第3話 復帰
息を吸ったら、肺に酸素が取り込まれる様に。
世界が一秒進めば、時計の秒針が教えてくれる様に。
そうなる事が当たり前で、そうなる事以外に道を見いだせない程自然に、俺の体は起き上がった。
しかし、いまいち状況は飲み込めない。
起きたばかりで正常な思考が出来ていないのか、どうしてベッドで寝ていたのかがどうしても分からず……そして、もっと分からないのはこれ。
……木。
いつもは枕があるはずの位置に、恐らく同じ種類だと思われる木材が細かく砕かれた状態で敷き詰められているのだ。
心なしか木屑が首に刺さっている気もする。
なんの木だろうか。
そう思い、見たところ一番大きな破片を手に取った。
……何か絡まってる?
「痛っ!」
破片にとても細い何かが絡まっていたのだが、それは人間の髪の毛だった。
「いたたたた……。」
もっと言うと、隣に寝ているペラルゴの金髪である。
抜けはしなかったものの、普通に引っ張ってしまった様で……絡まった髪の毛の生えている辺りをペラルゴはさすった。
「すまない、今回は本当にすまない。」
仰向けで寝ているペラルゴに謝る。
そんな俺を見たペラルゴは、ゆっくりと体を起こした。
「……ロベリ……ご主人様、お気になさらないで下さい。」
それなら良いのだが……さて、と。
「どうしてこんな状態なんだ? 何故、本来枕のある位置に木屑を敷いた。」
すると、ペラルゴは俺の目を見つめ。
「私ではありません。……これは、恐らく梨の木でしょう。」
いやいや、木屑を見ただけで木の種類が分かるのは犯人だけ……おい、よせよ。その軽蔑する様な目で見るのをやめろって。
「ご主人様……いえ、ロベリア。」
少し低くなった声で俺の名前を呼ばれ、脈が速くなる。
ご主人様・お父様・当主、これらで呼ばれる事が多く本名で呼ばれる事は稀……更に、呼び捨てとなれば両親が生きていた頃以来呼ばれていないかもしれない。
「ペラルゴ、主を呼び捨てとはどういうつもりだ?」
ここで厳しい姿勢を崩してはいけない。
お前が崩そうとしても、俺が立て直してやる。
「なあ、ロベリア。」
長い髪をかき上げるペラルゴは、もう使用人ではなくなっていた。
本当のペラルゴだ。
駄目、完全に崩されてしまう。止められない、私が俺でいられない。
「ペラルゴさ………。」
……いやいやいや、違うだろう!!
どう呼ぼうとしたんだ、俺は。
「……ペラルゴ、どうした?」
「どうもこうも、お前のせいで2人とも死にかけたんだ。」
死にかけた……のか。
そうだ、助けを呼ぼうとしてからの記憶が無い。
「梨の木は唯一の対処法……フグリが用意したのだろう。あのなぁ、人間一人につき癒しと慰めの力はたったの3回しか作用しない事くらい分かるだろ?」
「俺達は……これで既に2回目か。」
「ああ、ほら……何か言う事はないか?」
「本当にすまなかった。ペラルゴが望むだけ頭を下げよう、だからその捕食者の様な目を向けないでくれないか?」
「駄目。無理。」
黄緑に近い瞳が俺だけを映しているのは怖いのだが……もっと謝れという事なのだろうか。
ニヤニヤと不気味に微笑むペラルゴに謝る、それ以外には選択肢がなさそうだ。
「……ロベリア、ベッドマットに頭を付けて謝るくらい悪いと思っているのなら、そろそろ戻ってくれないか?」
……そうか、なるほどな。
「無理、それだけは真顔に戻って言われても無理だ。戻ろうとしたら本気で殴るぞ。」
「……今のお前に出来るか?」
振り上げた俺の腕をペラルゴが掴んだ。
抗えない、こいつは捕食者で俺は獲物。
ペラルゴからは一生逃げられない運命、そう確信した瞬間。
黒尽くしの部屋で一際目立っている豪華な装飾の施された扉が、ゴンゴンと強めのノックで揺れた。
そして、こちらが入室の許可を出す前に、少々不快とも感じ取れる音を出して扉が開く。
「お待ちください、ペラルゴ。」
入ってきて早々にペラルゴを言葉で制したのは、復帰したばかりのフグリだ。
いつもは腰痛持ちの初老執事にしか見えないが、今回ばかりは最強の救世主。
「坊ちゃんの願いを忘れてはいないでしょう? 約束が果たされるまで、戻る事は絶対に許されませんよ。」
「坊ちゃん……ねぇ。」
「ペラルゴ、聞こえなかったのですか?」
「……調子に乗ってしまいました、ご主人様。」
フグリが笑顔で注意するだけで、ペラルゴは使用人に戻る。
彼が帰って来て安心だ。
「今回は俺のミスもある、言ってしまえば俺のしでかした事の方が圧倒的に状況を悪くした。」
ペラルゴがこうなってしまったのも俺のせい、今までどれだけ心に負担をかけさせてきたかなんて分からない。
「戻る事は出来ないが、この生活が楽になるという物があるのならば望むだけ与える。俺に出来る事があればいつでも話してくれ。」
「では……今度、一緒にお買い物に行きましょう。ルピナス様も連れて。」
先程まで纏っていた空気は何処へやら。
美しいという言葉が最も合う笑顔を向けてくる。
「……分かった、それがお前の望みとあらば仕事を休んで向かうとしよう。フグリ、3日後の予定を全て別の日に移しておいてくれ。」
「畏まりました。ところで坊ちゃん、倒れてから丸一日経ちそうな事にお気づきでしょうか。」
丸一日……丸一日!?
「私はルピナス様を呼びに行って参ります。坊ちゃんとペラルゴの体調が回復したと伝えたら、飛んで向かってくるかもしれません。」
フグリはそう言うと、足早に部屋の外へと出てルピナスの元へ向かった。
扉を閉める直前に「お早めにお済ましください。」と言い残して。
これで、部屋に二人きりだ。
いつもとは異なりペラルゴが何もしてこないので、なんとなく気まずい雰囲気になる。
「ペラルゴ、早くしてくれ。」
「……今回はご主人様からにしてください。これもお願いです。」
「買い物だけでは駄目か?」
「駄目です、さあ早く。」
……仕方ない、ルピナスが来る前に終わらせなければ。
俺は久しぶりに自分からゆっくりと顔を近づけ、少し触れる感触が残る程の軽いキスをした。
「おとうさま!!」
「ルピナス!!?」
丁度顔を離した瞬間にルピナスが入ってきて、それに驚いた俺がペラルゴに布団を被せてベッドの下に軽く落とした事は言うまでもない。
「元気になられて良かったです。」
「あっ、ああ。心配をかけてすまなかった。」
俺が今出来る精一杯の笑顔を向けると、ルピナスはその場に花が咲いたかと錯覚させる程に輝きを放つ笑顔を見せた。
眩しい、眩しすぎる。
その顔のまま膝の上に乗せてほしいという目で見られたら、従うしかないではないか。
「おとうさま、そういえばここにペラルゴはいませんでしたか?」
俺の膝の上にちょこんと座っているルピナスは、心臓に悪い質問をしてきた。
「……い、いないがどうした?」
「……入ってきたとき、いた気がしただけなのでかんちがいだったらしいです。」
この間床で布団に包まれていたペラルゴはというと、ルピナスが俺の膝上に移動した瞬間にベッドの下へと移動し、予め切り込みの入っている絨毯の一部を剥ぐと現れる緊急避難通路に出る小さな扉を開け、そこから部屋の外へと脱出し使用人服に着替えて暖かいお茶を持ってきたフグリと共に何事も無かったかの様に再び部屋に入ってきた。
この行動についてはルピナスが一旦俺の部屋を出てから聞かされたのだが、これだけの説明を軽い息継ぎ2回きりで顔色変えずに言い切ったペラルゴの肺活量を褒め称えたくなった。
【ベルフラワー】
・感謝
・誠実
・楽しいお喋り