開戦前夜
サンド・ピール城を出た後、クロキはカミムラの後を追い、単身メソジック帝国へと向かった。
国境の関所の警備が厳重であったため、かつて、ヨーロッパのある国に入国したときにように、険しい山を越えてメソジック帝国内へと侵入し、首都の近くまでたどりついた。
そこまでは良かった。
肝心の首都は高い鉄の壁に囲まれ、さらにその周りを深い空堀が囲んでいた。
街への入り口は東西南北の四か所。いずれも厳重な警備が敷かれており、正面から街の中に入ることは困難であった。
夜が更けるのを待ち、クロキは夜の闇に紛れ、壁を登って侵入しようと空堀に近づいた。
そして、空堀に降りようと脚を出したとき、突然壁からクロキに向かって光が照らされ、闇の中にクロキの姿が浮かび上がった。
空堀の中とその上空に結界が張られており、侵入者を感知して光系魔法ホワイト・ライトが発動する仕掛けとなっていたのだ。
光に照らされたクロキを直ぐに守備兵の弓矢や魔法が襲い、クロキはやむなく退散した。
その後も何度か侵入を試みたが、単身無策では侵入するのは困難と判断し、口惜しくもメソジック帝国を後にしようとしたとき、城門が開き、帝国軍が城の外へと出てきた。
武装した兵士たちに物々しい雰囲気を感じ取り、軍隊の目的の把握と、カミムラが軍隊の中にいるのではないかという一縷の望みで、クロキは隙を見て帝国軍に紛れ込み情報収集したところ、軍隊の中にカミムラはいなかったが、モンテ皇国に侵攻するということを知り、そのまま帝国軍の兵士になりすまし同行していた。
そして、昨晩、モンテ皇国の斥候が潜みそうな山中を帝国軍が哨戒するということを知り、哨戒兵の一部隊に紛れ込んでいたところ、カルロスと遭遇したのであった。
「連中がモンテに侵攻するのは間違いないんだな」
テオが念を押すように聞き直した。
「ええ、間違いないです。そして、目的地はムスティアと言っていましたが、それはどの辺なんですか?」
「なに? ムスティアだと、本当にムスティアと言っていたのか?」
「あ、ああ、なぜムスティアなのかは下っ端の兵士は知りませんでしたが、ムスティアが目的地なのは間違いないです」
「直ぐにニコラス将軍に報告だ」
ムスティアはルークデューム城から南に150キロ先にある、南の海に開いた港町であった。
ムスティアは、地理的にルークデュームよりも首都ネロスから遠い街であり、また、メソジック帝国も南の海に面しているため、メソジック帝国にとってモンテ皇国との戦争に当たっての要衝とは言い難く、それゆえモンテ皇国軍としてはムスティアが狙われることは予想していなかった。
テオは大慌てでニコラス将軍に報告に向かった。
残された席でゴードンがアーノルドら仲間に荷物をほどかぬよう指示をしていた。
「直ぐに軍を動かすはずです。徒歩なら一日半、馬車なら二時間半の距離ですが、メソジックの現在位置を考えると、そんなに猶予はありません」
ゴードンがクロキに説明している最中にテオが戻ってきた。
「そうだ、クロキも来てくれ、帝国軍について可能な限り教えてくれ」
「は、はい」
クロキはニコラス将軍やテオらとともにイゴールの魔法で先行してムスティアに到着した。
時刻は暮れ4つ(午後8時ころ)となっていたが、直ぐにニコラス将軍の前に呼び出され、帝国軍の情報を質された。
軍の規模は約二万七千、魔術師の正確な数は分からないが、二百五十人の中隊に一人程度魔術師がいると見込まれるため、約百人と推計される。
軍は大きく分けて約五千人の先行部隊、約一万五千人の第二軍、そして約七千人の第三軍となっており、先行部隊は翌日の明け4つ頃(午前8時ころ)にムスティア城に到着する見込みだが、総攻撃は陽下4つ(午後2時ころ)の第二軍の到着後となると考えられた。
さらに第二軍、第三軍には攻城兵器の姿もあったことからそれらへの対策も要する。
そこまで話すとクロキは退室を許され、クロキが会議室から出ると、ニコラス将軍と軍参謀が作戦について協議を始めた。
「お疲れ、これでできる限りの対応をすることができるだろう」
テオはそう言ってクロキの肩を叩くと、クロキをお茶に誘った。
城の2階のテラスでテオがクロキにカップに入った飲み物を渡す。
クロキは匂いを嗅ぎ、一口すすると懐かしい味がした。
詳しい銘柄は分からなかったが、紅茶であった。
紅茶をじっくりと眺めるクロキが、紅茶を珍しそうに見ていると思ったのか、
「これはティーと言って、はるか東の地で採れた木の葉っぱを煮出したものだ。なかなか良い香りだろう」
テオはそう言うと、美味しそうに紅茶をすすった。
そう言えば、とテオはふと思い出したように切り出し、オルシェの村の調査結果をクロキに話した。
「両者と戦った俺の意見を言わせてもらいますと、オルシェを襲った連中はアトリスの軍隊ではない、と思います。戦い方が明確に異なっていました」
「アトリスが雇った傭兵ということは?」
「それはない、とは言えませんが、シャールークと言ったか、あいつらは傭兵にしては軍として統率が取れていました。あれほどの傭兵なら、世間に知られていても良さそうなものですが……」
そう言いながらクロキはテオを見た。
「ふぅむ、そうだな、シャールークという男が率いる傭兵部隊は確かに聞いたことがないな」
「まぁ、その辺の調査は追々ということで、今は目の前に敵に集中しましょう」
クロキはそう言うと手にしたカップを飲み干した。
そして夜が明け、時刻は明け4つ(午前8時ころ)。
城から望む東の平野に黒い塊が見えた。メソジック帝国軍の先行部隊であった。
予想よりも進行は若干遅く、ムスティア城までたどり着くまであと一刻かかりそうであった。
ルームデューク城にいた騎士や兵士は、四百人を残してムスティア城へ向かっており、騎士約三百人と兵士約七百人の計千人は馬車と空気系魔法によって既に到着していたが、残り千人の兵士は夜通し走り続けてはいるが到着まであと二刻から三刻は掛かる見込みだ。
ひとまずは千人でもってムスティア城を守らねばならず、ニコラス将軍はそのための指示を出し始めた。
モンテ皇国において騎士とは、騎士としての称号を賜った者で、基本的には専業の軍人であり、ニコラス将軍は騎士三百人を中心に軍を再編し、そこに兵士――市井から募った戦闘員が、各軍の役割に応じて人数が配置された。