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失恋

作者: 朱花 梧依

 そこそこの大学に行って、安定した就職先で定年まで働き、老後は土いじりをしながらのんびり暮らす。

 そんなどこかで聞いたような薄っぺらい将来像。

 それもいまでは難しい世の中になってきた。それでもこんな古臭い『理想の未来』にも考えるべきことはある。それは身に余る欲を持つべきではないということだ。

 物欲、食欲、金銭欲、それに性欲。

 そういった欲は行き過ぎれば身を亡ぼす毒になる。ほどほどが一番なのだ。上を見ず、大きな理想を抱かず、自らの限界を知り、自分の身の丈に合った生活を送ることが、人生の幸福というものなんじゃないだろうか――。


「そうやって自分の限界を自分で決めるのはよくないんじゃない?」

「ひょっ!?」


 自室の机に向かっていた俺は突如耳元で発された声に飛び跳ねた。

 チェアを回して振り返ると、後ろにじりじりと後退しながら非難がましい視線を送ってくる幼馴染の姿があった。


「……いきなり変な声出さないでよ。びっくりするじゃん」

「誰のせいだと思ってんだ、誰の! 倉橋、お前なあ、勝手に人の部屋に入ってくるなって言ってるだろ!」


 声を荒げる俺を意にも介さず、幼馴染の倉橋文香は部屋の本棚に置いてあったマンガを手に取りながら言った。


「おばさん心配してたよ。康太はいつも休みの日に外に出ないで不健康じゃないかって」


 本棚に伸ばされた彼女の日に焼けた細い腕が、天窓から差す陽光に当たって明るく際立って見えた。


「部屋にこもって何してるのかと思ってみれば、また変な動画見て影響受けたの?」


 倉橋は漫画をめくり見ながら訊いてくる。

 こいつはいつもこうだ。興味がない癖に、幼馴染っていうだけで俺のやってることに突っかかってきては馬鹿にする。

 俺は絨毯に視線をおろしながら重い口を開いた。


「別に……ちょっと将来のことを考えてただけだよ」

「なにそれ、それであんなことノートに書いてたの?」

「うるさいな。誰にも見せる気なかったのに……。お前は毎回毎回、高校生の男の部屋に勝手に入ってくるなよ。変なことしてたらどうするんだ」

「別に気にしないよ。康太が馬鹿なことやってるのなんて、いまさらおかしくもないし」

「お前なあ、そういう問題じゃないだろ……」


 倉橋家とは家が隣同士、親同士の付き合いがあった関係で、俺たちは赤ん坊のころからよく会っていた。子どもの生活圏は狭い。同年代の子どもと接することができるのは、小さな幼稚園か保育園の中ぐらいで、移動は親が送り迎えをするために自由に誰かと会うこともできない。だから必然というべきか、家が隣同士の幼い俺たちは、互いの家に行っては二人でよく遊んでいた。そのせいで、幼いころから俺がやってきた馬鹿なことの数々を倉橋はよく知っている。気心の知れた関係と、言えるのかもしれない。

 だが、気心といっても限度があるだろう……。

 思わず、はあっと、ため息が漏れ出る。


「まあ、いいや。次こそはノックしてから入ってくれ。お願いだから」


 棚にあるいくつかのマンガを物色しながら倉橋は、わかったー、努力するー、と間延びした気のない返事を返す。絶対に改善されないだろうその態度に再びため息を吐く。

 倉橋は俺の部屋に襲撃をかけるときは、ジャージやパーカーなんかの楽な格好で来る。それが今日は外出用のレースの服にスカート姿だった。おそらくどこかへ出かけるついでに、親の用事で俺の家を訪ねることになったんだろう。さらにそのついでとして俺のところにまだ読んでないマンガがあるか物色しに来た、といったところか。つまりは、ついでのついでだ。

 今は自分の未来のためにいろいろと考えなければいけない重要な時間だ。幼馴染とはいえ、無粋なやつの相手をしている場合じゃない。

 俺は彼女の存在を極力無視して机に向き直った。


「康太ってさ、俺はこの程度しかできないって言って、いつも自分の限界を勝手に決めてあきらめるよね」


 続きをどう書こうかと思案を巡らせていると、倉橋がポツリと言った。


「自分だから、自分の限界がわかるんだろ。それとも他にわかるやつがいるのかよ」

「いないと思うよ。でも、自分の限界なんて自分でもわからないとも思う」


 俺がもう一度振り向くと、彼女は出口の近くに立って俺のほうを見ていた。

 中学のころから陸上部で長距離走の選手をやっている倉橋の体は、長い距離を走るために無駄な部分をそぎ落としていったかのように細く引き締まっている。色白の俺とは対照的に、袖の短いレースの服からのぞく二の腕まで日に焼けていて健康的だった。


「走ってるとさ、いつもあるところで肺がつぶれそうになる時があってね。喉からは血の味がして、もう駄目だ、限界だって思うんだ。でも、そこで立ち止まらずに苦しい感覚を押し殺して足を動かしてると、案外その倍以上走れちゃうものなんだよね。そうやってゴールテープを切ったとき、いつも思うんだ。自分って案外やれるんだもんだなー、ってね。だから、何事もあきらめちゃダメなんだよ」


 彼女は笑みを浮かべながらそう言って――、


「じゃ、彼氏が待ってるから行くね。康太もたまには外に出なよー」


 こちらがなにか反応を示す前に、矢継ぎ早に言い残して倉橋は部屋から出ていった。

 俺は閉じられた扉を、ただじっと見つめていた。

 小学校、中学、高校と環境が変わっていくたびに世界は広がっていき、歳を重ねるごとに人間関係は変わっていく。小学校のころに仲の良かった相手と、中学に入ってからは全く話さなくなることもあれば、中学の友人が別の高校に入って離れていくこともある。

 精神的にも物理的にも、人間関係は変わらずにはいられない。それは、長く関係を持っている相手であるほどに――。


「あきらめなきゃいけない時だって、あるだろ……」


 高く上がった太陽に照らされた室内は、俺の抱えている気持ちとは裏腹に、光の輝きが踊り遊んでいるかのようだった。


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