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第八話「決着とこれから」

 

 昨夜のことである。

 翔はふと思いついたことをユノに言ってみた。


「論理配列変更用のソフトを作って欲しい? SKY配列の? いやいいけど。そんなのすぐできるし。でも、SHOWは大会断るんでしょ?」

「断る。断るが、ちょっと気になってな。QWERTY以外の配列がどうなっているのか」

「ふ、ふーん。その女に興味あるんじゃないの?」

「なんでそうなる」

「べっつにー」


 雑談をしていると、ユノはあっという間にSKY配列用のキーボード論理変更ソフトを送りつけてきた。


「できたよ。インストールして設定で配列を適用すれば君のキーボードの論理配列はSKY配列になるよ」

「さすが。ありがとう」

「別に褒めたって何も出ないからね」


 ユノは拗ねたような顔文字を送ってくる。

 翔は送られてきたソフトをすぐにインストールした。

 見た目はQWERTY配列のキーボードだが、中身はSKY配列のキーボードが完成した。

 翔は配列表を見ながらタイピングをしてみる。


「ちょっとこっちで対戦してみようか」

「ええー。覚えたての配列なんて相手にならないよ」

「まあそう言うな。ちょっと試してみたいんだ」

「しょうがないなぁ」


 翔はユノとタイピングクエストで数回対戦して負けた。悔しいので追加で数十回対戦して更に負けた。

 

「初めての配列とはいえ、SHOWをタイピングでボコボコにするのは気持ちいいね。目覚めそう」

「うるせ。うーん。悪い配列じゃないんだけどなぁ」

「まあまあいいんじゃない。練習すれば結構早くなりそうだよ」

「もうちょっとやろうぜ」

「あのさぁ。君タイピングやめるって言ってたよね」

「やめるよ。今日限りだ」

「ふーん。まあ何でもいいけどさ」


 タイピングクエストの夜は続く。

 空が白み、朝日が昇り始めていた。


   ---


 昼休みも過ぎた定食屋は熱狂していた。

 単語が出て、それを打ち込む。

 響くキータイプ音。

 どちらが速く、正確か。

 タイピングバトルはシンプルだ。

 それゆえにわかりやすく強烈に人々を惹きつけていた。


 誰よりも速く、ただ疾く、精密に――


 網走翔の指が疾走る。湯浅朝城も応じた。

 極限の集中で、指先の自動人形となる。

 削れ。加速しろ。

 思考をQWERTYからSKYに塗りつぶすんだ。

 もっと速く。

 疾走れ指先。電気信号さえ超えて。

 全くうまくいかなかった就職活動、何の役にも立たなかったタイピング、疎遠になった友人、できる気配のない彼女、暗い気配しかない自分の未来。

 頭を悩ませていたあれこれが、意識の背後に消し飛んでいく。

 すべて関係ない。

 フラッシュする文字列。

 キーを叩く。

 加速する。

 それがすべてだ。

 互いに単語を取り合う。

 ここに来て、両者は互角だった。 

 しかし、無表情で打ち合う翔に比べて、湯浅には焦りの色が見える。

 わずかな差。

 

 第三セットの勝者は網走翔だった。


 網走翔 十問取得 KPM 660 正確性87%

 湯浅朝城 九問取得 KPM 650 正確性89%


「くっ……!」

「……ふぅ」


 これで1勝2敗である。

 網走翔はほっと胸をなでおろした。

 昨日ユノと朝までタイピングしていたのが、こんな形で役に立つとは。

 勢いで勝負を挑んでしまったが、湯浅朝城は素晴らしいタイパーである。

 つばさに言われたように、会社のタイピング自慢の領域を超えている。

 伊達にキーボードを持ち歩いているわけじゃない。

 湯浅は第二戦のように正確性を重視する打ち方にするのかと思ったが、真っ向から速度勝負を挑んできた。結果、わずかに速度で翔が勝り、正確性では湯浅が勝った。

 結果として1勝をモノにできたが、正確性を重視されたら負けていただろう。

 それでも速度勝負を挑んできたのは、湯浅のタイパーとしての矜持だろうか。


「君! 本当に本当にさっき覚えた配列なんだろうな!」

「……そうだ!」


 ちゃんと覚えたのはさっきだ。昨夜自己流で練習していたが。


「この僕が……。こんな覚えたてのやつに……!」

「第四戦だ。始まるぞ」


『komedanosupagetthi (コメダのスパゲッティ)』


 一斉に二人の指先が走った。


   ---


 湯浅朝城はかつてタイパーとして鳴らした時期があった。

 パソコンに付属していたタイピングゲームでタイピングを覚えたあとは、友人たちとのMMORPGを通して日夜タイピングをしていた。ゲーム内でも湯浅より速くタイピングをするやつはいなかった。タイピング自体に興味が出てきた湯浅は、地元のゲームショップで開催されていたリアルのタイピング大会に出場して優勝したこともある。自信を深める湯浅だったが、ネット対戦型タイピングゲーム「タイピングクエスト」で上には上がいることを知った。

 キーボードを変えたり、運指を変えたりと試行錯誤で挑んでみたが、勝てない相手には何度やっても勝てなかった。タイピングクエストでも最強クラスの相手だった。名前は今でも覚えている。

 速度が上がると聞いて、配列を変えたこともある。

 結果は悲惨なものだった。

 余計な配列を覚えたせいで、本来のQWERTY配列の速度まで遅くなってしまった。

 配列はQWERTYに限ると心底思った。

 あるとき、会社に後輩が入ってきた。大学を飛び級で合格して博士号を持ち、鳴り物入りで入った彼女は、とても優秀だった。見た目はパンクバンドのような奇妙な姿だが、会社の主力となる新製品を次々と開発していった。

 そこまでは良かった。問題は彼女がQWERTYじゃない配列を広めるのをライフワークにしていることだ。

 彼女は社内でタイピング大会を開いてその配列を広めようとしていた。

 気に入らない。

 QWERTYに勝てる代替配列など存在しない。

 だから湯浅はその大会で彼女をボコボコに負かした。

 それで挫けるかと思ったが、彼女は折れなかった。

 時流も味方した。

 どこの誰が考えたのか、暗黒タイピング大会なる酔狂な大会が開かれることになった。デファクト・スタンダードを変えるという、酔狂にしては影響が大きすぎる大会である。

 ふざけた話だ。もうすでにQWERTYでタイピングを覚えているのだ。

 今更変えられてたまるものか。

 案の定、彼女は出場する気まんまんである。

 だから邪魔してやったのだ。

 ことあるごとにやる気を削ぐような言葉を投げかけた。

 しかし彼女はタイパーを見つけてきたという。

 誰だか知らないが、QWERTY以外の配列で勝てるはずがないのだ。

 それを決定的に彼女に教えてやろうと思った。

 今までリアルでは負けたことがない。

 タイパーに会いに行くという彼女を探して、タイピングバトルでそのタイパーを負かす。

 今度こそ分からせることができる。

 QWERTY以外の配列は不要であり、無意味なのだと。

 しかし、今――!


 くっそぉぉぉぉ!


 心の中で湯浅は吠えた。

 速い! 速すぎる!

 対戦相手の網走翔は速いだけじゃない。

 正確性もどんどん向上している。

 最初の一戦から、より速く、正確になっているのだ。慣れてきていると言うのか。

 この数戦で。

 さっき覚えたばかりの配列だって!?

 ありえない。絶対に。

 近頃確かに仕事が忙しくてタイピングの練習をサボっていた。

 700KPMをコンスタントに出せていたはずなのだ。

 なぜもっと練習しなかった。どうしてひたすら打ち込まなかった。

 くそ! くそ! くそ!

 こんなやつがいるなんて。

 こんなに速いやつが、QWERTYじゃない配列にいるなんて!


 第四戦

 網走翔 十問取得 KPM 680 正確性95%

 湯浅朝城 六問取得 KPM 610 正確性95%

 勝者 網走翔

 

 これで二勝二敗。

 決着が迫っていた。


   ---


 並んだ!

 つばさは思わずガッツポーズをする。

 ただの二勝二敗じゃない。

 翔は初戦からどんどん速く精密になっている。

 一方の湯浅は速度と正確性に限界が見えていた。


「こんなはずでは……くっ……こんなはずでは……」


 湯浅はわなわなと震えていた。

 自身の敗北を色濃く意識しているようだった。

 様子のおかしい湯浅に、つばさは声をかけた。


「湯浅さん……大丈夫ですか?」

「う、うるさい!」

「すごい汗……タオルもらってきます」

「結構だ!」


 湯浅はギロリと翔に向き直った。


「決着をつけてやる」

「望むところだ」


 第五戦が始まった。


『doragonnkuesutodainodaiboukenn(ドラゴンクエストダイの大冒険)』


 鋭いタイプ音が響く。

 翔が単語を取る。


『merahakasenofusiginahannzai(目羅博士の不思議な犯罪)』


 翔が単語を取る。

 正確性は崩れない。


『izumi-rufuunikudanngo(イズミール風肉団子)』


 湯浅が取った。

 正確性が落ちている。


『innfi-rudofuraidebatta-auto (インフィールドフライでバッターアウト)』


 湯浅が単語を取る。

 お互いスピードがどんどん上がっていた。

 翔のタイピングスピードに引きずられるように、湯浅もスピードが上がっている。

 一時的にKPMが800を超えた瞬間もあった。

 しかし正確性がついてきていない。

 正確性を犠牲にして、湯浅は追いすがってきた。

 互いに単語を取り合う。

 翔の正確性もわずかに落ちてきていた。

 所得単語は九問対八問。

 どちらが勝ってもおかしくなかった。

 空気が震えている。観客は歓声を上げた。

 二人の熱が、店中に広がっている。

 QWERTYのタイパーを向こうに回して、SKY配列で互角以上の戦いを見せる網走翔に、つばさは自分の胸が熱くなるのを感じていた。

 鋭い視線でディスプレイを睨み、少し猫背気味にキーを叩き続ける網走翔のタイピング姿が目に焼き付いて――。


「いっけぇええええ!」


 つばさは叫んだ。

 思わず声が出ていた。

 こんなに誰かを応援したことはなかった。 


 ッターン!!


 響くタイピング音が止まった。

 定食屋が静寂に包まれる。

 勝負は、決した。


 第五戦

 網走翔 十問取得 KPM 700 正確性95%

 湯浅朝城 八問取得 KPM 670 正確性85%

 勝者 網走翔


 三勝二敗で網走翔は勝った。

 二人の対戦を固唾を呑んで見守っていたギャラリーからわっと拍手が起こった。

 網走翔と湯浅朝城。二人に向けた惜しみない拍手だった。


「はぁ。はぁ」


 湯浅は息も絶え絶えである。

 網走翔の額から一筋の汗が流れていた。


「敗けた……この僕が……? 一体……何者なんだ……! お前は!」

「網走翔。タイパーだ」

「聞かない名だ。僕は、リアルでは敗けたことがないんだぞ」

「そうか」

「唯一勝てなかったのは、タイピングクエストのネット対戦だけだ」

「……俺もやっている」

「ユーザー名は?」

「SHOWだ」

 

 湯浅は言葉を失っている。

 網走翔の名乗りに、湯浅はひどく衝撃を受けているようだった。


「お前が……! そうだったのか。勝てない……わけだぜ……」


 ばたりと湯浅が倒れてテーブルに突っ伏した。


「ちょっ……! 大丈夫ですか!? 湯浅さん!」


 つばさは慌てて肩を揺すった。


「極度の集中と弛緩で気絶したんだろう。タイパーにはよくあることだ。すぐに目覚めるよ」

「よくあるの!? 聞いたことないけど!」


 いきなり倒れた同僚に焦るつばさ。

 翔はそんなつばさに向き直り、頭を下げた。


「それより、よろしく頼むよ。半年間、みっちり鍛えるつもりだ」

「うん……! うん!」

「俺は、SKY配列で暗黒タイピング大会に出る。今度大会の対戦形式とか詳細を教えてほしい。あ。日本語で頼む」

「わかった! あとで詳細送る! でも……」

「でも……?」

「翔くんだけだとまだ出場できないの……」

「え……どういうこと?」

「暗黒タイピング大会はチーム戦なのよ。ほら。1対1だとタイパーによるばらつきがあるから、配列の真の有用性を判断できないって……。でも応募は一人だけ書けば大丈夫。大会当日までにチームを揃えれば問題ないわ」

「チームって……あの……何人チームなの?」


 つばさは手を広げて見せた。


「五人よ。暗黒タイピングバトルは5対5のチーム戦なのよ。言ってなかったっけ?」

「言ってないよ! 絶対に言ってない!」

「頑張ってあと四人! 集めましょう! 大丈夫! 何とかなるわ!」


 元気に断言するつばさを見て、翔の体がぐらりと揺れた。


「そんなぁ……無茶……だぜ……」

 

 糸が切れるように、網走翔はテーブルに突っ伏して倒れた。

 定食屋に悲痛な叫びが木霊した。


   ---


 深い森の中に、一軒の豪邸があった。

 鈍い照明が闇夜に漏れるその一室で、話し合っている二人がいる。

 神代欅のダイニングテーブルにクリップ止めされた書類が並べられ、二人はそれらを一束ずつ眺めていた。

 一人は口ひげを整えた老年の紳士であり、もう一人は制服姿の女学生だった。


「Dvorak配列は当然として……Maltron配列、Colemak配列、Workman配列、Norman配列……おお、Helix配列にMinimak配列も。ほほ。随分色々あるじゃないか」

「こっちにはBEAKL配列、Euclyn配列、親指シフトもありますよぉ」

「他にもまだまだあるのう。この世の配列がすべて揃っているのかもしれん。壮観だのう」

「ええ。本当に。デファクト・スタンダードを変えるんです。配列屋なら誰でも参加しますよ」


 女学生はうっとりと書類を眺めた。

 書類は半年後に迫った暗黒タイピング大会の応募用紙である。

 フォーマットに記載された応募要項の他に、キー配列の図面や、開発の経緯、現行配列と比較した効率化のデータなどが添付されていた。

 女学生は、それらを嬉しそうにめくりながら、整った顔をほころばせた。

 その表情は、世界を変える企画に立ち会っている喜びではなく、どこか猛獣めいた攻撃的な色が透けていた。

 ふと、女学生はある書類に目を止めた。


「SKY配列……? 聞いたことありませんねぇ」


 書類をめくり、応募者のプロフィール欄を読む。考案者はすでに亡くなっているようで、親類の者が応募してきたようだ。若い女性。まだ24歳だ。アメリカの大学を飛び級で卒業して博士号を取得している。就職した企業では多くの製品を開発、特許も取っていた。


「すごい人がいるのねぇ」


 SKY配列の応募書類には、どの配列よりも詳細なデータが添付されていた。

 ぱらぱらと流し読む。短い応募期間によくこれほどのデータを集めたものだと感心する。いや、すでにずっと準備していたのかもしれない。

 

「ふふ……SKY配列かぁ……」


 女学生は参加タイパーの欄を眺めた。

 参加タイパーは、一名だった。

 網走翔。

 名前を見た瞬間、女学生の整った顔が僅かに歪んだ。


「来たんだね……翔ちゃん」


 女学生は網走翔の名前を指でなぞる。

 残り四名の欄は空欄。空欄でも応募には問題ないが、これほどしっかりした書類を送ってくる人物が書き忘れたということはあるまい。

 まだ見つけられてないのだろう。


「今頃タイパーを探しているのかもしれませんね。可哀想に……。どんな配列で誰を連れてこようと、私達に勝てるはずがないのに……」


 女学生は微笑みながら、また書類をめくった。



とりあえずこれで第一部完! です。

次回投稿は8月末を予定しています。

(書き溜めが尽きてしまいました)

お楽しみに!

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