第14話
別に最初はそういう気持ちはなかった、俺は商人としてそこそこに暮らせればいいと思っていたのだから。
国が戦争をしようが、平民になった俺には関係のない話だと思っていたのだ。
しかし、ズキモモに出会い、口八丁手八丁で流されてここまで来て、完全に考えは変わった。
実際に敵国であるイントラ帝国を見て、俺は本気で危機感を感じたのだ。
こいつらがこのままタネット王国に攻め込んできたら、マジでやばいぞと。
「処女に童貞、何でもいるぞ! 何をしたっていいんだ、こいつらは北のフルフェンから連れられてきた元敵国の奴らだ、こいつらに親兄弟を殺された奴はいないか? やり返してやれ、あんた達にはその権利がある! カネさえ払えば何やったっていいんだぞ? 奴隷はいらないか?」
通りには奴隷商が全裸の奴隷達を並ばせて口上を述べ、エルフを二人連れた俺達に好色そうな目を向ける。
こいつらにはゴロツキ以下のモラルしかない、商材になりそうな相手と見るや細い通りに入った途端に襲いかかってくる奴らだ。
リーナさんはこの国にいる間ずっと警戒態勢で杖に手を添えていて、サボイは通りを歩く時はビビりまくって彼女にべったりだ。
アレウスは……何考えてるのかわからない、いつも通りボーッとしてるようにしか見えないな。
「旦那、どうですか? いい女いますよ」
駆け寄ってきたポン引きがそう言って薦めてくるのは、病気で鼻のなくなった女やガリガリに痩せて死にかけたような子供だ。
俺の目には、この国にはあらゆる悪徳が蔓延っているように見えた。
裏通りには大量の死体が放置され、街中にハエが飛び回り悪臭が漂っている。
通りを行く孤児たちが老婆の商う店を襲撃していても、誰もそれを咎めようとはしない。
兵役に取られるためか若い男はほとんどおらず、街にいるのは老人と女と子供ばかりで、皆が皆痩せていて、笑顔を見せる者を見たことがなかった。
どう考えてもこの国はもう滅びかかっている。
だというのに、領主の館に行けば、麦も金も大量にあるのだ。
俺には、この国の人間たちが獣の群れにしか見えなかった。
「クシャトリヤ、何暗い顔してんだよ」
ズキモモに偽名でそう呼びかけられて、俺は曖昧な笑顔を返す。
「他人が汚く思える」なんて青臭いことを、同じ転生者の彼女に知られるのがなんとなく恥ずかしかったからだ。
「お前、もしかしてこの国の有り様に気を病んでるんじゃないだろうな」
「え? なんでそう思うの?」
急に心を見透かしたようなことを言う彼女に、俺は内心ドキドキしながらそう答える。
そんなこと気にするような事かと、一喝されるかと思ったのだ。
だが、彼女から帰ってきたのは意外な言葉だった。
「そりゃあ、俺だってガキの頃はそう思ったからだよ。世が荒れてさ、人心も荒み、悪徳は蔓延って、世の中ってこれでいいのか? なんてことを考えたこともある」
なんだと……?
この唯我独尊でやりたい放題の女に、そんな感性があったのか。
本気で意外だな、他人になんかはなから興味がないものだと思ってたけど。
「でもな、これまで滅ぶ国を四つぐらい見てきたけどよ、みんな終わりの頃はこんなもんだったぜ。気にするだけ無駄だ」
そんなバカみたいな結論を話しながら、彼女は俺の肩をポンポンと叩いた。
なんじゃそりゃ。
「ていうかお前さあ、一体今何歳なんだよ……」
「六百ぐらいじゃねぇかな、多分」
「多分ってなんだよ」
「四百歳ぐらいまではきっちり数えてたけどよ、どっかでわかんなくなって今は適当だ」
男の姿に変化したままの彼女は楽しそうに笑い、懐かしそうな顔で町並みを見つめた。
「この国の中をこうやって自由にテレポートできるのもよ、前ここにあった国で町を回ったことがあったからだしな。長生きも良し悪しだぜ」
「前にあった国はどうだったんだ?」
「栄えて、間違えて、滅んだ。国は全部同じだ」
ズキモモは悪徳の煮凝りのような町の大通りを、澄んだ瞳で楽しそうに見つめている。
「お前が作るって言ってた国も、そうやって滅ぶのか?」
「ああ、滅ぶ」
「そんなん作る意味ないだろ、滅ぶんならさ」
俺がそう言うと、ズキモモはフンと鼻で笑った。
「意味がねぇなら国なんか生まれねぇよ。国は入れ物だ、中身が大事なんだよ」
「中身? 人間のことか?」
「文化だよ、文化。お前が着てる服も、履いてる靴も、何千年も前の人間が作ってこれまで残ってきたんだ。人間は五十年しか生きねぇが、文化は驚くほど長生きだ」
「じゃあお前は国を作ってまでどういう文化が欲しいってんだよ?」
「あれだよ」
ズキモモは人差し指で空を指差した。
「空?」
「もっと先」
「もっと先って……宇宙か!?」
「俺はな、他の星に行ってみたいのよ、六百年と三十年前からな。笑うか?」
クッと喉で笑いながら夢を語った彼女の声音はどこまでも爽やかで、何の大望もないがらんどうの俺には少し眩しかった。
「そのために国を建てるってのかよ」
「日本じゃあ俺が生きてる間には無理そうだったしな、でも今の俺は寿命が長いだろ?」
そうか、こいつは宇宙に夢を見てるから、この地上の腐敗なんか気にもならなくなったってわけか。
真っ青な空のその向こうを見つめるズキモモの顔を、俺はじっと見つめた。
「芽があるのは今のこの瞬間だけなんだ。お前もいるし、あっちの知識があるタネット王国の転生者達もいる。絶好のタイミングってわけだ、これでミスったら墓に大馬鹿者って書かれるぜ」
だからよ、とズキモモは俺の顔を見て続けた。
「俺について来いや、とびっきりの夢見せてやる。これからお前の力のせいで死んでいく連中の恨みも、消えていく国の怨嗟も、馬鹿どもの悪意も、全部俺が背負ってやる」
彼女はちょいと自分の右耳を触って、口の端だけで笑う。
俺はそれに、まだ何も答えることができずにいた。
「とりあえずよ、お前はこの先どんな面白い光景が見られるかだけを楽しみにしてろ」
そう言ってまた前を向いた彼女の目線の先には、ぎらつく太陽とこの町の領主の館が見えてきていた。
夏だからだろうか、太陽が焼け付くように暑かった。