高貴な少女
ギブソンは正直のところカイゼルは好きではない。だが、この件に関するカイゼルの判断は自分の考えと一致しており、協力をしない理由はないと考えていた。そのような考えができるほど、ギブソンは俯瞰的に物事を見て、中立的なバランス感覚を保つことができる、非凡な男であった。
だが、ギブソンは40代と大臣の中でも比較的年齢が若いため、多くの大臣からは下に見られがちであった。
そのようなギブソンの発言に、ほかの大臣が良い顔をするわけもなく、どこからともなく、
「若造め……」
と、小さく舌打ちをする音が聞こえた。
「カイゼル卿も大変ですよねえ」
厚生大臣のニルスがオリヴィエとサヴィエの話を引き継ぐように話し掛けた。
「長兄は未だに嫁を取らず、長姉は少年を囲い、末子は無魔力者ですからな、マチェス家の将来を考えると、なかなか……」
「いやいや、ダリオがおりますからな、婿に取れば安泰でしょう」
オリヴィエ、サヴィエ、ニルスがハハハと笑った。
カイゼルは、黙ったまま目を瞑って微動だにしなかったが、その向かいに座っていた魔法技術大臣のエリザベットは、カイゼルの魔力がさざ波のように揺れているのを感じた。
そこに皇太子マティアスが入室し、着席した。
それまで雑談をしていた、大臣たちが一気に静粛し、マティアスの視線が注がれる。
マティアスは、緊張した様子で背筋を伸ばし、しどろもどろに重要報告を話し始めた。
「あ、え、ええと、あの、私からは、その……」
「エヘンッ」
マティアスの背後に控えていた宮廷魔術師のクラウズが大きく咳ばらいをし、マティアスはビクッと身体を震わせて、自信なさげな顔でクラウズを振り向いた。
イベントや、プライベートでは意気揚々としているマティアスであったが、こと公務となると途端に自信なく消極的になる。
既に大臣たちは慣れていたが、初対面の人間は、大抵はマティアスを見下し、失望し、または与しやすしとしてほくそ笑む。
マティアスは手元の紙を読み始めた。
「え、ええと、エホン、我が娘、ミレーヌの公務参加についてだが、わが父モンベルトも高齢ということもあり、私が皇帝を補佐する場面も増えてくると思うので、私が行っていた公務の一部をミレーヌに担わせることとした。ミレーヌはまだ十代であるが、既に資格十分と判断したものである」
皇帝の補佐で手が回らなくなるなどという理由は建前であることはその場にいた全員が気付いていた。
多くの外国の要人の前に出すのであればマティアスよりも、ミレーヌの方がましという判断もあろうが、何より既にモンベルト皇帝は、マティアス皇太子の次を見据え、ミレーヌをマティアスの次の皇帝に考えているのだろう。
マティアスが表の紙を脇に置き、2枚目の紙を読み始めた。
「ええと、ついては、3日後父上より正式に公務参加を言い渡され、来月行われる隊覧式が初の公務となる」
数人の大臣が反応する。
その中にはカイゼルもいた。
隊覧式は、毎年春に執り行われる、騎士隊の出初式である。
十数隊ある騎士隊がそれぞれ代表者数名を選出し、訓練を披露したり、試合を行ったりして、各騎士隊の力を見せる場で、大臣や貴族はもちろん一般市民も観覧できる式典であった。
当然ギルバート隊も参加する。それも実力的には「高貴な獅子」に次ぐと言われており注目されるだろう。
そのギルバート隊の一員として、せめて末席にでもゴードンが加わってくれれば、ゴードンの評判も上がるというもの。
カイゼルは、ワインを口に含みながら、昼間の大臣会議を思い出していた。
ゴードンがギルバート隊に加わる。それが、最も短期的に、かつ、簡単にゴードンに名誉を与える方法であった。
「まあ、直ぐに答えは出さなくていい。だが、今月中には結論を出しなさい」
隊覧式は来月――若葉芽吹く季節2つ目の月の10日。まだ20日ある。
カイゼルの妻とグレイスがゴードンに入隊をしきりに勧めるのを無視するように、ギルバートとゴードンは黙々とフォークを口に運び、ゲルダは二人の顔を交互に見ていた。
翌日。
クロキは人通りの多い、繁華街を歩いていた。
郊外の森の中にあるジョルジュの家に行った後、クロキは地下闘技場を訪ね、マーゴットに色付き(コロラト)について聞こうとしたが、マーゴットはネロスを離れほかの街に行っているということで、新たな情報を入手することができなかった。
テオから提供された色付き(コロラト)についての情報は3つ。
ネロスに入った色付き(コロラト)は三人、男二人と女一人であること。
色付き(コロラト)のメンバーは本名ではなくコードネームで呼び合うこと。
そして、モンテ皇国の何者かが手引きしている可能性があること。
3つ目の内通者については、皇太子の娘ミレーヌがネロスに来ることがオープンになる前に色付き(コロラト)がネロスに入ったことからの推測である。
「ああ、お待ちください。走っては危のうございます」
「あれは何だ? 見よ、大きな花が飾ってあるぞ、あ、あっちは魔道具屋か」
女性が大きな声で話す声が聞こえ、クロキが声のする方を振り向くと、走っていた少女がつまずいて転びそうになっていた。
少女がちょうどクロキに向かって倒れてきたこともあり、クロキは咄嗟に少女を抱きかかえた。
「大丈夫か?」
「あ……」
少女は顔を赤くして、急いでクロキから離れる。
「ありがとう……」
年は10代か。紫色の髪を頭の中間当たりでツインテールにしており、大きなリボンが印象的だ。
服装は貴族が着るような高貴な物で、庶民とは思えない風体であった。
「ああ、お怪我はありませんか、本当に、もう、少しは落ち着いてくださいな」
20代と思われる地味な女性が少女に駆け寄って、少女の身体に怪我がないかを調べ始めた。
その間、少女は顔を紅くしたまま俯いており、少女の身体を調べていた女性が、少女に怪我がないと分かると、安心した様子でクロキを向いて頭を下げた。
「どこのどなたかは存じ上げませんが、ありがとうございました」
「ああ、いえ、怪我がなくて何よりです」
「そうですわ、お礼をしたいので、お名前を教えていただけませんか?」
女性がクロキの名前を聞こうとすると、少女もハッとして顔を上げた。
だが、職業上の癖と言うか、クロキは見ず知らずの人間に名前を名乗るのはあまり好まない質であったため、
「いやいや、礼なんてとんでもない、じゃあ、急ぐので私はこれで」
と、そそくさとその場を後にした。
しかし、あんな格好で繁華街をうろうろしていれば、チンピラどもに絡まれるだろう。ほら、あのとおり。
「どこのお嬢さんだい? 何か恵んでくれよお、ヘヘ」
クロキが振り向くと、早くも少女はチンピラに絡まれていた。
「女性に絡むなど、あなた方は恥ずかしくないのですか」
少女がチンピラに向かって言うが、チンピラは顔を見合わせて爆笑した。
そんなことを言ってチンピラが引き下がるわけもなく、むしろ逆効果だ。
クロキは仕方なく踵を返し、少女に向かって歩き出した。