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二十二話 料理のさしすせそを構築した奴は神


 これはあれか。喧嘩を売られているのだろうか。

 裕一は震える腕を全霊でもって押さえつけた。白いテーブルクロスに押し付けられた両手が小刻みに震え、食後の紅茶をわずかに波立たせる。右手のナイフが、左手のフォークが、裕一にとって愛すべき食器の全てが自分を嘲笑しているようだった。肩が落ち、顔を伏せる。前髪がゆらりと垂れ下がり、食卓中央の花瓶を隠してしまう。

 ブラナ・ティアス城最上層部にある皇族専用フロアは、極度の緊迫に満ちていた。それぞれ選別され、徹底的な高度教育が施されたはずの侍従たちが冷や汗を拭う事もせずに壁際に立ち尽くしている。誰かが喉を鳴らした。歯の根が合わないのか、かちかちと不規則な音が耳に届く。


「のう、爺」

「何でしょう、姫様」

「余の気のせいか? 先ほどからそこな近衛魔術師が歯を食いしばって呻いておるように見えるのじゃが」

「奇遇ですな。わたくしも、わが誇るべき同志様が世界の全てを恨むかのように全身を総毛立たせているように思えますぞ」


 朝食を共にした姫皇とオルガの会話がかろうじて脳議会まで到達した。鼻腔にはなんとかの果実で匂い付けされたフレーバーティ、ここで甘いデザートでも食べながら嗜むと、生きていることを実感して余りある感慨を得られることだろう。もっとも、それは決して味わうことなどできないだろうが。


「…や」


 地の底から這い出るような声が喉から漏れた。裕一は自問する。未だかつて自分がここまで追い詰められたことがあっただろうか? 返答は直ぐにあった。否。魔法使いとしての修行も、幼少期に鉄拳という名の育児をくれてくださりやがった桜婆――柚木の祖母だ――でさえ、ここまでではなかった。いっそ大笑いしたくなる。初めてだった。弟以上に裕一の憤怒を掻き立てるような真似をしたお馬鹿さんは。噴火口を求めてマグマが荒れ狂った。


「やってられるかあああああああああああああああああ!!」


 椅子が跳ね上がって壁に激突した。陽気な朝のさえずりがぴたりと止まり、軽い羽音が遠ざかる。びくりと背後に控えていた給仕たちが身を振るわせた。感情に任せて裕一が放射した魔力が、無秩序な物理現象を伴って顕現する。雷光が瞬き、風が吹きすさび、まるで絵の具が溶け出したかのように周囲の景色が崩れだした。ひい、と何人かの給仕が悲鳴を上げて逃げ惑う。腰を抜かしたものもいた。かろうじて残った理性を総動員して、この現象を裕一の体表約十センチ以内に限定できたのは僥倖であろう。下手をすれば帝都どころか 大陸そのものが吹っ飛んでいたかもしれない。

 核爆発数百億分のエネルギーを内包し、裕一は荒い息を吐いた。両の手にある銀製食器が瞬時に蒸発する。わなわなと身体が震えた。


「な、何事じゃ?」


 ティーカップを落としそうになりながら、食卓の姫皇が恐る恐るといった体で尋ねた。そこに怯えよりも呆れが多分に含まれていたことは、さすがとしかいいようがあるまい。


「何事じゃ? じゃない! こここここおおおれはいったいどういうこったあああああ!」


 獣の咆哮といっても差し支えない。視界は既に真っ赤っ赤であった。きっと鏡を覗けば血走った眼を拝見できるだろう。熱が顔全体を覆っているのが感じ取れた。


「いや、どういうことかといわれてものう。余にはお主が怒れる理由がさっぱりわからんのじゃが」


 本気で困惑する姫皇の姿を見て、熱暴走を起こしていた核動力炉に冷却液が注入された。何もないよりはマシ、という程度に温度が下がった意識は、搾り出すように声帯を震わせる。


「……が…ずい」

「よく聞こえん。何じゃと?」



「ご飯が、不味い!」



 魂の叫びだった。荒れ狂う魔力がのった言霊は境界を震わせ、大規模時空震を巻き起こす。繋いだ感覚の向こうで、世界全体に広がった力の漣が次元を隔てている封鎖結界に当たって消えたのがわかった。だが、もしもこの世界に感応力が優れた種族、竜種や精霊などがいたとしたら、今の現象に恐慌をきたしているのかもしれない。下位精霊とか、消し飛んでないかな? 荒れ狂う精神議場の片隅で、理性という名の野党議員が小さく手を上げていた。


「………………………………………………………………………は?」

「だから! ご飯が! 不味いの!」


 許されざる出来事だった。激怒する裕一は口をぱかりとあけている姫皇に指を突きつける。思えばあの日、ラヴォワの仮宮での食事が全てを表していたのかもしれない。裕一はうなった。あの時、自分は準備不足のため凄まじい薄味しか用意できないものだとばかり思っていたし、この国の文化それ自体が濃い味付けを好まないものだとばかり考えていた。確かにそれは当たっていたのだ。現に、近衛魔術師に任じられてはや三日、朝昼晩の食事は全て薄味である。

 だが、ものには限度というものがあった。個人の嗜好こそあれど基本的に料理の味に上下はないと考えている裕一でさえ、三日で堪忍袋がぶちきれたのである。いくらなんでも、塩もバターも何もついていないパン一つの朝食、何もかかっていない目玉焼き一枚とインド料理のナンっぽいもの一枚の昼食、湯と同類項のスープと素材を生かしましたといえば聞こえのいいただの丸焼き煮焼きの夕食。おまけにデザートはジャムがつけられたクッキー――全く甘みのない、ただ小麦粉を焼いたようなものをクッキーと呼んでいいのならばそうだ――か果物だけである。美食家な裕一さんにとってまさに拷問だった。

 食べ物に文句を言うんじゃない。世の中には食べたくとも食べられない子が一杯いるんだよ。昔桜婆にそういわれたこともあったが、それはそれ、これはこれであった。発展途上国の子供たちだって、選べるのなら美味しいものを食べたいと思うに決まっているのである。美食を求めるのは、人類の遺伝子に刻まれた根源活動であった。


「不味い不味いと有名なイギリスだって、何で俺たちの祖国はこんなに飯が不味いんだ、って怒り狂ってるんだ! 僕だってぶち切れるわあああああああ!」


 ロケット弾やら爆弾やらが降り注いでも優雅に紅茶をすすっていたジョンブルどもでさえ、食べ物に関しては切れるのだ。基本的に我慢強いとされる日本人が怒るのも無理はないと思う。というか現代日本、食べ物に妥協しない。


「たまにはケーキとかパイとか和三盆とか食わせろー!」


 ぜはー、ぜはー、と肩で息をついた。髪の間で魔素がぶつかりあい、帯電したかのように焦げ臭い香りを発している。姫皇はしばしそんな裕一を眺め、やがて不思議そうに小首を傾げて、いった。



「のう裕一。ケーキとは、何じゃ?」



 風が、雷が、およそありとあらゆる空間を捻じ曲げていた魔力が、消えた。

 怒りの嵐に歪んだ表情が、台風の目に入った。首をかしげ、頬をつねる。痛かった。もう片方の頬をつねっても結果は変わらなかった。頭の中が真っ白になる。白熱した精神議会は衆参両院解散を行い、議事堂には人っ子一人いなくなった。否、一人だけいた。野党理性党の議員である。彼は誰もいない答弁台で、死んだ魚のような目で一言だけ呟いた。


「は?」

「いやじゃから、ケーキとは何じゃと聞いておるのじゃ」

「……えと、本気でいってる?」

「わたくしも聞いた事のない単語ですな。お話から察するに、食べ物の一種でしょうか?」


 きょとんとしている二人からは、嘘をついている様子は全く見受けられなかった。彼女たちの発言をよく吟味し、単語から一文字に至るまで解析する。顎の間接が外れるかと思うほど口が開いた。同時に、とある可能性が脳裏をよぎり、震える声音でどうにか台詞を吐き出す。


「……ねえ、つかぬことを伺うけど、この国って砂糖とか蜂蜜とかある、よね?」

「…さとうにはちみつ? 聞いたことないのう」

「………NOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」


 裕一は絶叫した。嗚呼、嗚呼。しまった、そういうことか。そのことに思い至らなかった自分を呪い殺したくなった。がくりと膝をつき、四つん這いになる。拳を絨毯にたたきつけ、悔恨の涙を流した。

 つまるところ、この国には砂糖がなかったのである。現代日本に慣れきっているため想像が及ばなかったが、よくよく考えてみれば至極当然といえた。元の世界でも、砂糖が普及していたのは主に南太平洋からアジア圏が中心であった。原材料であるサトウキビの発祥地が、南洋の島々であったからである。ヨーロッパに普及するのが十一世紀に行われた十字軍遠征後であるから、スペインやアフリカなど限られた地域を除けば、それまでサトウキビという作物は西洋社会に存在していなかったのだ。

 おそらく、この世界には砂糖の原材料、サトウキビやテンサイなどが発見されていないか、そもそもないということであろう。うかつだった。あまりにもうかつである。ということは、砂糖がそもそもの前提条件となっている菓子類が発展していないのも当然であろう。道理で甘いものといえば果物かジャムしか出てこないわけであった。せめて蜂蜜くらいあってもよさそうなのに。ぐっと唇をかみ締める。

 そして、さらに気がついた。


「……ねえ、姫皇様。ひょっとして、この国では塩とかもかなり高級品だったりする?」

「当たり前であろう? 塩は生命維持に必須な要素じゃが、如何せん取れる量があまりにも少ない。自然と値段も上がるに決まっておるではないか」

「……ちなみに、塩ってどうやって摂ってるの?」

「塩はアストラ湖が主な生産地ですな。リーダ塩田も大規模ですが、あそこは主要街道が山脈で阻まれておりますので、輸送に少々難がございます」

「……やっぱり、湖塩か」


 湖塩。その名が示すとおり、湖から摂れる塩である。もともと内陸に良く見られ、ミネラルなどの塩分が河川から流入するものの、出口がないため水分が蒸発するにしたがって塩分濃度が高くなっていくという現象であった。これを塩湖といい、死海やカスピ海がその代表的な例である。

 海のないこの浮遊大陸では、塩を生産できるのは塩湖だけとなり、自然とその生産量も限られる。いかな巨大な湖とはいえ、このだだっ広い大陸全土をカバーできるほどの塩の生産は荷が重いようだ。だからこの国の食事は全体的に薄味なのであろう。苦々しさと共に、裕一は納得した。身体全体から力が抜けていくような錯覚を覚える。


「まあ、余の食事に塩が多用されないのは、母上のご意向があったからなのじゃがな。民の税に生かされている以上、贅沢な振る舞いは許されん、というのが口癖じゃった」

「正妃様は事のほか皇族の予算について言及なされておいででした。切り詰めるところは切り詰めて、それを財政にまわせと、よく先帝陛下に進言なされていたものです」


 ……だめだこいつら、早く何とかしないと。裕一は心の奥で燃えさかる何かを感じた。そりゃね、醤油とか味噌とか、日本のさしすせそが全部そろっているとは考えていなかったさ。でもさ、基本となる調味料すらそろってないって、どゆことよ。いかん、このままじゃあ、いかん。ゆらりと、裕一は立ち上がった。唇が吊り上り、口に三日月が浮かぶ。堪えようもない笑声が響き渡った。腹が振るえ、肩が上下する。


「くくくくく、くく、くはははははははは! いいだろう、その挑戦、確かに受け入れた! 今は笑っているがいい、愚民ども! 僕が目にもの見せてくれる!」


 いって、裕一は窓を蹴破りバルコニーへ躍り出た。かなり高層にあるためか、突風が髪と作務衣をばたばた揺らした。迷わず縁に足をかけ、大空へ飛び出す。


「せいぜい首を洗って待っているがいいわ、あーっはっはっはっは!」


 まるで悪役ね、片隅で天使様がそんなことを呟いたが、生憎と裕一の意識はそれを記憶することはなかった。帝国の食事情改善のためのぱーぺきプランを構築するために、頭脳の全能力を傾けていたのである。

 全ては、わが食道楽のために。何故か朝日が苦笑した気がした。




 ☆☆☆




「行ってしまわれましたな」

「…まったく。朝っぱらから、騒がしい奴じゃのう」


 奇跡的に一滴もこぼれなかったモーニングティーを傾けながら、姫皇は苦笑した。粉砕された窓から吹きすさぶ突風が、彼女の麗しい銀髪を程よくなびかせる。オルガは茶の芳香以外の香りを吸うため、全神経を嗅覚に集中した。かすかに甘い何かが鼻をくすぐった。


「さて、今度は何をするつもりなのかのう」


 無茶を心配するような台詞だが、その心はひどく穏やかなようだった。オルガは主の顔に浮かんだ笑顔を見て嬉しくなる。こんな風に楽しげな姫皇を見るのは、彼女が即位して以来珍しくなってしまったからだ。

 同志である神崎裕一が来てくれてからというもの、主は心からの感情を表に表すことが多くなった。その殆どは呆れだったり我儘だったりするのだが、こうやって楽しそうに笑うこともしばしばである。

 自覚していないのだろうが、彼女のおしめを替えていたオルガには一目瞭然であった。姫皇は間違いなく、裕一を兄のように慕っている。言葉の端々から、彼に対する信頼と親愛が溢れていた。裕一のほうはもっと露骨である。彼は姫皇への妹扱いを隠しもしない。昨日だって、閣議で疲れきっていた少女の頭をためらいもなく撫で回していた。口では文句をいいつつも、幼い少女の唇が甘えで緩みきっていたことを、オルガは見逃していない。

 まるでやんちゃする兄妹だ。困った兄と、我儘な妹。そして自分は、さしずめ彼らを見守る祖父、とでもいうべきなのだろうか。我知らず、微笑が浮かんだ。これで裕一が十五歳以下ならばいうことなしなのだが、それはさすがに高望みが過ぎるというものだろう。惜しむ心を押さえつけた。


 裕一が来てくれて、心から感謝している。これは偽らざるオルガの本音であった。そしてだからこそ、自分はこの言葉を発さなければならない。


「姫様」

「どうした、爺?」

「…眞比呂様のことなのですが」


 姫皇の動きが刹那の間だけ、止まった。彼女は悲しげに目を伏せ、カップをソーサーに置く。そんな主の様子に一瞬だけ湧き上がった慈しみを殺し、オルガはあえて厳しい声で続きを紡ぐ。


「いつ、裕一様にお話なさるのですか? 出合ってまださほどの時はたっておりませんが、あの方が卓越した技量と絶大な知識を有していることはもはや火を見るより明らか。あのお方ならば、もしかしたら眞比呂様のことも」

「わかっておる!」


 食卓が絶叫した。たたきつけられた姫皇の両手が、小刻みに震えている。銀の髪が彼女の横顔を隠した。


「…わかって、おる」

「姫様」

「じゃが、まだ奴と合わせることはできんのじゃ。余が望んだとて、エザリア妃が許すはずもない」


 エザリア。その名が耳を振るわせたとき、オルガの心内に憎悪の焔がともった。脳裏をよぎった忌々しい年増の顔を振り落とし、幼い娘の愛らしいかんばせで上書きする。あの毒婦は、とことんまで姫皇の望みに待ったをかけるつもりのようだ。ツメが拳に食い込むのを自覚する。いっそこの手で葬ることができれば、どれほど良いだろう。

 憤怒を押し隠し、鬼の面を被る。顎に力を込め、ともすればそらしそうになる目線を死力でもって固定した。


「裕一様なら、面会許可を得られずとも警備をかいくぐることはできましょう。姫様がお頼みすれば、快く引き受けてくださるでしょうに、何を迷われますか」

「…駄目じゃ。今は、できん。今それを行えば、いずれあの子の将来に大きなゆがみを残す。裕一の助力を請うのは、エザリア妃との問題を片付けてからでなければ」

「ですが、未来を考えて現在を蔑ろにするわけにもいきますまい。もう、時間が――」

「怖いのじゃ」


 ぽつりと、言葉が漏れた。姫皇は震える身体を押さえつけるように、両手で自らを抱きしめる。俯けられた顔から、真珠のような雫が落ちた。


「確かに、裕一ならばどうにかすることができるかもしれん。じゃが、もしどうにもならなかったら? あ奴の、この世界よりもはるかに優れた文明でさえ、どうすることもできないものじゃったら? 救われぬと、我らにもはや安息はないと。突きつけられたら? …そう考えるたびに、足が震える。声が出ぬ。怖い、余は、臆病じゃ…」


 オルガは稲妻に打ち付けられたかのように硬直した。涙に濡れて後半は支離滅裂になっていたが、震える少女を見て、とうとう心が折れてしまう。いけないと。ここで主の背を押さねば、取り返しのつかない事態になるかもしれないと、自らを叱咤しても、彼の舌が動くことは決してなかった。

 あまりの不甲斐無さに吐き気がした。自分には、主を勇気付けることも前へ進ませてやることすらできない。情けなさで死にたくなった。このような様で武王などと、穴があったら入りたい気分である。唇をかみ締める。生ぬるい鉄の味が広がった。オルガはあまりにか細い少女から目を離し、朝日を受けて輝くガラス片に目を向ける。空は突き抜けるほどに青かった。

 オルガはここにはいない少年を思った。自分よりもはるかに年下の彼に頼るしかない自分を呪いながら。飛び去った方向を直視できず、うな垂れる。どうか、裕一様。我が主をお救いください。もう、時間がないのです。

 その願いはまだ、届かない。


なんか突飛な印象が拭えない…orz

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