第13話
寒い
「信じないなら信じないでいいんだよ別に、よそに持ってくだけだからさ」
ここはイントラ帝国の穀倉地帯のど真ん中にある辺境都市サヤック。
その赤レンガ造りの豪奢な領主館の一室で、鼻のでかい男のエルフが領主をそう脅す。
散々「どこそこの領主はいくらの値を付けた」だの「この薬を帝都の某に卸した事がある、問い合わせればすぐにわかる」だのと詐欺師まがいのセールストークをしまくった後だから、相手も結構揺れているようだ。
世の中にこういう悪どい話し方をするエルフがそうそういるわけがない。
そう、こいつはズキモモだ。
俺達は今、全員アレウスに変化の魔法をかけられた状態でエルフの行商団としてここに来ていた。
「待て待て待て! 信じないなどとは言っておらんだろう! この薬は本当に、帝都のあのホーヤン翁を若返らせた薬かと聞いているだけだ!」
「それで我々がそうだと言ったところで、あんた信じられるのかい?」
領主はぐぬぬと唸って、机の上の『時戻し』を試薬に入れて反応を見ていた鑑定士の背中を、バンと平手で叩いた。
「おい鑑定士! どうなんだ?」
「とりあえず、世界樹由来の品とだけは……」
「わかった! 買う! 買うが……ちょっと待て! 今は現金が足りん」
贅肉にたるんだ目の周りがシミだらけの老齢の領主は、大汗をかきながらそう言い。
ズキモモはその言葉を待っていましたと言わんばかりに提案を返す。
「別に金がないなら物でもいいんだよ? 布とか、麦とかでもね」
「本当か? 麦ならある! 麦で払うぞ!」
そりゃあ、そのためにわざわざ穀倉地のど真ん中の町を狙い撃ちにしてるんだから、なきゃあ困る。
大汗をかき、足をもつれさせながら、領主は鑑定士と三人の兵を引き連れて館の裏の倉へと俺達を案内して歩く。
その間にも、彼は家宰に何やら耳打ちをして指示を飛ばすのも忘れていない。
指示を受けた家宰は青ざめた顔で素早くどこかへと消えていく。
この展開はもう三度目だ、俺もさすがにうんざりしてきた。
「ここいらの倉はほとんど麦だ!」
「じゃあ倉から出してください、試算致しますので」
ズキモモがそう言うと、領主は憮然とした顔で倉の整理をしていた下人達に「麦を全部出せ!」と大声で叫んだ。
突然やって来た俺達を何事かと遠巻きに見ていた下人達は、その言葉で四方八方へ走り出す。
三十個ほどもある巨大な倉からはどんどん麦袋が運び出されて積み上げられていき、俺達の目の前に壁のようにそそり立っていく。
その間に俺達が今入ってきた扉の向こう側から小さくカコンという音がした。
領主は扉を隠すようにその前に立ち、自分の前には兵たちを立たせて豪奢なジャケットの袖で汗を拭う。
俺達に逃げられないように、扉に閂がかけられたのだ。
倉の周りには忍び返し付きの高い壁が張り巡らせてあって、そちらからも逃げられないようになっている。
つまり、相手は俺達をここに閉じ込めたと思っているわけだ。
なんだかなぁ、こっちの国の人ってみんなこんな感じなのかな。
人間不信になりそうだよ。
「ひとつ開けるよ」
「好きにしろ」
さっきまでとは打って変わって余裕の表情になった領主が、ズキモモの問いに薄ら笑いを浮かべながら答える。
ズキモモは袋から大麦を取り出し、指先ですり潰して匂いを嗅ぎ、俺の顔を見て小さく頷いた。
「ま、いいだろう、これを何袋出すつもりだ?」
「わしは全部でもいいぞ……持っていけるものならばな!」
そう叫んで、領主は後ろ手で背後にある扉をコンコンと叩いた。
あの扉の向こうには領主が集めさせた兵士達がいるはず。
俺達がただの商隊ならば、すぐに兵士に囲まれて殺されてしまうところだった。
しかし、こっちには強力な魔法を使うエルフがいるのだ。
「固めろ」
ズキモモがすかさず老人のエルフに化けたアレウスにそう言うと、彼は扉に向けてパチンと指を鳴らす。
指先から出た緑色の光が三メートルほどの幅のその扉を覆い、一瞬の間を置いて扉の向こう側からざわめきが聞こえてきた。
「あれっ、開かないぞ」
「どうなってる」
「閂は外したのに動かない」
アレウスが魔法で扉自体を固めたのだ。
多分扉の向こうでは完全武装の兵士たちが想定外の事態に困惑していることだろう。
領主は何度も扉をノックするが、一向にそれが開く気配はない。
「エルフ共、何をした!」
「取引の場に余人が入ってきては困るのでね」
「こんなことをしても無駄だぞ! 貴様らはもうどこにも……」
彼がその言葉の続きを言うことはなかった。
俺が積み上がっていた全ての麦袋をアイテムボックスに収納したことで、驚きのあまり絶句してしまったからだ。
「まだ倉に残ってるんじゃないか?」
「おお、それも貰っていこう、全部持ってっていいって話だからな」
「やめ……やめろっ! おい! お前らあいつらを斬れ!」
領主がこちら側にいた三人の兵士にそう言うと、兵士たちは腰を引かせながら槍をこちらへと向けた。
そこに、一陣の風が舞う。
俺の護衛であるリーナエンタールさんだった。
彼女は目にも留まらぬ早業で三本の槍の間を掻い潜り、中に鉄心の入った飴色の杖を三度振るった。
的確な打撃で皮のヘルメットの上から頭をぶん殴られた兵士たちは、瞬く間に昏倒させられ。
それを目の前で見せられた領主は、腰を抜かせて小便を漏らしていた。
「こっちまだあるっすよ!」
「おお、行く行く」
「一袋も残すなよ、全部持ってっていいって言ってたからな」
俺達は領主の言葉通り、全ての麦袋を収納していった。
「待て! 待てっ! 全部はまずい! それらの麦は今年の税として収める分もあるのだ! 金を、金を持ってくるからそれと半々で……」
「いいや、麦でいい」
「待ってくれ、誤解があったようだ! 仕切り直そう! な? 話し合おう!」
自分の小便に塗れたままそう言う領主を、前までの貴族の俺ならば「可哀想」だとか思っていたのだろう。
だが、イントラ帝国にやってきてから三ヶ月が経ち、俺はもうこの国にはほとほと嫌気が差していた。
この領主のように武力を楯に契約破りをされそうになること三回、奴隷狩りに狙われること八回、町に入れば道行く人に喧嘩を売られ暴言を吐かれまくった。
店ではぼったくられ、バカにされ、お釣りをくれない所も多く、財布を出した瞬間に盗人が押し寄せてくる恐怖の町もあった。
とにかくここは、平民から貴族に至るまで荒み切った国だ。
もちろんそうなるまでに色々と理由はあったんだろう。
歴史的な背景もあるに違いない。
それでも、俺はもうこの国が大嫌いだった。
母国にこんな奴らが攻め込んでくるぐらいなら、国中の麦を奪って恨みを買ったほうがマシだ。
「これでだいたい全部っすね」
「そうか」
俺がサボイの案内した先の麦袋を収納すると、三十個の倉はほとんど全部空になった。
倉の周りに張り巡らせてある壁の向こう側からは兵士たちの声が聞こえてくるし、そろそろ潮時だろう。
「麦の収納OKだ」
ズキモモにそう伝えると、リーナさんと一緒に領主や下男達を見張っていた彼女は懐から薬を一包取り出した。
「契約は成立だ、こいつを受け取れ」
領主は地面に落とされたそれに覆いかぶさるように飛びついて、俺達を睨んだ。
「貴様ら、もうどこにも逃げられんぞ! この私をコケにして生きていられると思うなよ!」
「じゃあな領主サン、長生きしろよ」
ズキモモの言葉と同時に壁の向こうから梯子がかかり、わっと兵士達が押し寄せる。
だがそこには狂ったように「殺せ!」と喚く、小便塗れの領主がいるだけだった。
寒い