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三十二話 勇者様、とても頑張る

注意。できる限りぼかして書きましたが、微グロに当たるかもしれないです。


 ぱたぱたと数多の雫が窓をたたいている。


 エスパニア王国国王オバル二世は、比較的自己主張の激しい雨水たちのノックを受けて、その硬い瞼を緩やかに開け放った。水底に沈んだかのようにぼやける視界は橙色一色に染まっている。夕焼けの中を歩いているような気分を味わい、オバル二世は小さく苦笑した。若かりし頃、自分の隣を歩いていた気丈な女性が好んだ、鮮やかな色合いだ。

 ぼやけた眼がだんだんと己の職分を取り戻していった。橙色の魔力光に照らし出された調度品が、その闇色の分け身を白い天井へ気ままに映し出しているのが見えた。後頭部にはやわらかな感触、身は肌触りのよい布地に包まれ、身じろぎするたびにその純白の肌にしわを作っている。

 ああ、そうだ。私は寝ているんだった。体中に重しをつけられたような倦怠感とともに、オバル二世は夢から現実への帰参を果たす。起き上がろうとぐっと腹に力を込めるが、身体は反体制主義者に乗っ取られたかのように王の意思を固く突っぱねた。また苦笑が浮かんだ。

 オバル二世は今年で四十一の齢を数える。本来なら為政者として脂ののった時期であるはずだった。しかし数年前から我が身を襲った重い病のせいで意識は混濁し歩くことすらままならず、今では政務のほとんどを弟のルブルン大公と、息子のエンバル王太子に任せきりのありさまだ。国内どころか大陸中の魔術医たちも匙を投げ、今では亡き妻との再会を待つだけの状況である。

 そんなオバル二世も、ふっと思い出したかのようにかつての鋭い思考を取り戻す時がある。今などまさしくそうだ。鬱陶しいくらいまとわりついていた霞がきれいさっぱり消え失せている。せいぜい持って鐘一つ分の間程度ではあるが、それでも自分にとっては数限られた自由の時間であった。


 視線を脇に向けた。それと同時に、すぐ脇に控えていた二十歳ほどの女性がスカートをつまんで一礼する。日ごろから世話を焼いてくれている若い侍女と目を合わせると、彼女は心得たように水差しを口元に運んでくれた。冷たく清浄な恵みが乾ききった唇に潤いをもたらす。透明な魔道具から身を離すと、片付けを始める娘にかすれた言葉を紡ぎだした。二、三語言葉を交わすと、侍女は心得たと頷きを返す。再び天井と顔を合わせると、ぱたんと扉が口を開け閉めした音が耳を打った。

 しばらくすると、ノックと共に先の侍女が待ち人の来訪を王に告げる。扉が開き、閉ざされる。動く影が一つ、天井のキャンパスに躍り出た。

 侍女の退出を確認すると、オバル二世は震える指先で手元の魔道具を操作した。瞬間、あれほどきゃあきゃあ騒いでいた雨たちの靴音がぴたりと止まる。


「すまぬな、無理に起こしてしまって」


 正直時間の感覚など失って久しいが、侍女から人を呼び出すような時間ではないことうぃ聞いていたオバル二世は、素直に謝罪した。彼がそんなことを気にするような男ではないと分かっていたが、親しき仲にも礼儀は必要だ。


「いえ、お気になさらず。それよりも、今日はご気分がよろしいようで、安心いたしました」


 小さく笑みの乗った声に、いつもの凪だと自嘲する。常にこの状態であれば、そちに苦労をかけずにすむものを。


「陛下に比べれば、私の苦労など如何ほどでもありますまい。私ごときにお心を割かれるくらいならば、その分民の悲哀をご理解くださいませ。臣民は皆一心に、陛下のご回復を祈願しておりますれば…」

「よい。どうせ余はもう長くないのだ」


 一拍の沈黙が二人の間に座り込んだ。硬くなる相手の気配に、オバル二世は諦観の吐息を数度繰り返す。


「心配せずとも、この部屋は防音の結界が張り巡らされておる。一度扉を閉めれば、余がこれを解かぬ限り内外の音は一切伝わることはない。ゆえに、そちも忌憚なく本音を伝えてほしいのだ」

「陛下」


 少し呼吸が苦しくなった。たったこれだけの会話すら満足に行えない自分に、苛立ちと切なさがこみ上げてくる。


「そちに、頼みがある」

「陛下のご下命であれば、従わぬ道理はありませぬ」

「…本来ならば、余自らが行わねばならぬこと。これをそちに頼むは我が生涯最大の汚点であり、大いなる

苦痛である。露見すれば、そちだけでなく我が王国の民草全てが、汚泥と糞尿にまみれることとなろう。呪わば呪え、そちにはその権利がある」


「恐れながら申し上げます。もとより政に影はつきもの。我ら王族はすでに幾万の血と怨嗟に浸かり、命を吸い上げて成り立っているのです。今更染みの一つや二つ、ついたところで、いかほどのものでありましょうや? 陛下に置かれましては、どうぞお心安らかに願います」


 オバル二世はしばし言葉に詰まった。彼の忠節に震わされたということもあるが、これから告げる事が、どう考えても染み程度で済むはずがなかったからである。しかしいわねばならない。やらなければ、やって失敗する以上にろくでもないことになってしまう。

 瞼を閉じた。眠りの前に相まみえた者たちの姿が映り、心が千路に乱れ始める。ぎこちなさを残しながらも、片膝をつき首を垂れる麗しい少年。光を放ち、夜闇など寄せ付けぬほどの力強さを感じさせた。彼とは反対に、いっそ見事なほどに堂々と――あるいはふてぶてしく――礼をとる黒髪の少女。小さくか細い体つきでありながら、まるで巨木を見上げているかのような威圧感を放っていた。

 そして、かつて自分の膝を濡らしたことさえある、いつの間にか女を感じさせるまでに成長していた姪子。血がつながっているためか、亡き妻の面影さえ感じさせる娘の憂いを含んだ瞳が鮮やかな光を放っている。

 まるで一枚の絵画のような光景を瞼に映し、オバル二世は苦痛の呻きを洩らした。彼ら若人たちの煌めきが全身を焼いているかのようだ。否、いっそ灰になれたらどれほど楽か。

 オバル二世は一言、たった一言だけを彼にぶつけた。



「勇者を、殺せ」



 音がその命を刈り取られた。衣擦れどころか、呼気すら感じさせぬ静寂が気だるげにその身を横たえている。先ほどとは比べ物にならぬほどの倦怠感を覚え、強張った全身から急速に力が抜けて行った。


「陛下」

「よい。いわずともわかっておる。正気の沙汰ではない、であろう?」


 笑いというには苦みが強すぎた。口元がひきつってうまくしゃべれない。そう、正気ではない。仮にオバル二世が別の、例えば天へ旅立った父に同じことを命じられれば、乱心を疑ったことだろう。それほどまでにこの内容は不穏当であり、ろくでもないものなのだ。

 この世界にとって、勇者という存在は神々に匹敵する存在である。魔王を倒し、人々を魔物の暴虐から解放する救世主であり、絶対的な力をふるう正義の使者だ。

 少なくとも、そういうことになっている。

 歴代勇者たちの偉大なる功績と治世は、乳飲み子ですら知るとまでいわれ、その影響力も計り知れない。豊かな大陸中央に位置しているとはいえ、本来ならば中小国家でしかないゼルドバールをして、世界の盟主たらしめているのはひとえに勇者召喚の御技を有しているからであり、その意味では同盟国たるエスパニアも勇者に守られているという点で同じである。

 そんな勇者を殺すなど、少しでも想像力なる代物を持っている人間なら誰でもわかることだった。希望を断たれた民は怒り狂い、全世界の怨嗟はエスパニアに向けられることとなるだろう。いや、エスパニアですら暴虐の徒と化すはずだ。

 あり得ぬこと。だが、そのあり得ぬはずのことを行えと命じている。


「…だがな、これは絶対に成し遂げねばならぬことだ。余は、この城の地下でそれを知った」


 地下という言葉に反応したのか、男が肩を震わせた、衣擦れがひどく耳に残る。


「あの遺跡で、余は知ったのだ。この世界の、真実の姿を」


 若かりし頃、そう、かつて国一番の魔術師とうたわれていたあの頃、オバル二世は祖父の御代に発見されながら、誰も近づかなかった遺跡で信じられないものを発見した。あの閉ざされた少女、その御座からさらに深く潜った一室で。古の魔装具に記された驚くべき、そして何よりも忌むべきからくりを。


「それは、口の端に乗せるのもはばかられる記憶。この世界全ての冒涜ともいうべきことだ。それを見たとき、余は震えたよ。よく胃の中身をぶちまけなかったと、自画自賛したくなるほどにな」


 だからこそ、オバル二世は命じなければならなかった。このエスパニアの、否、世界に生きる全ての生命のために。


「頼む、これを託せるのは、そちしかおらぬ。どうか、我が意を聞き入れ、勇者を――」

「承服致しかねます」


 心のどこかで覚悟していたその台詞を吐いたのは、しかしそばに控える男ではなかった。


「…なっ」

「申し訳ありませんが、国王陛下。その要請は、当方の計画に重要な齟齬をきたしますので、御取り下げいただきたく存じます」


 涼やかな声音、それは紛れもなく女のものだった。オバル二世は全身全霊をもって首を動かし、その主を視界に収めんとする。流れるような亜麻色の髪、人形じみた美貌が恐ろしいほど無感動にこちらを見下ろしていた。オバル二世には全く見覚えのない女だ。


「貴様は…。一体………どういうことなのだ!?」


 後半は見ず知らずの娘がここにいることを、さも当然のごとく扱っている男に向けられたものであった。怒りと驚愕に彩られた自分の眼差しに、しかし男は不思議そうに小首をかしげる。


「はて、どういうこととおっしゃいますと?」

「その娘は何者だ! 何故ここにいる!?」

「何故とは、これはまた異なことを。その理由は、陛下が一番・・ご承知なされているのでは?」


 オバル二世の喉が干上がった。舌がひきつったかのように動きを止め、ひび割れた唇に小さな痛みが走る。


「まさか…………、そんな、馬鹿な! 貴様は、貴様は一体何を考えて!」

「少なくとも、貴方とは違うものを」

「貴様は王族であろう!? わかっておるのか? そちのしていることは、民草に想像を絶する災厄を振り撒くことになるのだぞ」

「それがどうしたのです?」


 今度こそ、オバル二世は発すべき言葉を完全に喪失した。必死に首を動かし、男を――血を分けた唯一の希望をその瞳にとらえる。心の底から恐怖した。彼の瞳は、その大罪を自覚していないかのように透き通っていたからである。目は如実に語っていたのだ。不思議そうに、また当然だというように。

 王族の責務、民草の未来。そんなもの、心の底からどうでもいい、と。オバル二世は純粋な恐怖に包まれた。幼いころから玉座の主たるべく、特化した教育を受けてきた彼にとって、男の思考論理はその切れ端すら理解できないものであった。知らないもの、わからないものほど怖いものはない。


「残念です、陛下。貴方が善政を施こうが暴君になろうが、私にとってはどうでもよかった。だが、貴方はよりにもよってその考えを思いつき、実行しようとしてしまった。そうでなければ、その短き余生を平穏に閉じられたでしょうに」


 稲妻のごとき衝撃が、オバル二世の身体を駆け巡った。両の目を見開き、わなわなとふるえる腕を力一杯に握りしめる。


「もしや、この病は、病すらも――!?」

「人形繰り」


 男が聞きなれぬ名を転がした。しかし、その名称が誰を指すかなど子供でもわかるもんどうである。


「陛下はお休みになるそうだ。きちんとお世話して差し上げろ」

「承りました」


 緩やかに一礼する女を、オバル二世は憎悪をこめて睨みつけた。視線で人を殺せる力がほしい。藁にも縋る思いで天上に座す神々に願いを奏上するが、彼らは一顧だにすることなく生涯で最大の――そして最後の祈りを黙殺した。


「それでは陛下、良い夢が見られますよう」


 意識が永遠の闇に包まれるその時まで、オバル二世は彼らの姿を脳裏に焼き付けていた。




 ★★★




「さて、どうする?」

「どうもしません。全ては当初の予定通りに行うのみです」


 物言わぬ躯と化したこの国の元主を一瞥し、男は人形繰りに向き直った。彼女はいつもの通り、無表情を貫きその場にたたずんでいる。その様子は、今しがた行ったしい逆など気を割く必要もないといわんばかりのものであった。否、そもそも気を割くという情動そのものが彼女にはないのだろう。この娘は、脚本家であると同時に主人に忠実なマリオネットでしかないのだから。


「しかし、陛下にご退場いただくのはもう少し先ではなかったのか? そのために、わざわざ呪術の調整も行ってきたのだろうに」

「今までは、国王陛下がどこまで事態を把握なさっていたのかが不明瞭でしたから。ですが、先ほどの会話からかんがみまして、すでに核心をご自分なりの結論で導き出していたご様子。予定の繰り上げもやむなしと判断いたしました」

「ふん、核心か。まあ、私にはどうでもいい話だ」

「はい、どうでもいいお話です」


 オバル二世が何を知っていたのか、何を恐れていたのかなど、男にとっては瑣末ごとであった。それを知ることによって、人形繰りとその背後のものと事を構えることになるくらいなら、初めから何も見なかったことにするのが一番いいに決まっていた。第一、興味がない。


「まあいい。では、とうとう始めるのだな」

「はい」


 人形繰りは、オバル二世の胸に突き刺さった刃をそっと撫でた。無骨で何ら特徴のない剣が、淡い輝きを宿し始める。


「いよいよ始まります。十三度目の、そしておそらく最後の人形活劇が。空を越え、壁を越えた無数の輝きを、この手につかむために」


 まるで台本を読むかのように、娘は淡々とつぶやいた。いや、まさしく台本通りなのだろう。なぜなら、今自分がここにこうしていることも、彼女たちの思惑どおりなのだから。



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