プロローグ(下)
クロキは、肩越しに自らの背面に手をやると、身体を屈めつつ何かを引き抜く。
フロアの光を反射して輝く刀身。刃渡りは50センチほどの、反り返しの少ない、刀。
「面白え」
ジャックは玩具を見つけたように喜び、クロキに向かって走り出すと、体を横に回転させながらクロキを切りつけた。
クロキがジャックの回転斬りを刀で防がず、距離を取ると、ジャックは一旦溜めて跳び上がり、今度は縦に回転しながらクロキを切りつける。クロキは、刀で一太刀目を防ぎ、二太刀目が襲い来る前にジャックごと攻撃を受け流した。
ジャックは、宙を回りながら着地し、再びクロキに跳びかかろうとしたが、クロキはジャックを無視してカミムラに向かって駆け出している。
速い。
スピードではクロキに及ばないと悟り、ジャックは右手のダガーナイフをクロキ目掛けて投げつける。
ダガーナイフがクロキに追いつく寸前で、クロキは振り返り、ダガーナイフを掴む。その間にジャックは距離を詰め、残ったダガーナイフでクロキを切りつけた。
カキン!
2人がすれ違うと同時に、刃と刃のぶつかる甲高い音がフロアに響き渡る。
クロキの左肩の布地が裂け、赤く染まった皮膚が見える。クロキは、直ぐに振り返り、ジャックの追撃を迎え撃とうと構えたが、ジャックはクロキに背を向けたまま、両手を震わせていた。
「どう、なったんだ、おい、おかしいぞ、何だ、どうなっている、眼か、おい!」
振り返るジャックの額から左目、左ほほにかけて裂傷が走り、顎から血が流れ落ちていた。
動揺するジャックに向けてクロキは手に握ったダガーナイフを投げつける。
ジャックは、襲い来るダガーナイフを掴もうと構えるが、正確に距離を測ることができないことを悟り、両腕で頭頚部を守った。
ダガーナイフは頸部を守るジャックの左腕に突き刺さり、ジャックは左腕に握るもう1本のダガーナイフを床に落とす。
クロキはここで初めて自らジャックとの距離を詰める。
クロキはジャックが腕に刺さったダガーナイフを抜くために腕をおろしたところを見逃さず、露となったジャックの顔面に右拳を叩き込み、ジャックをフロアに配置された機械装置まで吹っ飛ばした。
そしてクロキは助走をつけて跳び上がると、機械装置にもたれかかるジャックの顔面を両脚で踏みつぶした。
クロキは、空中を回転しながら後方に着地すると、機械装置に埋もれたジャックが力を失ったとみてカミムラを振り返った。
カミムラは、クロキとジャックのことなど意に介さず、食い入るようにモニュメントのパネルを見つめていた。
「カミムラっ」
クロキは叫ぶ。
だが、カミムラは反応しない。
クロキは苛立ちながら、カミムラに銃口を向け、引き金を引いた。
放たれた銃弾は、カミムラの脚に当たり、カミムラは苦悶の声を上げ、モニュメントに膝まずくように倒れた。
クロキはゆっくりとカミムラに向かって歩き出す。
「貴様の懺悔はいらない。貴様の言葉には意味がない。だが、ここで、夢半ばで終わる悔しさが見られれば、俺は満足だ」
カミムラは、痛みを堪えながらわずかに身体を起こすと、床についた腕の陰からクロキを見る。その顔は、汗をにじませながらも、無垢な笑みに満ちていた。
クロキの脚が一瞬止まる。
追い詰められつつある状況でなお笑みを浮かべるカミムラは、クロキの理解を越え、得体の知れない怪物に見えた。
何が楽しいのか、何がおかしいのか、クロキには理解できない。カミムラの奥の手。クロキのミス。誤解。頭をフル回転させても泥沼に沈むばかり。
いや、とにかく、メインの機械を爆破装置で破壊すれば、全てが終わる。カミムラを殺すか、拘束し警察に引き渡すかは、後で考えれば良い。
「ク、ロキ……待てよ。か、カミムラさまの、夢は……邪魔、させねえ」
背後から聞こえる声に、クロキは振り返る。
ジャックが立ち上がり、満身創痍の身でもなお、カミムラの盾になろうとクロキに向かって歩き出していた。
そのとき、ジャックとともにクロキに破壊された機械装置が白煙とともに爆発し、その爆風でジャックが押し倒された。
クロキは飛んでくる金属片を腕で防ぐと、周囲の異変に気付く。
ほかの機械装置も白煙を上げており、中央にそびえるメインの機械装置―モニュメントがフロア中に響きわたる異音を上げ、苦しんでいた。
クロキがカミムラに駆け寄り、カミムラの胸ぐらをつかんだ。
「おい、どうなっている。もう作動するのか?いや、そんな感じじゃないな。これから、どうなる」
カミムラは、周囲の機械装置を見回し、口を開いた。
「君、クロキくんと言ったね、クロキくんが壊した機器は、変電装置のようなもので、この部屋の機器に過剰にエネルギーが供給されないよう制御するものさ。つまり、分かるだろう。モニュメントは、間もなくオーバーヒートする」
モニュメントを囲む機械装置が次々と爆発を始め、その爆風で、クロキとカミムラは、モニュメントから引き離された。
「おい、まさか、このでかいのが爆発するのか」
「そのとおりさ、さっきまでプログラムを入力していたのだが、いいところで中断してしまってね。もう言うことを聞かない」
そういってカミムラはクロキに撃たれた脚を触る。
クロキは唾を飲み込んだ。
「サブモニュメントは、どうなる」
カミムラの計画は、この街全体の破壊であった。
このフロアに設置されたモニュメントを中心として、街の数か所にサブとなるモニュメントを設置し、モニュメントからの指令により、サブモニュメントから指向性の高出力電磁波を照射する。電磁波の射程範囲は、およそ15キロ。3台あれば街の全域を射程に収めることができるところ、警察等に発見されることを想定し、カミムラは10台を配置していた。
「サブモニュメントへのプログラムの送信か、それとも爆発か、どっちが先だろうね」
クロキは、カミムラと、モニュメントと、窓の外を何度も何度も繰り返し見る。
とにかく1秒でも早くモニュメントを破壊しなくてはならない。クロキは腰のホルダーから爆弾を取り出すと、モニュメントに向かって走り出そうとした。
その瞬間、モニュメントはひと際大きく輝くと轟音とともにフロアを吹き飛ばした。
気付いたときにはクロキは夜空を落下していた。爆風によってガラスを突き破り、地上25階の空へと投げ出されたのであった。
もはや助かるまい。地上にひしめく警察車両のサイレンの光を見つめながら、クロキは覚悟を決めていた。
だが、一目、一目だけでも、カミムラの悔しさにゆがむ顔を見たい。そう思い、クロキは周囲を見渡すと、カミムラはクロキの真上で両手を広げながら落下していた。
「どんな気分だ。もう終わりだよ、全て、何もかも……」
クロキが静かにカミムラに問いかける。
「私の夢が、私自身が破壊される。何ということだ……」
カミムラの言葉に、クロキは冷たい空気を肌を感じながら身体が熱くなるのを感じた。
「さあ、泣け、叫べ、怒れ、恨め。そして、そのまま死んでいけっ!」
「ふ、ふははは」
カミムラは笑う。
「最高だ。今、破壊される。ビルよりも、機械よりも、人よりも、これまで破壊してきたものなど、私の夢の、私自身の破壊に比べれば、全てカスだ。この破壊は、至高だ」
カミムラは恍惚の表情を浮かべながら勃起していた。落下による風圧で気づいていないだけで、絶頂に達していたであろう。これまでに味わったことのない快感に朦朧としながら、カミムラは一言「ありがとう」とつぶやいた。
クロキは、言葉を失う。受け入れられなかった。理解できなかった、いや、理解したくなかった。自然と腕がカミムラに向かって伸びる。だがどんなに伸ばしてもカミムラには届かない。
「あああああああああっ」
ただただ叫ぶしかなかった。それ以外にクロキにできることはなかった。
クロキの視界が涙でにじみ始める。
だんだんと輪郭を失っていくカミムラの姿。その姿が少しずつ白い光にかき消されていく。