魔法とスキル
魔素――それは、この世界の大気中に漂う魔力を帯びた粒子。いや、魔素自体が魔力を発しているのかも知れない。
魔法を使う者は、生来その身体に「魔力」を宿しているが、「魔力」は力ではなく器官であると言える。魔法を使うとき、その術者は大気中の魔素を自身の身体に取り込む。そして、自身の魔力を通し、様々な属性に変換することで魔法を生み出していく。言い換えれば、魔素とは、エンジン(魔力)にとってのガソリンと言えるだろう。
そのため、魔力を身体に宿していない者は、大気中に大量の魔素があろうとも魔法を生み出すことができない。
それならば、魔素をそのまま攻撃のエネルギーとして使用すれば良い。
体内に取り込んだ魔素を特定の部位に集中させ、力を向上させる。それがスキルである。
「だが魔力を持たない者は魔素を感じることができない。魔素が体内に取り込まれていることを感じることができるようになれ。そして、最も重要なのは、どのようなスキルを放つかをしっかりイメージすること。それができるかどうかで、習得までのスピードが変わってくる」
通常であれば、魔素を取り込む感覚を掴むまでに2年程度、そして、実際にスキルとして形にするのにそこから10年程度掛かる。そして、そのスキルの習熟には一生涯掛かると言われており、別のスキルを習得しようとすると、既に持っているスキルの感覚を維持する必要もあるため、習得まで20年かそれ以上掛かると言われている、そうであるならば、既に習得しているスキルをより鋭く、強く磨いていくか、発展・進化させた方が効率的だ。
また、体内の魔力に魔素を取り込んで魔法を使う感覚と、魔素をそのままスキルに昇華させる感覚は似ているが全く異なるものであるため、魔法を使うことができる者がスキルを習得するのは、魔法が使えない者に比べて時間が掛かると言われている。
「だが、魔法を使えば体内の魔力は消費される。魔力が消費され、魔法が使えなくなったとき、魔素だけで放つことができるスキルはいざというときの切り札になる。まあ、スキルは魔法よりも体力を消耗するという欠点があるがな」
そこまで説明を受けると、さっそくクロキは魔素を体内に取り込む感覚を掴む訓練に入った。
スキルを習得するまでどれほど掛かるのか、クロキ自身もジョルジュも分からない。
だが、ジャックはこの世界に召喚されてから2年でスキルを2つ習得しているという事実。この事実のみを頼りに、クロキは、今はただひたすらスキルの習得に向けて進むしかなかった。
ジョルジュの小屋に通うようになって3日経った。
まだ、魔素を体内に取り込む感覚を掴むことはできないままであったが、ジョルジュの課す訓練は元の世界で受けた厳しい訓練を思い出させ、クロキは苦しさよりも懐かしさを感じていた。
ジョルジュの小屋からの帰り道、西の空を太陽が紅く染め、東の空からじわじわと濃紺の空が広がって来ていた。
クロキが足元に伸びる影を踏みながら、魔素を体内に取り込む感覚を探っていると、クロキの進む道の先に人だかりが見える。
そこは、先日、ドゥエンと共にチンピラを追い払ったカフェであった。
店内はいつもの客席の配置と異なり、テーブルが店の壁際に寄せられ、ちょうど中央辺りにスペースが作られていた。
そして、その中央のスペースに置かれた椅子にドゥエンが脚を組んで座っている。
その脚の下には気絶したチンピラの背中。
ドゥエンは腕を組みながら正面を見る。
その視線の先には、左右にチンピラを立たせ、タバコを咥えながら脚を組んで座る女。年は四十歳くらいであろうか。目元や口元に微かに皺が見えるが、それがむしろ艶やかに見える。
その女は胸元の見える服を着て、ショールを羽織っており、魔術師や騎士のようには見えないが、かと言って、ただの市民にも見えない風貌であった。
女は、短めの黒髪をクシャっと掻くと、ドゥエンに向かって言った。
「ドゥエンさん、あたしらも悪いようにはしたくないんだよ。ただ、この店でうちの若い奴が大けがしたってんで、賠償してもらおうってだけなんだ」
それを聞いてドゥエンは鼻で笑う。
「怪我をしたって? そもそもの原因はお宅さんらにあるのでは? それを店に賠償を求めるなんて、道理が通らない」
ドゥエンはそう言うと顎を上げて笑った。
女は左に控えるチンピラに合図を送ると、チンピラは灰皿を差し出し、女は灰皿でタバコの火を消した。
「あたしらに原因? うちの者からはそうは聞いていないけどねぇ。何か証拠でもあるのかい?」
女はカフェの店主と従業員を見た。
「ねぇ、どうなんだい? 違うなら違うって言っておくれよ」
店主らは下を向いて黙る。
「違わないってさ」
女が膝に肘をつき、前のめりになりながらドゥエンを威圧する。
そのとき、カフェの入り口のドアにつけられた鈴が鳴った。
一同が入り口を見ると、そこにはクロキが立っていた。
「何だい?あんた」
「姐さん、もう一人の男です」
女の右に控えたチンピラが女に耳打ちする。
「おや、クロキ、タイミングが良いんだか悪いんだか……なぜここに?」
ドゥエンが、顔だけをクロキに向けてクロキに声を掛けた。
クロキはつかつかとドゥエンの横まで歩いていくと、
「なにか、面白くないことになっていると聞いてね……それで、こちらは?」
と言いながら、ドウェンの座る椅子の背もたれに手を乗せた。
「ああ、彼女はマーゴット、このクズどもの親分らしいです」
ドゥエンの「クズ」という言葉に、店内の空気が一瞬固まった。
マーゴットは椅子に深く腰を掛け直し、腕を組む。
「この店でね、うちの若い者が怪我をしたってんで、治療費その他誠意を見せてもらおうと思ってね。そしたらどうだい、この人がさ、それはおかしいって言うんだよ」
このマーゴットと言う女、店主らの態度から察するに、いわゆるヤクザみたいなものか。街を裏で仕切っている連中と思われた。
この状況でいくら反論しようと意味はない、この場では、この女が白と言えばカラスですら白くなる。
「それで、いくら欲しいんだい?」
クロキが聞くと、マーゴットは、指を3本立てた。
「3万。怪我をしたのは一人じゃないものでね」
日本円にすると約100万円。クロキが店主を見ると、店主は首を振った。
ドゥエンが指の関節鳴らしながら立ち上がったが、クロキはそれを制止する。
「力で訴えても無意味だ。この店が荒らされ、いずれまた来る。店主が損をするだけだ」
クロキはそうドゥエンに耳打ちするとにこやかにマーゴットに向き直った。
「3万とはさすがに高くないか? その内訳を示してほしいんだが」
「内訳ねぇ……まあいいけどさ、時間が掛かるから、その分遅延金を上乗せすることになるよ」
マーゴットが左のチンピラに手を差し出すと、チンピラはマーゴットにタバコを渡し、火をつけた。タバコは巻き方が甘いのか、少し萎れており、マーゴットは軽くタバコを捩じりながらタバコを口から放し、煙を上に向かって吐いた。
「それよりもさ、あんたら次第でその3万を帳消しにする方法があるんだけどねぇ」