第2話 看病
「ペラルゴ、これは何?」
外遊び用の服を見事に汚し続けるルピナスが、足首まで届く使用人服を着ているのに全く汚していないペラルゴに聞く。
ルピナスがペラルゴになんでも聞くのは、ただ傍にいるから……という訳ではなく、聞けば必ず答えが返ってくると知っているからだ。
俺が子供の時から、大人達に『歩く辞典』と呼ばれていた。
「さあ……なんでしょうか……。」
ん? てっきり見た事のない雑草でも生えてきたのかと思ったら、ペラルゴが答えられないなんて……。
「……。」
「……。」
……は?
「おとうさま、調べてほしいです。」
いやいやいや、無言の圧力を感じたと思ったら、ペラルゴが答えられない事を俺に頼むのか?
偶然だろうが上目遣いで言うんじゃない。
「それが良いですね。私とルピナス様が困っているというのに、見向きもせず……ただ空を眺めていたご主人様が調べてみてください。」
そう言ってペラルゴは立ち上がり、少し汚れた手で根に土が残っている草を手渡してくる。
その時、自然に手を握ってくるという技まで出してきた。
「おねがいします、お仕事がおわってからでもいいので……。」
ルピナスが頭を下げた瞬間、握る力が強くなって……この手をさり気なく払う為にも断れない状況になり。
「分かった、調べるよ。だが、必ずしも答えを見つけられる訳ではないからな。」
「お……い、離れ……ろ……。」
「看病ですよ、ご主人様。」
朝食後自室で読書をしていたら、ルピナスにほぼ強制的に革靴のまま庭へ連れてこられ、謎の草を調べる様に仕向けられ、こうなるとは……昨日の俺は思いもしなかった。
「ふー……。」
屋敷の書庫になら世界中の植物について書かれた図鑑があると思ったのだが、そもそも本の数が多すぎて探しても探しても見つからない。
仕事の前に終わらせた方が気が楽だと考えたのに、ここまで見つけられないとは。
おまけに時間を気にせず本を読める様に……と父が壁掛け時計を外していたせいで、探し始めてからどのくらい経ったのかは謎だ。
時計のある部屋に行けば良い話だが、あと少し、あと少しと思っている間に行くタイミングを見失った。どうするべきか……よし、もう少し探そう。
まず、植物に関する本を置いている棚は端から端まで確認済みで、図鑑を置いてある棚も確認済み。
こうなると、どこを探したら良いのだろうか。
……まず、これが草だったら正体なんて分からないのでは?
もしも花だとしても、花が咲くどころか蕾すらついていない。
植物の成長過程まで記された本など、そもそも存在するのか?
いつもの俺なら、今頃とっくに諦めていたと思う。
まてよ、何故ここまで探しているんだ?
おかしい、集中しすぎたせいか体が熱い気がする。
ああ、そうだ……次は地下の書庫に行こう……いや、屋根裏部屋の方が良いか……。
書庫での記憶はここで途切れた。
……ぴちゃぴちゃと、音がする。
体が熱く、頭が働かない……全てが重く感じてしまう。
「うぅ……。」
やっとの思いで出た唸り声。
次の瞬間、何やら冷たい物が額に乗せられて「ひぁんっ。」という、なんともみっともない声を出せた事で意識がはっきりしてきた。
そして、重い瞼を開けると目の前に見慣れた顔が。
「ご主人様、お目覚めですか?」
窓から差し込む光で、キラキラと輝く金髪。
見つめていると吸い込まれるかの様に、深い青。
間近で見ても透明感のある肌。
何より、寝起きでこの近さでも、もはや驚く事がない見慣れた顔。
「ペラルゴ、近い。」
我が使用人、ペラルゴである。
意識を保てても、なんだか瞼も頭も重い事に変わりはなく、呼吸がとてもしにくい。
「ご主人様は、昨日書庫で倒れているのをフグリ様が見つけられ、一晩中……というかほとんど丸一日眠っていたのです。」
「……フグリは復帰したのか?」
「ええ、昨日腰痛が治った事により、無事執事長へと復帰いたしました。初日から『ぼ、坊っちゃんがお倒れにぃっ!』と、ぎっくり腰になる所で。」
それは悪い事をした……謝ろう。
「フグリを呼んで来い、詫びの言葉と祝いの言葉を……。」
俺は思い体を起こし、ふらつく足に革靴をはめようとした……が。
ペラルゴの細腕に押し倒され、額からシーツの上に落ちたであろう白いタオルを再び乗せられる。
「フグリ様はルピナス様と食堂にいるので、まだここには来る事は出来ません。それにご主人様は《サントリナ》のせいで、まだ熱が下がっていないのですよ?」
サントリナ……もしや、あの草が?
「まだ成長すらしていないとはいえ、蓮同様近づいてはならない……ご主人様なら分かると思ったのですが。」
お前のその言い方では、まるで自分は知っていて俺に渡した……と聞こえるのだが。
「……おい、俺に怪しげな笑みを向けるな。」
「失礼致しました。」
こいつ、やはりわざとだったのか。
俺の無知故に受け取ってしまったが、人が悪すぎるのでは。
「ペラルゴ、何が目的だ。」
俺が聞くと、ペラルゴは服の袖で口元を隠し笑った。
美しいだけに不気味である。
「目的……そんなの、1つに決まっているでしょう?」
まずい。
そう思って逃げようとしたが、体は思うように動かず、いとも簡単にベッドへと押さえつけられた。
普段ならこんな事にはならないのに、サントリナというのはペラルゴ並に恐ろしいものだ。
「そんなに暴れないで下さい。」
仰向けにさせられると、俺の体の上に乗り両腕を押さえつけられる。
ただでさえ苦しいというのに、これでは余計に息がしずらい。
「お……い、離れ……ろ……。」
「看病ですよ、ご主人様。」
そう言うと、俺が寝るときに愛用している白いシャツのボタンを外し始めた。
時折肌に触れるペラルゴの手が、ひんやりとしていて気持ちが良い………って、違う違う!
流される所だったぞ。
「いい加減に……しろっ!」
「きゃっ。」
ボタンを外す為に、俺の両腕もろとも足で挟んでいたペラルゴだったが、必死に力を振り絞ると右に回転する事が出来た。
これで自由を取り戻せた訳だが、やはり体は重く……ペラルゴの腹の上から頭を動かせない。
……ああ、またもや足で挟まれているからか。
俺に抵抗する力はもう無い……今まで頑張ってきたのに、ここで全てが水の泡になってしまうのか?
「ご主人様……泣いておられるのですか?」
雇い主の頭を腿で挟んだまま聞く事か?
それに、泣いてなどいない。
「あっ、タオルの水で濡れただけですね。」
自己完結が早いぞ。
誤解は解けて良かったが。
「俺は絶対にシないからな。」
頭を上げられないのでハキハキとは言えなかったが、ペラルゴには伝わったはず。
「……ご主人様、もしやとんでもない勘違いをしていませんか?」
心底あきれた様な声だったのは、聞き間違いではなさそうだ。
しかし、これはもしかすると……。
「私は、大量に汗をかいたご主人様のお着替えを手伝おうとしたのです。」
……勘違いだった。
数秒間、ベッドの上で沈黙が続く。
ここは……俺が勇気を出して謝らなければ。
「……すまない、今回は本当にすまなかっ!?」
ベッドの上で膝立ちをし、頭を下げた途端にペラルゴが俺の顔を覗き込み……キスをした。
いつもよりも長く、強引なキス。
そして再び押し倒され。
「待てっ……て。」
……抵抗なんて必要無い。
ペラルゴはただ、意識を失っただけだ。
ベッドの足側に頭を向けたまま体の上のペラルゴを慎重に降ろし、起き上がって部屋の壁掛け時計を見る。
【十二時三十分】
俺が昨日倒れたのが昼だとして、あれから丸一日……経った?
火照っていた体は、一瞬で青ざめる。
「まずいっ!!」
フグリを呼びに行こうと革靴に足を突っ込んだ……つもりだったが、自分の体でベッドが軋む。
動かない、動けない。
【梨の木】
・慰め
・癒し