四話 逝くも地獄、逝かざるも地獄。ほんとこの世はろくでもない
一般的に、物語で異世界に召喚されるのはティーンエイジャーと相場が決まっている。何故そうなったのかは誰も知らないし、知ろうとも思わない。物語的にそちらの方が絵になるからという俗な理由付けもできなくはないが、社会には時として「そういうものである」という折り合いをつけなければならないことが多々ある。というか、そもそも理由付け自体がさほど重要視されていないこともあると思う。
とにかく、異世界召喚は十代の若者が選ばれることが多い。ゲームでもアニメでも若く美しい少年少女の活劇の方が見ていて楽しいし、熱中できるというものだった。
でもね、実際そういう問題に直面すると、様式美萌えなんていっていられないものだね。
裕一は頭痛を必死に押さえ込んで、ベンチの直ぐ後に漂う浮遊魔力から目をそらした。どう考えても次元歪曲反応です、本当にありがとうございました。何故か目から汗が出てきた。人間って不思議。
耳を澄ますと、いきなり顔を水まみれにした裕一を指差し「まま、あのひとないてるー」「シッ! 見ちゃいけません!」的会話がそこかしこから聞こえてきた。夕方の団欒に水を差したことに関しては、反論の余地がない。猛省する。
さあ、現実を直視しようか。ともすれば晩御飯のおかず――豆腐だったらいいなぁ――へ逃避しようとする意識を無理やりに繋ぎとめた。裕一はベンチから離れると、花畑のそばでしゃがみこみ、二、三度目を瞬かせた。きっと端から見れば鈍そうな兄ちゃんが花を愛でているように見えるのだろう。警察、呼ばれないことを切に願う。非常に残念ながら、裕一はイケメンではないためそういった心配事に心を割かねばならないのであった。ガッデム。
探査魔術を並列起動、さらにこれ以上経年劣化しないように固定の術を打ち込む。使用術式、効果、発生魔力、転移通路の調査および移動先を特定する。なるほど、警察が捜しても見つからないわけだ。思わず大きな溜息が漏れた。
「………ええー」
探査終了。記憶野に転写した各情報を洗い流すと、裕一はもうそれはそれは嫌そうに絶句した。間違いだったらいいナー、心の悪魔がそんな甘言を弄してくる。
『現実を認めなさい』
熾天使様が鼻で笑ってたしなめてきた。分かっております、分かっておりますとも。ええそれはもう。止まったと思っていた汗が再び目から流れ出した。
「何このでたらめな術式…」
分類としては、召喚術にカテゴライズされるのだろう。たぶん。おそらく。しかし、その構成たるやもう滅茶苦茶のぐっちゃぐちゃ。かろうじていくつかの呪文列が相互干渉し召喚の形式をとっているものの、よくもまあこんなので世界間移動ができたものだと裕一は逆に感心した。もはや呆れを通り越して芸術とまで呼べるのではないか。ビバ前衛芸術。後期ピカソもびっくりである。
特に着目すくべきは破綻寸前の魔力回路、もう効率? それって美味しいの? といわんばかりの構成だった。仮にこの術式で異世界召喚などしようものなら、それこそ大魔法使い級の馬鹿魔力が必要となってくるだろう。実際、二週間という時間が過ぎてなお残る魔力は、それだけの濃さを感じさせた。ありえねぇ。裕一の心は恐怖で満たされた。
とはいえ、あの非常識連合のような連中がそこかしこにいるわけがない。というかいたら困る。主に胃の平和のために。おそらく、神器級の魔力増幅装置をフル稼働させて、何百人という魔術師が三日三晩休まずに魔力を注ぎ続けた結果、偶発的に術式が起動したというところだろう。なんという天文学的確率。まさに神の悪戯と称すべき現象であった。あのネトゲ廃大神、後で殴る。
続いて探知を切り替え、貫通した次元回廊の先に関する情報を取得する。うん、間違いないね。あのアホ、幼馴染と一緒に巻き込まれやがったね。うん、ありえなくない? 何このトラブルメーカーっぷり。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで盛大にやらかしてくれるとは思わなかった。というか、兄が僕じゃなかったら迷宮入りの失踪事件になっていたところである。
ややあって、記憶野に新しい情報が追加される。刹那の間をおいて、裕一は唸った。世界間に距離感覚を用いるなどナンセンスのきわみであるが、人間の感覚にはこの発想が一番しっくりくるのだ。遠い。てか遠すぎっ! 間に何百という平行世界を挟んで存在する目的地に、裕一は目の前が暗くなる感覚に襲われた。しかも、気づく。目的の世界を探査した瞬間、何か壁のようなものに阻まれて術式がとどかなくなったのである。
「げへぇ……封鎖世界って。ここまでやるか普通?」
『諦めなさい』
天使様は冷たかった。ハッと鳴らされた鼻に傷つきつつ、裕一は地に沈み込むように尻餅をついた。空が青い。お空様、これは何の冗談ですか?
どうやら我が愚弟の呼ばれた先は、閉ざされた世界であるらしい。外部からの干渉は結界によって阻まれ、内部からの呼びかけがなければ転移はおろか通信すらままならない、江戸幕府も真っ青な鎖国っぷりであった。慌てて召喚に使用されたと思しき次元回廊を固定する。さっと見た限り、次元回廊の方は問題ない。チャチな術式であったためかなり歪んでいるが、それでもあと一回くらいなら耐えられる。
そう、つまり移動できるのはあと一人。風が吹き、花の香りが吹きかかった。嗚呼、花粉症の目にしみる。初夏だと思って侮ることなかれ、杉の次はヒノキが待っているのだ。
口元が大きく歪んだ。うへぇ。はっきりいっていきたくなかった。しかしいかなければ愚弟は連れ戻せず、結果自分に平穏な日常は返ってこない。何この二者択一。どっちをとっても不幸にしかならない。
急に重くなった身体を支えて立ち上がった。最初から理解はしていた。選択の余地などないと。なんだろう、とっても心が痛いの。視界をにじませ、裕一はポケットの財布を確認した。一応、嫌だけど、本当に嫌だけど、準備を整えなければならない。こちとらそこいらの召喚勇者様と違って現代っ子なのである。身の着のままで異界の旅など真っ平ごめんであった。足を引きずるように公園を出て、手近なコンビニに入る。即席ラーメン、焼きそば、うどん、そば、その他非常食を力の限り買い込んで、虚数空間に放り込んだ。固定化の魔法をかけたから腐りもしないだろう。続いて生鮮食品、調味料、料理器具。嗚呼、お小遣いが湯水のように消えていく。さようなら福沢諭吉。これ経費で落ちるだろうか。
仕舞いに自室で着替えの作務衣と下着を大量に確保した。もはや歩くのも面倒だったので、誰にも見られていないことを確認して転移魔法で移動したのだ。嗚呼もう、面倒くさい。
さて、歯ブラシ、枕、各種武装などおよそ考え付くもの全てを収納したわけだが、ここで一つの問題が発生した。両親への説明をどうするか。妄想する。
「弟が異世界に召喚されたっぽいので、迎えにいってきます」
カモン、黄色い救急車。間違いなく外側に鍵がついている病室に放り込まれる。お袋様はともかく、親父様なら絶対に。何もいわずに出かけるか。いやいや、不味かろう。いくら駄目なほうとはいえ、残った息子までいなくなったら騒ぐかもしれない。…騒ぐかな? 騒いでくれるといいなぁ。
――まあ、いいや。どうでも。最悪、後で記憶改竄でもすれば事なきを得られるだろう。裕一は思考を放棄し、苦笑した。転移魔法を起動し、同時に不可視結界を身にまとう。公園のベンチにたどり着くと、真正面に今にも唇を接着させようとしていた男女が現れた。
うん、死ね。無意識のうちに出た手が男の顔面に突き刺さる。不可視化しているため、周りにはいきなり男がのけぞった風に見えたはずだ。
「きゃあ、マー君!」
何がマー君だ。バカッポーなんぞしっとの神に食われてしまえ。忌々しき幸せ野郎どもに正義の鉄槌を下し、裕一は花を踏まぬように回廊入り口に立った。術式を起動、範囲を設定の後、次元歪曲を開始。
歪んでいく景色を目に焼きつけ、裕一は苦笑した。とりあえず弟、殺す。話はそれからである。