第1話 日課
「ペラルゴ、ルピナスはもう起きてるか?」
特に用途が無いクッションの敷き詰められたベッドから体を起こし、隣で寝ている使用人のペラルゴに聞く。
金髪にほんのりと黄色がかった緑の瞳をしたペラルゴは、仮にも雇い主が起きているというのに横になったままだ。
「ええ、私が起こしに行った時には着替えまでしていて、ご主人様と食事をする……と張り切っていました。」
お前、起きたのか。
……確かに使用人の服を着ているが。
「何故一度起きたのに俺の隣で寝ている。靴は……脱いでいるが、ネグリジェでもないのに入るんじゃない。」
少し苛立ちながらベッドから離れると、ペラルゴはグイッと身を乗り出して俺の腕を掴みベッドへと戻す。
「まだ、ですよ。」
ペラルゴの瞳は綺麗だ。
黒尽くしの屋敷には勿体ない程に。
白い肌に桃色の頬、薄いが親指で触るとしっかり柔らかさを感じる唇。
「ん……。」
これが日課。
俺は毎朝ペラルゴにキスをする。
ペラルゴは毎朝それ以上を求め、俺が毎朝断る。
「……終わったのだから、あからさまに潤ませた瞳で見つめるのはやめるんだ。」
手も唇も離したというのに、俺が言うまではペラルゴがべッドから離れる事はない。
俺と同じ位一日を無表情で過ごすペラルゴは、この時だけ女を演じる。
「愛しています、ご主人様。」
まるで、本当に想っているかの様に言う。
「そうか。」
一言だけの返事、これで十分。
使用人に余計な感情は不要なのだから。
俺の部屋とは反対方向にあるルピナスの自室。
扉も壁も、全てが黒いこの屋敷の中で唯一白で統一されているのがルピナスの部屋だ。
食事に向かう時は俺からルピナスを迎えに行くのだが、今日はノックをする前に扉が開いた。
内開きだから良いのだが、外開きだと前歯が確実に折れるであろう勢いで。
「おとうさま、おはようございます。」
中から出て来たのは、ふわふわとした幼児特有の髪質の子供。
金髪は父親譲り、俺と同じ紫色の瞳は母親譲り、世継ぎの為だけに生まれた哀れな我が子。
「おはよう、ルピナス。」
素っ気ない返事だとは自分でも思う。
だが、俺にはこれ以上どう言って良いのか分からない。
3歳にしては賢すぎるルピナスは、その事を既に理解してくれている。
「今日はよいおてんきですね。」
食堂まで歩く間、俺もペラルゴも話さないのでルピナスだけが飽きずに話し続けるのもまた日課。
たまに反応してやると、ケーキを出された時の様に紫色の瞳を輝かせるから不思議だ。
「そうか、それは嬉しいな。」
「はいっ!」
外はどんよりとした曇り空。
これを良い天気と呼ぶのには、この地域……アセビ地区の気候が関係する。
アセビ地区は昔から雨の街と呼ばれ、晴れる事はめったになく……晴れたとしても、晴天にはなる事は一切ない。
一年のうちで雨・雪・曇りが大半を占めていて作物などろくに育たない……と、思われるだろうが違う。
不思議な事に野菜は育つし牧草も生える。
何故かは分からない。
黒屋敷の者以外は。
「これではれたら、きっとツキミソウがさきます。」
「そうだな。」
「ペラルゴ、今日もいっしょにざっそう取りをてつだってくれる?」
「はい、ルピナス様。」
俺の斜め後ろを歩くペラルゴは、控えめな会釈をして答えた。
そんな使用人を見て、ルピナスは立ち止まり。
「ツキミソウがさいたら、おかあさまと見れますか?」
娘の眼差しの強さに負け、俺の紫色の瞳は揺らぐ。
ルピナスの母親は『病気で部屋に籠っている』という事になっている。
「ああ……。」
「ええ、きっと見れますよ。……私が用意した種と、栄養をたっぷりと与えている土です。きっと綺麗な花を咲かせますよ。」
ペラルゴが助け船を出してくれた事で、俺は助かった。
やけに自信のある言葉だが、だからこそルピナスは信じられるのだろうか。
「そうですよね!」
嬉しそうに笑いながら、また歩き出す。
親思いの良く出来た子。
「お前は本当に咲くと思っているのか?」
既に少し先まで進んでいるルピナスにこえない声量で聞く。
すると、ペラルゴは俺の横にピタリとつき。
「ツキミソウが咲かなければ、私の言葉は嘘になりません。そうすれば、おかあさまも必要ありません。」
「何が綺麗な花を咲かせる……だ。ルピナスは賢いから、いつかは気づくんじゃないか?」
口を閉じたその刹那、背筋が凍る。
口角を少しだけ上げるペラルゴに恐怖を感じた。
「気づきませんよ、嘘は言っていませんから。」
……意味に気づき、冷や汗が出る。
「最高級の種と土、合わせれば綺麗な花が咲くでしょう? ほら、もう蕾になっている。」
「っ……あ、ああ。」
この感情は久しく味わっていなかった。
そうか、こんなにも恐ろしいものだったのか。
「おとうさまー! ペラルゴー!」
脈が速くなり冷や汗の止まらぬ俺の元へ、一人だけ歩いている事に気づいたであろうルピナスが駆け寄ってくる。
「いっ、今行くから家の中で走るんじゃない。」
「ルピナス様、走ると転んでしまいますよ。」
彼女はいつもの無表情に戻っていた。
「わっ!!」
こうなるのでは……と思っている事が起きてしまい、俺とペラルゴは黒い絨毯の上で綺麗に転んでいるルピナスの元へと急いで走り。
「ほら、ルピナス。立ちなさい。」
そう言って手を差し伸べるが、ルピナスは一人でスッと起き上がり、服に着いた糸くずを掃うとにっこりと笑う。
「わたしは強いのです、おとうさま。」
胸を張り、ドラゴンを退治した勇者のごとく得意げに言われたら、褒めるという選択肢以外は消えた。
「それは凄いな。」
こんな言葉で喜び、鼻が少し赤くなっていても笑っている。
子供というのは、どんなに賢くとも単純なのか。
それとも、疑う事しか出来ぬ大人が単純なのか。
「おとうさま、ペラルゴと何をはなしていたのですか?」
事情を知らないルピナスに、本当の事を言う訳にはいかない。
まだ、早すぎる。
「ペラルゴが今日は良く喋るから、それを話していたんだ。」
嘘ではないはずだ。
いくら俺でも、娘に何度も嘘はつけない……何もかもを見抜かれている気がするから。
「たしかに、今日はたくさんはなしますね。なぜ?」
口数が多い事に疑問を持たれる経験など少ないだろうに、こういう時ペラルゴは自然に言葉を返す事が出来る。
「花が咲くと思うと、嬉しい気持ちになるからです。そうでしょう? ご主人様。」
俺はルピナスの手前「そうだな。」としか答えられなかった。
【ツキミソウ】
・無言の愛情
・移り気