ギロチンごときで私は殺せない ~人間不信な元令嬢と、正直王子~
これで何度目になるのか。
処刑台に立つ私の目の前には、ギロチンが置かれている。
「この女、クリスティーナは、かつて私の婚約者でありながら、贅沢三昧で血税を浪費した挙句、私の友人たちにあらぬ疑いをかけて貶め、亡き者にしようとした恐ろしい女である。よって、極刑に処すことになった!」
民衆に叫ぶのは、私のかつての婚約者である王太子殿下。
侯爵家令嬢だった私は、彼と釣り合いが良いからと、王命により婚約を命じられ、彼を公私ともに支えてきたつもりだった。
殿下の隣にいるあの女が学院に現れて彼を誑し込むまでは。
彼女は怖いと殿下の腕にしがみつきながら、私を陰で嘲笑っている。
「罪人をギロチンへ!」
殿下の合図で私はギロチンに頭部を器具で固定される。
「最期に何か言い残すことはあるか?」
「いいえ、何も」
過去と同じ質問に素気無く答えると、殿下は顔をしかめた。
「泣いて命乞いもしないとは。こんなときでも可愛げがないのか」
呆れるように皮肉る彼を私は嘲笑う。
「嘘を信じて私を裁判なしで処刑するあなたに言われたくないわ」
「お前と言うやつは……! 刑を執行せよ!」
気色ばむ殿下の合図によって、ギロチンの刃が勢いよく落下する。
観衆の声が一際大きくなる。
私の首が切断され、処刑は終わる――はずだった。
過去、私は殺されたあと、なぜか三年前に戻っていた。
でも、何度繰り返しても、周りを変えることができなかった。最後には必ず陥れられて死亡してしまう。
だから、周囲ではなく、私自身が変わればいいじゃないと気づいたの。
「首が落ちてないぞ!」
誰かが異変に気づいて悲鳴を上げる。
そうよ。ギロチンごときで、私の首は切り落とせない。
決意したあと、殺されないように必死に鍛えたの。そうしたら自分の中で眠っていた力に気づいて魔法を操れるようになり、魔女になったのよ。
私の体を拘束していた器具を勝手に外し、立ち上がった。
言葉を失くして立ち尽くす殿下たちを一瞥する。
「ホント、殿下たちにはがっかりですわ」
「だ、黙れ。魔女め……! ついに本性を現したな! 衛兵、女を殺せ!」
実家の侯爵家も私を助けてくれなかった。前侯爵が使用人に手を出して生まれたのが私。政略結婚のために認知されただけだった。でも、殿下の浮気が原因で婚約破棄された途端、勘当して面倒になった私を切り捨てた。
だから、母亡き今、もうこの国には未練はないの。
この世界では、魔法は忌むべきもの。異端者である魔女というだけで処刑される。
「最後に皆さまに祝福を差しあげますわ」
正直者になる魔法をこの場にいるみんなに――もちろん殿下やあの女にもかけて、私はこの国から去った。
§
もう人間と関わるなんてこりごり。
隠遁生活を始めて一年が経った頃、そんな私の元へ誰かが訪ねてきた。
こんな森の奥で珍しい。迷い人だろうか。そう思って扉を開ける。
見上げた相手は、長い茶色のコートを羽織り、フードを頭から被った男だった。手に籠を下げている。物売りだろうか。でも、それにしては布の生地と作りは見るからに上質で、物腰は洗練された貴公子のよう。
「初めまして。私の名は、キリと言う。ウィンザム国の第六王子だ」
私の故郷でも、その大国の名は広く知られていた。
「殿下のような方が、このような他国の鄙びた場所に何かご用ですか?」
用心して尋ねると、彼はフードを外して、私に顔を晒す。黒髪碧眼の端正な顔つきの青年だった。
笑みを愛想よく浮かべていた彼は、私の姿を視界に入れた途端、驚いたように切れ長の目を見開いて固まった。色白だった顔がみるみる朱に染まっていく。
「かかか、かわわい」
言葉にならない声を上げ、目線は狼狽えるように泳ぎ、挙動が怪しくなる。何か彼の顔からポタリと落ちたと思ったら、赤い液体が鼻から垂れていた。鼻血だ。彼は慌てて手で鼻を押さえる。
「まぁ、大変!」
私は慌てて持っていた布巾を彼に手渡す。彼は礼を言いながら受け取り、顔にそれを当てる。
いきなりの出血に心配していると、目の前に立っていた彼が、顔に布を当てながらうっとりしていた。
「はあぁ、なんていい匂いだ。ドキドキしてくる」
なぜか布が急速に赤く染まっていく。奥でさらに出血しているようだ。
「あの、大丈夫ですか!?」
心配して様子を窺うと、彼としっかりと目が合った。元々赤かった顔が、さらに茹でたように真っ赤になる。
「す、すまない。今日は出直してくる。あっ、これは土産だ。受け取ってくれ!」
彼はそう言って私に籠を押し付けるように手渡してきた。思わず受け取ってしまうと、彼は別れの挨拶を口にして去って行く。
籠の上に被せてある布巾をめくれば、パイが入っていた。煮つめたりんごが照り輝き、とても美味しそう。魔法で調べたけど、不審なものは入っていないみたい。捨てるのはもったいないので、いただくことにした。
不便な森の中で、こんなご馳走、滅多に食べられない。
また彼は来ると言っていた。わざわざこんな素敵な土産まで用意していたから、私に何か用件があったはずだ。悪い話でなければいいけど。それが怖くもあり、気になっていた。
§
「元気にしてたか? キリだ」
数日後、彼がまたやってきたので、扉を開けて出迎えた。彼は今日もフードを被り、籠を持参している。
「とても美味しいパイをありがとうございます。あの、鼻血は大丈夫でしたか?」
「ああ、心配かけてすまなかった。大変失礼だが、フードを被ったままでいいか? あなたを見ると、また鼻血が出そうな気がするんだ」
「? どうぞお好きになさってください」
そんな魔法を使った覚えはなかったが、首を傾げながらも了承する。
「籠をお返ししますわ」
「口に合ってよかった。私もあのパイ、好きなんだ。ん? 籠の中に何か入っているな。これは何だ?」
彼は返ってきた籠の中身に気づいたようだ。
「森で見つけた木苺を乾燥させたものですわ。パイのお礼です」
魔法の力を借りて自分で作っている。最初は失敗して焦がしたり燃やしたりしてしまったけど、最近では加減が上手くなったおかげで、髪や洋服の乾燥もお手の物だ。
魔法は便利だけど、使うには練習が必要だから、万能ってわけではなかった。
「ありがとう。菓子に入れたら、とても美味しそうだな」
「ええ、きっと合うと思いますわ。ところで、殿下。私に何かご用があってお越しになられたんですよね?」
「キリと」
「はい?」
「殿下ではなく、名前で呼んで欲しい。それに、あの、良かったら、あなたの名前を教えて欲しい」
「……リナと申します」
本名を言えなかったので、私はかつての愛称を使っていた。亡き母だけが呼んでくれたものだ。
「そうか、リナか。いい名前だ。じゃあ、さっそくだが、中に入れてもらえないだろうか。話があるんだ」
「たとえ殿下であっても、独り暮らしの女の家に親しくもない男性を入れたくないです」
話は聞くつもりはあっても、仲良くするつもりはなかった。それで不快にさせても譲歩する気はなかった。
「そうか、用心深くて安心したぞ。リナは若くて魅了的だからな。警戒心がないほうがおかしい。では、このまま立ち話でいいから聞いて欲しい」
殿下は特に機嫌を害さなかった。話が分かる人みたいで、内心胸をなでおろす。
「実は、我が国は魔女を勧誘し、その優れた力を国のために役立ててもらいたいと考えている。だから、よその国では迫害の対象となっているが、我が国では保護の対象となっている。その件で私は当初リナに会いに来た。だが、今はそんなことより」
「まぁ、殿下は私を魔女だと誤解されていたのですね!」
彼の話の途中だったけど、慌てて誤魔化しに入った。
魔女だと彼にバレていたのね。でも、どうしてかしら? 独り暮らしが怪しまれた? 背中に冷や汗が流れる。彼を追い返したら、捕まる前に逃げないと。
保護の対象? そんな言葉、信じられるわけがない。
「怪しい噂を鵜呑みにされて、とんだ無駄足でしたわね。申し訳ございませんが、私は違いますので、失礼しますわ」
「待て!」
閉じようとした扉を殿下によって阻止された。
「リナが魔女だとか、今はどうでもいいんだ! 私はリナと、その、個人的に仲良くなりたいと思っている」
「え?」
フードを被っている彼の表情は見えない。でも、言葉から必死さは伝わってきた。
恐らく、私が魔女だから油断させるために甘言をわざと吐いているのね。
でも、私はもう騙されない。人は笑顔を浮かべて平気で嘘をつける生き物だから。
それに――。何度生き返っても誰からも助けてもらえなかった私が、今さら誰かに好かれるわけないじゃない。
「本当のことを言ってくださいませ。そうしたら殿下を信用しますわ」
言いながらこっそり正直者になる魔法を彼にかける。私が魔女に目覚めたとき、最初に手に入れた魔法がそれだった。
これのおかげで、元凶だったあの女が白状して私の無実が明らかになり、元婚約者は陛下が不在中に私を勝手に処刑しようとした責任を問われて廃嫡。結局殿下の弟が王太子になったと風の噂で聞いていた。
さぁ、白状なさい。私を騙して都合よくこき使い、そのあと始末するつもりなんでしょう?
睨みつけながら返事を待っていたら、急に彼が挙動不審になり始めた。
「リナ、好きだ……」
「え?」
「調査でリナを知り、優秀で優しい人だと興味を持っていたけど、本物はこんな可愛いだなんて思ってもみなくて。あなたに初めて会ったときから私はおかしいんだ……リナのつぶらな琥珀色の瞳に見つめられたら、可愛すぎて鼻血が出るくらいたまらない……いい匂いだし、抱きしめて思いっきり嗅ぎたい。そのふわふわそうな胸に顔を埋めたい。亜麻色の髪だって柔らかそうで触りたくて頬擦りしたくて仕方がないけど、そんなことをしたら嫌われそうだから我慢している……。ああ、こんな気持ち初めてで、どうしたらいいのか分からないんだ……」
予想外の相手の反応にどうすればいいのか分からなかった。
嘘ではないはず。先ほど魔法をかけたばかりだもの。
ということは、これが彼の本心ってこと?
そう理解した瞬間、顔だけではなく、身体中までも沸騰したみたいに熱くなってくる。心臓だって、口から飛び出しそうなくらい激しくドキドキしている。
「あ、あの……」
私が言いかけたとき、殿下は慌てて口を押さえた。
「す、すまない。なんてことだ、口が勝手に! せめて段階を踏んで徐々に関係を進めて告白しようと計画していたのに全部台無しじゃないか! ど、どうか今のことは忘れてくれないだろうか!」
彼は本当に私と仲良くなりたいと望んでいたんだ。今まで人の悪意に傷つけられてばかりだったから、彼の好意の言葉が私の凍った心に温かく広がっていく。
「うれしい……」
「え?」
今度は殿下が戸惑っていた。
「……母親以外に誰かに好かれたの、初めてだったんです。だから、ちょっとびっくりしたけど、悪意がないなら良かったです。でも、ごめんなさい! 疑ってあなたに正直者になる魔法を実はかけたんです」
私は殿下にかけた魔法を解き、深々と頭を下げた。彼は私に対して誠実に対応してくれていたのに、彼を疑って無理やり白状させてしまったから。
しばらく彼から返事がなかった。
謝って済む問題ではなかったのかもしれない。やっぱりこんなに捻くれた私は誰からも好かれる資格がないのかもしれない。
失意の中、このやりとりを終わらそうと考えたときだ。
「うれしいって本当?」
「……ええ、本当ですわ」
彼から困惑気味に問われたので、嘘ではないとはっきりと答える。
「じゃあ、少なからず私のことを、すすすすす好きなのかな?」
改めて尋ねられて、恥ずかしさのあまり再び顔が赤くなる。
どうなのかしら? 彼のことが好き?
フードの奥で、多分顔を真っ赤にしている彼のことが?
そう考えたとき、胸の奥でキュンと弾むような高鳴りを覚えた。
ああ、そうだ。彼に対して私は好感を抱き始めている。
自分の気持ちに気づいたとき、思わず笑みが浮かんだ。
「そうですね」
そう答えた瞬間、彼にいきなり抱きしめられた。
「ああ、うれしい! どうしよう! 可愛すぎて死にそう! ああああああ!」
雄叫びを上げる殿下にもみくちゃにされるけど、決して嫌ではなかった。
――あのギロチンにすら勝った私だけど、きっとこの人には一生敵わないだろうな。
彼の優しい温もりを感じながら、もっと彼のことを知りたいと、思い始めていた。