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セリーのない現代音楽はただの歌謡曲だ←(๑╹◡╹๑ …)<へっぽこセリーはどうなるんですか。

A・コルギ先生の次は、松平頼暁先生まで亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。きょうは「(&・_ゝ・&)<アムパサンド」の担当です。


「彡/(゜)(゜)<もうセリーの使い手もおらんのやな」


日本に関する限りそうですね。


「彡/(゜)(゜)<松平家は最初は音友が面倒見とったんよね。親子ともや。ところが、頼則御大は全作品をDurandが買うーとは言ったものの、口約束だけやった。頼暁先生は出版社がころころ変わるたんびに絶版なんよね。ツェルカとか、誰が買ったんか知らんがアメリカの大学の図書館にもあるんよ」


なんでこう、世界的作曲家ですら出版社が散漫なんでしょうかね。


「彡/(゜)(゜)<ディットリヒですらあれなんよね」


ディットリヒなんて知らない人だれもいないのに、最後はどこからも切られていたかわいそうな人でした。このクラスよりはましとはいえひどいもんですよねえ。


頼暁先生の一番うまくいった作品はレコレクションだったはずですが、私の手元にはこれがあるんです。


どうやって手に入ったのかといいますと、生産性認定済異世界までわざわざ運んでくれた人がいたんですね。室内オーケストラだし、安いからという理由で買った人がいたらしい。それがどういうわけだか私の手元にあるんです。


頼暁先生の音楽については、Webや雑誌で大きく言及されていて、私の出る幕はないのかもしれません。しかし、楽譜と比較対照して分析した文献はあまりにも少ない。ほとんどが印象批評です。


レコレクションの楽譜番号はEdition Moeck Nr.5453でした。


なんと。この楽譜は初演者の鉛筆の書き込みごと売ってしまったんです。しかも、裁断ミスまであって、セロテープで貼ってあったんですよ。


「(๑╹◡╹๑ …)<Moeckがなんで撤退しちゃったのかわかるよなあ」


MoeckもEdi-panと同じ。撤退組なんです。


1960年代から1970年代に、現代音楽の運動が大きくなって、うちとこくるかい?って軽い感じで引き受けてしまった出版社が多くあったんです。ところが、1990年代以降の不況が出版社を直撃して、次々と辞めていきました。


Ricordiのように外資の手によって再建に成功した出版社はまだいいんです。ほかはどんどんとなくなっていきました。


このレコレクションが出版されたのはなくなる直前です。頼暁先生は現代音楽の興隆の頂点で、この曲を書かれたということになります。


どこのWebサイトを巡っても「セロツキのA Piacereとシマノフスキの協奏交響曲とショパンのピアノ協奏曲第1番が引用され、ピッチ・インターバル技法の応用が用いられる」としか書いてないんです。


それでは彼を論じたことにはならないんです。


実は、レコレクションはかなりピアノ協奏曲の流儀に「寄せて」書いてあるんですね。ちゃんとカデンツァらしきものはある。また、1989年頃から「相手の失礼に絶対にならない音を一貫して追求」されたことについては、どこのメディアも触れていないんです。


「(๑╹◡╹๑ …)<カデンツァらしきものにSoloとは書いてありますよね」


書いてありますが、ソロだからといって密度が上がったり下がったりということは一切ありません。トゥッティで書いてあったときと全く同じ密度で動く。


前衛の世代なのに「全く同じ密度で動く」というのは一体どうしたことなのか。東京の聴衆も日本初演時には困惑していたという話です。


実は、前衛の世代には後期ロマン派の残滓のそのままの人が少なくなかったのです。その路線だったのは石井眞木だったという人もいますが、私は黛敏郎氏からそのままだったと考えています。


1940年代にダルムシュタット現代音楽研究所が出来たって、いきなり異世界に変わるなんてことはありません。みんな昔のままから始まります。


大きなクレッシェンドを作って「はい!ここでみんな笑ってくださいね!」とキャプションまでつきそうなくらい大げさなクライマックスを、誰もが持ち合わせていたんです。頼則御大ですらありました。ところが、ご子息の頼暁先生には「最初からない」んです。「冷めているのが好き」と申されていたこともありました。


ですので、コンサートでカタルシスを求めたい人にとっては彼の音楽は実に退屈に聴こえたことでしょう。まだまだ1989年の段階では東京はまだ歌謡曲の街だったんです。


その彼が手持ちの技法をピアノ協奏曲に「寄せて」書いたため、パレットに広がりが出てきたように感じられました。伝統的な手法を単に毛嫌いするのではなく、手持ちの技法と距離がどれくらいあるのか実際に測ってみるわけです。


この「寄せ方」を以ってして、前衛運動が終わったと思うか、それとも新たな前衛が始まったと見るかでよく揉めたような気がいたしました。1989年の時点では「(。・_・。;)<終わった!前衛運動は終わった!」と吠える人のほうが多かったのですが、長い時間軸で括れば前衛が成熟したと見るのが妥当だったと思われます。


最初からクライマックスのない作曲作品を見るのは当たり前になったような気がします。しかし、日本は合唱や吹奏楽やピアノ作品で、まだまだ大きなクライマックスを求める人々で溢れています。そのような人々がいる限り、彼の作品が忘れられることはないでしょう。

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