力と、圧倒的な剣術は今でも鮮やかな感動と共に幸二の胸に秘められている。ああいう男は憧れであった。


「いいえ、確かにルドマン団長は優れた騎士ですが、それでもお二人の成長が半端ではないんです。団長も驚いていましたよ。「さすがは勇者様だ」って」


 森を出て、街道で待たせていた馬車に乗り込む。一見質素な幌馬車に見えるが、構成木材は最高級のものであったり、振動軽減の魔道具が組み込まれていたりと、王族にふさわしい仕掛けが満載の高級馬車であった。御者に合図すると、馬のいななきを伴って緩やかに車輪が回り始める。


「褒めすぎだよ。俺たちはまだ、モニカみたいに魔術も使えないしね」


 召喚された日に行った検査で、自分にも柚木にも魔術を行使できる素養があることは知っていた。だが、いざそれを行おうとしてもいまいち感覚がつかめないでいるのである。


「まあ、我々の世界では魔術なんてそれこそ御伽噺の産物だ。おいそれと使えるとは思っていなかったさ」

「それでも、お二人は希少な光と闇の属性です。使いこなせれば、私以上の魔術師になるかもしれませんよ?」


 とはいうものの、幸二はこの魔術というシステムを未だに理解しあぐねていた。呪文を唱えることで世界に干渉するだとか、使える属性は一人一種類だとか。なじみがなさ過ぎてピンと来ないのである。


「地、水、火、風。それに光と闇だったか? 何かちょっと違和感があるんだよなぁ」

「私だってそうさ。呪文を覚えるだけなら何とかなるが、発動の想像とやらがはたらかない。難儀なことだよ」


 ころんと、外聞もなく寝転がった柚木が欠伸した。そんな怠惰なしぐささえ洗練されて見えるから、この幼馴染は侮れない。


「けど、何で一人一種類しか使えないんだ? 全種使えた方が便利だと思うんだけど」

「前にも軽くお話しましたが、それらに関しては誰も明確な答えを得ていません。神が定めた世界の制約という説や、魔術の創造者があらかじめそういうものとして作ったという説。様々な説があり、各国の魔術師がしのぎを削って研究しているようですけど、複雑すぎて分からない、というのが今の学会の現状ですね」


 どこか申し訳なさそうに息をつくモニカに、柚木は小さな含み笑いを漏らした。幸二が不思議そうな瞳で彼女を見やる。


「どうしたんだよ、柚木姉」

「いやなに。もしゆー君がここにいたら、あっという間に魔術を使いこなして、その謎を解明してしまいそうな気がしてな」


 ゆー君。楽しげな彼女からその名がでると、幸二は強い苦笑の衝動と、ほんのわずかな胸の痛みを覚えた。同時にああ、と納得したように頷いてしまう。


「ゆー君、ですか? えっと、どなたです?」

「俺のにーちゃんだよ。神崎裕一っていうんだけど」


 小首をかしげたモニカに幸二は笑みを濃くして捕捉する。馬車の後に置いてあった袋を取り出して、中から干された芋を掴むと軽くかぶりついた。何の調味料も使われていない芋は、その本来の甘みを遺憾なく発揮して幸二の舌へと侵攻を開始する。


「まあ、コウジ様のお兄様…」

「私の幼馴染一号でもある。なかなか愉快な人間性を持っていて、興味が尽きない人物だな。俗にいう奇人変人というやつだ」

「はあ、奇人、変人……」

「柚木姉。一応、俺のにーちゃんなんだけど」

「ほう。ではこー君。君はあれをまともな人類と思うのか?」

「いや、全く」


 幸二たちのあまりといえばあまりないいように、モニカは絶句してしまったようだ。唖然として二人の間で視線をさまよわせている。幸二はもう一口、芋を含んだ。かっぽかっぽと馬が地を踏みしめる音を聞いていると、ふと兄の下駄の音色を思い出してしまう。からんころん、からんころん。

 今は遠い彼方の世界にいるであろう兄を思い出して、少しだけ瞑目した。記憶を探れば探るほど、変な人としか思えない光景が脳裏を覆いつくす。

 クリスマスに黒いサンタ服を着込んだかと思うと、「ちょっとカップル殺してくる」などといって聖夜の街に繰り出したり、その翌日謎のテロリスト団体によるラブホテル連続爆破倒壊事件を満足げに眺めていたり。かと思えば何か論文のようなものを読んでパソコンに向かったり、「学会にいくお」といい残して急に二、三日家を空けたり。

 ――本当によくわからない人だ。甘みが渋みに変化したような錯覚を憶えた。無理やり干し芋を口に放り込む。


「にーちゃん、元気かなぁ」

「断言できる。絶対に元気ではないと」


 めまぐるしい走馬灯じみた光景を目にすると、ふとわずかな郷愁の念が沸いた。誰ともなしにいった言葉は、しかし寝転がり少女の笑声であっけなく潰される。


「そうだな。ゆー君の性格を考えるあたり、最初に我々がいなくなったことで騒動が少なくなると狂喜乱舞して、その後上げて落とすかのごとく今まで以上の厄介ごとに巻き込まれて泣きを見ている、というところだろうさ」

「無茶苦茶具体的だな」

「ゆー君は我々こそ騒動の根源要因と思っていたようだが――まあ、否定はしないがね――実際は、彼に引き寄せられるがごとく混乱の種が集まっているというのが現実だろう。いわゆる騒動招来体質だな。まったくもって、愉快なことだよ、君」


 よく見てんな、と若干の呆れを含ませて幸二は呟いた。胸がちくりと痛む。心底楽しいといわんばかりの笑顔が、幸二には少し毒だった。


「え、ええと。た、楽しいお兄様なのですね、コウジ様?」


 フォローをしたつもりなのだろうが、頬が隠しきれないほどに引きつっていた。自分が苦笑すると、彼女はさらに慌てたように幸二の腕を両手で包み込んだ。暖かい。思わず和んでしまう。


「ええと、ええと。そう、愉快な――じゃなくて、道化的――でもなくて」

「いや、無理しなくていいから」


 兄が変人なのはもはや不変の事実である。今更とりつくろったところでどうしようもない。それに、何だかんだいって兄はその変人というレッテルを楽しんでさえいる様子も見せていたので、幸二としてはその程度、罵声にもなりはしなかった。


「本当。にーちゃん、元気かなぁ」


 その言葉に対する返事はまだ、ない。



 その後、モニカ姫は幸二の手を握っていたことに気づき、羞恥でてんやわんやになったところで盗賊の襲撃を受けることになるのだが、それはまた別の話。



 また、冒険者ギルドで換金したおかげで中位の宿に止まることができ、久方ぶりの具ありスープに涙したモニカを見て、柚木と幸二が決意を新たにするのも、別の話である。



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