ありし日の矢
残った刺客は、瞬く間に二人を失い分が悪いと見るや躊躇うことなく逃亡を始めた。
クロキもまた躊躇うことなく追撃を始めると、刺客は走りながら再び鳥の鳴き声のような口笛を吹いた。
「あーらら、そっちはダメよ」
塔の上から刺客の動きを見ていたテイラーが呟くと、刺客の周りの木々が発光を始める。
刺客は警戒して即座に立ち止まったが、勢い余って発光していない樹に手を掛けた。すると、その樹も発光を始めたかと思うと、一気に放電し、刺客は激しく痙攣した後、身体から煙を出しながらその場に倒れた。
「ライトニング・ネスト。しびれたでしょ」
テイラーは一人、ふふんと勝ち誇った顔をしながら、今度は城の北側を向いた。
「さて、残りは二人、北側。カイゼル様を追っているわ」
テイラーは、夜闇でも物体を視認する光系魔法ナイト・ヴィジョンを自分に使い、塔の上から刺客の動きを把握し、通信魔道具を使ってクロキに状況を伝えていた。
クロキは、軽やかに城の壁をよじ登り、テイラーの言うとおり北側を目指して城の屋根の上を走り出した。
「今の光何だったんでしょうね……」
ヒースは、ホットミルクを片手に、食堂の窓から、テイラーの魔法ライト・オブ・ザ・デイが解除され再び暗くなった空を見ながら、食堂のテーブルで残り物のスープを啜る書記官マシューに聞いた。
アトリス共和国との会食で出された料理は、贅を尽くしたものであった代わりに、量としは大したことはなかったため、マシューとしては物足りなかった。
一方、ヒースは、用を足そうと廊下を出たが、あまりの静けさと薄暗さに、一人で便所に行けず、かといってクロキは見回りに出ていたため困っていたところ、食堂に向かうマシューと遭遇したのであった。
「大方、変な連中でも場外をうろついているのだろう。いくら戒厳令を敷いても人の口に戸は立てられないからな。ここで我々が会談をするという噂を耳にした奴らが様子を見に来たんじゃないか」
今の世の中、上流階級にとって国家に関する情報は非常に重要なものであり、モンテ皇国とアトリス共和国が会談をするらしいと知って、その事実と会談内容を何としても把握したいを思っている連中はごまんといる。
マシューが思いつく限りでも、法務大臣のヤンなどは、モンテ皇国における自身の影響力を強めようとカイゼルの失脚を狙っており、モンテ皇国内のあらゆる政治的な物事に目を光らせているため、この会談のことを嗅ぎつけていてもおかしくはない。
また、外務大臣のギブソンは、他国との外交交渉は自身の職務と自負している責任感の強い男であるため、カイゼルがアトリス共和国と会談することは良く思わないだろう。
だが、カイゼルは政治的な駆け引き、立ち回りが上手な男であるので、仮に法務大臣ヤンや外務大臣ギブソンに今回の会談のことが知られ、適当な理由をつけて追及されたとしても、カイゼルはそのことすら想定し、どのように対応するか考えているに違いないとマシューはあまり心配はしていなかった。
マシューはスープを飲み干し、皿を流しに置くと、横の棚に小さなワインの瓶を見つけ、二本をポケットに入れた。
ライオネルはまだ起きているだろうか。もし、起きていれば一本をライオネルにやろう。
そう思いながら、マシューはヒースの温めたホットミルクの残りをカップに注ぎ、飲み始めた。
カイゼルとテオは、城の中を二人の刺客から逃げ回っていた。
ときおり後ろに向かって矢を放ち、刺客を近寄らせないようにしつつ、守備兵と合流しようとしていたが、遭遇するのは死体となった守備兵ばかりで、戦える者は見当たらない。テイラーのデイ・オブ・ザ・ライトの光を見ても騒ぎが起きないということは、もしやほとんどが殺されているのか。
だが、テオは冷静であった。
身体に刻まれた傷の数だけ修羅場をくぐっている。
こんな状況は初めてではない。
テオは、モンテ皇国の東にある地方都市に生まれた。
それなりに発展していた街であったが、街の北を流れる川の、その北側の地区は、貧困層の暮らすスラムであり、テオはその地区で生まれ育った。
スラムの住民は魔力を持たない者ばかりで、葬儀屋や、屠畜、大麻の栽培などを生業としていた。
テオが物心ついたことには、既にテオに親はなく、ほかの孤児とともに暮らしており、スラムのごみ箱を漁り、腐りきっていない物を選んで腹を満たす毎日であった。
あるとき、スラムの北にある森の中で、動物を狩っている狩人を見て、テオも真似てみることにした。
その当時、他国との戦争も激化し、テオの周りの子どもたちの数は年々増え、残飯では全員の空腹を満たすことができなくなっていたため、野生動物の肉を食料の足しにしようと考えたのだ。
テオは、狩人が森に捨てていった壊れた弓を修理し、獲物に当たらず外れた矢を仲間たちと総出で集め、道具を用意した。
独学で矢を放つ日々。はじめはもちろん獲物に命中せず、収穫のない日も多かった。動物の反撃に遭い、怪我をすることも多かった。
だが、5年が経過し、テオが15歳となった頃、テオの弓矢の腕は大人も叶わないほどとなっていた。
狩りに出て獲物を仕留められないことはなく、テオの周りの子どもたちは、残飯を漁る必要もなくなり、テオが獲った動物を食べたり、売ったりすることで食べていけるほどになった。
そんなある日、カイゼルがこの地方の官吏に着任し、テオの住む町を訪れ、スラムを視察した。
そこで、テオはカイゼルと初めて出会った。
立派な馬車から降り立つカイゼルを見て、テオは馬車に負けないくらい立派な見た目をした人だと思った。
そのとき、道で遊んでいた子どもがカイゼルにぶつかった。その子どもはテオの仲間で、泥だらけで汚れた身なりで、カイゼルのズボンにも泥がついてしまった。
テオは咄嗟に子どもを引き寄せ自らの背後にやると、地面に頭をこすり付けてカイゼルに謝罪した。これまでの官吏であれば、殴られたり、蹴られたり、官吏の機嫌が悪ければ殺されていた。
しかし、カイゼルは怒るどころか、膝をつき、テオと子どもと目線を合わせながら、子どもに怪我がないかと聞いてきた。
そして、子どもに怪我がないことが分かると、あろうことか子どもを頭を撫で、何の咎めもせず立ち去ったのであった。
テオは呆気に取られた。大人に人間らしく扱われたこと経験がなかったため、純粋にカイゼルのことを変な大人だと思ったのだ。
その晩、テオはどうしても眠れず、ずっとカイゼルの行動を考えてようやく気付いた。カイゼルがテオと子どもに向けた眼差しは、テオが幼い仲間に向けるものと一緒であった。