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三十三話 勇者様、とてもとても頑張る

勘が…取り戻せないお…


 今日はひどく風が強かった。

 ごうごうと風の精霊たちが耳元で呑めや歌えやの大騒ぎをしている。女は無秩序に靡くクリーム色の髪を手櫛ですくと、大きな伸びをして天空を振り仰いだ。

日輪を覆い隠す分厚い雲が大海の波のように流されていた。きっと今、あそこはここと比べ物にならぬほどの強風が縦横無尽に駆け巡っているのだろう。女は全身で持ってその風を受け止める夢想に駆られ、わずかに顔をほころばせる。嵐ほどではないが、大層乗りごたえのありそうに思えたのだ。

 一瞬湧きあがった欲望に心が支配されそうになった。しかし苦い笑みでもってその考えを否定し、視線を眼下へ回帰させる。石を積み重ねた家々から、米粒大の影たちがまばらながらも顔を出し始めていた。煙突から立ち上った幾筋もの煙が女の目線まで立ち上り、雲に吸い込まれるかのように彼方へと消えていく。もう朝餉の時間だ。

 高い高い尖塔のてっぺん、多くの人間たちが群がる地の中心で女は肩をすくめて苦笑した。これといって意味はない。ただ朝食をとっていないことを思い出したのである。宿屋の主人自慢の塩のリゾットはひどく味気ないが、起きぬけの胃にしみこむような温かさが女は大好きだった。できればこの街を去る前に、もう一杯食べておきたかったのだが。

 そんなことを考えていると、風に負けることなく情けない悲鳴が腹部から響いた。


「腹、減ったの」


 腹の虫が本格的な行動をとる前に、女は思考を切り替えた。目を細め、すぐ真正面にある城の一室に目を止める。頭の中で本能から経験までの、さまざまな鐘が鳴り響いた。にっと唇の端を釣り上げる。


「あの部屋か」


 そう呟くと彼女はとんと軽い音を立てながら虚空へ跳躍した。ほんの少し足に力を込めただけで、女の身体は重力の腕にとらえられた。鋭い風きり御が耳をなで、すいた髪がまたばらばらになる。

風になびいたクリームの絹糸が、いきなり扇状に広がった。風の波に乗っていた彼女たちを突き落とすかのように、女の背中から指向性を持った反動が巻き起こったのである。それと同時に、褐色の肌にまとわりついていた重力が口惜しそうに手を離した。

女の背中から、翼が生えていた。

鳥のような羽毛に覆われたものではない。煌めく金色の鱗に鋭角的なフォルム。例えば神崎裕一などが見たら、まるで蝙蝠みたいだと呟いたであろう形の翼である。ぱたりとはためかされたそれは、淡く輝く燐粉をまとって女の身体を虚空へといざなった。

 にやりと、犬歯をむき出して笑った。ぐんぐん近づく窓を視界に収め、女は己が周囲に魔力で力場を発生させる。


「ようやく、見つけたぞ」


 音を立てることなくガラスが砕け散った。




 ★★★




 神崎幸二は声を上げることなくさめざめと泣き続けていた。肩を震わせ俯きながら荒れ狂う感情を押し殺すその姿は、大切な何かを失ったものだけが醸し出す独特の空気を周りにまとわせている。椅子に座っているため膝に塩分を含んだ雫が滴り落ち、白を基調とした正装にいくつもの跡をつけた。

 いつもなら本能のままに飛びついたであろう朝食の数々も、今の幸二を慰めるにはいささか以上に力不足である。牛乳のようなものを煮込んだポタージュ、野菜のソースで彩りをつけられたリゾット、朝練によって酷使された身体が栄養を求めているのは感じていた。しかし極度に落ち込んだ精神が、肉体的な要求を聞き入れることすらサボタージュしてしまう次第に、野党理性党は完全にお手上げのありさまだ。


「こー君、早く食べないと冷めてしまうぞ?」


 すぐ隣に座る諸悪の根源がスープを加えてにこりと笑った。同時にそんな姿でも思わず見とれてしまう自分の単純さが非常に情けなく思える。幸二は内心で湧き上がった感情を押さえつけるかのように、涙で濡れそぼった瞳を少女に向けた。


「他にいうことはないのかよ」

「ん? いうこと? …………いやはや、時の流れとは偉大だね?」

「違う! 全くかすりもしてないから!」

「いや、謙遜することはないよ。しかし、まあ…………ね?」


 よく号泣しなかったと自分で自分をほめたくなった。艶やかな黒曜の瞳が幸二のつま先から頭の上を舐めるように眺めまわす。くすりという笑声が心臓を思い切り締め上げた。どうしよう、また涙がにじんできた。正面に座るモニカは顔を真っ赤にして何故か視線を合わせようとしないし、背後に控える侍女三人組はつやつやの肌に素晴らしい笑顔を浮かべているし。

 何これ、新手のいじめだろうか。


「いや、さすがは勇者様ですね。うらやましい限りです」

「殿下、俺はその発言の真意を問いつめたくてたまらなくなりました」


 同席している王太子エンバルの朗らかな顔を思い切り睨みつけた。彼は楽しげな雰囲気を微塵も損なうことなく、大仰に肩をすくめて苦笑する。男の自分でさえどきりとしてしまいそうな甘いマスクが何故か鉄壁の要塞に見えた。


「いえいえ、英雄色を好むといいますし、勇者様のお立場ならそれも当然でしょう」

「当然じゃないですから!」


 幸二は頭を抱えたくなった。どうにも話がずれているというか、根本的な部分でかみ合っていないような気がする。否、実際かみ合っていないのだろう。一般庶民と権力者の溝か、はたまた住まう世界の違いなのか、いずれにせよこういった文化というか慣習を理解するには圧倒的に時間が不足していた。大きく吐息する。


「ははは、男はケダモノだからね。それも致し方なしだよ、君」


 ――いや、異世界云々ではなく、単純に人間性の問題なのかもしれなかった。幸二は自棄になりながらスープをかきこんだ。悔しくなるほど美味しかった。ぐちゃぐちゃにかき乱された精神状況でも、うまいものはうまいと感じるようである。


「…うまいですね」

「ははは、当家自慢の料理人たちです。お気に召していただけたようでなによりですな」


 そういって顔をほころばせたのは、王太子のすぐ隣に座る中年の男性だった。まん丸とした頬に、少しばかりさびしくなってしまった頭頂、ぽこりとでたお腹は福々しくぷるぷると震えていた。


「相変わらず、叔父上は食事に関しては一切手を抜きませんね」

「食事は人生の花形、大切な儀式だよ。これがなければ生活の八割が色あせてしまう。ま、私が食いしん坊なのは否定しないがね」


 大公という身分でありながらあまりにも穏やかな彼の言に幸二は小さく苦笑した。その台詞に似た言葉を、少年は自分の最も近しい人間から口酸っぱく聞かされていたのである。もし兄がここにいれば、このまん丸なルブルン公と固い握手を交わしていたかもしれない。


「しかし、いかな美味な料理の数々があろうとも、食事の楽しみはそれだけではありませんぞ。重要なのは誰と、どのような会話を楽しみながら味わうかです。その点からいえば、今日の朝食は素晴らしいことこの上ない。何せ麗しき勇者殿方、美しき隣国の姫君とご同席を賜れたのですからな」

「一応、私もいるのですがね」

「どれほどこだわり抜かれた食事も、毎日続くと飽きるのだよ」


 エンバル王太子の言に、大公はかかと笑った。幸二はあっけにとられてその様子をまじまじと眺める。何だか、自分の中のセレブ、王族像とえらくかけ離れた光景だった。こういった上流階級の日常といえば、日々の仕事ですれ違ったり食事時でも一言も漏らさず黙々と行われたりするものだとばかり思っていた。ちらりと同じく庶民である柚木を横目で見ると、彼女は普段通り泰然自若として内心を見せようとはしていない。こちらの視線に気づいたのか、一瞬だけ苦笑を閃かせた。


「兄上も、さぞやご無念でしょうな。このような機会、文字通り百年に一度あるかないかだ。惜しいことだよ」

「あの、伯父上――陛下のご容体はその後いかがなものでしょう。我が父母も、たいへん気にしておりました」


 モニカが頬に垂らされた葡萄酒をかき消し、沈痛な面持ちで膝元を強く握りしめた。大公は今までの笑顔を少しだけ陰らしグラスに注がれた冷水で唇を湿らせる。


「…ご心配、痛み入ります。陛下に置かれましては、長らくのご病床にいたくお気を弱められております。ゼルドバール国王陛下、ならびに王妃殿下のご配慮に、きっとお心を安んじられることでしょう」

「…そうですか。差し出がましいことを申しましたこと、深くお詫び申し上げます」

「いえいえ、ご高配、ありがたく存じます」


 …案外、イメージ通りだったかもしれない。幸二は若干舌を巻く思いで姫と大公の会話を聞いていた。なんとなれば、今のやり取り、どちらも核心の部分を一言たりとも洩らさず、相手を煙に巻く意図を見え隠れさせている。

 モニカがいうには、エスパニア国王が長らく病の縁にあることは国際社会で半場周知の事実であるそうだ。先王が早くに亡くなりわずか二十代で玉座につき、その後数々の善政を行った賢王オバル二世。国家として中堅規模でしかないエスパニアをさまざまな政策で守ってきた手腕は、中原の国々では割と知られていることらしい。

 その王が危篤である。それだけでも中世レベルの国家ではわりと一大事であるのに――知識源のとある血を分けた人物いわく、「中世の国家にとって王と国は一心同体。王が国で国が王で。俺がいなけりゃ国なんてないんだぜヒャッハー状態なのだよトーマス」だそうだ。トーマスって誰だ――王位継承者にも不安を駆り立てる要素満載なのであった。


 王太子エンバルは立太子後社交界で華々しく活躍し、経験豊かな王侯貴族らに対し一歩も引くことなく建策した識見の高さは有名である。対する王弟ルブルンは臣籍に下って入るもののその領地は広大で宮中になお高い影響力を誇っている。性格もひどく穏やかで他者の意見を尊重し、しかし決して流されないという国家指導者にとって重要な才覚を有していた。

 つまりどちらも国王としてやっていけるだけの資質を持ち、なおかつ重臣たちも王太子派と大公派に分かれて権力争いの真っただ中なのである。一応ルブルン大公は継承順位を尊重するという声明を発してはいるが、王が身罷った後もそれを守り続けるか甚だ疑問ということらしい。これほどまでにのんびりとした人物と見受けられるのに、だ。


 モニカが探りを入れたのは、これらの背景あってのことである。列強ひしめく中原にありながら国力としてはさほどでもないゼルドバールにとって、同盟国の政情不安はまさに死活問題であるといえた。彼女は国王の容体を心配するとともに、現在のエスパニア情勢を祖国がひどく憂慮していることをルブルン大公に知らしめた。オバル二世の病状が思わしくなく、冗談抜きで明日をも知れぬことを我々は掴んでいるぞ、ということも言外ににじませて。

 それに対し、大公は王がどのように意見を述べているかを告げる事で、未だ彼の崩御は先のことであり、エスパニアに対する過度の干渉は無用であることを告げた。なおかつ、己の身の振り方には一切言及しない。エンバル王太子が口を挟まなかったのも、これが短いながらも政治的な暗闘であることを理解していたからだ。モニカとルブルン大公との折衝を見て、交渉の一助としようとしているのだろう。


 考えるだけでも胃が痛くなった。同時に自分には絶対に無理だと確信する。生まれたのが中流の家庭でよかった。もし名家に落ちようものなら、あの兄とこのような政治劇を繰り広げなければならないところだ。寒気がするほど嫌な想像を振り払い、思わず両肩を抱いた。


「いやはや、会話は食事のスパイスとはよくいったものだね?」


 そして、どうしてこの幼馴染は胃の痛むような空気をいとも簡単に爆砕できるのだろうか。しかもこれが天然ではなく、計算されつくしたものであるのだからなお恐ろしい。


「――ははは、そうですね。確かに、ユズキ様のおっしゃる通りです」


 くすくすと笑いながらエンバル王太子が『お開き』を宣言すると、モニカがぎこちなく微笑を浮かべた。その表情を眺めて、幸二は紡いだ言葉を飴のように舌先だけで転がす。


「無理してばっかりだな」

「こー君」

「…何だよ」

「このオムレツっぽいもの、美味しいよ」


 全身の力が抜けそうになった。思わず額を抱え、マナー違反と分かりつつもテーブルの上で肘をつく。黒髪の娘が顔をほころばせて卵のような何かを口に運んでいた。


「あのな、柚木姉…んぐ」

「立場というものは、そう簡単に推し量れるようなものでもないさ。私たちのような一般庶民ならば特にね。だから、もう少しまったりといった方がいい」


 無理やりフォークを口に突っ込まれて、幸二は目を白黒させた。やわらかな半熟具合がちょうどいいオムレツっぽいものの味が広がり、反射的に咀嚼を開始する。


「時間は毒ときどき特効薬。ま、私は医者じゃないから処方ミスもあるかもしれないけどね」


 それだけで、幸二は何もいえなくなった。もごもごと顎を動かし、今度は自分のフォークでオムレツっぽいものを突き刺す。ついでにサラダ――これはぽいものをつけなくても大丈夫だろう――も手近な場所へ皿を寄せた。

 ぶっちゃけ、顔が赤くなっていることにひどい羞恥を覚えていた。あれである。今のは間違いなくあーんである。兄がいたら怒り狂いそうなシチュエーション。しかも相手が柚木、これで照れない方がどうかしている。気分を変えるべく、冷たい水を思い切りあおった。

 それ以降の朝食は、始終和やかな空気をまとい続けた。ルブルン大公が領地でとれる名産品の数々を語り、エンバル王太子が柚木の剣技を褒め称え、柚木が今朝のことでモニカをからかう。いつしか幸二も落ち込んでいたことなど忘れ、怒ったり突っ込んだり慌てたりするようになった。あれ、正の反応がなくないか? と真剣に悩んだのは秘密である。

 ――絹を裂くような悲鳴が響き渡ったのは、幸二が悩み始めてわずか二分後のことだった。




 ★★★




 女のものと思しき絶叫が響き渡った瞬間、今まで澄ました顔で脇に控えていた侍従たちうががらりと雰囲気を変えた。幸二とよろしくやっていた三人娘はそれぞれエンバル王太子、ルブルン大公をかばう位置に身を移し、侍従頭の老執事は全身に鬼気を漲らせながら食堂外に控えている護衛騎士に何事かを確認している。

 とりあえず、柚木は残っていたかりかりベーコンを二切れほど口に放り込んだ。庶民とは違い、塩ではなく魔術での保存を可能としているためあまり辛くなかった。うまーである。

 ふと、頬を突き刺すような視線を感じた。幸二だ。一瞥し、小首をかしげる。

「何だい?」


「よくこんな状況で食えるよな」

「こんなときだから食べるんだよ。腹が減っては戦はできぬ、さ」


 まあ、食べ過ぎで動けなくなるということもあるかもしれないが。そういうと少年は何故か端正な顔をしかめ、頭痛をこらえるかのようにこめかみを押さえた。


「あのな、柚木姉」

「――申し上げます!」


 上ずった悲鳴が、今にも抗議を上げようとしていた少年の出鼻をくじく。がちゃりと金音がなるとともに、息も絶え絶えな若い騎士が室内に飛び込んできた。


「何事か」


 穏やかだった空気とは打って変って、厳格さをにじませたエンバル王太子が鋭い視線を騎士に向ける。鼻にそばかすが残っている青年は、目に見える程身体を震わせ臣下の礼を取った。


「こ、国王陛下のご寝所に、賊が侵入致しました!」

「何だと!?」


 椅子を蹴倒してルブルン大公が立ち上がった。驚愕が顎の肉を震わせ、思い切り両の掌をテーブルにたたきつける。おやま、と内心だけで呟いてスクランブルエッグを口に運んだ。


「馬鹿な、警備は一体何を――いや、そんなことはどうでもいい! 兄上は、兄上はどうなされた!?」

「陛下は、賊の刃を受け――お、おそらく…!」

「――っ。行きます」


 はじかれたようにエンバル王太子が思い切り絨毯を踏みしめた。目を見張る速度で駆け出した彼は、虚を突かれ反応の遅れた自分たちの脇をすり抜けて廊下へと出てしまう。にわかに外で控えていた護衛騎士たちが騒がしくなる。

「殿下!?」「いかん、お止しろ!」ざわめきと同道するように、武具のかき鳴らす重奏が少しずつ遠ざかり始める。柚木はフォークを置き、ナプキンで口をぬぐった。


「さて、モニカ。どうするね?」

「あ、ええと」


 国王のことで自失していたらしい少女を声で揺り動かし、柚木はゆっくりと立ち上がった。

「どうやらかなり不味い展開のようだが、私たちはどうするべきだろう?」

「柚木姉、殿下を追わなくてもいいのかよ?」


 わずかに焦燥をにじませた幸二が出入り口と柚木を交互に見つめた。小さく苦笑する。彼は熱血であるが馬鹿ではないのだ。勢いのまま飛び出したところでろくなことにはならないと理解している。


「一応、私たちはゼルドバール王国の代表という形で此処に逗留しているからね。モニカの指示なしにうかつなまねをするわけにはいかないさ」


 はっと、モニカが息を呑んだのがわかった。一瞬だけ、彼女の瞳に痛みの色が現れる。それに気づかぬふりをして、柚木は姫君に指針を求めた。

 あまり認めたくないが、今の柚木たちはその一挙一動が何らかの政治的な意味をはらんでいる。ほんの少しの動作がたやすく外交的力関係を揺り動かす現状に置いて、何も考えずに王太子を追いかけるなんてまねをすれば、たちまちお家騒動で勇者、ゼルドバールは王太子派なんて認識がなされるだろう。そうなればこの国の約半分があっという間に敵様、下手すればゼルドバールを巻き込んだ内乱である。

 だからこそ、モニカの判断が重要視されるのだ。王家の姫であり、ゼルドバール国の方針の体現ともいうべき彼女の考えが。


「そう、ですね。友好国として何らかの協力ができればいいとは思います。ですが、私たちがそうでも、エスパニア側から何がしかの意思表示がないと――」

「ならば、私が要請しましょう」


 ルブルン大公が幾分か顔を青くしながらも、しっかりとした口調でいった。緊張のためか、頬がつっぱって痙攣している。


「正直、何が起こっているのか皆目見当もつきませんが、これが近年まれにみる国難であることは明らか。どうぞ勇者様方。我が国のために、そのお力をお貸しいただけないでしょうか?」

「モニカ」


 これで大義名分は立った。姫君が黙したまま首を縦に振ると、柚木と幸二はすぐさま部屋を飛び出した。侍女三人娘から武装一式を借り受け、途中、いずれも顔をこわばらせて武装する騎士たちを追い抜き、あるいは王太子の失踪先を訪ねながら、長い長い廊下を裕一ならば十秒でへたり込む速さで駆け抜ける。


「あそこか?」


 隣の少年が発した呟きを受け取り、柚木は目を細めて前を見た。城の上階層に位置する大きなテラスに二十人近い鎧姿が集っている。男たちは薄暗いながらも太陽の光で煌めく鋭い槍を掲げ、何かと相対するかのように弧を描いた。その人壁にかくまわれるように、ひときわ目立つ青年と、侍女らしき妙齢の女性が一人。柚木は全力で床を蹴って彼のそばへと近づいた。


「ユズキ様? コウジ様も」

「やあ鉄砲王子様。こんなところで日光浴かい? でも、それならもう少し天気のいい日を選んだほうがいいと思うけどね」

「お怪我はありませんか、殿下?」


 エンバル王太子はわずかに目を丸くした後、苦笑して頷いた。勢いのまま飛び出したことに対して、我が身を恥じているように見受けられる。


「さて」


 柚木は小さく吐息し、騎士たちの壁に割り込むように体を差し込んだ。お下がりください、という彼らの言を目で抑え、弧の中心を視界に入れるべく数歩前に出る。


「おやおや、今度はめんこい娘御のお出ましだの。だが、余興はもう腹いっぱいでな。そろそろ帰らせてくれるとありがたいのだが」


 そうやってくすりと妖艶に微笑んだのは、曇天を背にテラスの縁に立つ女性だった。クリーム色の髪、褐色の肌、メリハリの利いた身体。輝かんばかりの美貌の持ち主である。柚木は彼女――主に豊満な肉まん二つ――を睨みつけると、唇の端を釣り上げた。


「その胸にくっついた脂肪、重くないかね?」

「第一声でそれなのか!?」


 後ろで何か聞こえた気がするが無視する。大平原同盟に明確な害意を持つ女性は、何故か目をまん丸にしながら小首を傾げた。


「正直、肩が凝って困るの。人間の生殖に必要であると分かっていても、やはりなれんものだよ」

「はは、ざまあみろ」

「だから何の話してるんだよ!? あんたもいちいち答えなくてもいいから!」


 幸二が頬をひきつらせて自分と女性の間に割り込んだ。剣を構えながら突っ込むという器用なまねをするものだと思わず感心する。目元を険しくする少年に冗談だよ、と告げて柚木は改めて褐色の美女に微笑みかけた。


「さて、我が幼馴染の忍耐力が限界のようだから、単刀直入に聞かせてもらおう。城内の侵入者というのは、君か?」

「侵入者、といわれれば否定できんの」女性は苦笑を色濃く映しながらもしっかりと頷いた。周りの騎士たちが数歩、彼女に向ってにじり寄る。


「それでは、オバル二世王を襲ったというのも、君かな?」

「ま、間違いありません!」


 女性が口を開く前に、怯えに引きつった声がテラス中に響き渡った。柚木が振り向くと、エンバル王太子に支えられながら侍女が一人、顔を蒼白にして震えていた。見たところ二十歳前後、亜麻色の髪に整った容姿を持った娘である。


「その、その人が陛下を、陛下を襲ったんです! 私、見ました。見たんです!」

「落ち着け、リリア―ノ!」


 目に涙をためて取り乱す娘を一喝し、王太子は憎悪を込めて褐色の美女を睨んだ。


「と、彼女はこういっているが、実際のところどうだね?」

「ユズキ様!」

「片方の意見だけでは見方が偏る。先入観の排除と客観的な視点は推理小説のいろはだよ、君」


 心外だと叫ぶ王太子に、しかし柚木は肩をすくめるに留める。美女は意外そうに眼を瞬かせ、やがてにこりと顔をほころばせた。ようやく話の通じそうな奴が出てきたと肩をすくめる。


「無論、妾は何もしておらぬよ。不法侵入以外はな」


 またリリア―ノと呼ばれた侍女が抗議の叫びをあげるが無視する。柚木の意を察したのか、幸二が亜麻色の侍女を下がらせるようエンバルに合図を送った。


「よければ詳しい話を聞かせてもらっていいかな? といっても、私自身事態を完全に把握しているというわけでもないのだけど」

「ふむ、それは主らに同道せよ、ということかの?」

「そうとってもらって構わない」

「なら、お断りさせてもらう」


 にわかに周囲が殺気立つ。騒ぎを聞きつけて続々と参入する騎士たちを前に、しかし美女は余裕を崩すことなく微笑み続けていた。

「いいのかね?」柚木は尋ねる。ここで同行を拒否するということは、自分の犯行を認めると同義であることは、いわれずとも承知のことであろう。女性は苦笑しながらも確かに頷いた。


「ならば、少々手荒な事をせねばならないね」


 一斉に槍が突き付けられ、柚木と幸二も獲物を抜いて重心を低くする。どうするつもりなのだろうか。柚木は圧倒的多勢であるにもかかわらず、何故か背筋に冷たいものが走った。ただでさえテラスを囲むように配置された騎士たちを突破するのは至難の業なのに、彼女は全くの丸腰。仮にこの女性が魔術師であったとしても、呪文詠唱が終わる前に取り押さえられる距離であった。

 なのに、この余裕は一体何なのか。


「残念ながら、それは無用の心配というものよ」


 ではの、と女性は片目を瞑り、まるで散歩にでも行くような軽い調子で、一歩後ろへ跳躍した。


「な――」


 飛び降りる気か! 唐突に行われた愚行に思わず唖然となった。だが、その思いは彼女の身が虚空に躍り出た途端に生じた一対の翼によって粉微塵に砕かれることになる。黄金の輝きを持つ爬虫類じみた飛行機関を、柚木はあっけにとられて凝視した。

 美女はひらひらと手を振ると、空色の海へと飛び込んだ。待て、と反射的に呪文詠唱を開始。闇の魔力を槍状に形成し、彼女の進路上に投擲しようと――


「柚木姉!」


 幸二に肩を掴まれ、そのまま引き倒された。何を、と喉元まで出かかった詰問の言葉は、刹那の間を置いて頭上を通過したにび色の閃光によって呑みこむ羽目になった。


「いやはや、なんとも」


 全身をばねのように使い、即座に体勢を立て直す。一瞥によって幸二に礼を述べ、柚木は自分の命を刈り取ろうとした鎌を厳しい顔立ちで睨みつけた。

そして、思わず全身の力が抜けかかる。

 それは幼児ほどの大きさの、茶色い塊だった。ふよふよと虚空に浮かぶ顔は丸く、頭頂には三角の耳が二つ、黒々とした瞳は円らな黒曜石のごとく、首の真下には下弦の月を思わせる白い文様が浮かび上がっている。殆ど円柱としか思えない手には、ちびっこい体躯からは想像もできないごつい長剣が握られていた。おそらく、あれが先のにび色の正体だろう。

 隣の幸二が、あっけにとられたかのように口をあんぐりと開けた。


「なあ、柚木姉。俺、疲れてんのかな」

「安心したまえ。多分君が見ているものは、私の認識しているそれとほぼ同じはずだ」

「――何でテディベアなんだ!?」


 悲鳴じみた少年の叫びに、しかし目前の下手人は答えようとしなかった。否、そもそも答えを発すべき口がない。もこもこ具合が大変プリティなそれは、外見など笑止といわんばかりに大剣を信じられない高速で振りかざした。

 今度は剣筋を認識していたため、両者とも油断なく危険範囲から離脱する。柚木はテディベアの腕が完全に伸びきったタイミングを見計らうと、一気にその間合いを詰めるべく懐に飛び込んだ。しかし、


「む、これはまずいかな」


 技後硬直のそぶりなどかけらも見せず、瞬く間に剣が切り返された。勢いがついてしまっているため後方への跳躍は不可能。ならばと軌道を若干修正して、クマからそれる形で斜め前へと回避する。即座に追撃の姿勢を見せたテディベアだが、それを実行に移す前に耳の近くを光の矢が駆け抜けた。光の魔術を放った幸二は何度か剣を打ち合わせると、クマの剣戟を利用する形で大きく後ろに退く。


「なんつう馬鹿力だ」


 腕がしびれたのか、若干顔をしかめて呟いた。人間――どころか生物でない以上、肉体的な制限を受けないとかそんなおちか? 思わずまわれ右して食事を再開したくなった。テディベアは自分たちや騎士連中の間に飛び込んでまで暴れようという気はないのか、絶妙な間合いを保ったままふよふよ浮いている。ふと、柚木は彼のクマの手足にかすかな違和感を覚えた。じっと目を凝らし、筒のような腕を凝視する。


「あれは…糸か?」


 かすかな光の照り返しで、かろうじてその存在を認識できた。細く透明な糸は、まるで天上の神々が弄んでいるかのように、ピンと張りつめられたまま空高くまで伸びているようだ。ではあれは、正真正銘の人形なのか。まあ、明らかに生き物ではない。

 糸に引っ張られるような形で腕が横に振られた。柚木は自らの動体視力を総動員してテディベアをつぶさに観察する。あまりに素早く滑らかな動きであるが、どことなくかくかくと軋んだ所作も併せ持っているようだ。やはり見かけどおり人形、しかも糸繰り人形だ。おそらく、これも魔術の一種か何かなのだろう。であるならば、どこかに術者たる操り主がいるはずだった。脳裏に妖艶な笑みがまざまざとよみがえる。あの翼をもった女性か? いや、即決は禁物だ。幼馴染いわく、「単細胞は消毒だー!」である。


「こー君、あれに絡まっている糸が見えるか?」

「糸? そんなのどこに………あ、何か見えた!」

「ふむ、やはり見間違えではないか。…狙うかい?」

「これが罠って可能性もあるが、それ以外に打つ手はないしなぁ」

「ではそれで行ってみよう。すまないが、援護を頼めるかね?」

『は、お任せを!』


 両名の動きにわずかばかり翻弄されていた騎士隊が、はっとしたようにクマを取り囲み始めた。即座にテディベアからの攻撃を受けるが、多勢に無勢であること利用し巧みな牽制で相手に主導権を渡そうとはしない。見たところ一人ひとりの技量はさほど高くはないが、その分個々の連携が素晴らしい出来栄えであった。騎士の面目躍如といったところだろうか。

 彼らのリズムを崩さぬよう気をつけながら、合間を縫うようにクマへ剣を突き付ける。一号、二合とかわされ、あるいは逸らされたが、幸二から放たれた斬撃がテディベアの腕をかすめた。はらりと、細いものが風に身を増させたかのように横へ流れる。


「む、やったか」


 とたんにクマの右手がだらりと垂れ下がった。それに勇気づけられたのか、さらに騎士たちが槍を突き合わせクマの行動を奪おうとする。しばしもう片方の手でそれをしのいでいたテディベアだったが、やがて支えきれないと判断したのだろう。すっとなめらかな動きでテラスから身を宙へと投げ出した。一瞬追撃用の呪文を詠唱しようかと考えたが、すぐにかぶりを振る。撃ったところでおそらく当たるまい。ならば、無駄玉を使う必要もないだろう。

 あの美女と同じ方向へ消えていく茶色いもこもこを見送り、柚木は大きなため息を吐いた。何だか面倒なことになりそうだな、と嫌な予感を覚えて首をすくめて苦笑する。

 そしてそれは嫌味なほど直球ど真ん中で現実となる。



もはや遅れすぎて何も申し上げられませぬ。ていうかリアルでかゆ……うま……。

感想等の返信は、また後日にさせていただきまふ。

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