暗殺開始
大臣級会議を治めたミレーヌの話をカイゼルから聞き、クロキはテオがミレーヌについて、いずれ皇帝になる方と変に強調していたことに納得した。
まだ子どもであるが、既に父である皇太子マティアスよりも聡明である。様々な人々が期待するのも無理はない。
だが、それは本人にとっては相当なプレッシャーではないかとクロキは思った。
しかし、今はそれよりも色付きの動向だ。
「暗殺者が街に入って既に2日。いつ動くのか……何とも気持ち悪い」
カイゼルが言うのも分かる。
暗殺者がいつ行動に出るのかという緊張感が、少しずつ神経をすり減らす。
だが、テオが主導して街中で暗殺者の痕跡を探っており、いずれは見つけるだろう。それが先か、暗殺者が動くのが先か。
このとき二人は知る由もなかった。
この夜、事態は動き出す。
夜も更け、家に灯る光が少しずつ減り始めたころ。
泥酔したゴードンにダリオが肩を貸して歩いていた。
ダリオは今日もまた、貴族の酒席に呼ばれていた。ダリオは生来酒を飲まない質であったが、貴族の誘いを断り、上司であるギルバートが貴族に要らぬ感情を抱かれるわけにもいくまいと、できる限り酒席に顔を出すようにしていた。
そのような席では、皆、自分に所縁のある騎士隊にダリオをスカウトしたが、ダリオはどんな好条件を提示されても断っていた。
それはもちろんギルバートヘの忠義もあったが、やはりゲルダとの関係の方が強かった。
今晩の酒席でもスカウトが多かったが、あまりにも皆口々にスカウトの話ばかりするので辟易して退席したところ、同じ店の1階でゴードンが仲間たちに酔いながら管を巻いているところに遭遇した。
これ以上飲ませると帰れなくなりそうだったので、ゴードンたちも解散しようとしていたが、ゴードンを家にまで送っていくことにあまり気が進まないゴードンの仲間たちに代わってダリオが家まで送ることとしたのだ。
「ゴードン様、しっかりしてください。仮にもマチェス家の方がこのようなことをしていては、お父様も悲しみますよ」
ダリオは優しくゴードンを諭した。
しかし、酔っぱらったゴードンには馬の耳に念仏。
「ふん、父上が、何れすか! 私は、私はぁっ、自分の道を進みまふ!」
大声を上げるゴードンに、ダリオは近所迷惑にならないかと人知れず恐縮した。
「所詮私は落ちこぼれです。一族の恥さらしだ……なら、兄上の騎士隊の末席で一生を過ごすのが私には相応しいのかも知れません」
ゴードンの呟きに、ダリオは何も言えなかった。
おそらく、カイゼルに認めてもらうために血の滲むような訓練をして、経験を積んできたのだろう。
だが、それすらも認められず、安易にギルバート隊に入隊することを提案され、ゴードンが自棄になるのも仕方がない。
「もう大丈夫です、自分で歩けます」
そう言うとゴードンはダリオから離れ、独りで歩き始めたが、まだ少しふらついているのでダリオは後ろからついて歩いた。
ゴードンの家が見えると、ダリオが駆け足で門の前まで行き、立ち止まった。
「ゴードン様、今晩家にはどなたがおりますか?」
変なことをダリオが聞くので、ゴードンは不思議そうな顔をした。
「父上と、母上と、ゲルダ姉さん、後は使用人が数人だと思いますが……」
ギルバートとグレイスは、ヤン法務大臣からの任務で今日から家を空けていた。
ダリオの皮膚に、何者かの強い魔力が突き刺さる。
「ゴードン様、ここで待っていてください」
ダリオはそう言うと、一人門を潜る。
「うえ? ダリオさん? どうしたんれすか?」
ゴードンの質問をよそに、ダリオは静かに屋敷の両開きの玄関ドアの片方を開けた。
屋敷の中は異様な静けさに包まれている。
しかし、屋敷の奥から強い魔力を感じる。
誰かが魔法を使っている感覚。ギルバートでもグレイスでもないならば一体誰か。
ダリオは嫌な予感を抱きながら屋敷の中へと入っていった。
ゴードンは酔いの回った頭を傾げると、ダリオの忠告をもはや忘れて門を潜ろうとした。が、ふと人気を感じ、横を見ると、道の真ん中に兵士――おそらくカイゼル家の周りを警戒する儀衛兵であろう――が立っているのが見えた。
「ああ、護衛の方ですね、ご苦労様です」
ゴードンはその護衛兵に向かって頭を下げた。
「なんか異常とかありましたか?」
ゴードンが護衛兵に聞いたが、その護衛兵はゴードンを見たまま返事をしない。
「大丈夫みたいですね、でわ」
酔った頭で正常な判断ができないのか、ゴードンは一人合点して、門を潜った。
そのとき、反対側の道から走る鎧の音が聞こえ、ゴードンが音のする方を見ると、走って来た護衛兵がゴードンに向かって剣を振りかぶっていた。
ゴードンは慌てて剣をかわしたが、脚がもつれて尻もちをついてしまう。
「え、ちょっ、待っ……て……」
気が付くと、周囲に十人ほどの護衛兵が集まり、剣や槍を構え、そして、互いに攻撃を始めた。
異常な光景にゴードンの酔いが一気に醒める。
「皆さん、何してるんですか! ちょっ、止めっ、止めてください!」
ゴードンがおろおろしながら叫ぶが、誰も耳に入らない様子で護衛兵同士で戦い続けている。
ゴードンが目の前の状況に混乱していると、一人の護衛兵が目の前に現れ、
「あなっ、あなたがっ、て、敵の一味とは、おも、思いませんでしたよ!」
と言いながらゴードンに斬りかかって来た。
ゴードンは腰の剣を抜くと、護衛兵の剣を受け、そして弾く。
いつもとは異なり軽装備で、得意の大剣クレイモアではなく、ショートソードであるため、一抹の不安はあるが、とにかくこれで凌ぐしかないと、ゴードンはソードを構えた。
しかし、護衛兵を斬るわけにもいかない。それに――
「な、何言ってるんですか、私が敵の仲間だ、なん……て……」
否定しながら、なぜか心の奥底から沸々と別の思いが湧いて来る。
「あ、あなっ、あなたたちこそっ、敵のっ、仲間にちがいない!」
そうだ、この護衛兵は、護衛兵の装備こそしているが、実は敵なのだ。
ゴードンはそう確信し、護衛兵に向かっていった。
カイゼルの門の前や、庭の中で、ゴードンも一緒になって護衛兵たち同士で攻撃し合っている光景を、庭の樹の陰から見つめる大男。
色付き(コロラト)の一人、モヒカン頭のスマルトであった。
笑うでもなく、護衛兵が仲間割れをしている様子を真剣な眼差しで見つめるスマルトの背後に、数人の「爪」が現れた。
「これは……あなたが?」
「爪」の一人がスマルトに質問すると、スマルトは「爪」を振り向き、表情を変えず、
「まあ、な」
と答えた。
そして、続けて、
「ここから離れろ、さもなければ――」
と言いかけたところで、「爪」の数人が、突然、護衛兵に向かって走り出し、戦いに加わった。
そして最後に、スマルトに話しかけた「爪」が、
「て、敵をっ、発見した……!」
と言って、護衛兵に攻撃を仕掛ける仲間の「爪」に攻撃を始めた。