王妃カルガナ
首都パリガーサから東に40キロほどの地点にあるマヒスマという街で、モンテ皇国一行は宿泊をしていた。
明日、明後日と実務的な協議が行われる。協議に備えてギブソンと書記官は事前の打ち合わせを行っていた。
昨日、クロキとヒースがアーミル王国北西部の遺跡でメソジック帝国の騎士と遭遇し、戦闘が発生したことはルースに報告されていた。メソジック帝国の騎士側から攻撃を仕掛けて来たとはいえ、クロキがその騎士を散々に痛めつけたことを考えると、報復があってもおかしくはない。
その一方で、相手が一人であったことから、敗北を恥じ、相手が詳細を伏せて報告することも考えられる。
そのようなことから、ルースとしてはパリガーサで宿泊をしたかったところだが、なぜかアーミル王国政府から指定された宿は、パリガーサから離れたマヒスマの街の宿であった。
マヒスマの中心には大きな河が流れており、宿はその河からそう離れていない場所に位置していたため、静かな夜に川のせせらぎが宿まで届いていた。
ふと、宿の前に馬車が止まったかと思うと、フロントが騒がしくなった。
ルースはクロスボウと剣を取ると、階段の手すりを滑り一目散に一階まで降りた。
フロントの前にできた人だかりの中心には、華やかな彩のドレスの上からストールを纏い、ゆったりとしたズボンを着た女性が数名。宿の外にはアーミル王国の兵士が見える。
「静粛に」
女性の一人が取り囲む宿泊客を制止した。
「ここに、モンテ皇国の使節の方がいらっしゃるはず、呼んできていただけませんか」
それを聞いてルースが前に出た。
「あー、こんばんは、綺麗なお嬢さん方。私は、モンテ皇国の使節団の護衛隊長をしているルース・ルーサーと申します」
ルースは右腕を身体の前に出しながら、頭を下げた。
「それで、あなた方は一体どちら様でしょう」
ルースの質問に女性の一人が答えようとしたとき、その後ろからストールを頭から被った女性が踏み出てきた。
周りの女性たちとは異なり、身に着けているストールには金の刺繍が施され、首と手首に金色のアクセサリーが見える。一瞬で高貴な身分と分かった。
ルースはそれよりも、その女性の見事なプロポーションに見とれていたが、ストールを降ろしたその顔の美しさに思わず固まってしまった。
全体にウェーブした長い黒髪。露出した額に細いが凛々しい眉が見える。
ルースが見惚れていると、果実のように瑞々しいピンク色の唇が開いた。
「アーミル王ジーシュの妃、カルガナです。モンテ皇国の方に内密の話があって参りました。どうぞお取次ぎを」
「こ、これは、一体いかな御用でしょうか」
宿の一室を借りて、ギブソンとカルガナの面談が始まったが、ギブソンは緊張のためか、しきりにコップに手をやり、水を口にしていた。
カルガナは凛々しい表情でギブソンを真っすぐに見ながら口を開いた。
「本日、メソジック帝国の使者がアーミル王とお会いになりました」
カルガナは静かに、しかし、力強く続けた。
王宮内謁見の間。
ハミルトンが大きな腹を縦横に揺らしながら笑う。
「ゲハハハ。ジーシュ王様ご機嫌麗しゅう。そしてカルガナ王妃も噂に違わぬお美しさですな。今日は拝謁できて大変嬉しく思います。ゲヘゲヘ」
謁見の間に並ぶアーミル王国の臣下たちが、ハミルトンの笑い方に不快感を抱いているのがジーシュ王にも感じ取れた。
ジーシュ王が横に座るカルガナを見ると、カルガナがうなずく。そして、言葉を選ぶようにジーシュ王が口を開いた。
「あ、ああ、よくいらしてくれた。そ、それで、本日はどのような用件であるか」
「はい、我が国の宰相エイドリアンよりアーミル王へ、お願いでございます」
「ふ、ふむ、何かな?」
「近いうちに、メソジック帝国はシュマリアン共和国に侵攻します」
「何と……」
ジーシュ王は驚きを隠せなかった。
その横で、カルガナは目を細め、ハミルトンを見る。
「そこで、貴国には、メソジック帝国軍の第三軍として、シュマリアン共和国攻めに協力していただきたいと思っております」
謁見の間全体の空気が凍った。
さしものジーシュ王もその意味を理解できた。帝国軍の第三軍として、それはつまり、メソジック帝国の配下となれと言っていることと同義であった。
しかし、ジーシュ王は、返す言葉が思いつかない。
沈黙を破ったのはカルガナであった。
「そうですか、では、そのためにお願いしたいことがあります」
「ゲヘヘ、何でしょう」
「その第三軍とやらにメソジック帝国軍の全権を委任していただきたい」
「ゲヘ……?」
ハミルトンの笑いが止まる。ハミルトンはしばらくカルガナを見た後、後ろに控える副官グレンを見た。
「おい、俺の聞き間違えじゃなければ、帝国軍をくれということか?」
「はい、おそらくそのとおりです」
グレンは淡々と答えた。
「どうやら理解ができていないみたいなので、もう一度言いましょう。他国の命令で戦うなどアーミルの誇りが許しません。アーミル王国軍を軍に組み込まれるのならば、当然アーミル王国軍が全軍の指揮を執るべきと考えます」
ハミルトンはしばらく沈黙し、ジーシュ王を見ながら口を開いた。
「ジーシュ王様、よろしいのですね」
「う、うむ……」
そう言ってジーシュ王はカルガナをチラリと見た。
「そうですか、本当によろしいのですな。ならば、私はその旨をエイドリアンに伝えるのみです。またお会いするのが楽しみですなあ……ゲヘゲヘゲヘ」
ジーシュ王の最も近くに座していた臣下が堪え切れずに立ち上がった。
年は30代後半。スキンヘッドで細身の引き締まった体躯のその男は、軍司令のアソカであった。
「我が王よ、この無礼者を斬り捨てる許しを!」
アソカのスキンヘッドの頭に血管が浮かび上がっている。しかし、それを沈めたのはジーシュ王ではなくカルガナであった。
「アソカ、落ち着きなさい。彼らの希望どおりならば、いずれこの男はあなたの下につくことでしょう。そうですねハミルトン殿?」
「ゲヘ……我が国の宰相の考え次第、ですがね……」
「では、持ち帰り、アーミル王の望みを伝えてください」
カルガナはそう言って笑みを浮かべ、すごすごと謁見の間から退室するハミルトンを見送った。
「そ、それは、実質的にメソジック帝国と仲たがいをしたということでは……?」
ギブソンは、謁見の間でのメソジック帝国とのやり取りの話を聞き、驚きを隠せなかった。
「ええ、そうなるでしょう」
カルガナは毅然とした態度で、さも当たり前のように返答した。
「それで、王妃はなぜ我々にその話を?」
カルガナは一拍置いて、はっきりと答えた。
「モンテ皇国と軍事協定を結びたいと考えています」




