第09話
「王……国……?」
「俺とお前がよ、王になんだよ」
エルフの女が何を言っているのか、俺にはわからなかった。
狼一匹に殺されかけるこんな俺が王……?
ちゃんちゃらおかしい話だ。
俺はそういう与太話には関わらずに、リーナさんを護衛に商人として各地を回って、サボイと美味いものでも食べながらのんびり暮らすんだ。
「悪いが……」
「簡単に断るなよ。お前、状況がわかってないだろ」
「状況?」
「俺がそうで、お前もそうだって事は、多分輪の紋章持ちは全員そうだ」
輪の紋章持ちは全員転生者だって言いたいのか?
「お前はレガリアの中でも有名すぎるんだよ、伯爵家に生まれたのに自分じゃ戦えない悲劇のヒーロー。金髪に緑目の超イケメン、人気投票じゃあぶっちぎりの一位だったよなぁ」
「だとしたら?」
「みんながお前を狙う。便利すぎる便利キャラで、しかもトロフィーにもなるんだぜ? しかもお前は今伯爵家の次男ですらない、ただのクーシーだ」
たしかに、それはそうかもしれない。
だから自分と組んで自衛しようという話に持っていくつもりなのかもしれないが、だがそれは俺が彼女と組む理由にはならない。
他の転生者がいたとして、その人物の人格なんて会ってみるまでわかるわけがないからだ。
危険はあるかもしれない、だがそれはこのまま商人志望の冒険者として生きても同じことだ。
俺がそう言ってやろうとした瞬間、彼女は首を横に振りながら右手の手のひらを向けた。
「いや、違うな。忘れてくれ。俺はお前に消去法で俺と組むのを選んでほしいんじゃないんだ」
「どういうことだ?」
ズバッと断ろうとしたのに、肩透かしを食らった気分だった。
ズキモモはあぐらをかいたまま額を揉み、ぽつぽつと自分に言い聞かせるように話す。
「俺だけじゃ駄目だし、お前だけでも駄目だ、俺とお前じゃなきゃ駄目なんだ。俺たち二人とも、他の誰と組んでも駄目だ。テレポーターの俺と、アイテムボックスのお前、その組み合わせだけに天下取りの可能性がある」
「なんだそりゃ」
「俺たち二人は所詮は便利キャラ、戦いに出れない脇役だ。本来誰と組んだって主導権は握れない! でも俺とお前が組めば、誰にも手がつけられないぐらいの力を持てる! 輸送コストゼロで金と物を動かせば、本当に国だって興せるんだよ!」
「俺は国なんかいらない」
クシャナンドラなんて大役を背負わされて生まれてきたが、中身の俺は普通の人間なんだ。
国王? 天下取り? できるわけがない。
普通に生きることだって大変なんだ、人の人生どころか国の命運なんて背負ってられない。
「それでいいのか? 誰かに命を握られて、一生便利な袋として使われてお前は幸せなのか?」
「お前の言うことは極端なんだよ」
「じゃあこうしよう! 一旦王国のことは忘れてくれていい。まずはビジネスパートナーにならないか? 俺という人間を知ってくれ」
ビジネスパートナーね……
たしかに、瞬間移動という力は魅力的だ。
だが、俺はこの女エルフの事をもうひとつ信用しきれないでいた。
商売相手としてならば、油断ならない人間でもいい。
でも身内となると駄目だ、少なくとも自分が信用できると思った人間じゃないと。
前の世界じゃあ金を失うだけで済んだことでも、この世界じゃあそこに常に命がかかってくる。
今日あったばかりのズキモモは、いくら同郷人だといえ、俺にとっては未だ他人のままだった。
「いや……」
「待て、言葉だけでは信用できんな」
断りの言葉を口に出そうとした俺を、そう言ってズキモモが制す。
彼女は俺の目をじっと見つめたままズボンのポケットから右手でナイフを取り出し、手首のひねりで鞘を払った。
剣の柄に手を置いたままのリーナさんがいつでもズキモモに斬りかかれる位置へと動き……同時にエルフのアレウスも無言でズキモモの盾となる位置へと移動する。
室内の緊張がにわかに高まった中……
ズキモモは取り出したナイフで自分の右耳を切り落とした。
その瞬間、部屋の中の全員があっけにとられていた。
あまりに非現実な光景に時間が凍ったように全員が固まり、彼女の耳から血が噴き出すのと共にまた全員が動き始めた。
「おい! 何やってんだよ!」
「奇怪千万だ……」
「ズキモモ……?」
「血が出てるっすよ!」
彼女は流れる血も拭わずに平然とした顔で、切り落とした長い耳を俺と彼女の間にある机の上へと放った。
端正なその顔の横にぱっくりと開いた切り口は目を背けたくなるほど痛々しかったが、ズキモモはなんでもないことのように不敵に笑っている。
「俺は本気だ。こいつはお前のアイテムボックスにでも仕舞っとけ」
「本気って……お前、そこまでするのか!?」
「エルフってのはことのほか耳を大事にする種族でな、これで俺はもう世界樹には戻れんよ」
そう言ってヘラヘラと笑う彼女だったが、俺は正直、頭をハンマーで殴られたようにクラクラきていた。
何の意味もない自傷だの、心理トリックだの、そんな言葉は目の前の耳を見ると引っ込んだ。
思えば俺は前世でも今世でも、こんなにも激しく人から求められたことなんて、一度もなかった。
それに、たとえ相手の能力目当てだったとしても、俺にこんなことは絶対にできない。
王国とか、ビジネスパートナーとか、そういうのは一旦全部横に置いておいて……
俺はこの、自分の目的のためならば耳だって切り落とせるズキモモという破天荒な人間に、シンプルに興味を持ってしまっていたのだった。
「この耳、もうくっつかないのか?」
「くっつけていいのか?」
「痛々しくて見てらんないんだよ、お前の気持ちはよくわかったから……」
「だとよ、叔父上」
アレウスは返事もせずに机の上の耳を拾って、彼女の傷口へとくっつけた。
「水の精よ、この傲慢なる馬鹿エルフを癒やしたまえ」
緑の光がほわっと広がり、消える頃には彼女の耳は元通りにくっついていた。
しかし首筋から胸まわりへと流れた血はそのままで、まるで返り血でも浴びたように赤黒い。
アレウスは平手でズキモモの頭をバシッと殴るが、彼女はそれをまるで意に介した様子もなく俺へと向き直った。
「それで、話は聞いてくれんのかい? クーシーよ」
「わかったよ……また耳切り落とされちゃたまんないからな」
「落とすかよ馬鹿、めちゃくちゃ痛かったんだぞ。とにかくだ、俺と組めば一度行ったことのある町へはいつだって行けるようになる、仕入れも販売もやり放題だ。どうだ? 組むか?」
「ちょっと待て、俺だけの話じゃないんだ……リーナさん、どうですか?」
俺がリーナさんに顔を向けると、彼女は肩をすくめて微笑を返した。
「王国だのなんだのはよくわからないが、商売をするというならば契約通りに護衛をするだけだ」
「サボイは?」
「クーシー様についてくっす」
彼女は飛び散った血を血塗れになったシーツで拭きながら、顔も向けずに答えた。
そうか、じゃあ後は俺の心だけなんだな。
この日、ぶっとんだ女エルフと俺の話し合いは夜中まで続き……
翌日の朝から、俺達五人はひとつの冒険者パーティーとして動き始めたのだった。
12cm×20cmぐらいの造形範囲の光造形3Dプリンタが5万円ぐらいにならないかな