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二十八話 水に溶かすと岩塩の効能ってなくなるっぽい


 一月という期間は意外と短いものであったらしい。目の前にそそり立つ大きな建築物を前に、裕一は怒涛のごとき水流を持つ時間の川に思いをはせた。空は残念ながら鬱々とした雲にとらわれているものの、真新しい木の香りを漂わせた建物は主たちの来訪を今か今かと心待ちにしているかのようであった。石造りの壁面と、内部構造に木材を多用する建築方式は、現在帝国でも流行最先端なものであるらしい。ここをまかせた大工の棟梁が初日に自慢げに話してくれたことだった。そんな彼らは、裕一の直ぐ足元で屍のごとくその巨体を横たえていた。時折苦しげに響き渡るうめき声の中心に立つと、まるで大量虐殺現場の当事者な気分になる。


 やはり一ヶ月不眠不休での突貫工事には無理があったか。裕一は苦笑し、塩床がある丘のふもとに作られた巨大工場を一心不乱に建造した彼ら職人たちの勇姿を脳裏に描いた。

 最初の一週間、疲労で目の下がどす黒くなっているものの、まだ職人たちは瞳に燃える炎を瞬かせておのが得物を振るっていた。「ま、まだまだいけるっつうの! 職人舐めんな!」

 二週間目、瞳から生気が薄れ始め、頬の陥没が顕著になり始めたものの、笑止とばかりに勇者たちは資材を運ぶ。「へ。このくれぇ、なんでもねえぇ……ぐほっ!」

 三週間目、頭と胴体の著しい不一致が目立ち始めたこのごろ、それでも休むことなく現場の合唱は鳴り続けた。「へへ……なんだよばあちゃん、もう晩飯か?」「親方っ、親方のばあさんはもう死んでます!」

 四週間目、もはや幽鬼というかゾンビである。それでもなお、彼らは健気にも槌を振り続けていた。まこともって、職人根性とは侮れないものである。「あー………あー………」「あー………あー………」


 それにしても、人形繰りの術式というのもなかなか使い勝手のいいものであった。一度糸を結んだ対象は死ぬまで、というか死んでもなお身体が土に還るまで働き続けるのだ。裕一に死霊術師のように死体をはべらせて悦に入るという趣味は微塵もなかったが、こういう献身的労働を捧げてくれるというのは素晴らしいものであろう。おかげで工期も大幅に短縮できた。資本主義的に考えて、お給料はサービスせねばなるまい。


「ご苦労様ー」


 けたけたと虚ろな目で笑声だけ上げる集団に一礼し、裕一は一人工場内への扉をくぐった。ヒューレリクトとお犬様は帝都で人材の確保を行っているためここにはいない。古い知人や旧フロバリー商会の繋がりを存分に利用しているらしく、その活動は順調に進んでいるようだ。裕一が現地にかかりきりになっているためここ最近会っていないが、報告書の行間から立ち上る感情は良好であった。


 玄関ホールと受付を抜け、作業場へと足を踏み入れる。工場の中核とも呼べるその場所は、高校の体育館が四つは入りそうな地縦長の空間の両脇に、四角い鉄製の箱物が段々畑のように並んでいた。その箱に挟まれるように、空間のど真ん中には幅の広い通路が設けられ、天井付近の壁面には魔導式換気扇が等間隔で備え付けられている。階段状に並ぶ鉄の箱は、平釜であった。


 平釜式製法とは、古くからある伝統的な製塩方法である。鉄の釜で煮込むことで不純物を取り除き、かん水――高濃度の塩水――を再結晶化させるのだ。裕一は真新しい箱型の鉄鍋をなぞり、苦笑した。これも各工房に不眠不休で作らせた自信作であるが、今ひとつ効率という点から見れば首を傾げざるを得ないものであった。というのも、当初裕一が思い描いていた製塩法は、立釜式だったのである。

 立釜式製法は、密閉された鍋同士を繋ぎ、減圧、熱することで発生する蒸気を各鍋に送り込むことでより大量かつ比較的短時間で製塩することができた。だが、これもろもろの事情で計画段階のうちに放棄せざるを得なくなった。はっきりいって、それを行うには技術基盤が圧倒的に貧弱だったのである。帝国の鋳造技術では完全密閉する釜なんぞ作成不可能だし、減圧に耐えられる強度もない。ここらへんは残念ながら発展待ちであろう。


 裕一はしゃがみこみ、それぞれの鍋がはめ込まれている台座を覗き込んだ。大気中の魔素を取り込むことで超高熱を生み出す加熱式魔導具で――ちなみに魔導具とは『征服式』の分類で、正確には第一級魔導具という。帝国風にいえば魔装具だったか――これによって再結晶化行程を半分ほどに短縮できる目算だった。換気扇を駆動させているのも同様だ。


 一番上段にある鍋の近くには、太いパイプラインと蛇口が備え付けられていた。ここから塩床から精製されるかん水を供給する。今回、岩塩採掘は溶解式採掘法で行うことになっていた。溶解式採掘法は、三つのパイプを地下深くに突き刺し、そこから水と空気を流し込んで塩床を溶かすことで、かん水を三本目のパイプで吸い上げるという方式である。吸い上げたパイプはそのままラインを通ってここにたどり着く。乾式採掘法――つるはし持ってえんやこら――よりも経済的なのだが、塩地層を溶かすことで中が空洞化し、ときどき地盤沈下を起こすのが玉に瑕であった。

 そこで裕一は、事前に作成した地質硬化の魔導具を作成し、周囲の表層を固定化することでその危機を回避することにした。水のほうも採掘パイプに水を発生させる魔導具を組み込むことで対応。今あの丘を見に行くと、ハリネズミのように何本ものパイプが突き刺さっているのがわかるだろう。いい仕事したぜ。


 もっとも、悶着がなかったわけではなかった。あれらの魔導具を作って配備していると、どこから聞きつけたのか宮廷魔術師の皆々様が大挙して押しかけてくれやがったのである。聞くところによると、水や熱、地盤硬化などを使用者の魔力なしで行うことができる魔装具など聞いたことがなく、しかも完全オリジナルで製作するなど信じられない! ということだそうだ。ぜひとも技術開示をお願いしたい、と詰め寄ってきたときは正直ドン引きした。いや、知への探究心は大変結構なことであるし、よく自分もしていることなのでとやかくいうことはできないが、大の男が鼻息荒く血走った目を押し付けてくるのはなかなかにホラーである。思わずとっさに姫皇の許可がないと無理、と口走って逃げを打つほどであった。


 一応裕一が近衛魔術師の立場にあったことが幸いし、何とかその日は撃退することができた。ちなみに、やれやれと息をついた翌日「陛下の許可は頂いた!」とぼろぼろになった魔術師様方がいらっしゃったのは愛嬌である。夕食の席で姫皇にしこたま文句をいわれたことも良い思い出といえた。ファッキュン。


 まあ、もともと開示する気でいた技術だからさほど問題はなかった。使用した技術は全て帝国でも普及しているレベル、それを寄せ集めてちょっと応用を利かせただけのものだからだ。最初はもう少し高水準だったのだが、途中からいかにレベルを落とした技術で作れるか、というドツボにはまってしまい、とことんまでその道を追求してしまったのは秘密である。そのため設計にゆとりがなくなってしまったが、そこまで裕一が気にする必要はなかった。おそらく、解析がすめば現行技術でも量産は可能だろう。


 一通りの施設点検を終えた裕一は思い切り伸びをした。玄関ホールから外に出て、入り口正面に立った。虚数空間から一つの板を取り出し、それを扉横に突き刺す。劣化防止のため固定術式を打ち込んだ裕一は、眩しいものを見るように目を細めてそれを眺めやった。

 板には帝国の公用語でこう書かれていた。総合商会ロイヤル・プリンセスと。




 ☆☆☆




 作業場で出迎えてくれたのは、肌にまとわりつくかのような水分の皆様だった。

 むわっとした熱気と水蒸気が目前を覆い、ヒューレリクトはじっとりと水分を吸い始めた黒ローブの重さに引きずられそうになった。額ににじみ始めた汗と蒸気の露を手ぬぐいでふき取ると、平釜で忙しく動き回る従業員たちの邪魔にならぬよう、作業場の隅で楽しそうに周りを眺めている裕一の傍まで移動する。換気扇なる回転する羽の真下だからか、そこは比較的涼しく水気も少ないように感じた。自分を認めた近衛魔術師は、やっほーとやる気のない挨拶とともに片手を上げる。


「やー、大賑わいだね。さすがはヒュー君、見事なお手並みだわ」

「くくく……僕だけの力じゃないけどね」


 ぐつぐつと煮え滾る平釜から灰汁がすくい出された。棒のような灰汁取りでそれらを念入りに取り除くと、従業員は平釜をかき混ぜる作業を再開する。岩塩はその多くが鉱物などの不純物を含んでいて、煮詰めだすと灰汁として表面化するそうだ。これを取り除くことで、食用として製塩することができる。


「…君の魔装具と、ベルガンさんのおかげだよ」


 岩塩の採掘法はともかく、平釜での製塩法自体は帝国でもそれなりに行われてきていた。多くの塩田は天日干しを主な方法として採用しているが、天候の問題などで室内精製を行わざるを得ないところもそれなりに多いのだ。ヒューレリクトは昔の伝手でそれらの生産者に接触し、職員による技術指導を願い出た。いくら人材を集めようと、全てが素人の集団では話にならないからだ。そのため発足当初の商会は、新人教育のために経験豊富な職人を指導者として迎え入れることに躍起になる。

 だが、その交渉は難航した。塩の需要が右肩上がりな状況で、生産量に関わる職人を遊ばせる余裕は彼らにはなかったからである。それを予想していたヒューレリクトは、彼らに見返りを差し出した。それが、裕一謹製の過熱式魔装具の供給である。平釜式製塩法において、火力は効率に関わってくる重要な要素であった。火力が高ければそれだけ再結晶化の時間を短縮することができる。そして、この過熱式魔装具は、それまで使っていた薪よりもはるかに高い火力を誇っていた。


「高火力だからいいってわけでもないんだけどね。薪の遠赤外線効果って結構いいもんだし」


 それを聞いた裕一がよくわからないことをいって苦い笑みを浮かべることになったが、それでも生産者たちは諸手を上げて歓喜した。手のひらを返したように、腕利きの職人たちが指導員として派遣され、今もそこかしこで新人を叱咤激励している。きちんとかき回さなきゃ、塩がこげちまうぞ! 威勢のいい声が響き渡った。

 そして、肝心の従業員募集に最も尽力してくれたのが、ベルガンである。彼はココラ老から自分のやろうとしていることを聞き、その全力で持ってサポートしてくれたのである。彼はどうやって募集をかけようか悩んでいたヒューレリクトの前に現れて、いずれも高等教育を施された従業員をわずか数日でそろえたのだ。さすがに恐縮したヒューレリクトに対し、彼は楽しげというにはいささか獰猛な笑みを浮かべてこういった。


「バウルなら、これくらいはしただろうな」


 言葉数こそ少ないものの、多大な友愛を感じたヒューレリクトは素直に男の好意に甘えることにした。これによって、帝都の小売店舗の管理と生産部門への振り分けは予定よりはるかに早く終了することができたのだ。今頃は、新装開店の準備にてんてこ舞いに成っていることだろう。


「うんうん、順風満帆。ここから塩の乾燥を待って袋詰めすることになるから、輸送も含めて開店は一週間後くらいかな」

「くくく……もう一月くらいはかかると思っていたんだけど。それにしても、よかったのかい? 貴重な魔装具をあんなに軽く譲ったりして」

「うん? ああ、交換条件のあれ? いいのいいの、元手かかってないし、ちょっと熱入っちゃってるけどものとしては大したことないから」


 あっけらかんと裕一は笑った。半ば予想していた返答を聞き、ヒューレリクトは改めてこの少年の異質さを思い知る。帝国皇帝直属の魔術師、というだけでもぶっ飛んでいるというのに、彼の見せた数々の能力がさらにそれを際立たせている気がするのだ。


 間違いなくこの神崎裕一という名の魔術師は、異常だ。


 莫大な知識量と、作成不可能といわれていた魔装具をいとも簡単に生み出す手腕、平民である自分でさえ、彼が他の魔術師と一線を画していると認識できる。ヒューレリクトは、以前彼を訪ねてきた魔術師たちの瞳に宿った感情を鮮明に記憶していた。それは自分にとっても、ひどくなじみ深いものだったからである。

 即ち、得体の知れないものへの畏怖。

 そんな視線を受けても、彼は平然と笑っていつものように振舞い続けた。まるでそんな反応はもう飽きた、といわんばかりに。自分とさほど年も違わない彼のしなやかさに、ヒューレリクトはわずかな憧憬を覚えていた。こんな風に在れたらいい。そんな思いが心を占める。


「ま、ここは職人の皆様方に任せて。僕らは輸送の馬車やら護衛やらをかき集めにいこうか」


 ぽんと肩を叩かれて、ヒューレリクトは思考の海から上がった。曖昧な笑みを浮かべ、彼の言葉に頷く。何だかひどく癪に障るので、面と向かっていう気だけは怒りそうもなかった。

 頭を切り替え、これからのことに思考をはせる。帝都に戻ったら、至急馬車の手配とギルドへの仕事依頼、店内の内装チェックと目が回るような仕事のお山が待ち受けているのだ。くく、と喉が鳴った。どんな仕事も、ルーチンワーク化しない間は楽しく思えるものだ。その新鮮さが消えないうちに、厄介ごとはできるだけ終わらせてしまおう。ヒューレリクトは作業場から出る魔術師の背を追いながら、小さく唇を笑みの形へと変化させた。


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