十一話 魔王の世界征服は様式美
「そこの兄ちゃん、エレグゥの串焼きが安いよ! 一本買ってかないかい?」
「テレノーラ土産の魔唱石のペンダント、一個銅貨二十枚だ! こいつぁお徳だよ! うちの店限定だ!」
「ママ、あの玩具かってー!」
どう考えても普通の街です、本当にありがとうございました。
「あれ? これっておかしくない?」
浮遊島の中心にあった、西とは若干建築様式の異なった街に降り立って、裕一は少し自失した。街路には真っ白な石畳が綺麗に敷かれ、歩くたびに下駄がいい具合にころころと鳴る。
右を見た。恰幅のいいおばちゃんがかご一杯の果物を持って嬉しそうに歩いている。左を見た。ママンと思しき女性を引っ張りながら、子供が露天前で決死の特攻作戦に従事している。凄まじい泣き声砲撃がママンの左頬を打ったが、彼女は「お金がないの!」という背水の陣のごとき攻勢に出ていた。遠からずこの戦争は終結するだろう。どちらが勝つかは神のみぞ知る。
「ここって、魔王の本拠地……だよね?」
少し自信がなかった。どこからどう見ても人間さんな皆様が笑顔で通り過ぎていく。魔族が擬態しているようには見えないし、実際探査術式も全員が人間という結果をはじき出していた。どないなっとんねん。
はっきりいって分からないことだらけである。裕一は人ごみにまぎれながら移動した。とにかく情報、情報が必要である。
街は小高い丘の上に作られているらしく、中心部に向かって盛り上がる形を成していた。最高部には、中世に似つかわしくない尖塔が六つ、円になるように並んでいる。だが、裕一の目を引いたのは行政施設と思しき塔ではなかった。
その上空に、巨大な真円が浮かび上がっていた。複雑怪奇な、しかしどこか洗練さを感じる光の紋様が、緩やかな回転を持って街を見下ろしていたのである。
「結界魔法陣……しかも、見たことのない形式だ」
その瞬間、あらゆることが頭の中から吹き飛んだ。すぐさま術式構成を読み取るべく調査を開始――しようと思ったが、わずかに逡巡して取りやめる。学者魂を鋼の堤防で押さえつけ、裕一は陣を記憶野に格納するにとどめた。
あれほど巨大な式を解析するには、ここは少々騒がしすぎる。宿屋か何かを確保してからゆっくりと調査しようではないか。裕一はわくわくする心を存分に舞い躍らせる。
さて、そうと決まれば。一度物陰に隠れ、裕一は不可視結界を展開した。そのまま近くの露天に入り、売上金の入った箱をすっと盗み見る。銀貨と銅貨が殆どで、金貨は一枚もなかった。さすがにこんな露天商で金貨を使うような人間はいなかったらしい。
裕一は銀貨と銅貨を一枚ずつ手に取った。別に盗る気はない。その加工情報を記憶野に格納し、こっそりと箱に戻した。抜き足差し足――遮音結界を張っているのでそんなことをしなくてもいいのだが、気分である――でその場を去り、結界を解除する。
どこの国でもそうであるが、国家はそれぞれ独自の通貨単位を持っている。日本なら円、イギリスならポンド。たまにドルのような基軸通貨も存在するが、中世レベルでしかないこの世界にそれほどの経済システムを求めるのは酷というものであろう。故に、ゼルドバールの通貨はこの都市では使用できないはずであった。
虚数空間から銀貨と銅貨を数枚取り出す。さきほどの硬貨情報を挿入し、錬金術を幾つか起動した。微弱な電流が流れ、硬貨の模様が変質する。お金の偽造は犯罪です。よいこの皆は決してまねをしないでください。取り出した全ての硬貨を変換すると、裕一は早速露天商から串焼きを数本購入した。
「おじさん、これ三本おくれ」
「俺はまだお兄さんだ! はいよ、まいどあり!」
どうやらまだ二十代だったらしい無精ひげのおっちゃん――もといお兄さんは銅貨三枚と引き換えに鳥っぽい串焼きを手渡してくれた。ためしに一つかぶりつく。塩すらかかっていない大味さに若干苦笑した。
「ねえお兄さん。今日はお祭りかなんかあるの?」
「んあ? 何だよ坊主。お前さん、知らんでテレノーラに来たのかい?」
そもそもこの街の名前すら知りませんでした。内心の呟きなどおくびも出さず。田舎から上京してきたんです、という風に説明する。
「なるほどなぁ。だったら滅茶苦茶運がいいぜ? なんたって今日は、結界の巫女様の戴冠式だからな」
「結界の御子様…? て何?」
「おいおい! んなことも知らねぇのかよ! どんな田舎にいたんだよ、まったく」
「悪うございましたね」
苦笑すると、お兄さんは慌てたように弁解した。口はよろしくないが、根は善人らしい。
「いや、悪ぃ。そんなつもりじゃなかったんだが」
「気にしてないから大丈夫。それで、結界の御子様って何?」
「ああ、それな。俺もよくわかんねぇんだけどよ、何でも魔術師様方の話では、御伽噺の魔王陛下のことを指してるらしいぜ?」
……お兄さん。今何と? 笑顔の仮面が剥がれ落ち、愕然とした表情が裕一の顔に張り付いた。
「ええと、その、魔王陛下ってのは、あれですよね? 魔物の魔の王様とかいて魔王?」
「おお、そうだ。『魔より民を守りし王』の魔王陛下さ」
よし、まったく意味わかんねぇ。裕一は思わず匙を投げかけた。というか、魔王という存在は基本的に世界征服やら人類滅亡やらを本能においているような連中である。以前、昔は小粋に大魔王とかやっておりました、という知り合いに聞いてみたことがあった。
『なして魔王は世界征服とかを目指すとですか』
『そこに世界があるからさ!』
きらりん、と前歯が輝くほど爽やかな笑顔だった。他にも、上司に使役されるハメになった美少女魔王――上司は死ねばいいと思う――にも訊ねてみた。すると、
『世界があったら征服するでしょう、様式美的に考えて』
という返答が帰ってくる始末。それで世界を征服されるはめになる人類にとっては笑い話にもなりはしない。無論、全ての魔王がこうであるとは限らないのだが、割合としてごく少数であるのは間違いないはずだった。ろくでもない話である。
長くなってしまったが、基本的に魔王は人類の敵っぽいのであり、人類を守る魔王とやらは既に魔王ではないのだ。昔は神様だったとかそういう裏事情があるのならともかく。
とりあえず「うち田舎だからこことの魔王伝説とちょっと食い違ってるんだー」とかなんとか舌先三寸でいいくるめて、「へえそーなのかー」と驚いていたお兄さんからできうる限りの情報を収集する。何でも、魔王とはトルスメギア大陸――大きいほうの大陸らしい――のほぼ全土を治める超大国、ヴェイルヘルム帝国皇帝家で時折生まれる、結界を制御できる人物のことを指すらしい。
「この魔導都市テレノーラには、なんちゃらとかいう結界ってのがあって、それが起動すると魔獣とかが大人しくなって、人間を襲わなくなるんだと。歴代の魔王様の御世は、いずれも魔獣の被害がない、平和な時代だったそうだ」
結界の制御には、途方もない魔力が必要だといわれている。故に、皇帝家の中でも、この役割に耐えられたものはわずか十二人だった。今代で十三人目に当たるらしい。
十三人の魔王。十三人の勇者。正義の勇者と悪の魔王。おいおい、早くも下の世界のご意見と食い違いが出てきたぞ。裕一はともすれば頭痛に飲み込まれそうな思考を懸命に叱咤した。
「なるほど、そういうことになってるとは…」
「そういや、坊主の故郷の伝説ってのは、どんなんだい?」
「魔王が『そこに世界があるから』という理由で世界征服するような感じのかな」
「…なんじゃそりゃ?」
☆☆☆
凄まじい歓声が耳を劈いた。裕一は弱遮音結界を展開し、騒音を軽減する。
魔導都市の中心に程近い舞台広場には、人、人、人がすし詰め状態で詰め込まれていた。その上を飛行結界と不可視結界を展開した裕一が、大変そうだなーなどと頬杖をつきながらふよふよと浮かんでいる。そのまま最前列で線を作っている騎士を飛び越え、大きな隙間に悠々と整列している偉そうな連中の群れにまで到達した。大方、各国の要人なのだろう。何か姫っぽい美少女もいた。リアルお姫様、しかも愚弟にフラグ立てされていない貴重な人材である。思わず拝んでしまった。
未だ主役は登場していないようで、お偉いさんたちは微笑を湛えながら談笑に興じている。おしくら饅頭をしている民衆を差し置いて、本当にいいご身分であった。中でも美少女に言い寄っている連中がちらほら。全員イケメンのぼんぼんみたいだったので、どきつい不幸になる呪いをかましてやった。すると絶対に割れそうにない石畳が急に陥没し、イケメンぼんぼんさんたちはことごとくバランスを崩し、頭を打ちつけると気を失ってしまった。はは、ざまぁ。
そういった裕一的には愉快なイベントをこなしていると、お集まりの民衆が一際大きな声をあげた。同時に、慌てていた要人連中がさっと背筋を伸ばし、整列する。こつ、こつ、靴音を響かせて、舞台に複数の影が差した。護衛と思しき騎士に守られて、一際小柄な気配が一歩ずつ舞台端に――観客達の方向へ歩いてくる。
煌くような王冠に、しみ一つない純白の法衣。背は低く、流れるような銀髪がさらりと揺れた。裕一は驚愕に目を見開いた。それはどう見ても、十三、四ほどの少女だったからだ。すっと通った鼻筋、ぱっちりと意志の強そうな瞳、桜色の唇と、吟遊詩人が見たら千を越える賛美歌を奏でるであろうほど、彼女は美しかった。正直、天使様並みに美少女である。
もっと近くで干渉しようとデバ亀のような思考で寄ってみる。ふいおふよ、ふよふよ、誰にも感知されることなく要人たちの成す最前列に身を置き――
少女と、目が合った。
その瞬間、裕一の脳は視覚を覗いたあらゆる感覚器の情報を拒絶した。心音が高鳴り、呼吸が乱れる。どくん、どくん、こめかみの血管が早鐘を打ち、口の中が乾きで痛みの悲鳴を上げていた。宝石のような銀の瞳。どこまでも深い瞳は、まるで裕一の魂を奥底まで飲み込まんとあぎとを広げているようであった。意識が遠のく。魂が振るえ、魔力が溢れ、自分の心が身を貫こうとしているかのように暴れ狂った。嗚呼、これはまさか――
『――裕一!』
視界を覆っていた帳が切り裂かれた。刹那なの間で五感を完全に掌握する。全身の汗が作務衣に張り付き、とても気持ち悪い。裕一は乱れる呼吸を押さえつけ、両の手で顔を覆った。
「あ、りがと…奥さん。……今のは、かなり、不味かった」
『ハ、馬鹿ね。何を飲み込まれそうになってるんだか』
返す言葉もない。裕一は若干後退し、大きく息を吐いた。
「あっぶなー。危うく飲み込まれるところだった」
『貴方、私のときもそうだったじゃないの。いい加減、ちょっとは成長なさいな』
絶対零度のお言葉で、裕一の脳は急速に冷却された。いやはや、完全に油断していた。セキュリティを上限一杯に上げながら、苦笑する。
魔力に、飲まれるところだった。震える腕を押さえつけ、人びとの頭上で胡坐をかく。
もともと裕一は魔力に対する親和性が強かった。そのため、あまりに強大な魔力と出会ってしまうと、発される余剰魔力を無理やり体内に取り込もうとするのである。無論、そんなもの取り込んだらあっという間に意識回路がオーバーフローを起こして吹っ飛んでしまう。故に、普段はそうならないようセキュリティーをしっかりしていたはずなのだが…。
「まさか、それすら突っ切ってしまうとは。なんつー魔力だ」
『まさに魔王ってやつじゃない?』
天使様の言葉に苦笑の色が強まった。だが、本当に信じられない。こんな場所に、大魔法使い級の魔力を持った人間がいるなど。いったいどういう人生を送れば、こんな力を宿せるのだろうか。はっきりいって、裕一と同規模の魔力値である。
「何か……自信なくしそう」
これでも一応、血反吐はきそうな生き地獄を潜り抜けてきたのだが。まあ、彼女がそうでないとも言い切れないので何ともいえなかった。
気がつくと、少女は御子就任を終え、人びとに威厳に溢れた笑みを送っていた。手を振るたびに、民衆から喜びの声が上がる。
「姫皇陛下、万歳!」
「魔王陛下に栄光あれ!」
「平穏な時代に祝福を!」
姫皇。その名を心にしっかりと刻む。裕一は護衛を連れて去っていく姿を、じっと瞳で追い続けていた。
これからどう行動するのか。その疑問に襲われることは、おそらくもうないだろう。