第五十一話 嵐の前の静けさ
あれから数日。戦争再開が目前となって、街は慌ただしくなっていた。
街の中央に騎士団と冒険者とが集められ、その眼前に1人の赤髪の女が立つ。勇者一行は、あの外套で身を隠しながら冒険者に紛れていた。
「まずは冒険者諸君、この大陸の危機に駆けつけてくれたことを感謝する。私はフリゲーロ、デピス王国軍魔族対策科長。諸君には私の率いる騎士団と共に行動し、戦果を挙げてもらう。次に騎士団員諸君。このイルを魔族の侵攻から守り抜き、長きにわたって睨み合いを続けたあの日々、あの時流した涙が、流れた血が、膿が、報われる時が来たぞ。この戦いにおいては、我々の助けとなるべく、勇者殿御一行も手を貸してくれるという。今こそ、あの地を魔族から取り戻す時だ」
女騎士は自らの剣を高く掲げた。
「侵略者の首を皆切り落とし、祖国に送り返してやろうではないか!」
戦闘員が総じて沸き上がる。多くの者が、特に騎士らが同じ様に剣を掲げ叫ぶ。
辺りが静まるまで女騎士は待ち、間もなくして、作戦の簡単な説明を始めた。
「ここからは手短に説明しよう。イーラ渓谷の橋を再建する。その為の設備を護衛して欲しい。橋無しで対岸に辿り着ける者は、橋がかかる先、周辺部の安全を確保しろ。他のものは野戦病院の設営及び哨戒に務めろ。向こうが我々の気づかぬ内に渓谷を渡る手段を手にしているなら、その対応もしなければ」
雑な説明であったが、自分の長短を理解した上で長く戦いの場に身を置いている冒険者たちにはそれで十分であった。
「では、総員、各々の役目を果たせ。開散!」
演説の終了と同時に馬が嘶き、馬車が荒々しく走り出し、それに騎士やら冒険者やらがついていって街から出て行く。その群衆の中にペンダントの魔力を察知して、俺も続いた。
街を出て少しすると、砂色の外套が4つ、群から逸れて樹々のある方へ消えた。あれは間違いない、勇者一行だ。彼女たちには、何か特別な特別な任務を課されているようだ。後を追おうとした俺だが、彼女らに続く騎馬を見て断念した。騎士団がついてしまっては、隠形して後を追うのは至難の業。今は大人しくしている他ないか。
イーラ渓谷付近まで来ると、もう騎士団が架橋作業の準備に取り掛かっていた。
崖の近く、向こう側の崖が比較的近い所に、変わった馬車が2台到着した。一方は灰色の箱に車輪のついたものが馬によって引かれているもので、他方は大量の魔石を積載した馬車だった。灰色の箱、機械にも見えるそれから馬を外すと、騎士らはその箱の背面に魔石を詰め込み始める。
カーム語で「橋掛け屋」、と機械には彫られてあった。それがその機械の名前らしい。見たことの無い機械だ、どこかから輸入されたものだろうか。
架橋と同時並行で、後ろでは負傷者の治療の為のテント群が建てられ始めた。
「あれを手伝いましょう」
そう言った彼女に、俺とアッシュはついて行った。
野戦病院の設営は、多数の冒険者の協力もあって、陽が沈む直前に終わった。機械の方を見ると、その正面の崖部分から、石で構成された突出物が斜め上方向に伸びていた。
成程、あの機械は石を生成して橋を架けるものらしい。それが少しずつ、少しずつ伸びていって、あの向こうの崖に――
――崖に、揺れる影が見えた。
俺は目を凝らす。あれは、魔族……なのか?
こちら側と向こう側では崖に高低差があり、向こうの方が高くなっている。その崖縁から、見下ろすようにしてこちらの様子を窺っているようだった。
距離にして1キロメートル。互いに、有効射程距離を大きく超えている。目が合っているのか分からないまま、睨み合うような状態が少し続いた。アッシュたち2人を呼ぶべきか……?
向こうの崖に渡った戦闘員はまだあれを見つけてはいないのか。何故誰も来ない?
ふと、影が立ち上がる。そして、空気に溶けていくように消えてしまった。
居なくなった……?
「なァ」
背後の声に振り向く。そこには、全身を霧に包まれ、その容貌がぼやけた人のようなものがあった。
「霧人、か……?」
「やっぱり、見えている」
奴は、まるで煙が風になびくように近づいた。魔力を纏わせたオロクロスで突きを放つが、攻撃は奴をすり抜けた。
「それは、ただの霧」
再び振り向くと、奴はそこに立っていた。俺が攻撃した「奴」はまだその場に残っているが、声の主では無かった。
面倒な……
〔慧眼〕を使って奴を調べるも、
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霧人……魔族に分類される、身体が霧に覆われている、或いは霧が人の形を成している存在。煙や霧を操る能力を持ち、その能力を使った攪乱に長ける。
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と出るのみ。魔物学が専門外で、『魔物大全』を流し読みした程度の知識量しか持ち合わせていない俺では、これくらいの情報量が得られる限界のようだ。あの書物を熱心に読んだ者なら、〔鑑定〕系のスキルのLvが俺より低いものでも、より詳細な情報を手に入れられるはずだが……
「おかしい。見えないはずなのに。魔族にしか見えないはずなのに。どうして見える?」
「……〔制限解除〕」
奴の問いには答えず、全身の筋肉のリミットを解き、奇襲に備える。
奴が、あごに手を当てる仕草をしたように見えた。如何せん輪郭が不明瞭で、どこからどこまでがあごなのか判別しづらい。
「『〔制限解除〕』……? ふぅん。そう」
納得したように、奴は頭部らしき部分を縦に揺らした。辺りに霧が立ち込める。
「こっち側だったのね――」
「――怪人。どうして、この側の崖にいるの?」
俺は、ただ眼を瞬かせる事しかできなかった。
「何故、そう思った?」
しかしすぐに気分が落ち着き、俺は整然として質問を投げかけられた。
「〔制限解除〕は、普通の人間には使えない。どんどん身体をこわして、最後には動けなくなって、息もできなくなって、おしまい。身体がこわれても、勝手に治ってくれるような身体でないと」
奴は俺を指差した。
「おかしいな。人間も、亜人も、獣人も、大体の魔族も、もうすぐ身体にダメージが出るころ。だのに、何食わぬ顔して立っている。それに、魔族にしか見えないよう小細工していたというのに、あの時、目が合った」
「再生能力があって、一番、人間――何もない、ただの人型魔物に似た魔族。そう。なりかけの、またはなりそこないの魔族、怪人。〔魔王の加護〕すら受けられない、かわいそうな、魔族の末席。魔人より力が弱くて、苔巨人より傷の治りがおそい。吸血鬼みたいにとべなくて、霧人みたいな技もない。……あってる?」
「さぁ?」
「あってるみたい。……なんで、ここにいるの? 裏切った?」
「裏切ってはいない。俺は一度も、アンタらの陣営についた覚えが無いからな」
「味方じゃない……? 博士にからだをいじられたの?」
「俺の身体をつくり替えたのは俺自身だ。『博士』とやらではない」
「……よく分からない。もし、こっちに来たいなら、今のうち。仲間をころす前に、来て」
「アンタらの陣営には与しない。俺はずっと勇者側の人間だ」
「そう、残念。こっちに来てくれそうにない。……さようなら」
奴は空気に溶けるように消えてしまった。同時に霧もすっかり晴れる。
今度こそ、居なくなったようだった。
何だったのだ、あれは。やけに冴える頭で出来事を整理していると、あの2人が俺を呼ぶのが聞こえた。振り返って見た2人の背後では、暗闇の荒野の中、篝火が野戦病院を照らしていた。




