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十二話 空気が重過ぎて入っていけないのはよくあること


 疲れた。

 全身を包み込む倦怠感は、思いのほか強力だった。もはや二人三脚して久しい仲であるが、それでも今日のはまた格別である。少女はがたごとと不規則に揺れる座席に身を預け、大きくと息を吐いた。貴人用の車窓は用心のためか、すりガラスで隠されていて満足に息抜きもできない。せめて外の空気を吸えれば、この真綿でしめられるような感覚を吐き出すことができるのだろうか。


「いや、無駄か…」


 我知らず、少女は苦笑した。がたりと座席が大きく揺れた。振動軽減の魔術が刻まれている高級馬車とはいえ、荒れる道に対して快適な旅路を提供することは不可能だったようである。それでも、周囲を守っているであろう護衛兵よりかははるかにマシなのだろうが。

 ヴェイルヘルム帝国第百三十六代皇帝にして、十三代魔王。それが現在の彼女を縛る肩書きだった。つい半年前に即位したばかりだというのに、魔王などという重荷は正直迷惑である。自国さえ満足に治められないものが、世界全体の盟主など務まるものか。

 ふん、と鼻を鳴らした。姫皇ともてはやされているものの、その実態はただの傀儡なのだ。十四の小娘に政治などできるわけがない。国元の官僚どもの慇懃無礼な態度に、少女――姫皇は怒りを通り越してあきれを覚えていた。同時に、とっとと死者の国へ旅立ちやがった父帝の無能さに頭を抱えたものだ。よくもまあ、あれだけ佞臣を集められたものである。あるいは、父の御世ではれっきとした若き忠臣であったのかもしれない。だが、今の連中は利権とそのおこぼれに預かろうとする三流以下の政治屋であった。

 姫皇は面倒この上ない現実を頭から振り落とした。いっそのこと、制御した魔獣を家臣団にけしかけてやろうか。半ば以上本気の策に、意地の悪い笑みが浮かんだ。


「おお、姫様。そのような素晴らしい笑顔を浮かべられるとは、何か良いことでもおありでしたかな?」


 するとそれを見咎めたのか、向かいに座る唯一の同乗者がにこにこと笑いながら口を開いた。その軽い物言いに、内心だけで苦笑する。


「からかうでない、爺。自分でいうことでもないが、今の余は明らかに悪役の顔をしておったと思うぞ?」

「いえいえ、姫様。姫様のお美しさならば、例えどのような表情でもそれはそれは素晴らしいものになりますぞ」


 均整のとれた体躯を真っ黒な執事服で固め、手は騎士のごとく純白の手袋を纏っている。後に撫で付けられた真っ白な髪は、この初老の男が潜り抜けた数々の修羅場を物語るかのように輝いていた。一見するとただの家令だが、これでも帝国有数の大貴族であった。阿呆な父とは月とすっぽんであった母が残してくれた、唯一の忠臣である。

 発する気配はとても穏やかだが、えもいわれぬ品格が端々から香った。幾たび血みどろの戦場を潜り抜けようとも、彼のこの空気は変わらない。内憂溢れる帝国で、姫皇が最も信頼している男であった。


「嗚呼、間近で感じる姫様の甘い吐息! 瑞々しさ溢れる体躯と全く育つ気配のない御胸など、まさに舞い降りた女神のようではありませんか! この幼さ残る肌の香りだけでわたくし、パン五斤は入りますぞ!」

「近寄るでない変態!」


 ――これさえなければ。姫皇は馬車の端ぎりぎりまで下がり、思わず両腕で身を抱きしめた。

 オルガ=ゼクス=ショタロリア公爵。帝国譜代の名門ショタロリア公爵家の当主であり、十五歳以下の美少女美少年の守護神を任ずる、まごうことなき変態であった。


「何をおっしゃいますやら。姫様、変態というのは、世の宝である美少年、美少女に不埒な真似を行う者たちを差す言葉です。せっかくの美しいつぼみを愛でることなく手折るなど愚の骨頂、我々をそのような愚者と一緒にしてもらっては困りますな」

「今お主がしたことは、不埒な真似とやらの範疇には入らぬのか?」

「入りませぬ! わたくしはただ、姫様のお美しさを身体全体で愛でただけ! そこに情欲を持ち込むなど、紳士にあるまじき行いなのですから!」

「…………そうか」

「ええ、そうですとも!」


 白く手入れの行き届いた口ひげが震えていた。どうやら変態といったことに本気で異議を唱えているらしい。姫皇はそれ以上追求せず、より疲労感を増した溜息を吐いた。それに対してオルガの小鼻が蠢いた気もするが、もはや意識の埒外である。

 黙っていれば精悍なハンサムであるのに。もったいないことだった。


「しかし、残念ですな」

「…何がじゃ?」

「今宵は満月。今外にはさぞや麗しい月が出ているでしょうに、この無粋なすりガラスでそれを楽しむことすらできませぬ」


 いつの間にか、馬車の外は夜の帳で包まれていたようだ。思考の海を泳いでいた姫皇は言われるまで気づきもしなかった。腕を組み、目を伏せた。


「心配せずとも、仮宮につけばゆっくりと見れるじゃろう。ラヴォワの街はもう間もなくなのであろう?」

「ま、そうですな」


 肩をすくめ、オルガはそれっきり沈黙した。しばし車輪と馬の蹄のデュエットに聴き入っていると、観念して姫皇は口火を切ることにした。


「お主の言いたいことはわかっておる。マンシュテンのことであろう?」

「御意」


 短く、しかしはっきりと初老の家令は肯定した。彼女は今度こそ明確な苦笑を表に現す。


「心配せずとも、今の余を狙うのは奴にとって何の得にもならぬ、下の下策じゃ。お忙しい宰相殿に、そんなものにかかずらわっている暇などないわ」

「宰相閣下はそうでしょう。ですが、エザリア妃はどうでありましょうや? かの者であれば、このような護り手が少なく、帝国外におられる状況はまたとない機会。何もせぬとは思えませぬ」

「それこそ、マンシュテンが抑えるじゃろう。わがままな第二妃殿すら抑えられぬようでは、玉座など夢のまた夢ぞ」


 現在のヴェイルヘルム帝国は、たった一人の宰相によって支配されているといっても過言ではない。先代皇帝の御世から徐々に、だが確実に権勢を強めてきた大貴族、宰相マンシュテン=ベルガ=ワイヤルド公爵。自らの妹を先帝の側室としたことで並ぶもののなくなった彼の権勢は、正直言って皇帝である自分などよりも上なのであった。

 強い野心。強い権力。彼の最終目標が至尊の冠であることは、宮廷中の人間が認知するところであった。


「姫様。あの毒婦の執念を侮ってはなりませぬ。あの女は宰相閣下とは違い、己の欲望のみを絶対視しております。兄が止めたからといって、何の手も出してこないなど、今までのことを考えればありえませぬぞ」


 わずかにオルガの口調に激昂の色が混じった。姫皇は顔をしかめ、耳を傾ける。


「口が過ぎるぞ、爺。仮にも第二皇妃殿に、毒婦などという暴言を吐くでない」

「いいえ、姫様。こればかりは譲れませぬ。今まで姫様に行ってきた数々の仕打ち、到底許せることではありません! あの女は悪魔です。年増という悪魔でもありますが、それ以上の外道です。あの女に決まっているのです! あの、あのお優しい正妃様を手にかけたのは、間違いなく――」

「爺!」


 一際大きな声を張り上げた。姫皇は今までの倦怠感全てを振り払い、超新星をその瞳に宿して忠実なる臣を睨みつけた。


「それ以上は、それ以上は言ってはならぬ! いかなお主といえど、それだけはならぬのじゃ。余はまだ、お主を失いたくはない!」

「…申し訳ありません、姫様」


 表情を変えることなく、オルガはただ頭を下げた。それ以上追求することなく、この話は終わりだとばかりに目を閉じる。


「ですが、これだけはお心に留め置かれますよう。エザリア妃に関しては、決して油断めされますな。かの者は、おそらく姫様を憎んですらおりましょうから」

「…わかっておる」


 その一言だけで十分なはずだった。そしてそれ以降、オルガから話題を続けようという気配はなくなった。気まずい静寂が場車内に満ち満ちる。何か言わなければ。そう思い、必死に会話の種を探していると、唐突に忠臣が息を潜めた。


「姫様」


 常の穏やかな空気はたちまち霧散し、代替として品格に溢れた闘志が彼の体躯から立ち上った。


「護衛の兵が、おりません」

「――なんじゃと?」


 オルガは御免、と一言断り、思い切り馬車の扉を蹴破った。かっぽかっぽと、蹄の音が大きくなる。周りは薄暗く、うっそうと生い茂る緑の木々がそこかしこに乱立していた。森である。黒々とした土は新芽をはぐくみ、さぞや立派な大地の恵みを人々に授けるのだろう。だが、そんなことは今の姫皇にとってさほど重要ではなかった。

 誰もいない。馬車を取り囲むように歩いていた銀鎧の集団が、ただの一人も存在していなかった。


「爺。余の記憶が確かなら、帰国ルートに森の通過は含まれておらんはずじゃ」

「でしょうな。わたくしも存じ上げませんでした」


 オルガは馬車のふちに足をかけ、御者席へとそっと身を乗り出そうとした。この状況から考えて、御者は間違いなく敵側である。できれば無傷で確保し、背後関係を問いただしたかった。

 ――無事に帰ることができれば、の話だが。


「っ! 姫様!」


 切迫した声が姫皇の鼓膜をしたたかに打った。刹那、周辺が紅の輝きで昼間を取り戻す。姫皇は睨みつけるように顔を上げた。



 一メートルはあろうかという紅蓮の火球が、自分を目指して一直線を駆けていた。



 間に合わない。姫皇の脳が冷静な判断を下した。馬車から飛び降りても、火球が着弾するほうが速い。オルガが必死の形相で飛び掛ろうとしているが、彼が盾になったところで、おそらく生き延びることはできまい。姫皇は火に包まれた死神の鎌をじっと見つめた。どうせ死ぬなら、焼死ではなく風の刃による斬死がよかった。そちらの方が、痛みを感じなさそうであるからだ。

 動きが緩慢だ。これが死の直前に見るという不可思議な現象なのだろうか。火球が馬車を焼かんと、今まさにあぎとを開き――

 あっという間に、霧散した。


「…………………………は?」

「姫様!」


 衝撃が身体を走り巡った。人の温かさが全身を包み込む。オルガが姫皇を抱いて、馬車から飛びのいたのである。


「嗚呼、姫様の香り、この未成熟な感触! わたくし、感動のきわみ!」

「助けてくれたことには感謝するが、何をぬかしておるかこのたわけ!」


 オルガは地に脚を付けると、わき目も振らずに駆け出した。姫皇は慌てて、たった今意味不明な出来事が起こった馬車を凝視する。

 先ほどの火球は、間違いなく魔術によるものだ。それも、火属性魔術の中で、かなり高位に位置するであろうものである。自らも魔術を操るからこそ、姫皇には簡単に理解できた。発された魔力は、爆炎の力をはらみ、姫皇ごと馬車そのものを粉砕するほどの破壊力を秘めている、はずだった。

 なのに、それが一瞬でかき消された。

 オルガではない。オルガに魔術を操る能力はないからだ。それにそもそも、姫皇は発動した高位魔術を一瞬で消し去るなどという現象に心当たりはなかった。防御結界などでは、せいぜい下位の弱小魔術を防ぐのに手一杯。とてもではないが、あれほどの威力を持った術に対抗するなどできるわけがない。

 できるとするならば――姫皇は、頭を振った。絵空事、ここにきわまれりであった。

 ふと、強烈な違和感が姫皇の視神経を焼いた。眉をしかめて、馬車の屋根上を睨みつける。何もない。何もないはずだ。しかし、その光景は凄まじい速度で走るオルガによって木々の向こうへ葬られてしまった。姫皇は諦めの吐息を吐いた。


 ――できるとするならば、それこそ神と呼ばれる存在以外にないではないか。




 ☆☆☆




「……く、空気が重いとです」


 馬車の屋根上で寝転がっていた裕一は、話の重厚さに思い切り顔を引きつらせていた。顎を両の手で支え、額ににじんだ冷や汗を袖にこすりつける。

 戴冠式の後、帰国の途に着く魔王の一行に紛れてみれば、怒涛のごとく押し寄せるイベントたち。裕一は胃もたれで呻きそうになった。分かれ道でいきなり違う道に進んでいく護衛兵の皆さんに、お医者さん聴診器で伺っていた車内の会話、おまけに急にぶっ飛んでくる火球など、正直展開が速すぎて何のことやらさっぱりである。ザ、置いてけぼり。

 思わず結界張っちゃったら、今度は魔王さんにじっとこちらを凝視されるわ、もう裕一の脳はパンク寸前であった。


『あの魔王。貴方に気づいていたのかしらね』

「いや、それはない……と思うん、だけど」


 すみません、自信ありません。裕一は涙した。不可視結界も遮音結界も機能している。こと穏形技術には定評があった裕一さんにとって、先ほどの魔王さんの疑惑満ち溢れた眼差しは滑った芸人に向けられる白けた視線並みの攻撃力があった。


「ひょっとして、結界が発するわずかな魔力を感知した、なんていう笑えないオチだったりするんじゃあ…」


 だとすれば魔術の補佐なしでどうやったらそんな真似ができるのか。思わず舌を巻いてしまった。溢れんばかりの才能に驚くよりもまず呆れが先行してしまう。


「うーん、こりゃどうしたもんか……」


 とりあえず、結界強度を上げることと、新たに魔力を遮蔽する手段を整えなければ、これと似た状況にあったとき対応が遅れてしまう。そういう意味では、魔王さんの反応は大変貴重なものであり、土下座して感謝を表してもいいくらいであった。さんくす!


『ねえ』

「なーに、奥さん」

『魔王、いっちゃったわよ』

「…え?」


 探査魔術を起動する。よくわかんない反応が五つと、魔王さんたちの反応が二つ。ここから目茶目茶離れた場所に点在していた。


「――しまった、乗り遅れた! いくよ奥さん、全速前進☆DA!」

『意味不明なこといわないで』


 馬車を蹴り一気に飛行する。ここで貴重な美少女を殺されてはたまったものではなかった。何としても、安全を確保せねば。裕一は最大速力を持って彼女たちの後を追いかけた。


いつのまにか200ptとっぱ。めちゃ驚きました。

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