私と師匠
お日様さんさん陽気はるんるん、鼻歌らんらん靴音とんとーん。春という陽気の醍醐味をぜーんぶ詰め込んだような日和です。桜の花びらが大きな空へと舞い上げられ、世界を美しく縁取ります。親密な風が街行く人々の心をくすぐり、温かなお日様が瞳に潜む希望の光をちらつかせます。
私はそんな春の観名町をてくてくと歩いていました。学校からの帰り道。通い慣れたこの道も春が彩る桃色の額縁から覗くと今まで感じたことのない新たな発見がありました。電柱の陰に咲くたんぽぽ。日向ぼっこをする猫たち。美しい世界を祝福するかのような小鳥のさえずり。おもわず頬がゆるんでしまいます。ゆるーんと。
私、火ヶ瀬みやびは仕事場へと向かう道すがら、へにゃへにゃと笑いながら春の午後を堪能しているのでした。
そして歩くこと三十分、目的地である使い古されてくたびれたマンションの二階へ上がります。遠目で見るとお菓子の家みたいな可愛らしいブラウンの建物なのですが、実際に中へ入るとヘンゼルとグレーテルだって逃げ出しちゃうようなマンションなのです。何と言いますか・・・うさんくさいのです、とっても。
二階のいちばん奥にある事務所の玄関。木彫りのプレートには『カフカ探偵事務所』と彫ってあります。うーん、さらにうさんくさいです。鼻がねじり曲がりそうなほどに。ともあれ私は制服の袖を肘まで織り上げ、自分のほっぺたをぺんぺん叩きます。さあ、ここからはお仕事モードなのです。なんせ私は探偵の助手なのですから!まあお仕事と言っても師匠にコーヒーを作って本棚整理をして、残った時間で小説を読んだり師匠とおしゃべりするだけなのですが。えぇはい。お仕事なのです。
玄関の鍵を解錠して重たい扉をぐぐっと開けます。蝶番が苦悶の叫び声をあげるまでがワンセットなのです。ぎいぎい。
「ししょー!こんにちわー!」と私は廊下の向こうの応接間にあいさつを投げかけました。・・・沈黙。やーっぱりお昼寝ですか。てゆーかもう四時なのです。ふつーの成人男性はこの時間はお仕事なのでわ。いやまぁ師匠にふつーを求めるのがそもそも間違っているのでしょう。しかし今日の私はひと味違いますよ?
私は廊下を通り抜けて応接間の扉を開けました。そこにはいつもと変わらない、いつまでも変わらない大切な風景がありました。師匠のデスク、色褪せた藤色のカーペット、ガラステーブルを挟んで一対になってる双子ソファー。まるで隠し通路でもありそうな壁一面の本棚に、師匠の怠慢のせいで死にかけている観葉植物と、カバみたいにおっきながらくた箱。生活の香りが私の肺を満たします。心にも不思議な安らぎがふわわ~っと入ってきました。ここが私の場所。師匠と過ごす、大切な。
・・・などと雰囲気に浸っているとソファーに寝っ転がっていた我が愚師の「くかー」と間抜けな寝息が聞こえてきました。
むぅ。せっかくいい感じだったのに。
部屋は相変わらず小ぎれいに整理、掃除されています。やがて来るべき依頼人さんを気持ちよく迎える準備は万端なのです。肝心の依頼人さんが全く来ないのがネックですが、そこは触れないでおきましょう。
私はいつものように部屋の隅に入り口がある袋小路的キッチンに入りました。コーヒー用のお湯を沸かし、コーヒー粉を用意します。お茶請け用のお皿とトレイも用意しておきました。よしよし。準備おっけーなのです。さて!日頃の意趣返しも込めて、師匠を叩き起こしてやりましょう。ぐふふ。
「しーしょーおー。おーきてー」ソファーの肘掛けに頭を乗っけて眠っている師匠の隣りに屈みこんで声をかけましたが、墓石みたいにピクリともしません。ほっぺたをつねってみましょう。ぐりぐり。・・・無反応。「ししょー!」とご近所迷惑にならない程度に叫んでみても、ぐーすかぐーすかと本人の人柄と真逆の可愛らしく規則正しい寝息が聞こえてくるだけです。ぐっ、これは強敵です。鬼に金棒、師匠に惰眠。ナマケモノだって師匠と出会ったら深々と反省するのではないでしょーか。
しかし春風が明けた窓から優しく甘いまどろみを与えようとも、私は一番弟子として師匠の安眠をぶち壊すのです。
「師匠!依頼人さんが来ましたよ!」ウソついちゃった。でも全国のお母さんたちも心を破壊神シヴァにして我が子をしつけるのですよね。それとおんなじです、たぶん。すると師匠の瞼に変化がおきました。おやおや、これは覚醒でしょうか?師匠はうっすらと目を開けて突然言いました。
「ううん。もう食べられない・・・マンボウのおひたし・・・」
「マンボウのおひたしっ!?」ひたしちゃうの?マンボウひたしちゃうの?ひたしたマンボウ食べちゃうの?
「・・・師匠マジパネェです」
「くかー」また寝ちゃった。
これはもう実力行使しかありません。怠惰と倦怠に塗り固められた彼を惰眠の泥沼から引っ張り上げるのです。えと・・・。こーゆーときは頭をぶん殴りましょう。大丈夫、少し脳細胞が死滅するだけです。私は昨日師匠から借りた分厚い本をカバンから取り出しました。気になったので借りたものの、一文字すら読むことができずに諦めたのです。うんうん、いい重量感。師匠の頭のてっぺんはソファーの肘掛けからまるで私に殴られたがっているみたいに飛び出していました。彼の後頭部を野球ボールに見立て、両手で本をバットのように構えます。心は不動。瞼の裏には二点差で迎えた九回裏ツーアウト満塁の光景が見えます。監督は私にヒッティングのサイン。えぇ、やりますとも!
「絶好球!」足の裏が地面をひねり、そのパワーが腰を力強く回転させます。腰に遅れて両腕が鞭のようにしなやかに振るわれ、分厚い本が師匠の頭をジャストミート!
もちろん表面で。角は危ないのです。
みずみずしい女子高生の筋肉とぶっとい専門書がインパクトの瞬間に生み出した「ボゴン!」と可愛い音と、三十歳独身男性の口から発せられた「あふん!」と可愛くない叫びが応接室にこだましました。
決まった。師匠はゼンマイ仕掛けの人形みたいに上半身だけがばぁっと起き上がります。陸に打ちあがったカツオみたいに口をぱくぱくさせてうめき声をこぼしています。そしてはッと立ち上がり「客か・・・。あぁ今行く、逃げるなよ」とまだ寝ぼけたままの頭をゆさゆさ揺らし、ワイシャツをズボンに突っ込みながら玄関へとふらふら歩いて行きました。彼は寝起きがとても弱いのです。
師匠の眠気はセンター方向へと大きく飛んでいきバックスクリーンの彼方へと消えていったようです。ホームラン!
大満足の私は胸を張り、師匠が落胆と肩を組んで帰ってくるのをにこにこと見守っていました。
「師匠、おはようございます。コーヒー飲みます?」助手兼弟子としてこれ以上ないあいさつをしました。すると、
「カフカと呼べ。あと、ない胸をわざわざ張らんでも良い」と、愛弟子の好意を一蹴し『カフカ』を自称する我が愚師は私の頭に軽くチョップを食らわせました。
「いてっ」
「まったく。とんでもない小娘だ」と言って先ほどと同じ体勢でソファーに寝っ転がってしまいました。心なしかさっきよりも深くソファーに沈んでいるように見えます。まるで養分でも吸い上げているみたいです。ちなみに「まったく」は彼の口癖なのでした。
まぁ師匠が起きたので良しとしましょう。しかし心が痛まないと言ったらウソになります。私はキッチンに行き、手早くコーヒーを作りました。砂糖とミルクと謝罪の気持ちをちょこっと混ぜて。コーヒーカップをソーサーにのせてカフカ師匠に差し出しますと、不機嫌そうな顔をしながらもキチンと起き上がります。私の淹れるお気に入りのコーヒーを前にすると、彼はまるでヒマワリの種を手に入れたハムスターみたいに律義な姿勢をとってくれるのです。
「ナイスコーヒー?」私が聞くと、
「ナイスコーヒー。サンキュー」と師匠は美味しそうにコーヒーを飲んでくれました。胸のことを言われたのはいささか業腹でしたが、この際は不問とします。
ちなみにカフカというのは仮名です。筆名です。偽名です。私がつけてあげました。えっへん。
私は師匠がコーヒーを飲み干し、あくびと背伸びが終わるのをハチ公のように利口に待ってから、彼の頭をジャストミートした本をテーブルの上に乗っけました。
「師匠、これって一体何の本なのですか?」と私は質問しました。表紙が禍々しい漆黒だったので魔導書みたいでかっこいいなーと借りてみたは良いものの、中身がロシア語なので内容はちんぷんかんぷんです。挿絵として拳銃や狙撃銃が紹介されています。銃火器の専門書であることは明白ですが、私の質問の核心は少し先にあります。
「あー。これはだいぶ前にキョーコに借り・・・貰ったやつだ」窃盗と拝借の狭間をぼやかして師匠は言いました。
「返し忘れたってことですよね」
「違う。永遠に借りてるだけだ」どこのガキ大将ですか。
「ダメですよ、ちゃんとキョーコさんに返さないと」
師匠は面倒くさそうに「へいへい」と返事をしました。
「ところでですね、こんな本があるってことはピストルを扱う依頼があったのですか?」
これが質問の核心です。師匠のどでかい本棚にはほとんど小説しかありませんが、たまーにこのような専門書が見つかったりするのです。見つかる、という表現は彼の本棚がまるで店員のいない立ち読み古本屋のようにぐちゃぐちゃと荒れているからです。川端康成のお隣さんがドストエフスキーとかユニークすぎますよ。
そんなわけで一番弟子である私、不肖・火ヶ瀬みやび十六歳現役女子高生が三か月前からちょこちょこ整理整頓をする運びになったのです。そして私はへんてこな専門書や外国語で書かれた本の内容と、師匠と出会う前に彼が解決してきた依頼のお話を聞かせてもらうのがとても好きなのです。毎月毎月恐ろしく暇なので。ほんとに。
師匠は探偵でありながら探偵ではありません。あれ?相乗的矛盾です。えーっとですね・・・師匠はインチキ探偵です。殺人事件を解決するわけでもなく、浮気調査も尾行もしません。そういう意味では彼は探偵じゃありません。でも師匠は限定された意味合いでは探偵です。何故ならごくたまに、彼に助けを求める人がやってくるからです。月の裏側のような鈍い悲しみを抱えて。
あなたは現実を信じていますか?この地面のある世界を。私もかつては信じていました。そこに風が吹き、波音が響き、月が光る現実を。それでも時として、信じられないようなことが起きます。そう、それは不思議の国のアリスみたいな『本当のおとぎ話』なのです。きっと誰も信じないようなお話です。それでも私はこう言います。「あなたはそれを否定できません」と。実はこれ、師匠の受け売りなんですけどね。
師匠の受ける依頼はまるで現実離れした童話のようなお話ばかりでした。それらの童話的現象は現実というフィルターを通し、人間という不確定で漫然的な視点を持って眺めると、溶け合う泥のような混沌を呈していました。しかしそれらの依頼には目には見えない何かの「意志」がありました。時には人を傷つけ、時には誰かが涙を流し、赤々とした血が流れることもあります。師匠はその数少ない依頼に発生する童話的不可思議現象に立ち向かい、先の見えないファンタジーな現実を懸命に解き明かします。
依頼人さんには様々な種類の悩みがありました。ある人は兄弟の不可解な失踪に困惑し、ある人は見えるはずのない何かが見えてしまったり、ある人はもう一人の自分に出会ったり。
私たちが「現実」と信じていたものがある日予告もプロローグもなく、まるで落とし穴に落っこちちゃうみたいに全てが暗転してしまうのです。
現実とは大きな力です。日常においては私たちが生きるための大事なシステムですが、その力加減が少し間違ってしまえばそれは私たちを別の世界に追い込みます。掛け違えたボタン。錆びた知恵の輪。ほどけたメビウスの輪。
また、その「何か」は誰かの意思で生まれたものでした。そして師匠は彼しかもっていない、「彼だけが持っていない」非現実を使って依頼人さんの世界を取り戻します。真実がどれだけ残酷だろうとも。
かくいう私も半年ほど前にとある不思議な事件に巻き込まれ、雨に打たれた野うさぎ同様のところで彼を頼った依頼人の一人でした。その時の師匠の誠実さ、不器用な優しさ、そして自由な生き方。そんなものに私は憧れました、とても。限られた運命の中で笑いながら、自由に生きる師匠に。
そんなわけで私は二ヶ月間毎日お願いをし続けて(かなり強引に)弟子にしてもらったのです。大人としてはアウトな師匠ですが、いちおう尊敬はしています。三ミクロンくらい。
え?お給料?なんですかそれ、美味しいのですか?
・・・実は美味しいのです、お給料。なぜなら私は日々の仕事をこなした後、師匠からお菓子をもらうのです。日払ですネ。学校の友達には絶対騙されてる!と言われますが、無理やり頼み込んで働かせてもらっているので文句は言えません。それに第一、年頃の女の子の一般生態的にお菓子大好きですし。もしもお菓子の家なるものが存在するなら、基礎部分まで食べちゃいますもん。私に言わせればヘンゼルとグレーテルは甘々です。お菓子だけに。お菓子だけに。
というわけで働き始めて三か月、ほぼ毎日シュークリーム、チョコレート、ビスケット等々、様々な味わいのお給料をしこたま食べてきた私の体重は雪だるま式に増加してしまったのです。体育の授業なんてもう血眼です。でも食べるのはやめられないのですよねぇ。女の子最大の宿業です。かるま。
ちなみに師匠はいやらしほどの不定期さでお菓子にワサビやトウガラシを仕込むという戦々恐々なるいたずらをしやがる。ダイエットの相談をしても「体重計が可哀そうだぞ(笑)」とか言ってバカにするのです。まじ腹立つのです。むかー。
ということで、本日の仕返しの正当性、純粋性が法廷の場であっても主張されるわけなのでした。
かんわきゅーだい。
「確か国内の合法的な銃輸入に関する依頼だったな」少し顔をしかめて言う師匠。「でも結局はキョーコにくれてやったがな」ぴーんときました。むふふ。
「そのお仕事、キョーコさんに横取りされたのでしょう。図星ですね?」ここぞとばかりに攻め込む私。師匠とキョーコさんがマントルほどに深い因縁を有していることは把握済みなのです。詳しい内容は教えてくれませんが。きっとオトナの事情があるのでしょう。
「アホ言うな。あいつから仕事を押し付けてきたくせに少し報酬が上がっただけで『悪いけど、あの依頼返してちょうだい。あ、ごめんなさい順番が逆ね。あの依頼もう私のところで終わらせちゃったから』だとさ。・・・思い出したらムカついてきたな」
「どうどう・・・」しかし師匠は止まりません。暴れ馬カフカは手綱がついていないのです。とんだポンコツです。
「本だってその仕事をもらった時にキョーコに取り寄せてもらったものだ。文がロシア語だから俺は腹と財布を割って日本語訳書を頼んだ。しかしあろうことかあの女、料金を通常の三倍に設定していた上に、送ってきたのヘブライ語訳だぞ。あいつ人間じゃねーよ」目が怖いっす師匠。
「とてつもない嫌われようですね・・・」わが師匠の人望の低さが少しだけ気の毒になります。
師匠はその頃にはもう眠気はなくなっていたようです。足を組みながらぷかぷかとタバコを吸っています。私は師匠の向かい側に座っておやつのお煎餅をかじっていました。これが私たちの日常。まったりおっとり。なんやかんやで大切なつながり。きっと金星に行っても私と師匠はこんな感じだと思います。それがちょっと嬉しかったりするのはナイショ。
「でもキョーコさんのお仕事ってカッコイイです。敏腕女社長って憧れます」キョーコさんはこの観名町で探偵事務所の経営をしながら情報屋もやっているのです。きっとお金さえあれば国家機密や極秘外交の詳細、もしかしたらネッシーのお家まで教えてくれるかもしれません。ただしお話によればクライアントはかなり厳選するみたいです。うちの師匠なんか玄関マットを踏んだだけでお引き取り願われますね。どんまいです。
「俺は好かんね。行きつく先はインターネットによる情報搾取。そんなものどうやって信じろというんだ」彼はとてつもない機械音痴です。たぶん電卓だって使えません。そしてインターネットを心から憎んでいる変わり者なのです。
「でも今の時代インターネットは最高率です。情報交換もデスクワークもお買い物も電子世界ならちょちょいのちょいです」
「だからだよ。そんなカタチ無きシステムから教わることなんて何もない。俺は中国産と苦笑いが似合う男と果汁100%ジュースとトマトとインターネットは断固信用しない」
「さすが師匠、偏見まみれです!」私がそう言うと彼は珍しくまじめな顔つきをしました。
「いいかみやび、一つ覚えとけ。インターネット・システムとは効率だ。人が文明とともに突き詰めていった歴史。そして効率とは過程の簡略化だ。道筋を線ではなく点でしか見ることができない。もしも世界中が点でしか見れなくなったらひどいことになるぞ。道徳観は荒み、生活基盤は簡単に崩れ落ちる。誹謗は悪心を騒ぎ立て、中傷は憎悪に変わる。最高率は無関心のレスポンスになり、誰もが平気な顔をして人を傷つけるんだ」師匠はにやりと笑います。「お前も色々と嫌になったらまずケータイをぶっ壊してみろ。世界が広がるぞ、まじで」
私は師匠と出会ってからそのつど彼の意見を聞いてきました。三十歳独身男性の考え方を。中にはとんでもない偏見もありましたが(ブルドッグ好きは面食い。成金はオープンカーに乗りたがる。サーフィン好きは脳みそ空っぽ等々)。師匠の意見は辛辣でありながらもまっすぐでした。いつだって核心には大事なものがある考え方でした。テレビのコメンテーターさんが難しい漢字をふんだんに使って弁論するより、私には彼のまっすぐな言葉のほうが好きです。まるでいい小説を読んだ後みたいに心が笑っちゃうのです。ちなみに師匠の一番良いところは、冷たいようにみえて実はお人好しなところです。ロマンチストなのです。
「この仕事は特に点より線を大切にしなければならない。それが探偵のコツだ」タバコの煙をふーっと吐き出して言います。私は師匠の言葉を心のメモ帳に書き留めました。
夕方の朱の光が窓から差し込みます。風がカーテンと踊り、師匠の髪の毛をさらさらと撫でました。私はコーヒーのおかわりを注ぎ、彼の向かいのソファーに座って言いました。
「あのー、昨日のSNS集客の件なのですが・・・」
「ん?あぁその話か」
「いちおー事務所のアカウントとキャッチコピーは作ってきたのですけど・・・」
「ツイスター・トルネード?」
「うーむ、何のことだかさっぱり。・・・ってまさか師匠、それツイッターのことですか?」
「あーそうそれ」危うくあごが外れちゃうところでした。
「で、キャッチコピーは?見せてみろよ」
「あう。えーっと・・・もちろん、です・・・」
今月のあまりの閑散さに警鐘を鳴らすべく、昨日私は師匠にツイッターを使った宣伝広告を提案しました。便利なものは何でも活用する不撓不屈の精神です。彼も初めは反対派でしたが、私の熱弁と気迫と情熱に感動して、顔を引きつらせながらドン引きしたような声で認めてくれたのです。
そんなわけでツイッターで事務所のアカウントを作成し、私のアカウント経由で拡散しようと思ったのですが・・・なにせ普通の探偵事務所ではないので、キャッチコピーでハートを掴もうと思ったわけです。私の立案したこの集客が成功した暁には、お給料シュークリームのグレードアップを狙っています。お腹を空かせた女子高生のように。なので昨夜は私の頭の中の文豪たちがあれこれと唸った結果、一文だけキャッチコピーを書き上げることができたのです。
でも見せるのは恥ずかしいです・・・。
「笑いませんか?絶対に笑いませんか?」
「笑わない。絶対に笑わない」真顔で言うカフカ師匠。本当はこっそりとやりたいのですが、事務所経営者の彼にパスを通さないのは筋が違います。私はスマホを開き、羞恥を忍んで我が事務所のキャッチコピーを見せました。
『あなたはアリス、わたしはうさぎ。
鎖の時計が壊れても、望むのならば、手を差し伸べて。
鏡の国も、地底の王国も。紙の月も、ペンキの太陽も。
あなたが語れば、本物になる。
そのお悩み、わたしたちに見せてくれませんか?』
「ぶっはははははっっっ!(爆笑)」
「うにゃぁぁぁああー!(悶絶)」
やっぱり見せるんじゃなっかた!死にたい!小学生の頃に書いたポエムを親に見られたくらい恥ずかしい!
「いや~お前文才あるよ。はははっ、ペンキの太陽ってっ!」げらげら笑いながら師匠が言いやがります。
「もう喋らないでください!うぅぅ~見せなきゃよかったです~」ソファーに倒れて悶絶している私。顔がすっごく熱いです。たぶん耳まで消火器みたいに真っ赤です。しかし消火器は自分自身を消火できない悲しい装置なのでした。
「で!どうなのですししょー!採用ですか!」ここまできたらもう開き直るしかありませんよ。師匠は相変わらずにやにや笑っています。うぐ、笑わないって言ったのにぃぃ。
「オーケー。文句のつけようもないさ。これならマッハ5で飛行していても見逃さないね」なにそれ褒めてるの?褒めてると思ってるの?
でも仕方ありません。書いちゃったものは書いちゃったんです。見せちゃったものは見せちゃったんです。自分に詩的才能があると思って慰めます。いいですもん。ふん。
「ではこの件はこれでオシマイです。さっそく更新するとします。師匠は私の働きに免じて冷蔵庫からシュークリームを持ってくるのです。それくらいの権利はありますもん」
「はいはい。かしこまったよ、お嬢さん」彼はあくびを噛み殺しながら立ち上がり、ぐぐっと背伸びをします。普段口が悪いだけに、そんな仕草が子供っぽくて可愛く思えたりしちゃいます。
「せっかくならロシアン・シュークリームでもやるか。ハバネロはお好きかね?」前言撤回です。くしゃくしゃにしてごみ箱にポイです。
「師匠一人でやってくださいですー。べーっ」まったく、とんでもないいたずらっ子です。
すると突然、すっ転びそうなほど間の抜けた音が事務所にこだましました。実際師匠は転びかけます。その音はチャイムでした。相変わらずのへんてこチャイム。
ちゃんちゃかちゃーん。