牙の群れ
どの狼も、今倒した狼と同じ様子でクロキたちを威嚇している。
その体躯、凶暴性、言われずとも判る。
この狼達は魔獣だ。
クロキの頭には、かつて、ある国の政治家の邸宅に侵入したとき、数十匹のドーベルマンを相手にしたことが思い出されたが、この狼たちの手強さはドーベルマンとは比較にならない。
「フォーメーションだ。俺とアーノルドは前衛。アンナとリタは後衛。リタは魔法でサポート。アンナは後ろで俺らが取りこぼしたやつを処理だ」
戦闘に慣れた様子で素早い指示をするゴードンに、クロキは少し安心し、後衛のリタの近くにいるようヒースに指示した。
6人は崖を背後にし、リタ、アンナ、ヒースを囲むように、大剣クレイモアを構えたゴードンが中央、右に大斧を持ったアーノルド、そして、左をクロキが固めた。
「フレイムウォール」
リタが魔法を唱えると、狼に向かって地面を一直線に火柱が走る。
火柱の進行方向にいた狼は火柱をかわして、クロキ達に向かって走り出し、その狼に呼応するように、周辺にいた数匹の狼も次々に走り出した。
素早い動きに翻弄されつつも、前衛の3人は狼の猛攻を凌ぐ。
「フレイムウォール」
再びリタが魔法を唱えると、今度はクロキ達を囲むように火柱が走り、狼の集団を分断した。
「やるな」
クロキは素直にリタを褒めると、ゴードンが誇らしげな顔をする。
後続を懸念することなく、火柱の内側にいる数頭を相手にできる。
この方法ならば、この状況を打開できるかも知れない。
そう、クロキが思ったとき、垂直の崖を走って狼が火柱を飛び越えて来た。
狼がリタに襲い掛かる寸前で、ゴードンが鎧で壁になってリタを庇い、その間にアンナが狼の喉を2本のナイフで掻き切った。
その間、アーノルドは3匹の狼を相手にせざるを得なかったが、大斧を操るアーノルドにとっては、素早い動きでヒットアンドアウェイを繰り返す狼は分が悪く、身体のあちこちから血が滲み始めていた。
「アーノルド。一旦こっちに下がって。治療魔法した方が良い」
アンナがアーノルドに向かって叫ぶ。
アンナは治療魔法を使えるようだが、アーノルドは狼の猛攻に遭い、下がるに下がれない。
すかさず2匹を片付けたクロキがアーノルドの援護に入り、アーノルドをアンナのもとに下がらせようとしたが、再び崖を走って狼が火柱を飛び越えてきたため、アンナはヒールをしているどころではなくなった。
何匹もの狼が崖を使って火柱を越えようと試みているのが見える。
前衛を飛び越えて後衛を攻撃されてはフォーメーションが崩壊する。
クロキは、対応策を考えていたが、そんな中、ヒースが崖の1か所を指さす。
「あそこに向かって強めの魔法を打ってください」
「ちょっと、こんなときに何言ってんのよ。とにかく狼に撃ちなさいよ」
アンナは苛立っているが、リタはヒースの考えを察し、指示する先に向かって「ファイヤーボム」と大きな火球を撃ち込んだ。
崖に当たった火球が爆発すると、土煙を上げながら雪崩のように崖が崩れ始め、真下にいた狼を飲み込み、その轟音に驚いた狼たちは、警戒し、動きを止める。
外観から地盤の緩い部分を見分け、的確に指示をしたヒースのおかげで、不利な状況を脱することができた。
ゴードンとクロキで火柱の内側の狼を相手をしている間に、アーノルドはアンナの治療を受け、治療が終わった頃には、火柱の内側の狼は全て倒していた。
そして、息を整えながらフォーメーションを組み直したところで、リタが火柱を解く。
狼の数は半分以下に減っていた。
この調子ならば問題ない。そうクロキ達は思い、狼たちを迎え撃つよう構えたが、狼たちが少しずつ後ずさりをしていることに気付く。
「か、勝ったのか」
ほっとするゴードンの横で、クロキは違和感を感じていた。狼たちは逃げる様子ではない。
それよりは、むしろ――
クロキが振り返って崖を見上げると、暮れ始めた空に溶け込むように、薄く赤みがかった巨体が金色の眼光をクロキに向けている。
2メートルは超えるであろう狼。
それは、クロキ達を威嚇することなく見下ろし、威厳すらも感じさせる。
周りの狼は、この狼に膝まずいているようであった。
クロキは息を飲む。
「はは、まるで狼の王様だな」
「さ、さながら、魔獣『キングウルフ』と言ったところでしょうか」
ヒースは先の欠けた槍に、藁にもすがるような気持ちでしがみついていた。
キングウルフが崖から飛び降り、クロキ達の前に着地する。
そして、クロキ達を品定めするように見ながら、首を回す仕草をした。
「ファイアーボール」
リタが、キングウルフに向かって小さな火球をいくつも撃つ。
しかし、キングウルフは飛び跳ねながら、造作もなくかわした。
「ダメ、当たらない」
リタは表情を崩さずに呟くと続けてフレイムウォールを唱え、キングウルフと6人の間に炎の壁を作る。
しかし、キングウルフは悠々と、炎をものともせずに壁の内側へと入ってきた。
飛び散る火がまるで花のように輝き、その光景は、恐怖を通り越して、美しさすら感じさせた。
クロキが先手を打つ。キングウルフの真横に素早く移動すると、肋骨の隙間を狙って刀を振り上げる。
キングウルフは、クロキから距離を取るようにかわし、再び首を回すような仕草をした。
次の瞬間、キングウルフの姿が消える。
「避けろっ!」
クロキだけが反応した。
気付いたときには、キングウルフの牙がゴードンの右肩に食い込んでいた。
さっきまで狼たちの牙も爪も通さなかった重装の鎧ごとゴードンの肩が噛み潰される。
「ああああっ」
肩の骨が砕ける音を聞きながら、ゴードンは叫ぶ。
鎧がなければとっくに食いちぎられているだろう。
「放せっ!」
アーノルドが大斧を振り上げ、キングウルフの首を狙うが、キングウルフはゴードンを噛んだままアーノルドを向く。
ゴードンを盾にされた格好となり、アーノルドの斧が止まった。
「こ、このっ」
アーノルドは距離を取り、隙を窺うが、動けば逆に襲われるという予感に一歩も動くことができない。
「良い、それで良い、引き付けてくれて、ありがとう」
クロキが真上からキングウルフの頭部に向かって飛び掛かる。
キングウルフはゴードンを噛んだまま横に動きクロキをかわすが、クロキは着地と同時に低い姿勢でキングウルフの前足を刀で薙ぐ。
キングウルフが前足を上げて刀をかわすと、今度は切り上げる。
しかし、キングウルフは跳び上がり、それもかわした。
その直後、銃声が響いた。
クロキの左手には拳銃が握られている。その銃口から放たれた弾は、キングウルフの身体で最も柔らかい腹部に命中していた。
キングウルフの体格からすれば32口径など大したものではないが、予期せぬ攻撃に驚き、キングウルフはゴードンを口から放した。
キングウルフは、着地すると標的をクロキに変え、クロキ目掛けて噛みついてきた。
クロキは、咄嗟にバックステップでかわすが、噛みつきの連続が続く。
間一髪かわし続けるが、全てをかわすことはできない。
クロキの右腕を牙がかすめる。
手甲が砕かれ、二の腕から前腕にかけて抉れる。が、クロキは逆に噛みつくがごとく、たった今負傷した右ひじと右ひざで上下から挟むようにキングウルフの口に打撃を加えた。
キングウルフはたまらず、距離を取って着地する。
クロキはそれを見計らったように、ワイヤーをキングウルフに投げつけるが、キングウルフは遠くから視認できない細いワイヤーを当然のようにかわし、ワイヤーはキングウルフの背後の木に当たった。
その間に、倒れたゴードンの肩をアンナがヒールで治療しているが、鎧が食い込んでいることもあって、治療しきれない。
瞬く間に前衛2人が負傷した。
ゴードンとクロキの血で紅く染まった口を、キングウルフは舌で舐める。全員の頭に絶望が姿を見せた。
痛みを堪え、息を荒げているゴードンにクロキは言う。
「立て」
アンナは耳を疑った。この状況で、最も負傷しているゴードンに立ち上がらせてどうするというのか。
「奴を倒すには、お前の助けが必要だ。力を貸してくれ」
「ふ、ふふ、やはりそうでしょう、望むところです。大丈夫、身体の丈夫さだけが取り柄です」
ゴードンがゆっくりと立ち上がった。
クロキはリタを呼ぶと、ゴードンとリタに耳打ちをする。
その様子を見ながら、キングウルフはポジションを定めるように、一歩、一歩と左右に動き、そして立ち止まると、首を回す仕草をした。
「来るぞ」