表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/39

二十四話 拉致は犯罪です。絶対に止めましょう


 突き抜けるような青空がひどく映えて見えたのは、木の葉の天井が存在しないからだろうか。広々とした大地の岩肌に腰掛けて、裕一は大きく背伸びをした。足で小さな石を転がすと、なだらかな傾斜に背を押されて下界目掛けて突っ走り始めてしまった。どこかでより大きな石に止められるまで彼は止まることがないだろう。あるいは本当にふもとまでいってしまうのかもしれない。いるかどうかわからないけど旅人よ、当たったら御免。

 ごつごつとした岩の感触が、尻を痛めつけ始めた。立ち上がり、両腕を広げてくるくると回る。直ぐに我にかえった。おいおい、いったいどこのお姫様なのだ。ついかっとなってやった。少し後悔している。天使様以外に見られていないことを確認し、裕一はあらためて探査術式を起動した。半径五十キロ圏内を精査し、情報を網膜に投影する。目的のものを発見すると、一足飛びの要領で勢いよく跳躍した。実際は飛行魔術であるが、気分の問題である。


「ふふん、みーっけ」


 少し窪みになっている場所に、それはあった。触れて、品質に問題がないことを確認すると、裕一は満面の笑みでそれを撫で回した。硬い、しかしどこか柔らかくも感じる。


「さて、見つけたはいいけど、本番はここからか」


 窪みの真ん中で空を見上げた。泳ぐには丁度よさそうな快晴である。蜘蛛に突っ込むというのもそれはそれで楽しいものがあるのだが、やはり大地を見ながら飛ぶのが一番気持ちいい。裕一は差し込む日差しを手で遮り、しばし黙考した。

 不意に、真っ黒なローブと目深に被られたフードが脳裏を横切った。笑みが深くなり、堪えきれないほどの愉悦が全身を満たす。


「いいこと、思いついた」


 堪えきれずに吹き出した。うん、そうだ。それがいい。一人納得し、裕一は踵を返して空に舞い上がる。念のためにこの場所一体に人払いの結界を張り、速度を一気に引き上げた。何だか、面白くなりそうだ。天使様が煩わしげに手を振った気がした。




 ☆☆☆




 さすがにこれは予想外だった。

 転がっていた平べったい小石を手で弄りながら、ヒューレリクトはくくっと喉を鳴らした。石造り特有の冷たい感触が尻に伝わり、思わず足をぶらぶらさせて身をずらす。隣に置いたぱんぱんの荷物袋が転げ落ちそうになったので、慌てて押さえ込んだ。衣類から何まで全て水浸し、という喜劇じみた悲劇は口惜しそうに去っていった。ほっと息をつく。

 帝都郊外、『皇帝の慈愛』に突き出した桟橋は、以外にもすっきりした風を送り出してくれるようだった。最先端部に腰掛けたヒューレリクトは、足元の澄み切った水に映る自分とにらめっこする。右手をさっと動かすと、小気味酔い風切音とともに、小石が湖の上をすべるように飛んでいった。一回目で水底と消える。少しショックだった。


「くくく…僕は何をしているんだろうね、ハヤガミ?」


 ヒューレリクトは後に控えている同行者を見やった。話を振られた彼は、いつもと同じように静かな目で自分を見つめ、軽い吐息をついた。ぱさりと、尻尾が地を掃く。通った鼻筋に精悍な面立ち、毛並みは艶やかな灰色でどことなく威厳のようなものも感じられる。ハヤガミという名を持つ彼は、ヒューレリクトの傍まで歩みを進めると、前足でもって肩をぽんと叩いた。


「ばう」


 発された声には、心なしか慈しみが込められているようだった。ヒューレリクトはくすりと笑い、彼の手をとって礼を述べる。ハヤガミは優れた犬格を持っていると、ご近所様でも評判のお犬様だった。彼がいたからこそ、コミュニケーション能力皆無の自分が排斥されることなく比較的平穏に生活できているのだ。以前、ヒューレリクトをよろしく見てやってくれと眼差しだけでお隣さんに訴えていた光景を思い出し、感謝のあまり平伏してしまった。ばう、という声とともに、ハヤガミの尻尾が顔を上げさせるように閃いた。目が合う。頭など下げるな、と目が主張していた。


「くくく…ありがとう。でも、本当にどうすればいいんだろうね。…まさか、無職になるとは思っていなかった」


 右ポケットから伝わる重みには、すずめの涙という名の退職金がさめざめと泣いているかのような雰囲気が混じっていた。取り出すことなく貨幣のつめられた皮袋をなぞり、ヒューレリクトはまた笑った。

 解雇が告げられたのは、あの客人が帰って直ぐのことだった。理由は、越権行為と職務怠慢。本来接客部のものであるはずの仕事を勝手に行い、それによって通常業務をないがしろにした、とのことである。はっきりいってこじ付け以外の何物でもなかった。そのあまりの内容に、何人かが抗議しようと立ち上がってくれたのだが、他ならぬヒューレリックがそれを拒んだ。不用といわれたら自分は職を辞すつもりだったので、貴方たちまでそれに付き合う必要はないと。後は持ち込んだ私物をまとめ、放り投げられた退職金と共に家路に着いた。未練がなかったといえば嘘になるが、それほど後ろ髪を引かれる思いもなかったのが少し意外である。

 急にやることがなくなったヒューレリクトは、それ以来ここでぼーっとしていることが多くなった。さすがにしばらくは就職する気にもなれず、かといってこれといった趣味もない自分には、こういった何も考えない時間が性にあっているのかもしれない。考え込んでしまうのが玉に瑕ではあるのだが。


「こんな所にいたのか」


 低く重みのある、しかしどこか引き込まれそうな声音が耳を打ったのは、そんなときである。ハヤガミが一度だけばう、と鳴いた。警戒ではない。歓迎だった。ヒューレリクトは聞き覚えのある声に釣られるように立ち上がり、一礼する。


「くくく…これはこれは。お久しぶりです、ベルガンさん」


 見上げるような巨躯の男が、重厚な笑みを湛えて立っていた。今年で四十九になるとは思えないほどの体つきと、高のように鋭い目、昔は名の知れた武術家であったそうだが、なるほどと頷いてしまう覇気が全身に満ち溢れていた。しかし、ヒューレリクトは見かけによらず、彼が穏やかな気性であることを知っている。

 ベルガンは、先代と懇意の間柄に合った男である。よく酒を飲み交わし、文のやり取りも活発だったと聞いていた。面倒見がいいのか、ヒューレリクトもよく遊んでもらったのを覚えておる。そのためか、彼は時折こうして自分を気にかけてくれるのだ。


「商会を辞めさせられたと聞いたが、本当か?」

「くくく…相変わらず耳がお早い」


 厳しい顔が歪められた。ベルガンはどこか忌々しげに口を動かし、大きな溜息を吐いた。


「ふん、バウルの小倅め。ただ変えればよくなると、本気で考えているのではあるまいな。経験者を軒並み切るなど愚劣の極みではないか」


 それに関して、ヒューレリクトは口にできる言葉を持っていなかった。かつての友人の最も大切な場所を心から案じている彼に、何をいえばいいというのか。単語の端々から溢れる憂慮と苛立ちが、ヒューレリクトを居た堪れなくしてしまっていた。先代の遺志を護れなかった自分も同罪だという思いが、心のどこかにあったせいかもしれない。くくく、と笑った。


「ああ、すまん。お前のことをいったつもりはなかったのだが。…それで、ヒューレリクト。お前はこれからどうするつもりだ?」

「…そうですね。とりあえず、しばらくはこのままゆっくり過ごそうと思っています。新しい仕事も探さねばなりませんが、今はゆっくりと考えたい」

「ふむ。そうか。もしお前がいいのなら、私のところで働いてもらいたいとも思っていたのだがな。経営に関するお前の能力はバウルのお墨付きだ」

「…ご冗談を。貴族様のお抱えなど、僕には分不相応ですよ」


 彼自身が貴族であることを明言したわけではないが、ヒューレリクトはこのベルガンが貴族階級に属する人間だということをほぼ確信していた。服装は見かけこそそこいらの平服だが、その実丈夫で希少性の高い生地がふんだんに使われているし、物腰や口調もどことなく気品が感じられる。なおかつ、この男は貴族であるということに肯定しないが否定もしない。今も自分の台詞に対して、意味深な微笑みを浮かべるのみであった。


「ふ、職に困るようなら、いつでも文で知らせろ。喜んで迎えさせてもらうからな」

「くくく…ありがとうございます」


 踵を返した大男にヒューレリクトは一礼した。ばう、とハヤガミが別れの挨拶を送る。彼が何の仕事をしているのかは知らないが、少なくとも真っ昼間から暇なわけがあるまい。おそらく、自分のために貴重な時間を割いてくれたのだろう。思わず、偽りなき笑顔が浮かんだ。

 再び湖を見やり、そのささやかな煌きに目を細める。水音が耳に心地よかった。ヒューレリクトは先ほどよりも心が軽くなっていることを自覚する。もう少しだけここにいて、その後のことはまたゆっくり考えよう。ばう、と見透かしたような肯定の声に頬が緩んだ。


「人材、ゲットDA☆ZE!」


 全てをぶち壊すかのようなろくでもない声とともに、両肩に手のような感触を覚えたのはそんなときだった。




 ☆☆☆




 それは岩山というよりも、禿げきって地肌を見せた丘というべきものだった。なだらかな傾斜は波のように延々と続き、大小さまざまな岩塊が無秩序に集落を営んでいる。帝都から少しばかり離れているこの荒涼の地を、裕一は風情を川に流す勢いで踏み荒らしていた。


「いやあ、これぞ荒野って感じだね。ここで銃の撃ち合いしたらまるっきり西部劇だよ。興味ないから見たことないけど」


 けらけらと笑い、どこか虚ろな笑みを浮かべながらへたり込んでいる黒ローブの少年に向き直った。お犬様が心配そうに前足で彼を小突き回している。励まそうとしているのだろうが、今の場合は余計なお世話だった。彼の前足が翻るたびに、黒ローブはだるまのごとき揺り返し運動を強いられて笑みを深くしていた。弱った三半規管に、あの動作は毒医以外の何物にも見えない。

 やりすぎたかな。少しばかり調子に乗っていた部分を自覚している裕一は、「やっちまったぜ!」と親指を突きたてた。ここまで移動する際に使用した飛行魔術であるが、ヒューレリクト=バナウと名乗った少年の反応が楽しすぎて、ついついアクロバティックな振る舞いを施してしまったのである。含み笑いが大笑いへ変化した時点で止めておけばよかったかもしれない。さすがに急降下ターンは後にとっておくべきだった気もした。


「えーと、大丈夫?」

「くく、くくく…これが、大丈夫、に、見えるかい?」

「空中大回転? は、そんなもので僕が満足するとでも? って胸張ってるようには見える」

「き、君は、一度医者、に、いくべきだと、おもうな、くく」


 こんなときにも含み笑いを忘れないとは、素晴らしい根性である。ヒューレリクトの呼吸が段々落ち着いてきたのを見計らって、手をさし伸ばす。少年は礼をいって立ち上がった。


「くく…まさか空を飛ぶなんて御伽噺を経験できるとはね。僕は詳しくないんだけど、魔術師というのはそんなこともできるのかい?」

「そんなわけネエだよ。今のはちょっとした魔装具の力だっぺ」

「…そう」


 あれ、何の反応も返ってこない。似非いなかっぺ大将は少し悲しくなった。ここから壮大な嘘設定へと発展させていくつもりだったのに。非常に残念である。

 裕一は嘘だと見抜きつつ流したのか、はたまた本気で信じているのか、少し判断に困った。いかな塩商人であり、お偉いさんと交友がありそうだといっても、秘密主義を地で行く魔術には詳しくないと踏んでのことだったのだが。しばし悩み、裕一は話を進めることにした。そもそも、ばれたところで誰の腹も痛まないのだ。いちいち気にするのも馬鹿らしい気がした。


「それで。僕を拉致して、何が目的だい? いっておくけど、お金はないよ。くくく」

「まあひどい。それじゃ僕が人攫いみたいじゃないか」

「…有無をいわさず小脇に抱えて連れて行くというのは、人攫いとはいわないの?」

「ちゃんとついてきてー、ていったらいいよっていってくれたじゃないか。念話で」

「くく。人はそれを妄想という」

 

 ひどい言い草である。きちんとウンジャマ神からのお告げが合ったというのに。


「と、まあ。冗談はこのくらいにして。無理やりつれてきたのは悪かったと思ってるけど、ちょっとばかし君に用事があったんでね。無理やりつれてきたのは、まあノリで」

「ノリって…まあ、いいや。それにしても用事? …くく、こんなところで?」


 ヒューレリクトはくるりと周囲を見回し、小首を傾げた。こんな荒野で何を話すというのか。薄い唇の上弦が紡ぐことなく言葉を発している。


「そう、こんなところで。君に見てもらいたいものがここにあるからね。ついといで、話は道すがらするから」


 くくく、と似たような笑みを浮かべて裕一は踵を返した。一人と一匹の足音が耳を打つ。かつりとつま先に小石が当たり、荒れた大地を疾駆した。


「ねえヒューレリクト――長いからヒュー君でいい?」

「くく、どうぞ」

「ありがとう。ではヒュー君。僕が君を連れてきたのはね。君にやってもらいたいことがあるからなんだ」


 首だけ振り向くと、黒い少年は不思議そうにこちらを見つめていた。どういうこと、と尋ねる彼に、裕一は唇の端を吊り上げる。ふと、お犬様が切り裂くように睨んでいることに気がついた。一瞬だけ視線が交差する。裕一が面白がっていることに気づいたのか、わんわんは忌々しげに目をそらした。


「そ。、平たくいうと、ヘッドハンティング――引き抜きって奴だよ。君をこれから作る新しい商会の総責任者として迎えたいと思ってるの。我が、願いしょくよくのために」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ