第06話
翌日の朝、俺はコロナドとエスキアを結ぶ街道上で、ガタガタ揺れる商人の幌馬車に揺られていた。
馬車がギリギリすれ違えるぐらいの小さな街道は草がボーボーで、くっきりと残った轍の跡だけが、それが道なのだということを教えてくれた。
一日もあれば往復できるフェンドラからコロナドの道とはまるで様子が違うのは、コロナドとエスキアじゃあ領主が違うからだ。
コロナドは俺の親父であるフェンドラ伯爵の領地で、エスキアはワイヤス子爵という貴族の領地なのだ。
支配圏と支配圏の間には緩衝地帯が必要で、まだまだ人口の少ないこの世界じゃあ基本的にそういう場所は人の手の入らない原野になる。
租税や徴税官の通る王都への道なら、そういう場所にも町があったりして旅もしやすいんだけどな。
俺がそんな事を考えながら原野の果てを見つめていると、御者をしていた商人のオッサンが人懐っこそうな笑顔でこっちを振り返った。
「なあ、あんた魔法使いなんだって? 頼りにしてるぜ、ほんと」
「ああ、任しといてよ。あっちの騎士は俺より凄腕だよ、ついこないだもコボルドを一刀両断さ」
「そりゃ頼もしいや、熊が出ても大丈夫かい?」
「熊は無理じゃないかなぁ」
「あぁ……やっぱりそうかぁ」
商人のオッサンは苦笑しながらそう言って、長いあご髭をしごいた。
行き道で護衛全員熊にぶっ殺されたんだもんな、そりゃ心配な気持ちはわからんでもない。
「街道まで来るような熊はその都度駆除されてるはずだから、多分大丈夫だよ。ギルドにもそういう情報は来てなかったし」
「そうかい?」
「まあでも、最悪この道行きで熊が出たら荷物は諦めてくれよ」
「そりゃあもう。行きは山の中の一番狭い道で出くわしちまってな、逃げるに逃げられなかったんだよ」
熊の話をすると恐怖が蘇るんだろうか、商人は別段寒くもないのにぶるりと背筋を震わせた。
「おじさん、エスキアの人なの?」
「いやあ違うよ、もっと西から来たのさ。うちの店は領都ワイヤスに本店があるんだ」
「ふぅん。西の方は今どうなのさ」
「西なぁ、西っつっても色々あるわな」
「じゃあワイヤス子爵領全体は最近どんな感じだい? フェンドラにはあんまり噂も入ってこないんだよ」
「まぁ景気は良くねぇやな、聖教会様が輪の紋章の勇者を見つけたとか言って、ありがたくも増税をしなすったところだしよ」
「輪の紋章ねぇ、眉唾もんだね」
俺の背中にも入ってるんだけどな。
輪の紋章の勇者ってのは多分主人公の女の事だろう。
そういえばゲームでも兵隊やアイテムを用意していたのは聖教会だった。
平民側に回ってみれば、護国の戦士だのなんだのってのは増税の口実にしか聞こえないもんだな。
「俺が山道通ってまでフェンドラに行ったのもそのせいよ、なんでもフェンドラの嫡男様に輪の紋章が出たんだと。聖教会のお達しで急遽王都に上がるってんで、そのために急いで物運んできたんだ」
「なんだ、ずっとフェンドラにいたのにそんな話はじめて聞いたなぁ」
なるほどね、兄貴はそういう話で通すことにしたのか。
本当に俺の身代わりになってくれるんだな、今となってはありがたいことだ。
たとえ兄貴が聖教会に輪の紋章にまつわる異能がないのがバレたところで、伯爵の息子なんか無下にはできないだろうから表立っては問題にもならんだろうしな。
せいぜい王都で主人公と仲良くやってくれよ。
「まあでも、西の方は全体的に平和なもんよ。火竜だってもう何年も出てないしな」
「そりゃあ良かった。しばらくは西に向かって旅しようかと思ってたんだ」
「ああ、そういやあ今エスキアには世界樹からやってきたとかっていうエルフがいるらしいぜ。あんたも魔法使いなら、よそに行く前に一回話してみたらいいんじゃないか?」
「エルフねぇ、会ったことはないけど、気難しいって聞くじゃないか」
「へっへっ、魔法使いだってそう思われてるよ」
商人はヘラヘラ笑いながらそんなことを言った。
まぁ普通の人から見て異質なものって事には違いないか。
しかし、何にも起こらん旅だなぁ……
ゆっくりと雲が動くだけの青空を見ていると、くあっとあくびが出た。
小走りで後ろからついてきているサボイと、馬の少し先を行っているリーナさんには申し訳ないが、正直退屈だな。
依頼人がいる手前寝るわけもいかない俺は、日が暮れるまでひたすら商人のオッサンと話し続けたのだった。
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「見張りの順番なんですけど、サボイ、リーナさん、俺ってことでいいですか?」
「構わんよ」
「わかったっす」
俺はアイテムボックスから組み上がった状態のテントを取り出し、できるだけ石をどかした地面に設置した。
同時に、馬車とテントの周りに人の背丈ほどもある巨岩を配置していき、隙間を土で埋めてバリケードを作っていく。
いつか城の補修にでも使おうと思って見かけるたびにでっかい岩を取り込んでたんだが、それがこうして役立つ日が来るとはな。
「おいっ! どうした! この岩はなんだ……?」
「俺の魔法だよ」
「ほんとかよ……」
驚いて馬車から飛び出してきた商家のオッサンの目の前で拳大ぐらいの石を出したり戻したりして見せてやると、オッサンは「魔法使いってのはやっぱ凄いんだな……」とこぼして何とも言えない顔で戻っていった。
普通に考えたらおかしいことをやってるわけだが、魔法で火や水を出せる奴らがいるなら岩が出せるやつがいてもおかしくないって事で、これまでもそこまで人から気にされたことはなかった。
まさか容量無限でなんでもかんでも入るチートアイテムボックスだとは、お釈迦様でも思うめぇ。
「用意周到だな、クーシー」
「どうも」
感心したようにバリケードをぺたぺた触るリーナさんに、深皿に入った暖かいままのポトフとサンドイッチを渡す。
アイテムボックスさえあれば、旅先で煮炊きをする必要もないわけだ。
役に立つといえばこんなに役に立つ能力はなかった。
「まさに自由自在だな、私ももっと魔法を勉強しておけば良かったか……」
「僕の場合は先生が良かったからですかね」
まあ、ほんとは誰にも習ってないんだけど。
「飯っすか?」
「お前も食え食え」
サボイにも同じメニューを渡し、俺はテントと馬車の間に枯れ枝を組み、燃えた薪をアイテムボックスから取り出してその上にポンと乗せた。
春とはいえ夜は冷えるからな。
岩で作ったバリケードのおかげでだいぶ夜風はマシだとはいえ、火があるのとないのとじゃ安心感も快適さも段違いだ。
一応夜中でも暖かいものが飲めるように、鉄のポットやカップなんかも置いておこう。
こうしてアイテムボックスのおかげで夕日が沈み切る前に夜の支度が整った俺達は、最初の見張り役のサボイを残して日の入りと同時に眠りについたのだった。
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「おい、交替だ」
「あ……ああ、わかりました」
リーナさんに揺り起こされ、暗闇の中で目を覚ました。
寝起きで痛む胸を押さえながらフラフラと焚き火へ近づき、ポットからカップへお湯を注いでちびちびと飲む。
「平穏無事だな、動物たちも街道は人間がいて危ないと知っているものだ」
「そりゃあありがたいことです」
空を見ると、雲の少ないいい天気だ。
半月がぽっかりと空に浮かび、ほのかな光で地上を照らしていた。
「この旅の間は雨も大丈夫そうだな」
「そうですね」
腕を組みながら同じ空を見上げている彼女の横顔は、どうにも凛々しく、美しかった。
ピンと伸びた背筋から、油断のない眼光から、語らずとも滲み出る気品がある。
やっぱりこの人は、まず間違いなくどこかの貴族の娘だったんだろう。
一体、どういう理由があってこんなところにいるんだろうかな……
「あ」
「どうした?」
「いや、そういやリーナさん、俺のこと聞かないなぁと思って」
「何の話だ?」
「いや、ギルドで受付のオッサンが色々バラしてくれたじゃないですか。伯爵の息子だとか……」
「聞いてほしいのか?」
「そういうわけじゃないんですけど」
彼女は空を見上げたまま「ならばいい」と答えた。
「聞かれたくないことは聞かぬのが筋、気にするな」
「や、こりゃどうも……」
これは俺も軽く釘を刺されたって事かな。
まあ、家名を名乗れない貴族の身の上なんてのは面白い話じゃないしな。
彼女はしばらく空を眺めた後、そのまま何も言わずにサボイの眠るテントへと入っていった。
後に残されたのは何者でもない俺と、金色に輝く半月だけだった。
もう半分ネタバレですけど、串田くんの周りの人は多分死にません