第五十九話 烈火の狼煙
「アンタ、向こうのが見えるか?」
先に口を開いたのは俺だった。遠方に微かに、黒い塊が見える。その報告だった。
「全然見えないわ。私は夜目が効く方ではないから」
【オロクロス、スクロアルマ、見えるか?】
【なんとなくだけどね。あんまり遠いから、ぼやけて詳しくはわからない】
辺りを見回し、望遠鏡、或いはそれに近しいものを探す。自分の周辺には警笛しかなかった。
俺は自分の正面に限定して〔探査〕を行使し、何キロも先の黒い塊の正体を探る。頭に手を当て、頭痛に備えて、黒い塊についての情報が脳に送られるのを待つ。地面やものを魔力がなぞり、その魔力の軌跡が情報として脳に送られてくる。脳への負荷ゆえか酷くなる頭痛を堪え、ようやっと届いた、黒い塊についての情報を整理する。
一対の角と、蝙蝠のような翼、細長い尾を持つ人、間違いなく魔族だ。数は――
頭痛が堪え難い程に酷くなり、〔探査〕の行使を辞めてしまう。立ってもいられなくなり、頭を押さえしゃがみ込む。
「ちょっと、大丈夫!? ああもう、医者を――」
「問題ない。ただの偏頭痛、持病だ」
「ほんとうに?」
彼女は目を鋭くした。
「ああ。それよりも、敵群の来襲を伝えなくては。あれは間違いなく魔王軍だ」
彼女は大きく息を吸い込んで、
「敵襲! 敵襲!」
と甲高く叫んだ。その声は拠点によく響いた。いよいよ拠点内が日中のように騒がしくなる。
「じゃあ、私たちもそろそろ準備を始めようかしら」
彼女はそういって、やたらと大きい魔女帽子のつばを指で弾き上げる。その時微かに、彼女の耳が見えた。
人間の耳ではなかった。少し角の尖った耳だ。その耳を持つ種族といえば――森人。彼女は、森人なのか?
その疑念は次の瞬間、確信に変わる。
「ちょっと、珍しいものを見せてあげるわ。“ルベイロム、出番よ”」
彼女がそう言うなり、彼女の真横で光が集積しだす。それは紛れもなく魔力の光だった。魔力が集積し、炎のように赤く揺らめく人型を成すと、それは口を開いた。
【呼んだか】
「驚いた、まさか、精霊と契約しているとは」
「そう言う割にはあんまり驚いていないわね、もしかして精霊を見るのははじめてじゃない?」
「直接視認するのはこれが最初だ。それも、精霊を視る能力の無い者にもはっきりと見える精霊は特に」
【姫君よ、何用で?】
「今回はね、魔術の補助をして欲しいの」
【〔燃素暴走〕か。然し、あれは姫君にはまともに扱えぬ代物ではなかったか】
「そうね、だから、魔術自体は彼に組んでもらったわ」
カターフェシが俺の方を示すと、精霊の首がぐりんとこちらを向いた。
【こやつか】
精霊は舐めるように俺を見る。
「何か変なモノでもついているのか?」
【歪だな】
精霊は言う。
【歪な臓腑だ。強欲で、故に脆弱な魔臓だ。より多きを収めんとし、ゆえに安からぬ代償を得た。長くは持たんだろうな。御前は一体、自らの身に何をした?】
長くは持たない、か……。実験に失敗した時点で、何かしら内臓に不全が生じているとは予想していたが、誤りではなかったらしい。
「流石は、魔力で身体が構成された生物。だが余計な詮索は無用だ」
「ルベイロム、やめて。彼に迷惑よ」
【これは失礼した、姫君】
カターフェシはうんざりしたように目を細める。
「あなたの身体の話は後。今は魔術の事に集中して」
その声色には、いささか動揺が見て取れた。
「もう、撃ってしまうべきか?」
「……まだ遠いわ」
彼女の目にも見える距離まで敵軍は接近している。それでも、数キロメートルほど距離はあるが。
【放った魔術の炎は、あの軍を焼き払う為に?】
「いいえ、あくまで牽制。あなたの気紛れで、向こうの軍に炎を届かせても別に構わないけれど、ここの拠点を巻き込まないでね」
【姫君の令とあらば、五万の兵を炎に巻いてご覧に入れよう】
さっきからこの精霊――台詞を聞く限り、火を操る類の精霊らしい――はカタ―フェシのことを「姫君」と呼ぶが、彼女は何か王族と繋がりが? ……いや、冒険者の身の上の詮索はご法度。これは気にかけないようにしよう。
「そろそろか?」
「頃合いじゃない?」
遠方には闇の中をぞろぞろと行進する魔族が見えている。その頭数に人数不利の気配を感じとりながら、俺は魔法陣の起動準備を始めた。
【魔石でつくった魔法陣……、前々から用意していたのか】
「いや、数時間前に作ったばかりだ」
【これを削り出すのは堪えたろう】
「魔力を結晶化しただけだ、難しくはない」
精霊の身体のゆらめきが強くなる。ますます炎の化身らしく見える。
【魔力を結晶と成す力は精霊と岩小人にのみ許された力、そうか、御前の魔臓はその為に――】
「残念、的外れだ」
魔法陣を、丁度普通の魔術師がそうするように身体の正面に構える。
「魔術名は〔燃素暴走〕で間違い無いな?」
魔法陣を読めばそれぐらいはわかるものの、万一誤りの無いよう確認をとる。
「ええ。さ、ルベイロム、久々に、派手にやっちゃいなさい!」
【仰せのままに】
精霊――ルベイロムの気迫が増し、炎のように揺らめく身体は更にその勢いが強まったようになる。
次に彼女は俺に語り掛けた。
「この短時間であなたのことがとても心配になったわ……無理は禁物よ」
俺は飄々と答えて見せる。
「案ずることはない。類を見ないほど派手な、開戦の狼煙をあげてやろう」
よもや、俺がその役目を担うとはな……
「“〔燃素暴走〕!”」
瞬間、眼前の地面が爆ぜ、
【“天を焦がせ”】
精霊の“命令”に従って、火柱が天に届かんばかりに伸び上がった。




