第03話
「クーシー様っ! 早く! もっと早く走ってくださいっす~!」
「うおおおおおおっ!!」
小春日和のちょうちょ飛び交う野っ原を、俺とサボイは命をかけて爆走していた。
俺達の後ろからは、疾走する灰色の二匹の狼が涎を垂らしながら猛然と追い上げをかけてきている。
「あれはっ! もう矢はないんですか!?」
「射ち切った! あれで三匹も減らしたんだぞ!」
「他に何かないんですか!?」
「ない! 他のものは嫌がらせか足止めぐらいにしかならん!」
「やばいじゃないっすか!」
「やばいから逃げてんだろ!」
後ろ手に出した右手から、収納していた熱湯を狼に吹きかけながらひた走る。
吹きかけるっていってもチョロチョロ出てるだけだから、ほんとに嫌がらせ程度の効果しかない。
狼たちが飛びかかって噛みつきに来るたびに、子供の頃にアイテムボックスの収納限界を探ろうとして取り込みまくった木の枝やでっかい石なんかのゴミをぶつけているが、奴らをひるませるぐらいにしか役に立っていないようだ。
まずいな、このままだとアイテムボックスの中身よりも先に俺の体力が尽きる……
いっそ小麦粉を撒きまくって粉塵爆発で狼と一緒に自爆してやろうか、なんてことを考えだした俺の耳に、ここ二週間ですっかり耳に馴染んだあの口上が飛び込んできた。
「そこなお二人ーっ! 拙者は騎士リーナエンタールである!! 拙者と組めば報酬の七割で道中の安全確実、家庭円満、幸運到来、立身栄達間違いなしである!! いかがかーっ!?」
「助けてくださいっす~!!」
「組む組む!! 助けてくれーっ!!」
地獄に仏、修羅場にがめつい女騎士だ。
俺とサボイはくすんだ金髪の女騎士の横を走り抜け、そのまま地面に倒れ伏した。
五キロ近くある森から町の近くまでの距離をひたすら走ってきたのだ、運動不足のモヤシの俺はさすがに限界を迎えていた。
「引き受けた! 狼二匹、一刀両断にして見せよう!」
リーナさんは刃渡り一メートルほどのロングソードの鞘を払い、飛びかかってくる狼の頭を下からかち上げた。
しかし、その足元をすり抜けて、もう一匹の狼は倒れ込んだ俺の方に走りかかってきた。
「なんで俺の方に来るんだよ!!」
「避けろっ! 少年!」
避けれるかよ!
狼が俺に向かって跳躍し、腹の白い毛が太陽でキラキラと光って見えた。
「ばっ! あっ! ほあーっ!!」
咄嗟に突き出した右手から、銀色の光が飛び出した。
狼の腹をばっくりと裂き、俺を返り血で真っ赤に染めたそれは……
今の今まで忘れていた、今朝仕込んだばかりの全力投擲ロングソードだった。
「やあやあ魔法か、やるではないか」
「牙っ! 牙がっ! 目の前までっ!!」
「万死一生! 冒険とはそういうものよ!」
何が面白いのかケタケタと笑う彼女は、腰につけていた手ぬぐいで剣の血を拭う。
俺はまともに戦ってもいないのに血まみれだが、彼女は返り血をほとんど浴びていないようだ。
やはり腕の方は確からしい。
「リーナエンタールさんはっ! なんでここに!?」
アドレナリンが出ていて頭がふわふわする。
交通事故の直後みたいなもんだろうか、さっきまでめちゃくちゃ痛かった足が全然痛くなくないぞ。
「なに、新入りが森に入ると聞いてな、狼か猪あたりに手こずるかと思って様子を見に来たのだ」
聞いたんじゃなくて盗み聞きだろ。
まあいい、助かったんだからな。
全力疾走で荒く乱れた息を落ち着けるのには苦労したが、腹に力を入れてなんとか持ち直す。
「サボーイ、生きてるかー?」
「あい~」
ちょっと離れた場所に突っ伏したまま動かないサボイに声をかけると、気の抜けた返事が返ってきた。
「しばらく休憩したら狼捌いてくれ~」
「焼いて食べていいっすか~?」
食うの!?
まあ……でも、なんでもいいか。
俺が食うわけじゃないしな。
「……好きにしろ」
「食べる? 狼をか?」
サボイの悪食には冒険者の先輩であるリーナさんも少なからず驚いているようだ。
こいつマジで何でも食べるからな。
「故郷でも一回食べたことあるっすよ~。内臓はめちゃ臭いっすけど、洗ったらいけるっす」
「ふーん、物は試しだ、私も食ってみよう。どうせ獲物の七割は私のものだしな!」
彼女はそう言って、からからと笑う。
腹壊しても知らないぞ。
なんとなく地面から首を持ち上げると、俺の腹の上で口を開いたまま絶命した狼の首と目が合った。
俺は流石に、この狼を食べる気にはなれなかった。
食ったら恨みの力で腹の中から復讐されるかもしれないしな……
そもそも今日一日狼に追いかけられすぎて、俺はもう完全に狼というものが苦手になってしまっていたのだった。
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「魔法使いとは聞いていたが、なかなか力があるようだ。便利に使うものだな」
アイテムボックスから取り出した水を手から吹き出して体を清める俺を見て、感心したようにリーナさんが言った。
魔法じゃないが、それを説明する意味もない。
俺はそうなんですよとだけ答えて、さっさと体についた狼の血を落としていく。
「燃やすものがあれば火を焚いてやるのだがな。私も火付けの魔法ぐらいは使えるのだ」
「あ、薪出しますよ」
俺が手から地面に何本か木の枝を出すと、彼女はなんとも興味深げに俺の右手を掴んだ。
「さっきの狼を倒した乾坤一擲の一撃もこれの応用か?」
「ええ、まぁ」
「重畳重畳、なかなかいい師に学んだと見える、やはり芸は身を助くものだな」
「ありがとうございます」
彼女は「うむ」と返事をしながら手で印を組み、指先から吹き出た炎で地面の枝に火を付けた。
うん、妙に身綺麗な格好とズレた感性からまず間違いないと思っていたが、やはり彼女は元貴族のようだ。
魔法を学ぶ伝手があるのは基本的に貴族だけだ。
たまたま出会った魔法使いから学ぶって手もなくはないが、魔法使いってのは秘匿主義かつ拝金主義だからな、条件は厳しいだろう。
「クーシー様ーっ! 捌くの手伝ってくださいよー!」
少し離れた場所で狼を解体しているサボイからそう声がかかるが、俺はまだずぶ濡れなんだ。
わりあい暖かな春とはいえ、濡れた体で動き回ったら風邪引くからな、もうちょい暖まらせてくれ。
「まだずぶ濡れなんだよーっ! もうちょっとしたら行くからーっ!」
「狼重いっすよーっ!」
サボイの弱音を聞き流し、俺は燃える木の枝の上にもう二、三本枝を足した。
ちらりと彼女の方を見ると、なんだかんだと言いながらもう一匹目の狼からは皮がほとんど剥がされていた。
毎日鳥を捌いているのを見てたから知ってたけど、やっぱあいつ器用だなぁ。
「まさに庖丁解牛だな、なかなか慣れているようだ」
俺と一緒に火に当たるリーナさんも、サボイの仕事っぷりを見て感心したようにそう言った。
「あいつ農家の娘ですからね、狼はともかく鹿や猪ぐらいなら経験あるんじゃないですかね」
「そういうものか、私はそういうのはさっぱりでな」
まあそうだろう、基本貴族の狩りって狩ったら狩りっぱなしだし。
俺はそういうのには一切関わらなかったんだけど、狩りっていうのは軍事演習でもあるからな。
貴族の仕事は殺すとこまでってことだ。
ゆらゆら揺れる焚き火に当たりながらぼうっとしていると、北からの風が吹き付けるように体を撫でた。
背中がぶるっと震え、俺はチョロチョロ燃える焚き火へとさらに木の枝を足したのだった。
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「じゃあ諸々売り払って銀貨五枚ってとこだったので、リーナエンタールさんには銀貨三枚と半銀貨、残りは俺たちのものということでいいですね」
「待ってくれよ、今計算するから」
結局この日は鹿は狩れなかったが、狼二匹分の皮と肉、そしてコロナド商工会からギルドに出ていた狼討伐依頼の報酬が手に入った。
ぶっちゃけ昨日までのカラス狩りだと生活費で若干足が出るぐらいの稼ぎしかなかったのだが……
今日の狩りではその十数倍の稼ぎを手に入れることができた。
やっぱ危険な仕事ほど稼ぎがいいのは間違いないようだ。
まあ、そのうちの七割は地面に石ころで式書いて筆算してるリーナさんに持ってかれるんだけどね……
「うん、合っているようだ」
「では、これを」
うむ、と満足げな彼女に銀貨三枚半を手渡し、俺達はギルドの前で握手をして別れた。
今日は本当に助かった、九死に一生だったな。
「クーシー様、お腹すいたっす。そのお金で何か美味いもの食べましょうよ~」
「美味いもの? ダメダメ」
「なんでっすか?」
「今日矢全部使っちゃったんだぞ、飯なんかさっさと済ませて今から作り直さなきゃ駄目だ。やっぱ鏃のある矢も用意しなきゃ駄目だってことがよくわかったから、鏃も買わなきゃな」
「え~、マジっすか?」
「今日みたいなことがもっかいあったら死ぬぞ。ほらほら、開いてるうちに武器屋行くんだよ!」
「武器屋の前に飯屋行きたいっす~」
「お前さっきバクバク狼食ってたろ!」
俺は渋るサボイの手を引っ張り、轍でガタガタのコロナドのメインストリートを駆けた。
西の空を貫くようにそびえ立つ世界樹の上を通る夕日が、俺達と町を赤く赤く染め始めていた。
最近ヒガシマルのうどんスープでキャベツを炊くだけの毎日を過ごしています




