「ビートルズやマイケルジャクソンを超える人はもう出てこない」←すらあっーしゅせんせいさんはファン・ダリエンソを超える人はもう出てこんのやあ!って言ってる。
新年
あけまして
おめでとうございます
(ぺこ)
ちょっとはやいけど
日本は成人の日だから
子供なら
寝てると思います。
どっーとです。
ことしも
よろしくお願いします。
成人式って
いまは
18さいが
参加できるそうです。
すごいなあ。
ボクも18歳でなれるのかな?
おそらく
生産性異世界では
18歳までの成績証明書を
提出しないと
式に出られなくなるかもしれません。
結構日本より厳しいです。
でもボクは
でられるようにがんばります。
きょうは
あれ?
これ
こどものボクでもおかしいなっておもったこと
です。
西村博之さん
という
フランス在住の方がいらっしゃるそうです。
その人が
「ビートルズやマイケル・ジャクソンを超える人はもう出てこない」
って
言ったんです。
これ
おかしいなあって
ころーんせんせいさんに
言ったら
「(゜~゜:)<地球の男の人は老化するんだよ」
って一言しか言いませんでした。
どういうことなのかなあ。
疑問があったので
すらあっーしゅせんせいさんに聞いてみました。
そしたら!
「彡/(゜)(゜)<ファン・ダリエンソを超えるお方はもう出てこんのやあ!ビートルズやマイケル・ジャクソンの代わりはいっぱいビルボードが用意するわあ」
って
相手にもしませんでした。
どうしてこうなるの
でしょう
気になったのは
「超える人」
です。
なにが
超える
なんですか。
収入でしょうか。
ビートルズは
「ア・ハード・デイズ・ナイト」のとき
ブリュートナーのピアノの鍵盤を
誰に押してもらおうかなあとか
そんなことで喧嘩になってました。
マイケル・ジャクソンさんは
度重なる顔の整形で
よく
呼吸困難になって
結局それがもとで
死んでしまいました。
そんな人達を
「超えた!」
って
そんなの
自慢になるんでしょうか
ボクは
そうとはおもえません
ボクは
昔のことを
よく
知りませんが
すらあっーしゅせんせいさんは
親切なので
よく教えてくれるんです。
そのなかに
こんなのがありました。
「彡/(゜)(゜)<今から30年前の日本では、音楽の値打ちを全て音楽事務所が決めた」
嘘のようなほんとうの話です。
聴き手が
どれだけ
すごいっていっても
事務所が認めないと
その声は
東京に届かなかったし
ニューヨークにも
届きませんでした。
音楽家を
輩出するのは
その国の民度を示すもので
失敗は
絶対に
許されなかったんです。
それが
変わってしまったのは
インターネットが出来てからだそうです。
ネットが出来たので
どんな
楽譜も
ダウンロードできてしまうため
自分で
自分の趣味を形成
することが
できる時代になりました。
すらあっーしゅせんせいさん
なんて
ダリエンソにあったこともないのに
ダリエンソの
生前のテイク
全部持ってるんです。
生産性異世界ですら
こんなことが珍しくありません。
日本でも
もう
珍しくないんじゃないでしょうか。
こうして
聴くひとが
勝手に全テイク揃えちゃうとか
こんなことができてしまうと
もう
音楽事務所が
世論を操作することは不可能です
不可能なので
何を売ったら良いのかわからなくなってしまいました。
そんな時代に
「ビートルズやマイケルジャクソンを超える人はもう出てこない」
なんて
いったって
なんの
強さも感じません
子供のボクでもわかります
ただし
生前のイコン性と
いう
なんだかよくわからない単語で
計るのであれば
ビートルズとマイケル・ジャクソンに
匹敵する人あるいは団体は
日本なら
秋元康とジャニーズ事務所
では
ないでしょうか?
これは
日本に関する話です。
あと
100年もたっちゃえば
「秋元康とジャニーズ事務所は、ビートルズとマイケル・ジャクソンの及ぼした倫理的影響に匹敵する」
って
ふつーに
かかれちゃいます。
ドイツなら
「カールハインツ・シュトックハウゼンとヨハネス・クライドラー」
イタリアなら
「ジャチント・シェルシとイタリア共産党」
って
言われるだけだと思います。
何がすごいかなんて
後世の人が
かってに
決めるんです。
それも
嘘や偽りの
ない
理由があれば
どうとても
でっちあげることができるのです。
なろうの
読者
それも
中学2年位の
人なら
バッハって作曲家が
すごく偉大だったことは
音楽の時間で触れられたと思います。
あれ
半分間違ってるんです。
ボク
ちょっと前に
せみころーんせんせいさんに
きいたら
「(。・_・。;)<バロック最大の作曲家はクリストフ・グラウプナー!」
って言うんです。
どうしてなのかというと
「(。・_・。;)<あれがふつーの音楽なの!」
って。
何が
普通
なのかと
言うと
ハープシコードの
テクスチャの密度は
当時
あれが上限
なんだそうです。
ギッチギチに詰め込んだ
バッハのテクスチャは
実は
例外中の例外であって
同時代では
異端だったんだそうです。
へー
そーなんだー
とか言いながら
グラウプナーの
パルティータだったけ
なんか聞いたんです。
GWV 102
とか
出てきました。
これ
聞いたとき
なんだか教育学部の
大学生の宿題みたい
に
聴こえました。
でも、これ
プロのれっきとした作品なんです。
当時はこれで超一流。
でも
今聴くと
なんだろう
この程度で騒いでたんだなあって。
でも
いま
グラウプナーのパルティータが
どうちゃらこうちゃらとか
神とか
誰もそんな事言わないじゃないですか。
人間の値打ちなんて
そんなものだと思うんです。
(おわり)