魔神兵トウハイ
クロキが直ぐに駆け寄り、トウハイの首から注射器を抜いたときには既に中の薬剤は全て注入された後。
「く……」
クロキは直ぐにトウハイの身体から離れ、シュウリンら捕らわれた娘たちを拘束する鉄の鎖を外して回った。
が、その間にトウハイの身体が大きく膨れ上がる。
トウハイが自分に使ったのは、地下遺跡でショウエツに使われた超人薬「神兵」。
しかし、ショウエツのときとは異なり、膨れ上がったトウハイの身体が見る見るうちにしぼんでいく。
「うおをおおを……」
トウハイが立ち上がった。
背面は黒い体毛に覆われ、頭部から山羊のような角が生え、犬歯は鋭く伸び、瞳は金色に、瞳孔は縦に変化していた。
その様はまるで、悪魔。
トウハイが大きく雄叫びを上げると、強い衝撃が発生し、壁や屋根が吹き飛んだ。
クロキは通信魔道具に向かって、
「カイさん、誰か、三階まで遣らせてくれ、シュウリンを見つけた、ほかに三人いる」
と救援を頼んだ。
トウハイはクロキに身体を向けると、床を蹴ってクロキに向かって突進する。
速い。
トウハイの予想外にスピードに、クロキは回避しきれず後方に残った壁まで吹っ飛ばされた。
「アアアア……、何ダ、コノ感覚ハ……最高ノ気分ダ、力ガ漲ッテクル」
トウハイが娘の一人に視線を向けたため、クロキは痛む身体を無理やり起こし、トウハイに向かって突進し、トウハイに斬りかかった。
刀はトウハイの身体に当たったが、かすり傷を負わすのみでトウハイは何事もないようにクロキを見ると、腕を振るった。
わずかに掠めただけであるにもかかわらず、クロキはまたもや吹っ飛ばされる。
「サッキハ、ヨクモヤッテクレタナ、先ニオ前カラ殺シテヤル」
そう言うと、トウハイはクロキに向かって飛び掛かって来た。
が、クロキに到達する直前で、横から飛んできた蹴りを受け、トウハイは弾き飛ばされた。
「なかなか、面白いことになってますね」
白い長袍に身を包んだドゥエンがクロキの前に着地した。
「ドゥエン……」
「恐ろしく強い魔力を感じたので来てみれば、あれは、トウハイさんですか?」
ドゥエンが相変わらず飄々とトウハイを指さしてクロキに聞いた。
「ああ……なんか薬を使ったみたいだが」
「ふむ、『神兵』ですかね」
「だけど、地下遺跡で使ったときとは効果が違うぞ」
「へえ、改良でもしたんですかね」
クロキはあまりにも他人事のように楽し気に話すドゥエンに、少し呆れると同時に、強敵を前に固くなっていた緊張がほぐれた。
「そもそも『神兵』って何なんだ? カミムラが開発したのか?」
「まあ、私も良く知りませんが、どうもですね……古代文明の石碑に記してあった超人化の秘薬らしいです」
「そのレシピをカミムラが再現したということか」
「まあ、そうなんですけど、ただ、石碑にはどのような効果があるのかは書かれていなかったというか、その部分は見つかっていないみたいで」
「うん? と言うことは」
クロキとドゥエンが顔を見合わせる。
「もしかすると、アレが本来の効果なのかも知れません」
クロキとドゥエンが会話をしている間にトウハイが起き上がり、雄叫びを上げる。
強い衝撃波にクロキとドゥエンは踏ん張ることで精いっぱいであった。
「とにかく、ここから移動したい」
クロキが背後に視線を向けながらドゥエンに提案する。
ドゥエンは背後のシュウリンらの姿を見て、うなずいた。
「ドゥエン、邪魔スルナラ、貴様モ殺シテヤル」
トウハイが二人に向かって飛び掛かってくる。
既にトウハイのスピードと攻撃の威力は見切った。
クロキは冷静に、トウハイの攻撃をガードしつつ受け流す。
「何ダト」
トウハイがクロキに連続で攻撃を仕掛けるが、クロキは全てに対処していく。
所詮ベースはトウハイであり、攻撃のパターンも少なく、技術もない。
動きを見切るのは容易かったが、そうであっても尋常ならざる速度と威力の前には、攻撃を捌くので精一杯で、攻撃に転じる余裕はなかった。
一人で相手にしていたのであればいずれ押し切られていたであろう。
だが、ここには――
「地崩拳!」
トウハイの背後からドゥエンが迫り、左拳がトウハイのわき腹に炸裂し、トウハイは屋敷の外まで吹っ飛ばされた。
さっきまで命のやり取りをしていたドゥエンと再び共闘しているということに、クロキは面白さを感じ、思わず口元が緩んでしまった。
そこに魔導館の門下生が数人上がってくる。
「クロキさん大丈夫ですか」
「ああ、それよりもシュウリンたちを安全なところに」
門下生たちがシュウリンたちに駆け寄るのを確認し、クロキとドゥエンは部屋の端まで移動し、トウハイが落ちた先を見下ろした。
「あんまり効いてないみたいだな」
クロキがそう言うのも当然、トウハイは普通に直立し、クロキらを見上げていた。
「うーん、私、右利きなので」
ドゥエンの右手はクロキに折られたまま。
その状態で左手での地崩拳は、やはり威力が軽減するのであろう。
「ハアアアア……」
トウハイが身体を丸めて力を溜めると、背中に蝙蝠のような翼が生え、空に飛びあがった。
「死ネ!」
トウハイが口から火球を放つ。
火球のサイズに比して、屋敷に直撃すると大きく爆発する。
クロキとドゥエンは飛び跳ねながら火球をかわしていく。
だが、トウハイの飛行速度も速く、ドゥエンはトウハイの突進を受け、床を突き破り、階下に叩きつけられた。
クロキはナイフを投げようとしたが、思い留まる。
トウハイの速度に命中させることはもちろん、ナイフが突き刺さる保証もなかった。
クロキは階下に飛び降りつつ、ドゥエンに追撃しようとするトウハイに蹴りを放ってけん制し、ドゥエンの傍らに着地した。
「う、ううん……さすがに効きますね」
ドゥエンは口から流れる血を手で拭き取りながら立ち上がった。
そこで初めて、一階ロビーで小競り合いをしていた公安部とトウハイの部下がトウハイの異常に気付く。
「クロキさん、あれは一体?」
シーハンがクロキに聞く。
「トウハイだ、油断するな」
とクロキが言い終わるや否や、トウハイが急転直下、ロビーに向かって突撃し、トウハイの部下数人が押しつぶされ絶命した。
「疾風怒濤!」
「ウォーター・スクリュー!」
カイとシーハンがトウハイに向かって魔法を放つ。
シーハンの放つ渦を巻く巨大な水流がトウハイに直撃し、風に乗って高速で縦横無尽に駆け回るシーハンはトウハイに前後左右から打撃を与えた。
しかし、トウハイにダメージはなく、直立したまま動かない。
「目障リダゾ、コバエガ」
トウハイが雄叫びを上げると、カイもシーハンも吹き飛ばされた。
トウハイに身体にはかすり傷のみ。
耐久力が尋常ではない。
「どうやら特定の属性に耐性があるというわけではないようですね」
ドゥエンがクロキに視線を向ける。
ドゥエンの表情に焦りはない。クロキの雰囲気から、当然何かしらの策があるのだろうとドゥエンは考えていた。
「ああ、俺に作戦がある」
クロキは暴れ回るトウハイを見ながら言った。