焔の中の騎士
優勢であるディックは当然クロキを追って林へと入るが、ディックはクロキを見失う。
辺りを見回し、警戒していると、樹の上からクロキが斬りかかって来た。
ディックはクロキをかわし、ウィルオ・ウィスプを放ちながらフレイムソードで切りつけたが、フレイムソードはクロキにかわされ、代わりにクロキの背後にあった樹が燃えながら倒れ、ウィルオ・ウィスプで燃えた草木とともに辺りを火に包んだ。
「エンチャントファイア、フレイムガード」
炎と煙で再びクロキを見失ったディックは自身を炎で纏い、火炎への耐性を付した。
しかし、火炎への耐性はついても、煙を防ぐことはできないため、ディックは口元を手で覆いながら辺りを見回しクロキを探す。
すると、先の方で樹が燃える音でも倒れる音でもない音が聞こえ、すかさずディックは音のする方へと走り出した。
音がしたと思われた辺りは、樹齢が長い大木に囲まれた空間であり、ディックはその中央でソードを斜めに構えながら四方に注意を向ける。
微かに背後に音を感じ、背後を振り向くが、遠くで樹が倒れるのが見える。
ディックがわずかに安どしたその隙をクロキは見逃さず、ディックの斜め右後ろから迫り、下から鎧の隙間を突き刺した。
「うぐっ」
ディックは咄嗟に払うがクロキはかわし、炎と煙の中に紛れる。
間があった後、再び背後から音がする。
ディックは音のする方を直ぐに向くが、その方向は草木が燃えるばかり。
その燃える草木に目を凝らし、クロキを探すディックを再び背後からクロキが襲い、アーマーで覆われていない左の膝裏を突き刺す。
ディックはよろけながらも、右足に体重を預け、倒れはしなかった。
炎と煙で視界は悪く、草木が燃え、樹木が倒れる音でクロキの動きがつかめない上、煙を吸い込んだせいか、頭が重い。
なぜこの中でクロキは動けるのか、朦朧とする視界の中でディックは、クロキが見たことのないゴーグルをしているのを見た。
クロキはゴーグルで視界を確保したほか、襟元を上げて鼻から下を覆うとともに、その下では、元の世界においても常に携帯していた小型の酸素ボンベを口に咥え呼吸を確保していた。
さらにディックは気付いていないが、様々な音を反響させる「エコー」という魔法石でディックの耳を惑わせ、翻弄していたのだ。
ディックがこの燃え盛る林から出るべきと気付いたときには遅く、ディックはすでに脚に傷を負ってしまっていた。
「まさか、こんなことになろうとは。ならば、さらにもう一段階上げざるを得まい」
ディックは左足をかばいつつ、ソードを脇に構え集中すると、ソードが纏った炎がひと際激しく燃え上がる。
「フレイムソード・デストロイスラッシュッ!」
ディックがソードを振ると、ディックを中心として半径五メートルほどの草木が全て切断される。
切り口が激しく燃え盛り、草は一瞬にして炭と化し、大木はゆっくりと燃えながら倒れ始めた。
周囲を一掃することで視界を確保するとともに燃える物が減って煙が減る。
そして、あわよくばクロキもともに斬ることができれば良かったが、人を切った感触はなかった。
これで不利な状況は改善されたと、周囲の音と気配に神経を集中させていたが、ふとディックが手元を見ると、炎に照らされて何か輝くものが腕に絡まっている。
それに気づいた瞬間、両腕がくっついたように離れなくなり、同時に身体が真後ろに引っ張られた。
さらに、背後を見ると、真後ろの大木がディックに向かって倒れてくる。
ディックが周囲を一掃した直後にクロキはディックにワイヤーを巻き付けていた。
ディックの両腕を拘束し、そして、クロキは大木に登り、そこから思い切りディックに巻き付いたワイヤーを引っ張る。
必然、大木はディックに向かって倒れる。
「がああっ」
迫りくる大木から逃れようとディックはもがき、ワイヤーを焼き切ろうと身体中を炎で包んだ。
いくら耐久性に優れたワイヤーとは言え、高熱にさらされれば切断は免れない。
「させるか。このチャンス、逃がさねえ!」
クロキは橙色の魔法石を腰のホルダーから取り出すと、樹の幹に押し当てながら叫ぶ。
「エクスプロージョンッ!」
クロキが樹から離れると、魔法石が爆発し、樹の倒れる速度が加速する。
「くそおおおっ」
ディックは逃げることもできず、樹に押しつぶされた。
しばしの静寂の中、草木が燃え、樹が倒れる音だけが響く。
クロキは様子を探りながらゆっくりと大木の下敷きになっているディックに近づくと、ディックを押し倒している樹が突然大きく燃え盛り、そして炎の中に影が浮かぶ。
ふらふらと立ち上がるディックの頭には兜はなく、額から鼻筋、口を伝って顎から血を滴らせながら、ディックは目を見開き、炎で燃える瞳をクロキに向けた。
「ふふ、残念だったな、切り札も俺を倒すことは叶わなかった。仕切り直しといこうか」
クロキがディックに迫る。
再び高速の剣さばきの応酬、と思われたが、ディックはクロキに反応できず、クロキの刀はディックの眉間の紙一枚のところで止まった。
クロキは終わったとばかりに口から酸素ボンベを外すと、ディックを蹴り倒す。
ディックは手をついて受け身を取ろうとしたが、大木によって変形した鎧で思うように身体を動かせず、無防備に身体を地面に叩きつけてしまった。
「あんたの身体は無事でも、鎧は無事じゃない」
既に勝負は決していた。
ディックの魔法は重装の鎧で生身と同じように動くことができうるように身体能力を向上させることであり、鎧には影響はなかった。
大木により鎧が変形し、動きが制限されてしまったディックは、クロキのスピードについていくことができない。加えて、腰の右側と左ひざの裏を負傷している。
クロキは膝をつくディックに刀を突き付ける。
「どうする。まだやるか」
「……いや、俺の負けだ」
意外にもディックは潔い。
クロキは刀を納めると周囲を見回してため息をついた。
「さて、この山火事どうするかな」
ディックがフレイムソードで周囲を切り倒し燃やし尽くしたため、クロキとディックの周囲には火はないが、数メートル先は草木が激しく燃えていた。
水系の上級魔法であれば消火できるかもしれないが、リタは水系を不得意としており、モニカも同様で、水系を得意とするフェルナンドはクロキにより重傷を負っている。
「まあ、じたばたしても仕方がないな」
そう言うとクロキは座り込んだ。
「貴様、変な奴だな。それとも、相当な修羅場を潜り抜けているのか」
クロキは、かつて、燃え盛る建物から、重要な書類を回収したことを思い出していた。そのときも、先ほど使った小型の酸素ボンベが活躍した。
「そんなことどうでも良いだろ。それよりあんたらは、ここで何をやってたんだ。まさか、魔獣討伐ってわけでもないだろうに」
ディックは沈黙する。
その様子は、何か重要な使命を持っての行動であることをうかがわせ、崇高な騎士たる意志を持つディックの口を割らすのは容易ではないとクロキは思ったが、そもそも、なぜかクロキは尋問をする気にもならなかった。
しばらく二人の間に沈黙が続いた後、クロキの顔に冷たい感触が当たる。
空を見上げると、ポツポツと雨が降り始め、直ぐにスコールのような土砂降りとなり、広範囲に広がった火をすっかり消してしまった。
「クロキさん」
ゴードンの声が聞こえ、後ろからアーノルド、アンナ、リタ、そしてさらにモニカとフェルナンドの姿も見えた。
「どういうことだ」
クロキが言おうとした台詞をディックが言った。
どうやら、山火事が広がるのを見て、ゴードン達とモニカは休戦し、フェルナンドの右腕をアンナのヒールで回復させ、フェルナンドが雨を降らす魔法「スコール」を唱えたのであった。
「綺麗に斬ってくれたおかげで、ほら、このとおり」
クロキに斬られたフェルナンドの右腕が、切断された部分に傷はあるが完全にくっついていた。
「焼けたり、ボロボロにされたりだったら危なかったわね」
アンナが納得いかない様子でフェルナンドに相槌を打つ。
どのような状況であれ、敵を回復させることに気持ちの整理がつかない様子である。
「それで、この状況は…ああ、負けたのか。まあ、俺もスコールで魔力切れだけどね」
そう言ってフェルナンドはディックの隣に座り込んだ。
「よし、じゃあ、あなた達を近くの砦まで連行します」
ゴードンがそう言うと、フェルナンドは笑いながら右手を挙げた。
しかし、不意にクロキが林の奥を見つめ、続いてディックもクロキと同じ方向を見る。
林の奥から兵士の一団がこちらに向かって来ていた。