第05話
めし
ギルドの中に戻って受付ブースにつくと、オッサンは俺達の前に一枚の羊皮紙を差し出した。
「お前に紹介したい仕事がある」
「仕事? すぐは無理だぞ、多分骨折れてんだから」
正直さっきから肋骨の痛みと熱でずっと頭が重いのだ。
減っていく金は怖いが、しばらくの間は安静にしていないとまずいだろう。
「あばら骨か?」
「ああ、多分」
「そんなもん、どうせ我慢するしかない骨だぞ、きつく布でも巻いとけ」
「歩くと痛いんだよ」
「じゃあできるだけ歩かなくていいように交渉してやる。ただな、この仕事はお前と嬢ちゃんだけじゃなく、リーナエンタールも込みじゃないと紹介できない仕事だ。どうだ?」
オッサンがそう言うと、リーナさんは「三思後行、条件による」と答えた。
そりゃそうだ。
「難しい仕事じゃない、こっちから西のエスキアに帰る商隊の護衛だ」
「護衛?」
「ああ、報酬はだいたい三日の行程で銀貨三十枚。あっちは戦えないから戦闘はお前ら仕切りだ。食事もなし」
「来る時はどうしたんだ?」
「自前の護衛がいたらしいが、それが死んだ。んで信用のおける冒険者が必要になったのさ」
「護衛はなぜ?」
「熊だ。契約の都合で急ぎだったらしくてな、行きは山道を通ったらしい。帰りはちゃんと街道を通るらしいから大丈夫だろう」
筋は通っている気がするが、なぜ駆け出しもいいとこの我々にそんな話を持ってきたのだろうか。
商人の護衛なんてのは普通一番下の草級の冒険者が任される仕事じゃない。
冒険者なんかヤクザな仕事だ、冒険者が盗賊に早変わりしたって何もおかしくないんだからな。
「それで、なんで俺たちにその話を?」
「まずひとつ、お前がクシャナンドラだからだ」
「はぁ?」
「お前が思っているよりも、この領じゃその名前は特別なんだよ。フェンドラの貴族の中でお前以上に平民に心を砕いた人間はいない、だからサボイの嬢ちゃんもついてきてるんだろうが」
なんだか知らんが、実家を追い出されてから褒められるとはな。
「で、もうひとつの理由だが、これもお前がクシャナンドラだからだ」
「どういうことだよ?」
「ぶっちゃけて言うと、お前は色んなとこから恨みも買ってるんだよ。今はできるだけフェンドラから離れたほうがいい」
まあ、それはなんとなく理解できる。
実の父と兄にあんな言い方で実家を追放されりゃあな。
自分が貴族社会のはみ出しものだってのはよーく自覚できたよ。
俺が推し進めた改革で割を食った貴族の一人や二人は当たり前にいるに違いない、見つかったら憂さ晴らしにぶっ殺されてもおかしくないだろう。
「お前は魔法使いだからってことで荷台に座らせて貰えるように交渉してみる、どうだ?」
「俺は受けてもいいが、リーナさんがどうだろうな」
俺とオッサンとサボイの視線が、腕を組んで考え込んでいたリーナさんに集まった。
「懊悩呻吟だな」 (色んな事に思い悩み苦しむ事)
やっぱなぁ、リーナさんにも色々予定があってコロナドにいるんだろうしな、そう甘くはないか。
「やっぱ駄目ですか?」
「いや、護衛代の五割は少々取り過ぎかと思ってな……」
そっちかよ!
「リーナさん、四割五分ってとこでどうです?」
「まあ、食事も込みならば四割五分でもいいが、如何か?」
「じゃあ、それで」
「いいだろう、この騎士リーナエンタールに万事任せておくがいい」
ドンと胸を叩いた銭ゲバ騎士は、そう言ってニカっと笑ったのだった。
ーーーーーーーーーー
仕事が決まってからは早かった。
痛む体を引きずりながら旅装を整え、消耗品を買い込み、残った金の大部分を使ってエスキア以西で売れそうな品を買い込んだ。
この領のことなら、何でもとは言わないが大体のことは知っているのだ、買い手さえ見つかれば儲けになる確率は高かった。
それに、もし売れなくても俺のアイテムボックスなら腐ることもかさばることもない。
ほぼノーリスクなんだから、とにかく物は買える場所で買っておいたほうがいいのだ。
「クーシー様、あんなに布買い込んでどうするんすか?」
「橙色の布はフェンドラ領の特産品なんだよ、しかるべき場所に持ち込めば倍額はつく」
「しかるべき場所ってどこっすか?」
「一応王都なんかが主流の交易先だけど、まぁそこまで行かなくても金には変えられるだろ」
サボイと喋りながら歩く大通りとも、もう明日にはお別れだ。
隣の部屋の寝言まで聞こえる宿にも、呆れるほど不味い飯屋にも、ガタガタの鋏で切られてめちゃくちゃ痛かった床屋にも、もう二度と行くことはないかもしれない。
三週間と少ししかいなかったコロナドの町だが、本当に様々な経験をさせてくれた町だった。
甘ちゃんの坊っちゃんだった俺に、生きるとはどういうことかというのを、痛いほど教えてくれた。
「まだ胸痛いんすか?」
「これはな、多分もう一ヶ月ぐらい痛いんだよ」
「そういうもんっすか」
「そういうもんだよ、お前は骨なんか折るなよ」
「気ぃつけるっす」
ぶらぶらと歩いて、町の端っこまでやって来た。
北に広がる森林と、東へとどこまでも広がる平原と麦畑が見える。
「お前、帰るなら今だぞ」
「帰るってなんすか?」
「多分明日ここを出たら、二度とこっちには戻ってこない。実家を追い出された俺と違って、お前は戻れるんだ、地元ってのは離れると辛いぞ」
「戻れないっすよ」
ぽつりとそう言ったサボイの茶色い瞳は、どこまでも穏やかに緑の地平線を見つめていた。
「家に帰ったって居場所なんかないっす」
「でも、俺と一緒に来たら死ぬかもしれないぞ」
「クーシー様は、農家は死なないとでも思ってるんすか? 死にますよ、人は。森でも、町でも、一緒っす」
サボイにそう言われて、俺はハッとした。
俺は領民の冬季死亡率を、かなりはっきりとした数字で知っているはずだったのだ。
飢えで、凍えで、人は死ぬ。
そう知っていたはずだったのに……
俺はその当事者であるサボイの口からそう言われるまで、どこかよその国の事のように考えていたのだ。
「そっか、そうだな」
「そうっすよ。冒険者はいい仕事っす。頑張ればお腹いっぱい食べれますし、どこにでもいけるっすから」
東から吹く風になびくサボイのポニーテールは、まるでこの領に未練のない彼女の心のようだった。
「それに……」
「ん?」
サボイはちらっとこちらを見て、クスクスとあどけなく笑った。
「一人じゃ獲物の解体も洗濯もできないんすから、そんな人をほっとけないっすよ」
「解体は最近は結構できるようになってきたろ」
「そうですかね?」
鳥ぐらいは捌けるようになってきたろ、洗濯は未だに苦手だけどな。
「まあでも、一人じゃ寂しいっすから。クーシー様がどこに行くんでも、あたしだけは最後まで付いてってあげますよ」
そう言って、サボイはまた地平線を見つめ、調子はずれの口笛を吹く。
俺はそれを聴きながら、これで最後だと、生まれ故郷から吹く青臭い風を胸いっぱいに吸い込んだ。
ズキンと走った胸の痛みに、少しだけズズッと鼻が鳴った。
くう