異邦人ヒース
カイゼルが兵士を使いに出してしばらくすると、眼鏡を掛けた小柄な男がやってきた。
年齢はクロキと変わらないように見える。
茶色いちぢれ毛にハンチング帽をかぶり、欧米人と思われた。
ヒースと呼ばれる男は、急いで走ってきたのか、肩で息をしながら、
「すいません。遅くなりました。あ、やばい」とあいさつをした。
ヒースの足元は泥だらけで、入り口からここまで薄っすらと足跡がついていた。
「ヒース、よく来たね。この者を君の助手に使ってくれないか」
「ああ、もしかして、私と同じ世界の。でも、縛られてますけど……」
クロキの格好からヒースは即座に同じ異邦人であると気付いたようだった。
カイゼルが兵士にクロキの縄を解くよう指示し、クロキは自由となった。
「では、よろしく頼むよ。必要な物があれば言いたまえ」
カイゼルはそう言ってヒースの肩を叩くと、部屋を後にした。
部屋を出て廊下を歩くカイゼルに、後ろを歩く貴族は不満そうに聞いた。
「あんなことを言ってよろしいので? 異邦人の世界に行く研究は10年経っても未だに結果が出ていません」
「1年後というのは、まあ、私の希望だね。それに、彼も今までの異邦人と同じように、1年後には帰りたいという気持ちが薄らいでいるよ」
そこまで言って、カイゼルはため息をつく。
「そんなことより、モンベルト様のご機嫌を損ねたことの方が問題だ。早く何とかしないと、誰かの首が飛んでしまう」
カイゼルは頭を掻きながら執務室へと入っていった。
「あなたは、チャイニーズ、いや、ジャパニーズか」
「え、あ、はい、日本人です。クロキと言います。って言うか、言葉が通じるんですね」
「私はヒース。カリフォルニアの出身です。そういえばこうやって話ができるのは不思議ですよね、多分、言語操作魔法を掛けられたら、その言語が日常語になるんじゃないでしょうか」
二人は自己紹介をしながら城の外に出た。
クロキが振り返ると、そこには石造りの大きな城が二人を見下ろしていた。
かつて、とある国のスパイが国家機密の取引をする現場を押さえるため、ヨーロッパのとある城へと行ったことがあるが、そこは所詮観光地化された城であった。
人が住み、人が集まり、行政機能を持つ施設としての城。クロキは、異世界に来たことを改めて実感した。
「それにしても、クロキさんは状況を受け入れるのが早かったですね。今日召喚されてきたばかりでしょう。私なんて、目の前で魔法や魔道具を見せられた上で一晩掛かりました」
ヒースは、クロキにこんな話をした。
異邦人の召喚はこの国だけはなく、ほかのいくつかの国でも行われている。
かつて、ほかの国では最後まで異世界であることを受け入れず、自分の家に帰ると旅に出たまま戻らなかった異邦人がいたという。
その異邦人がどうなったかは不明だが、異邦人が旅に出た10日後、近くの山の中で猛獣に食いちぎられたと思われる左足が見つかり、その脚が履いていた靴は、旅に出た異邦人が履いていた靴であったという。
2人が城を囲む水堀にかかる橋に差し掛かると、立ちふさがるように1人の男が立っていた。
「待っていたぞ」
それは、山の中で遭遇したソードの男であった。
男は、クロキに折られた右ひじを何ともない様子で動かして言った。
「治療術師のおかげで回復はしたが、借りを返さねえと、俺の気が済まねえ。しかも、どんなすごい魔力の持ち主かと思ったら、まさか無魔力者とは、余計にムカつくぜ」
男はソードを構える。
クロキは、ヒースに離れるよう指示すると腰のホルダーや手甲を確認する。
右手の手甲は山中でソードを受け止めたせいか、ガジェットが作動しなくなっていたが、それ以外には不具合がないことを確かめると、クロキは刀を抜き、下段に構えた。
「やめろ。お前の術は1度見ている」
「まぐれで防いだくらいで調子に乗るなよ」
男は、真っすぐクロキに斬りかかった。
クロキは男のソードを全て捌くと、柄で男を押しつつ距離を取る。
男は、深く息を吸い、呼吸を整えると、動きを止めた。
「スキル発動、ハイプレッシャー!」
クロキに向かって男が突進する。
クロキはバックステップで距離を取りながら左手の手甲からワイヤーを取り出し、男に向かって振り回すと、ワイヤーが触れたところから男は霧散していく。
霧散する残像の奥に男はいなかった。
クロキは後ろに下がりながら左右を見て、そして上を見る。
ソードの男は残像に隠れて跳躍し、上方からクロキに向かってソードを振り降ろそうとしていた。
クロキはさらに2歩後ろへと下がる。クロキの鼻先を剣先が空振りし、男が着地した。
男は、着地と同時にクロキに斬りかかろうとしたが、喉元に刀の切っ先を突き付けられ、両手を上げる。
「名前を聞かせろ」
「クロキだ」
「俺はティム。覚えておけ」
そう言うと、ティムはソードを鞘に納め、城の中に入って行った。
「あの男の術も魔法なのですか」
クロキはヒースに聞いた。
「いえ、あれは、『スキル』です。魔法とは別物で、無魔力者でも使える技術ですね。無魔力者が魔法使い(ウィザード)に対抗するために編み出したものです」
「それじゃあ、俺も練習すれば……」
「さあ、どうでしょう。スキルは魔法とは違い、血の滲むような修練が必要と聞きます。習得までにかかる平均期間は約10年と言われていますね」
「一方、魔力のあるものは、それだけで魔法が使える、と」
「さあ、後の話は、家でしましょう」
そう言うとヒースは橋を渡り始めた。
「さあ、着きましたよ。ここが私の家です」
石積みの壁と木の屋根のこじんまりとした平屋建ての家が、城の水堀に面した道から1段低くなったところに建っていた。
家の裏には広い庭があり、様々な植物が植えられていた。クロキを迎えに来るまで、ヒースはこの庭で作業をしていたらしく、水を含み泥状になった地面に足跡がくっきりとついていた。
「さあ、どうぞ」
ヒースの案内でクロキは家の中に入る。
入ってすぐリビングルームであったが、壁にはいくつもの地図が貼られ、キャビネットの上には、様々な石が所狭しと並べられていた。
ヒースは本が山積みになっているダイニングテーブルに猫の額ほどのスペースを作ると、黒い液体の入ったカップを出した。
クロキは、いぶかしみながら匂いを嗅いだが、嗅いだことのある匂いがした。
おそるおそる口をつけると、それはアイスコーヒーであった。
「この世界にもコーヒーノキがあって、コーヒー文化があるんです」
「異世界というから、食べるものも全然違うかと思ったけど、正直ありがたいな」
「さて改めて自己紹介を、私はヒースと言います。元の世界では、ユニバーシティで地質学を研究していました。私は5年前に召喚されて、この世界でもこの世界の地層などを調査しています。でも、実用性が目に見えないので、植物なんかの研究もして何とか認めてもらっています」
「ヒースさんも無魔力者と聞きましたが」
「ああ、私のことはヒースで良いですよ。それにもっとフランクで良いです。ええと、そうです私も無魔力者です。研究者ということを認めてもらえなければ、兵士にされているところでした。特別扱いしてくれているカイゼル卿には感謝しています」
「ヒースは元の世界に戻りたいとは思わないのか」
「ああ、いや、本音を言えば戻りたいですよ。でも、この世界での研究が途中なので、それが終わるまではこの世界にいたいです」
元の世界よりも、今の研究の方が重要とは、学者というのは変わっているなとクロキは思った。
クロキは、ヒースの家の空いた部屋をもらい自分の部屋とした。
物置代わりに使われていた部屋らしく、大きな木箱と棚が1つずつ置かれていたほかは何もなかった。
城から届けられた布団を床に敷き、その上で横になりながらクロキは窓に映る月を見ながら物思いにふける。
月の輝きは元の世界と何一つ変わらない。この月の下に日本があるのではないかと錯覚してしまうほどに。
クロキは、元の世界の状況と、この世界での生活への不安に思いを巡らせ、その晩は眠ることができなかった。