不意にそれは起こりうる
「いらっしゃいませ」
店内に響き渡るいつも通りの言葉。自動ドアは何事もなく来客を受け入れ、店内の冷房はちょうどいいぐらいに外の暖気を溶かしていく。
ここはコンビニエンスストア。並大抵のものはここに行けばそろう。ご飯が食べたいと思えばフードコーナーに食べ物が陳列されているし、何か飲みたいと思えば、さまざまな種類の容器に入った飲料水が売っている。本が読みたいと思えば雑誌コーナーがあるし、日用品が欲しいと思えばドラッグストアにあるようなものが大体そろっている。これこそまさに「コンビニエンス」なお店である。
だが一つだけ疑問がある。それはどうしてそんなに優れたお店を何の資格もないしがない人間が経営できるのかということだ。アルバイトなんてまさにそれだ。人によるかもしれないが、どんなに低い経歴であれ採用される人はされる。
「全く不思議だ……」
ぼそりとそんなことを呟く店員、馬場もそんなしがない店員の一人である。
大学中退で最終学歴は高卒。フリーターになったはいいものの全くやりたいと思うことはなく、ただ無駄にひたすらにぼーっと今を生きている。
外を見るとやんちゃな子供たちが駆けていくのが見えた。
「自由か、うらやましいな」
自分も状況的には自由なはずなのに、なんとなくそんなことを考えてしまう。
そう思ったとき、また自動ドアが開いてお客がやってきた。
「いらっしゃいませ」
そんな言葉も、馬場にとっては簡素で機械的なものに感じられた。
入店したばかりのお客は、ずかずかと自分のいるカウンターに向けて一直線に歩み寄ってくる。こういう場合は大体たばこか、コンビニ限定くじか、なんとなく聞かれる相場は決まっている。そもそもコンビニで場所を聞かれるようなこと自体あまりない。少なくともこの狭い店内では。
ちらちら歩み寄るお客を見つつ前を向いていると、馬場にとっては予想外なことが起きた。
黒服にマスクをつけ黒いハットをかぶったお客はカウンターの前で立ち止まると、着ていたコートの隙間から鉄の塊を取り出し、穴の開いた部分をこちらへ向けてくる。
まじか、そういうパターンか。
「これ見えるな? お金の準備を頼む」
そういえばこの人、なのにこんな服装してるっておかしいよな。
「暑くないんですか?」
気持ちが先行して思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
「あ? 聞こえなかったのか? 金を頼むって言ってんだよ」
今度は語気を強めてきた。
まぁ、暑いのにそんな服装してたらむしむししていらいらもするよな。あ、違った違った。
「すいません、ATMはあちらになるんですけど」
馬場は入り口付近にあるコンビニATMの位置を指さした。
「なめてんのか!」
黒服の男はついにキレて店内に響き渡る怒号を発した。
「いやなめてるというか、コンビニでお金渡すとかって、商品買ってもらうときかATMでお金引き下ろしてる人ぐらいなんで」
「じゃあ君は知らないのかな? 俺、コンビニ強盗っていうんだけど」
「知ってますよ、あれですよね? 銃とかナイフとか突きつけてやるやつ」
「じゃあこれは?」
黒服の男は鉄の塊を見せつけた」
「銃です」
馬場は顔色変えず平然と答える。
「じゃあわかるだろ? 俺はコンビニ強盗ってやつなんだよ」
ふむ、と馬場は納得してあたりを見回した。
店内にお客さんは黒服の人を含め二人。夏の昼間にしては客が少ないのはこのコンビニの立っている立地的に気づかれない場所だからだろう。助けを呼んでも無駄かなぁ。
馬場がため息をつくと黒服の男がカウンターをたたく。
「もうお前いいから、責任者だせや」
「責任者? ここでいうところの店長みたいな人ですかね?」
「何寝ぼけてやがる。店長以外に誰が店の責任取ってんだよ」
「あー、まぁ確かに。でもその言葉お返しします」
「何?」
黒服は眉間にしわを寄せる。
馬場が黙り込むので黒服はカウンターを蹴り、轟音を鳴らした。
「わかるように説明しやがれ!」
言われたので馬場は胸元につく名札を指さした。
黒服はそれを見て目を丸くする。
「僕、一応店長なもので」
その場の時間が止まった。本当に止まったわけじゃない。だがきょとんとするしかなかった。
黒服はあっけにとられた顔をマスク越しにしているのがわかる。
「で、責任者なんですけどどうしますか?」
そういわれ黒服は舌打ちをする。
「それでもお前から金をいただくしかないな」
引き際を失った悲しい末路か。
「寂しくないですか?」
馬場の唐突な言葉に黒服は首をかしげる。
「何が言いたい」
「こんなこと続けて辛くないんですか?」
「つらい? そんな感情、とっくの昔に捨て置いてきた。今はこうやってることが俺にとって快楽なんだよ」
「そうですか」
馬場はそういうとレジを開けた。
「お? 気前がいいじゃねぇか。諦めたのか?」
「いや、どうでもよくなっただけです。詰めるものは?」
「ほらよ」
黒服が予め持っていたカバンをカウンターの上に無造作に置いた。馬場はそのかばんを奇麗に整えるとレジに入ったお金を詰めだす。
「あなた、最近ここら一帯のコンビニを荒らしまわっているコンビニ強盗さんですよね?」
唐突に聞かれた黒服が少し動揺した。
「さぁ? 何の話かさっぱりだな」
「あれ? 人違いですかね。まぁいいんですけど」
馬場がちらりと様子をうかがうと黒服が持った銃はとっくに銃口が下に落ちている。強盗にしては無防備すぎた。
「僕の知ってる強盗はお店は襲うけど誰を人質にもしないし殺さないみたいなんですよね」
「ほう、それはまたお人好しな強盗だな」
「この店内には今あなたを含め二人のお客さんがいます。ご存じでしたか?」
黒服はちらと後方に目をやった。
確かに一人、ワイシャツに黒ズボンのサラリーマン風の男がこちらを気にすることもなく買い物を続けていた。そう、こちらを気にすることもなく……。
「いるな、男が一人」
「その人を人質にすれば、もっと効率よく僕から金を巻き上げることができました。どうしてしなかったんですか?」
「は? そんなのどうでもいいだろう。俺は金が欲しかっただけなんだからよ」
「そうなんですか。僕はてっきり人を気付けることが好きじゃないから、人質を取らなかったんだと思ってたんですけどね」
馬場は軽く笑みを浮かべると、カバンのチャックを閉めた。
「はいどうぞ、できましたよ。おまけで飴玉、入れておきました」
「なんだよ、ずいぶんと気前がいいじゃねぇか」
黒服はカバンを持つ。
「その銃、弾が入ってないんですよね? 本当にお人よしですね」
黒服は図星だったらしく立ち止まる。
「あ、あと一つお伺いしてもいいですか」
馬場は返答の隙を与えず切り込んだ。
「そのお金、どうするつもりなんですか?」
黒服は背を向けたまま、外で駆け回る子供たちを見ていた。
「ギャンブルだよ」
「え?」
馬場は思わず目を丸くする。てっきり子供が入院してて医療費がどうのこうのって話が来ると思っていたからだ。
「俺な、博打打なんだよ。そのせいで家族からも見放されてさ。親からも勘当されるし、子供には常に汚物を見るような目で見られてな。家を追い出され行き場をなくし、今は公園暮らしだよ全く。情けねぇよな」
「なるほどね。だからコンビニ強盗して生活費集めて、人を気付つける真似は避けてきたってわけか。でも一つ腑に落ちないんだが」
「何がだ?」
馬場は指をさす。
「そんなもの、どこで見つけたんだよ」
黒服は自ら持っていた拳銃に目がいった。
「ああ、これか。これは俺が今寝とまりしてる公園で手に入れたんだよ」
「公園で? そんなとこに置いてあるものなのか?」
「俺もよく知らねぇよ。ゴミ箱にあったところを俺が拾ったんだ。弾は入ってないみたいだし、もしかしたら俺もまだ、神様に見放されてないのかもな」
黒服はマスクの中で薄ら笑いを浮かべ肩を軽く浮かせた。
「お願いします」
突然、話しかけられた馬場は心臓が跳ね上がる。
「あ、は、はい! お預りしますね」
その言葉を聞いて、黒服は外に出ようとする。するとレジに商品を持ってきたワイシャツの男が黒服の男に目を向けた。
「そういえば、どうしてそんなに厚着してるんですか? 暑くないんですか?」
黒服は立ち止まると背を向けたまま言った。
「俺は寒がりでね。夏でもこの服装なんですよ」
馬場はレジ打ちをしながら何とも不思議な感覚に陥った。
この人、さっきの話聞いてなかったのかなぁ……などとちらりと見ると、ふいに目が合う。
するとワイシャツの男が口元をほころばせた。
「ありがとうね」
聞き取れるかわからない虫の羽音程の声でそう言うと、再び黒服のほうを向いた。
「そうなんですか。そうすると大変ですね。冬場なんて考えただけでぞっとするでしょう?」
「ええ、まあ」
黒服もさすがにここまでくると違和感を感じずにはいられなかった。
「もういいですかね? ここの冷房はどうも俺には合わないみたいなんで早く失礼したいんだが」
「じゃあまあ、ここで話すのも迷惑ですし、外で話しますか?」
その言葉にはどうやら耐えきれなかったらしく、黒服は眉間にしわを深くして振り返る。
「一体何なんだよあんた! そんなに俺に興味あんのか? 夜まで血祭やるか?」
黒服はこらえきれずに拳銃を向けている。弾切れの拳銃を。
するとワイシャツの男は苦笑いを浮かべた。
「やだなぁ、そんなに挑発するつもりはなかったんですけど。でも職務上仕方ないんで」
そういってワイシャツの男はいつの間にか警察手帳を手に持っていた。
それを間近で見ていた馬場も目を点にしていた。
「け、警察!?」
馬場の反応に続き黒服もじりじりと足を下げているのが見えた。
「な、なんで警察がここに……」
「なんでって言われても、一応非番で買い物してただけですし。あれ? 警察って非番だと買い物禁止とかいう条例ありましたっけ?」
楽しそうに馬場に視線を向けた。
「くそっ!」
そのすきを見て黒服はコンビニを出ようとするが、自動ドアは自動で開かなかった。
「な、なんで!?」
手動で動かせることも忘れ、黒服はその場に力尽きた。
その光景を見て警察の男も目を丸くした。
「君、割とやるんだね」
「まぁ、だてに店長まで登りつめたわけじゃないですから」
馬場は後ろ頭をかいて、警察の男が買ったものを袋に詰める。
「支払いどうしますか? 現金だと今はお釣り出ないですけど」
「大丈夫、そこの泣き崩れた男からお釣りはもらうよ」
警察の男は黒服のそばにしゃがみ込むと、手に手錠をかけカバンのチャックを開けた。
その後、警察の男がまた買い物にやってきた。また夏の暑い日だ。直射日光に浴びれば一瞬で干からびれそうである。
「今日も暑いな」
そういってなれなれしく入ってくると、馬場は会釈する。
「例の黒服はどうしてますか?」
馬場が唐突に訪ねてくるので、警察の男は苦笑する。
「ほかのお客さんいるんで、突然笑うと不審者ですよ」
「お前がそうさせようとしてるんだろ」
警察の男はため息をついた。
「まぁ黒服の男は元気にやってるよ。足洗ってギャンブルもやめるって言ってたな」
「それはそれは何よりで」
「お前、あの黒服をどう思って話してたんだよ」
「いえ別に。ただ、一生懸命生きてほしいなって。少なくとも……」
馬場は言いかけてやめた。少し自分を情けなく感じたからだ。
「そういえば、今日は何しに来たんですか?」
「買い物をしちゃ悪いのか?」
「いえいえ」
さっぱり返答されて警察の男は口をゆがませた。
「まぁ、ちょっとだけ相談がないことはない」
「はぁ、でもなんで僕なんですか?」
「そりゃ、あの黒服を捕まえられたのがお前の機転が利いたからだ。そうやって機転を利かせられる奴にはめかけが必要だろ?」
「別にそんなつもりじゃなかったんですけどね。それで?」
馬場はちらと見る。
「公園の拳銃についての話だ」